施設と鎮守府が和睦協定を結んでいることを知った叢雲は、案の定怒り狂ってしまった。人間と艦娘に肩入れしているとわかった途端、和やかな雰囲気は何処かに行き、ピリピリとした空気に。
そこに飛行場姫と戦艦棲姫が宥めに来たのだが、叢雲の深海棲艦化の原因が『怒り』であるため、まず沈静化は出来ない。怒りの原因たる鎮守府という存在に対して、その怒りを鎮めることはないだろう。しかし、鎮めてもらわなければ施設のこれからの在り方にも関わってくる。
そこで出た案が、叢雲に実際に提督と話してもらうという、最も危険で、かつ、最も確実な手段である。叢雲の知る提督とは別に、誠実な人間もいることを知ってもらいたい。しかし、一歩間違えればより人間を憎むことになる。これはもう賭けに近い。
「どうせ人間なんて信用出来ない生き物なのよ。何を話されたって無駄ね」
「ううん、私の司令官は違うよ。本当にいいヒトだから。艦娘のことを第一に考えてるんだから。ちょっと無理しちゃうところが玉に瑕だけど、それだけ私達のことを思ってのことだし」
「そんなもの上っ面なだけよ。内心ではアンタ達のことも捨て駒や自分の地位のための道具くらいにしか思ってないわ」
どんなことを言っても自分の考えは変えない。あくまでも人間は艦娘を騙している底辺であり、滅びても何の問題のない種族だという認識。
春雨も、自分の尊敬する提督がここまでボロクソに言われたことで、内心では苛立ちを覚えていた。しかし、叢雲の性質もちゃんと理解している。叢雲はこういう存在なのだから、この言いようも仕方ないと諦めることで、何とか怒りを抑え込む。
一方、飛行場姫はタブレットを弄って、鎮守府へと連絡を取る。時間としてはまだ業務時間。連絡がつかないわけでもなく、こちらから動いたらまず確実に反応してくれる。
『おや、以前に連絡も差し控えた方がいいと聞いていたが、何か問題でも起きたのかい』
施設どころか、深海棲艦全体としてもまず聞かない男の声。それが端末から聞こえたことにより、叢雲の怒気がより一層強くなったことがわかる。
叢雲の知っている提督という存在は男。既に男の声を聞いた時点で恨み辛みが爆発しかねない状況ではあった。それでも即座に手を出さないのは、艦娘叢雲としてのギリギリの抵抗か。
「ええ、先に謝っておくわ。貴方に任せることになっちゃった。ごめんなさい」
『急にどうしたんだい。また何か頼み事があるというのなら、我々は力になるさ』
声色からして優しい性格が滲み出ているのだが、叢雲にそんな内情が届くわけがない。どれだけ優しくとも、それは演技であると決め付けているのだから、疑惑が解消するのは簡単なことではない。
「例の叢雲の件よ」
『……調査後の状況を知りたくなったのかい?』
「それもあるけれど、貴方に叢雲本人と話をしてほしいのよ」
端末越しの提督も、さすがに言葉を失っていた。一旦連絡を控えると言われたばかりなのに、昨日の今日でこれである。
「アタシ達の言葉も聞いてくれなくてね。貴方と直に話すべきと判断したの。さっきも謝ったけど、頼ることになってごめんなさい」
『いや、頼ってくれてありがとう。そういうことなら、力になろう。しかし、僕の話を聞いてくれそうな心境なのかい?』
「……信用出来ないなら殺しに行くとは言っているわね」
『そうなってしまっても無理もない仕打ちを受けているんだ。その考え方を否定することは出来ないよ』
溢れんばかりの殺意を間接的にぶつけられていても、提督は恐怖はおろか、嫌悪すら感じない。
叢雲はそうなってしまっても仕方ないと納得しており、ブラック鎮守府での生活を覚えているのなら、人間や艦娘に対して常に敵対心を持ち続けていてもおかしくないと考えていた。そのまま他の侵略者と同じようになっていないだけ、叢雲は自制が出来ていると感心するほどに。
『了解した。僕が話をしよう』
「たびたび言うようだけど、ごめんなさいね。本当に助かるわ」
今回の件に関しては、ここの姉妹姫でもお手上げと感じるものだった。叢雲が意固地とか、そういうことではない。
