哨戒中に発見された野良の駆逐イ級が施設へとやってきた。そのイ級は普通のそれより知性が高いようで、自分の意思を伝える力を持っており、攻撃をしてくるどころか、気まぐれに施設の周囲をふらつくこともない。
ジェーナスに懐いたかのように撫でられてご満悦のようにも見えた。表情など無いような存在なのに、そうしているように見えたのは、このイ級が何処か特別な存在なのではと思わせるのに充分だった。
「何か名前をつけた方がいいかしら」
「それは……どうなんだろう」
一応施設内でもその存在を認め、餌を与えるくらいはするということで、殆どペット扱いである。それ故に、ジェーナスが名前をつけようかと言い出した。
そのイ級に対して妙に愛着が湧いているのはジェーナス。過去にああいう存在を見たことがあるからこそ、今回のような賢いタイプには興味津々のようだ。
「
「あー、ジェーナス、名前をつけるのは今はやめておきなさい」
このままだとテンションが上がり続けていろいろとやってしまいかねないため、飛行場姫がここで止めた。特に名前をつけるのはダメだと念を押す。
今でこそ懐いているような雰囲気のイ級だが、まだこちらのことをどう考えているかはわからない。それこそ先程の反応はたまたまかもしれないし、知性があるということは突然侵略者の本能に呑み込まれて攻撃してくるという可能性すらある。とはいえ、ここにいるのは姫級ばかり。イロハ級では力の差がありすぎるため、攻撃することはなさそうではあるが。
そんなまだ扱いが微妙な相手に対して名前をつけた場合、いざ別れの時に辛くなる。最悪な場合、
「むー、前もそういうこと言ってたわよね妹姫」
「1日も経たずに出て行った野良の駆逐艦に名前つけて、知らない間に消えた時に泣きべそかいたのはアンタでしょうが。情が湧きすぎると、絶対後悔するわ。名前をつけるならもう少し後にしなさい」
「はーい。それまでに何にするか決めておくから!」
あのイ級が施設に居着くことを確信しているかのような話し方。真っ先に近づいたのはジェーナスであり、最初から頭を撫でに行ったのもジェーナス。イ級が最も懐いているのはと言われれば、おそらくジェーナスであろう。感覚的に、あのイ級がもう自分達から離れないのだと信じている。
今回のイ級は今までとは明らかに違うのは誰もが感じている。明らかに賢いし、こちらの表情も行動もしっかり見ている。そうなれば、より姫級との力の差を理解して懐いてくる。もしくはここまで多くの姫級が集まっていることに恐怖を感じて離れるか。
「前からあんな感じだったの?」
「うん、私がここに来てから1回だけ野良の
薄雲も一応の経験者。その時はここに流れ着いた後、餌をやることも出来ずにさっさと施設から離れたらしい。
その時も、ジェーナスは親身に扱い、この施設で匿おうと提案した。勿論、姉妹姫はどちらも頭を悩ませたものである。まるで捨て猫を拾ってきた子供の訴えに頭を抱える両親である。
「あの子が深海棲艦化した時のことに関わってんじゃないの? ほら、確かジェーナスって自己嫌悪でしょ」
叢雲が言うと、春雨と薄雲は確かにと納得。
自分のせいで周りが悪い方向に向かうと発作を起こすジェーナスのことだから、深海棲艦化の理由もそれが妥当。例えば、ジェーナスを庇って誰かが沈んでしまったとか、ジェーナスのミスによって艦隊が全滅してしまったとか。勿論その理由を本人に聞くのは禁じ手であるため、真相は謎のままにしておくものの、自分達もそうというのもあり、仲間に被害があったのは確定である。
それもあるから、仲間と認定したものには誰にだって楽しく仲良く付き合う。自分が大嫌いだから、周りに楽しくなってもらいたいという本質が働いている。
だから、見つけた仲間は放置が出来ずに名前までつけて側に置きたがる。今度こそそんな失敗をしないように。仲間が傷つくところを見たくないから。
「まぁ、優しいのには変わりないし、悪いことじゃないよね」
「うん。ジェーナスちゃんはあれでいいと思う。でも、あの子がいなくなったら確実に発作を起こしちゃうから、その時は私達で支えてあげようね」
