錯乱した叢雲が自分を取り戻した。艦娘と深海棲艦の相反する思考が鬩ぎ合っていたりするものの、自分が艦娘でも深海棲艦でもないモノであると自覚したことで、怒りと憎しみをある程度抑え込むことに成功している。
提督との対話はこれで終わってしまったものの、また話そうと思えば話せるかもしれない。しかし、怒り自体が失われたわけではないため、嫌味なり文句なりはどうしても出てしまう。それ故に、和睦協定はそのままに、叢雲自身は自分の意思で極力関わらないようにするというところに落ち着いた。
「ごめんね、私も崩れちゃった」
全てが終わった後、発作により崩れていたジェーナスも復帰。叢雲が落ち着いていることを喜びつつも、その時に力になれなかったことを謝罪。
「別にいいわよ。アンタも厄介な感情が溢れてんのね」
「あはは、ムラクモには負けるかも」
「それはそうね。多分一番面倒よ私は」
対する叢雲は、今までとは打って変わって軽い対応をした。怒りが燻っているというのは、常にピリピリしていると言っても過言ではない。それに加えて、艦娘と深海棲艦の思考がぶつかり合っていることによって、さらにその燻りは酷いことになっていた。
だが、今の叢雲は違う。大分吹っ切れたおかげで、軽めの対応が出来るようになっていた。毒を吐いたりすることがあるものの、冗談が言えるだけでも随分違う。
「薄雲、もう心配いらない……とは断言出来ないけれど、大分落ち着いたわよ。アンタと……春雨のおかげね。いろいろ気付けたわ」
「よかった……よかったです姉さん」
感極まって涙目になっている薄雲。まだ先程のような発作を起こしかねないが、今の状態に戻ってこれるというのなら、発作を起こしても心配ではない。
ここにいる者は
「春雨、アンタの言葉が一番響いたわ。私は私。それに最初から気付いていれば、こんなことにはならなかったかもしれないわね」
「だね。でも、今は大丈夫なんでしょ?」
「ええ、ひとまずはね」
叢雲としては、春雨への感謝が一番深いらしい。別物の自分という自覚が芽生えたのは、春雨の一言がきっかけだ。
姿形が変わっても、心が壊れているとしても、私は私だという春雨の言葉が、叢雲の中には特に刺さっている。
「それに……まぁ、あの人間にも多少は感謝しておくわ。アイツに周りをよく見ろって言われてなければ、アンタ達の顔も見ていられなかったわ」
「ふふ、そうだね。私の司令官のこと、しっかり感謝してね。足向けて寝られないくらいに」
「ない。それは絶対にない。人間って自体で私の苛立ちの対象だから。でも、少しくらいは認めてやってもいいわよ」
人間に対しての認識はこの程度。しかし、あの提督に対しては少なからず感謝はしているようである。ツンツンしているものの、その言葉のおかげで立ち直るきっかけが得られたのだから、いくら人間だろうがそれだけは噛み締めておくようである。
その日の夜、ベッドルームに4人が集まる。今回はそこに戦艦棲姫も入ってきていた。ベッドに入ることは出来ないだろうが、相変わらずの艤装をベッドにすることで、同じ部屋で眠ることにするようだ。
なんでも、叢雲のここでの生活をそろそろ見納めて、新たな旅に出てもいいかと考えているらしい。故に、この夜が最後になるかもしれないということで、ここに来た。
「叢雲もここまで回復したのなら、私も安心してまた旅に出られるわ」
「まぁ……アンタにもいろいろ感謝してるわ」
「別にいいわよ。私は大概見てるだけだったもの」
近くにいるだけでも、薄雲の安心感が違った。叢雲としてはそのことを言いたかったようだが、言葉足らず。
「今度は何処に行くの?」
「そうねぇ……行く先なんて考えずに旅に出るから、わからないわ。着の身着のまま、好き勝手にやるのが