これが適切な処置をされているのなら、まだ違ったかもしれない。多少は妥協が出来て、苛立ちを覚えるものの理解は出来るくらいの心持ちになれた可能性はある。
しかし、叢雲は処置すらされずに壊れていたものが、施設の者、特に薄雲による渾身の介護により、ギリギリ心を取り戻しているに過ぎない。施設に住まう他の元艦娘達とは、根本的に違う。
結果、自分達よりも艦娘に詳しい者に頼ることにした。本来ならば問答無用で敵対するような鎮守府の長が力になってくれると言うのだから、きっといい方向に向かう。そう信じて。
『君が……槍持ち、叢雲かい』
端末に映し出された、変わり果てた叢雲の姿を見て、小さく驚いた。これまでに、この施設に住まう者を見ていたためにある程度は慣れていたものの、やはり何処からどう見ても深海棲艦となってしまった艦娘を見ると、悔しさが滲み出てくる。
逆に叢雲は、自分の姿を見て驚く相手に対して、また怒りを募らせていた。というか、どんな仕草を見せられても怒りに直結する。人間の一挙手一投足が、叢雲にとっては癇に障るモノなのである。
「そうよ。人間と仲間にゴミのように捨てられた、哀れな艦娘の成れの果てよ」
最初から喧嘩腰。殺意も隠さない。端末越しではなく直に会っていたら、間違いなく手を出していた。
『僕は君の上官のことは耳にした程度なのだが……その手段は一切譲歩の出来ない非道なモノであることは聞いている。その被害者である君のことも、詳しくはないが聞いているよ』
「なら話が早いわね。私は人間を許さない。それに乗った艦娘も許さない」
最初から提督の言葉には耳を貸さないと言わんばかりである。早く対話を終わらせて、目の前の人間を殺しに向かいたい。そんな気持ちが画面越しにも見て取れる。
『我々の……君達の言い方で言えば
本来なら一切無関係である提督が、叢雲に頭を下げる。軍であるというだけでも関係者となるかもしれないが、見ず知らずの同業者の悪行のために、まるで自分がやったかの如く心を痛め、被害者に謝罪を述べた。
それに対する叢雲は、無論謝罪をされても許せないほどに怒りが渦巻いている。これだけのことをされ、今でこそ意思を取り戻し、死んだことを帳消しにしているかもしれないが、実際には死んでいるのだ。それをごめんなさい1つで許せるかと言われたら、それはどう考えてもNOである。
「そんな口先だけの謝罪で私の怒りが晴れると思ってるわけ? やっぱり人間は揃いも揃ってゴミクズね。これだけやらかしておいて、当事者にそれくらいしか出来ないんだもの。死んで詫びなさいよ」
被害者であるが故に、ここまでの言葉が出てくる。思考は怒りの熱で焼き切れ、罵詈雑言でしか提督と向き合わない。最初からそのつもりでここにいるのだから、何を言われようが何をされようが許すつもりはない。
『君以外にも被害者は沢山いるのだろう。その者達のことを思えば、謝罪の言葉1つで片付けようなんて思ってはいない。君の怒りは正当性のあるものだ。人間の滅亡を願うことにも、僕としては何も間違っていないと思う』
「理解が早くて助かるわ」
『だが、申し訳ないが命を張るわけにはいかない』
凛とした態度で、叢雲に真っ向勝負を挑んだ。叢雲の表情がより怒りに染まる。
『ここで僕1人が死んだところで、世界は何も変わらない。君の気持ちが少しだけ晴れるか、今以上に怒りに呑まれるだけだろう。むしろ、君のその行為、思いが、より酷い惨状を作り出すかもしれない』
「何が言いたいのよ」
『人間を脅すような深海棲艦がいるのなら、こちらも手段を選べないと、君のような被害者が増すということだ』
叢雲がどれだけ怒りに呑まれていようが、提督は淡々と話す。同じように感情的になっていては、叢雲がより悪化するに違いない。感情を押し殺して対応することで、なるべく穏便に事を成していこうとしているのが、画面越しからでもわかった。
『現在の軍規では、君のような被害者を出さないように厳しい罰則を設けている。それでも秘密裏に捨て艦という非道な戦術を行使し、被害者が後を絶たないのは、完全に人間の落ち度だ。艦娘は兵器かもしれないが命ある一種の生物であるというのに』