「そうだね。私達のことを支えてくれるんだもん。私達も支えてあげなくちゃ」
叢雲も小さく溜息を吐きつつ、否定はせずしっかりと同意していた。
「でも、懐いて施設の一員になってくれたら、それはそれで楽しくなるかもね」
ペットと呼んでいいのかはわからないが、今までとは違った仲間が増えるかもしれない。そう思うと、また寂しさが薄れる。仲間が増えれば増えるほど、春雨は安定して行くのである。
時間としては昼食後であるため、午後からはフリーの時間。午前中と同じように哨戒をするのも良かったのだが、人員を増やして二手に分かれてそれを実施したので、見たいところは全て見ることが出来ている。そのため、戦艦棲姫の最後の時間は、大人達との静かなティータイムを過ごすことにした。
いつもならジェーナスが紅茶を淹れたりしているのだろうが、今はあのイ級に首ったけのようで、4人組でそちらの方に向かっている。さらには松竹姉妹や伊47までもがそれに便乗していた。子供組と大人組がバックリと分かれた。
まずは子供組。ぞろぞろと集団でイ級のいる岸にやってきた。
「うお、ホントにイ級じゃねぇか」
「こんなに人懐っこいイ級なんて初めて見るわ」
早速松竹姉妹がその姿を見て驚く。こちらの姿を見ても、なんの警戒もなくジッと見つめてくるだけ。身体を小さく揺らして歓迎しているように見える。
早速ジェーナスが保管されていた生魚を与えると、美味しそうに食べていた。そして、頭を擦り付けてくる。ここまで来ると、見た目は完全に別ではあるが大型犬を相手にしているような感覚。
その一挙手一投足にジェーナスは喜んでいた。やはり、仲間が楽しんでいるところを見ていることがジェーナスにとっての喜びとなっているようだ。
「この子の言葉がわかればいいんだけれど、どうしてもね」
「獣と意思疎通なんて出来るわけないでしょ」
「もう、ムラクモはロマンが無いんだから」
いくら賢いイ級とはいえ、言葉どころか鳴き声すら無く、その身体の構造から表情も無いため、感情表現は全身を使ってになる。今のところは喜怒哀楽の喜と楽しか見せていないが、それは誰が見てもそう思えるように身震いなどで表現していた。
だが、どうしても細かいところまではわからない。本当に伝えたいことがあるのなら、それを知りたい。
「あっちの方から来たって言ってたよね」
春雨が見た先には、当然ながら水平線しか拡がっていない。逆側なら、行った先に鎮守府があることはわかっているのだが、こちら側には何があるのか。進んでいけば最終的に陸があるのだろうが、それがどんな場所かは誰も知らない。
「私の司令官に調べてもらおうか。あっちに何があるか」
「それ、いいわね! 私達はここから出られないけど、あの人達ならいろいろ
「その前に、ここにイ級が住み着くかもしれないことは伝えておかなくちゃだしね。知らずにここに来たら、それこそ攻撃されちゃうかも」
今はまだ叢雲との兼ね合いもあるため、艦娘が直々にこの施設を訪れることは少ないとは思うが、万が一のことを考えると、ちゃんと伝えておくべきことだ。
「アクセサリーとかつけてあげられないかしらねぇ。身体の表面ツルッツルだから、リボンとか結んであげるのも難しいわよねコレ」
「傷ならつけてあげられるわよ」
「ムラクモは物騒すぎ! それだと可哀想でしょ! せめて色を塗り替えてあげるとか」
「それはそれで虐待みたいで可哀想だよ……」
まだ施設で保護することが決まっていないため、何処をどうするとかを独断で決めるわけにはいかないのだが、そのままだと他のイ級と見た目が何も変わらないため、何かしらの目印が必要かもしれない。
それは名前と同じようにまた後日決めればいいこと。そもそも本当に居着くかはまだわからないのだ。飛行場姫が言っていた通り、いろいろと手を加えると、いざ別れた時に辛い。
「おぉ……可愛いヨナ」
伊47が伸ばした手にもしっかり擦り付いてきたため、ここにいる者全てが心許せる相手であるという認識をしているのは確かだ。完全に懐いていると言ってもいい。
「松姉ぇ、俺達も触ってみようぜ」