「それもそうね。また土産話、楽しみにしてるわ!」
ジェーナスも戦艦棲姫とは付き合いが長い。戦艦棲姫との別れも、再会が約束されているようなものだから、軽い気持ちで送り出せる。
「あ、そうだ、戦艦様。一つお願いがあるんですけどいいですか?」
そこに春雨が1つ、ちょっとしたお願いをしたいと申し出た。自分の足だけで世界中を旅して回っている戦艦棲姫だからこそ、聞いてもらえそうなことだ。
「ん? 何かしら」
「出来ればでいいんですけど……また未知の深海棲艦の情報があったら、教えてほしいんです。鎮守府の仲間達に、何かしら伝えられればいいなって」
それは、姉達の仇のこと。今もまだ発見されていない、姉を全滅させて春雨も深海棲艦化するきっかけとなった、完全に未知の個体のことがわかれば、鎮守府の活動に役立てられるのではないかと考えた。
春雨自身は、もうこの施設から出るつもりは無い。そうしてしまうと、施設の全員に迷惑がかかってしまう。何はなくともそれだけは避けなくてはならないのだから、自分から動くということはまずしない。
だから、仇を討ってもらうためにも
「わかったわ。何かおかしなのがいたら、ここに戻ってくる。とはいえ、私が行くところってのは人間の社会に近いから、簡単に何か見かけるとは思えないわよ」
「構いません。そもそも今まで何も見つかって無いようなものなので。目の数を増やしたいなって」
「そう、なら引き受けたわ。期待せずに待ってて」
そういうことならと、戦艦棲姫も快諾。春雨自身は戦場に出られないが、元々の仲間達の力になりたいという気持ちは理解出来たので、
その2人の会話を聞いて、叢雲が少し考えるような仕草をする。
「どうしたんですか姉さん」
「未知の深海棲艦……それって言葉通りよね。見たこともない、人間共も知らないタイプのヤツってことよね」
未知の深海棲艦といえば、叢雲がこうなった原因の1つでもある。今は既に解体されているであろうブラック鎮守府も、最後の戦い、叢雲を捨て艦として使った戦いは、強大な力を持つ深海棲艦に圧倒されたものだ。撤退の時間稼ぎに捨てられたようなものである叢雲は、その敵の姿を知っている。
「……思い出したらイライラしてきたわ」
「姉さんはそういう性質になっちゃってますからね……どうすれば落ち着けますか?」
「悪いわね、ちょっと手を握ってちょうだい」
言われるがままに薄雲が叢雲の手を握る。それだけで足りるかわからないと、ジェーナスが覆いかぶさるように叢雲に抱きつき、春雨も逆側の手を握った。
槍持ちの時から温もりで落ち着けるという実績があったが、叢雲として目覚めてからもその性質は多少なり残っているようで、怒りが多少は呑み込めたようだ。
「春雨、アンタもその、知らない深海棲艦にやられたのね」
「……うん。姉さんは全員、沈め、沈められて……」
今度はそれに揺さぶられて春雨が崩れかける。ここ最近は大分強くなってきていたのだが、本題を思い出すとどうしてもまだまだ難しい。未知の深海棲艦という話題を自分で出しても、その詳細はやはり心を揺さぶってしまう。
こっちの方がまずそうと、こちらには戦艦棲姫が事にあたった。中間棲姫や飛行場姫と同じように抱きしめて、頭を撫でることで落ち着かせた。春雨はどちらかというと大人に慰められた方が回復が早いらしい。
「っ、ぅ、叢雲ちゃん、その、未知の深海棲艦って……ど、どんなのだった?」
発作を起こしかけていたとしても、これだけは早く聞いておきたいと、叢雲に詳細を聞く。叢雲自身もそれを思い出せば思い出すほど怒りの炎が燃え上がっていってしまうのだが、他ならぬ春雨の質問だ。仲間達の補助を受け、怒りの熱に耐えながらも、その時のことを話す。