「規則があろうが無かろうが、人間ってのは結局そういうヤツらなのよ。自分のことしか考えてない。そんなヤツらは滅んで然るべきよ」
『しかし、僕が君の意思に屈し、命を落としたとしたらどうなると思う。こちらも君のような手段に打って出る者が増える。下手をしたら、君がされたような捨て艦が推奨される可能性すらあるんだ。深海棲艦は何としてでも滅ぼさねばならない存在なのだと認識されたら最後、この世界の綱渡りのような均衡は簡単に崩れ去るだろう』
深海棲艦に人間や艦娘を人質にとる者などいないし、搦手を使うと言っても陽動作戦や罠を仕掛けるくらい。明確な意思と悪意の下で、人間を滅ぼそうとしてくる者はいない。本能のままの破壊行為であるから、真正面からの侵略を繰り出してくる。だからこそ、人間側は理知的に事に当たれる。非道な行いを罰し、正々堂々と深海棲艦を迎え撃つ。
それが、叢雲の今の言動1つで全て崩れる。知恵のある深海棲艦が悪意をもって人類を滅ぼしに来るというのなら、手段を選んでいられなくなる。犠牲に出来るモノを犠牲にしてでも、勝利を勝ち取ろうとするだろう。
『僕は、それを引き起こしたくない。特に今は、その施設に住まう者達のような穏健派、平和主義の深海棲艦がいることがわかったのだから尚更だ』
「そんなこと知らないわよ。アンタ達の行いがそれを招いたんだから、後悔しながら死になさいよ」
『君のその行いによって、その施設の者達が死ぬことになるとしてもかい。深海棲艦叢雲としては別にどうということはないかもしれないが、
突き刺さる言葉。怒り任せに罵詈雑言を並べ立てているのは、深海棲艦としての叢雲の本能である。しかし、少しでも蘇った艦娘としての叢雲は、それを許さない。
仲間の前に立って煽動する役目を担うリーダー気質を持つ叢雲は、自己犠牲をも厭わないとは言わないが、失態によって自分以外が傷付くのは、プライドが許さなかった。それ故に、失態を起こさぬように努力し、周りを鼓舞する。その思考が今の叢雲に僅かにでも残っていれば、この言葉に対して何かしら感じるものがあるはずである。
言い分としては脅しに近いかもしれないし、交渉としては褒められたことでもない。しかし、この現状を打破するために、提督はほんの少しだけ
「……何よそれ」
提督の少しだけ強気な物言いが、叢雲の心に突き刺さっていた。
プライドが高い叢雲だからこそ、下手に出るような対話をしたら余計に怒りを買うことになる。しかし、上から押さえ付けようとすると反骨心から怒りを助長する。
対等に並び立つことこそが、叢雲とまともな会話が成立する唯一の手段。故に、提督は真正面から切り込んだ。言い分に対して、言い分を返す。対等な応酬により、その心に一本の楔を穿つ。
『無論、先に手を出したのは人類であり、君には一切の非はない。それに関しては否定しようのない真実だ。それには何度謝罪を繰り返しても許されることはないだろう。だが、それによって君自身の
「私に説教しようっていうの!? 人間のくせに!?」
『そんなつもりは毛頭無い。先にも言ったが、君の怒りには正当性がある。それほどの怒りに呑まれてもおかしくないほどに。だが、ほんの少しでいい、周りを見てもらえないだろうか』
提督に言われて、叢雲は不意に自分の周りを見た。
成り行きをじっと見つめる飛行場姫と戦艦棲姫、いろいろな感情を耐えている春雨、叢雲の言動によって崩れたジェーナス、そして、心配そうに祈るようにしている薄雲。
全員裏切り者だと言い切ったものの、この姿を見てしまったことで、艦娘叢雲としての精神が揺らいだ。自分のせいでこの表情をさせてしまっているのだと自覚した。
『それでも、その怒りが絶えないことは理解している。僕のこの言葉が、火に油を注いでいる可能性だってあるだろう。それでも、僕は君に謝罪を続けるしか出来ない。この世界のために』
提督が再度頭を下げる。その姿を、叢雲が見ることは出来なかった。