「そうね。こんなに懐いているなら、少しくらい触れても大丈夫よね」
そうやって、叢雲を除く全員がイ級に触れていく。イ級も満更では無かったようで、触れられるたびに嬉しそうに身体を震わせた。
一方、ダイニング。大人組のティータイムは、戦艦棲姫の送別会のようなモノになっていた。やることはいつもと変わらないのだが。
「最後の最後によくわからないものが見つかったわね」
コマンダン・テストが淹れた紅茶を飲みながら、戦艦棲姫がぼやく。
旅に出ようと思ったその日に、また施設に新しいものが来てしまった。槍持ちの時ほどは心配が無いものとはいえ、今までに見たことのないタイプのイ級であるため、多少は気にかかるところはある。
甘く見ているわけではないのだが、駆逐艦が何をしたところでこの施設が崩壊するようなことはないだろう。しかし、今のジェーナスの入れ込みようもあり、何かあった時の精神的な部分はやはり不安である。
「ここ最近は立て続けねぇ。春雨ちゃんが来て、叢雲ちゃんが来て、次はあの子。こんなに連続で増えたのは初めてじゃないかしらぁ」
「ええ、さすがにこれは今まで無かったわ。あの鎮守府と付き合いを始めるってのも含めると、ここ2週間くらいが怒涛の日々だったように思えるわ」
中間棲姫が空っぽでここに生まれ、『観測者』に中身を与えられ、飛行場姫という妹を得て、ここまでの施設を作り上げるという一連の流れが最も濃厚な日々だったとは思うが、今の毎日はそれに匹敵するのではないかと思えるほどに、毎日何かしらのイベントがある。姉妹姫でもここまで密度の高い日々を送るのはなかなか無いと言うほどだ。
戦いから離れ楽しく生きるために、毎日を平々凡々に過ごすのがこの施設だ。細やかな変化で一喜一憂するくらいがちょうどいいのに、ここ最近はその差がとんでもない。
「旅に出るのはやめておく?」
「いや、もう出て行くわ。多少思うところはあるけど、身体が外の刺激を求めているの」
「残念。いつでも居着いてくれて構わないのよぉ」
「気が向いたら今回みたいに長居させてもらうわ。戻ってこれる場所があるってことが、旅をまた楽しくしてくれるのよ」
イ級が流れ着いたことでほんの少しの不安の種は出来てしまったが、それはもうこの施設の者に任せ切れるだろうと、戦艦棲姫は自分の考えを曲げなかった。本能が旅を求めているのは確かだし、ここが滅んでいることはまず無いと信頼しているからこそ出ていける。
「でも、どうせ出ていくなら、あの駆逐艦の出所でも調べてみようかしらね。どうせ今回はアレを見かけた方に行こうかなって思ってたところだし」
「危ないことに首を突っ込んじゃダメよぉ」
「わかってるわよ。私だって生きている限り旅を続けたいんだから」
命を大切にしているのは、穏健派の深海棲艦の特徴かもしれない。戦うくらいなら逃げる。本能が戦いではなく別のところにあるのだから、それを優先するのは当たり前のこと。
「この海で何かが起きようとしているのは確かよね。少しの間、陸に
「
リシュリューとコマンダン・テストも、ここ最近の海の動向からして施設の外には危険が多いのではと考えているようである。
ここに戻ってきた時に仕入れた食糧などは、まだまだ残っている。遠征はまだまだ先だ。それはある意味都合がいい。
「海の平和に関しては、アタシ達じゃなく人間と艦娘に任せた方がいいわ。お姉、鎮守府に伝えておいたら?」
「そうねぇ。提督くんなら、何かしら見つけてくれるかもしれないわぁ。連絡してみましょうかぁ」
こちらでも、鎮守府にこの件を連絡しておこうということになった。施設は施設の運営だけで手一杯。世界の平和より自分達の平穏である。
もしかしたらあのイ級も、今調査している事件の何かに繋がるかもしれないし、何か不思議なことが起きたのなら、情報を共有しておいてもいいだろう。叢雲のことも伝えておかなくてはいけないし。
自己嫌悪が酷い代わりに仲間への思いが強いジェーナスだからこそ、イ級相手にもすぐに心を通わせ、親身に付き合おうとするのでした。自分も深海棲艦なのだから、イ級だって仲間。