「……私は2人の深海棲艦にやられたわ。片方は重巡洋艦、片方は駆逐艦」
「重巡洋艦……!?」
春雨がやられたのもまさにそれ。たった1人の重巡洋艦に、4人の姉は沈められ、春雨自身もいずれ死ぬであろう怪我を負わされている。結果的に深海棲艦化したのだとしても、それがなければ春雨はこの世にいない。
「そ、その重巡洋艦、どんな、どんなのだった!?」
「落ち着きなさい春雨。気持ちはわかるけど、無理しちゃダメよ」
戦艦棲姫がどうにか落ち着かせようとするが、真相に近付くための情報を叢雲が持っている可能性があるというのなら、これ程までに取り乱すのも仕方ないこと。
「私は生まれたばかりだから、何型のそれなのかはわからない。でも、少なくとも重巡洋艦は何処かで見たような感じだったのよね……。1つ覚えてるのは、
心臓が高鳴るような感覚を春雨は覚えた。息が苦しくなり、呼吸がまともに出来なくなる。今までよりも強い発作が起きてしまい、戦艦棲姫もこれには少し慌ててしまう。
姉達の仇、鎮守府が目指すべき最大の敵は、まさにその姿をしていた。片目が燦然と輝き、常に光が漏れ出していた。昼間でもわかるほどに。
深海棲艦というのは瞳から炎のような光が漏れることが多く、それこそ今の春雨でも稀にそういうことが起きるくらいなのだから、そこまで気にするほどの特徴ではないはず。
しかし、叢雲が特徴的というだけあって、その輝き方は普通の深海棲艦とは違ったようである。今頃、貴婦人の大将もその詳細に辿り着いているかもしれないが、本来なら知らなくてもいい春雨にその情報が届いてしまった。
「お、同じ、だ。私、叢雲ちゃんと、同じ深海棲艦に、やられてる、やられてるの」
過呼吸気味になりつつも、その言葉だけはハッキリと口に出した。
「そう……なんだ。ならアンタをやった後、こっちまで来て、今度は私をやったってわけね」
ギリッと歯軋りの音。叢雲の怒りは別の方向に向かった。自分だけではなく、仲間の命をも奪おうとしていたことを知り、より怒りが湧き上がる。
2人揃っての発作のようなもの。特に春雨は、今までにない程に強い発作に発展してしまっているため、宥めるのには相当時間がかかる。叢雲の怒りは仲間を思っての怒りであるためまだマシ。しかし、春雨は根本を抉られるようなものであるため相当深い。
「大丈夫、大丈夫よ。今は私達がいるわ。辛いでしょうけど、落ち着きましょ」
「そうよハルサメ、今は私達がいるわ!」
ゼエゼエと息も絶え絶えな春雨に、みんなが慰めようと近寄る。そこには叢雲も含まれた。
叢雲の怒りの発作は、仲間の発作によって抑えられるようだった。他者の苦しみを見て、自分が苦しんでいるわけにはいかないと考えるのは、叢雲の本質である。
「……そうか、いろんなところで暴れ回ってるのねヤツは。腹が立つ、気に入らないわね……」
「姉さん、今は落ち着きましょう。その話題はまた後日にした方がいいです」
「わかってるわよ。私だって春雨を苦しめるためにこんなこと話してるわけじゃないわ」
未知の深海棲艦の話題はここで止めておいた。これ以上話をしたら、春雨が死ぬほどの発作に苦しむことになる。今でさえ尋常ではないのだから、これ以上になると命に関わりかねない。
少なくとも、仇は共通の敵であることが判明した。他の情報まで加味していくと、まだまだ謎は多いものの、施設の中だけではまた1歩、謎の解明に近付いてはいる。この情報が鎮守府に届けば、また進展していくだろう。
叢雲を襲った2人の未知の深海棲艦。片方は白露型の特徴を持つ駆逐艦で、もう片方は片目が輝く重巡洋艦。オッドアイの重巡洋艦なんて、思いつくのはたった1人なんですが……果たして。