その日の夜。夕食を終えた後は戦艦棲姫のお見送りの時間となった。春雨が少し発作を起こしかけたが、どうにか踏み止まり、餞別のおにぎりを作り終える。
「塩むすびで良かったんですか?」
「ええ、それが一番いいわ。具材があるのもいいけれど、そういうのが最終的に原点にして頂点になるのよ」
「あはは、わからなくもないです」
春雨が丹精込めて握ったおにぎりを袋に詰めて、戦艦棲姫に渡す。春雨自身の手があまり大きくなかったが、それでもちょうどいいと喜んでそれを受け取った。
外はもう暗く、探照灯をつけなければ視認がしづらいくらいの夜。それを理解してか、戦艦棲姫も黒尽くめの服装を着込んで、なるべく目立たないように移動するようだ。こうなると目立つ艤装も真っ黒であるが故に闇に溶け込んで、陸までは誰にも見つからないように向かうことが出来そうである。
今回向かう方向は、イ級の出処を調査してみるというのもあり、今日の午前に哨戒をした海域になる。それだからか、岸まで来るとイ級もしっかりお見送りに参加した。
「まだいてくれてるのね。大丈夫? 夜だけど陸に上がれないからここにいてもらうしかないんだけど」
イ級の姿を見て安心しつつ、ジェーナスが少しだけ心配しながらイ級に駆け寄ると、心配するなと言わんばかりに身体を震わせて、その存在をアピールした。
やはり知性があるようで、こんな夜でもしっかり夜目も利いているようだ。暗がりで来たとしても、それがジェーナスであるとちゃんと認識出来ているし、どんな状況でも力加減を間違えない。
その様子を見て、戦艦棲姫は心底安心したような表情になる。唯一の心配事といえば、土壇場で現れたこのイ級である。
施設に害を与えるような存在ではなさそうと確信出来た。それほどまでに賢く、この今の状況でもジェーナスに懐いている様を見せているのだから、おそらくこの施設に居着く。
逆に、これほどまでに賢いイ級の出処は、ちゃんと調べておいた方がいいかもしれない。まずは最初に見かけた場所から。少しだけ時間を使って、真相を知ることが出来たらいい。
旅人とは探求者。真実を知ることもまた旅の1つ。
「今回は少し長く世話になったわね」
「お昼にも言ったけれど、いつでも住人になってくれて構わないわよぉ」
「昼に言ったけど、私の本能が旅を求めてるのよ。だから、帰る場所としてずっとここにいてちょうだい」
「勿論。私達はここから動かないから、安心して旅に出てちょうだいねぇ。また来てくれるのを待ってるわぁ」
別れを惜しみつつも、戦艦棲姫の本能を邪魔するわけにはいかないため、握手して最後の挨拶とする。
これが今生の別れになるわけではない。気まぐれに戻ってくるので、いつになるかはわからないが、戦艦棲姫は必ずこの施設に戻ってくる。だからこそ、不安は無い。
「今回は戻ってくるのも少し早いかもしれないわ。一応、その子のことも調査してみるから」
「ええ、何か危ないことがあったら、すぐに戻ってきてくれても構わないわぁ。こちらでも、提督くんには話しておくつもりだから」
「ええ、お願い。鎮守府で調査してくれれば、私1人よりも細かくわかるかもしれないものね」
深海棲艦に詳しいのは勿論
「あ、もしその人間達の部隊とかち合った時に、目印的なモノが必要ね」
「なら、わかりやすく白旗を振ったらいいわぁ。私達もそうしたことで、あちらも対話に応じてくれたからぁ」
「ん、わかった。なら、それらしい艦娘達を見かけたら白旗を振ることにするわ。私がそうするということも伝えておいてちょうだいね」
基本的にはかち合わないように、調査は夜にやるつもりではあるのだが、万が一のことを考えれば、そういうことを知っておいてもらった方がいい。
艦娘達は夜に調査をすることは無いようなので、昼は鎮守府、夜は戦艦棲姫と、しっかりと役割分担するのが良さそうである。戦艦棲姫は旅の途中でやるだけというイメージであるため、鎮守府からの指図を受けるわけでは無いのだが。
「それじゃあ、そろそろ行くわ。あんまりここで話していても名残惜しくなるし」
「なってくれてもいいのよぉ?」
「姉姫、なんだか今日は押しが強いわね。まぁ、気が向いたらね」
戦艦棲姫は海の闇に消えて行くように施設を去って行った。見えなくなるギリギリまで手を振りながら、少しゆったりとした航行速度で。
それに対して、春雨も大きく手を振ってこちらの姿を見せ続けた。探照灯で照らすなんていう不躾なことはせず、その旅路に何事もないことを祈りながら、最後まで手を振り続けた。
水平線の向こうに辿り着くことなく、夜の闇に溶け込んだ瞬間、春雨はやはり膝を突く。昨晩にも発作を起こしているのだが、それに近いほどに大きな発作に襲われようとしていた。
数日間、生活を共にしていた戦艦棲姫との別れは、周りに誰がいようとも寂しさを過剰に湧き上がらせるには充分な要因。数時間でも海風達と交流し、その別れで発作を起こした時と比べると、さらに上位の苦しさを訴えるように悶える。
「ひっ……ひっ……嫌ぁ、寂しい、寂しい、お別れは嫌だぁ……」
「春雨ちゃん、よく頑張ったわぁ。戦艦ちゃんに迷惑をかけないように、ずっと耐えていたのよねぇ。本当に偉いわぁ」
即座に中間棲姫が対応。こうなることは誰もが読めていたというのもあり、戦艦棲姫のお見送りの最中も少しハラハラしていた。
「大丈夫よぉ。戦艦ちゃんとはまた会えるわぁ」
「ええ、アイツはまた帰ってくるわ。今までもそうだったんだから」
中間棲姫だけでは足りないと、飛行場姫も春雨に対応。2人がかりで春雨を挟むように抱きしめて、温もりを与える。
姉妹姫の温もりで少しずつ落ち着いていくが、激しい発作のせいで、まるで風邪でも引いたかのようにゼエゼエと息を漏らす。すぐに落ち着きを取り戻すことは出来そうにないため、そのまま2人の手助けを借りながら施設に戻っていった。
春雨はそのまま、疲れ果てて眠りについてしまった。まだお風呂にも入ってないけれどと少し心配されたものの、わざわざ起こしてまでそれをやらせるのは酷だと、そのまま寝かせることとした。
今日は姉妹姫が一緒に寝た方がいいかと話したが、薄雲やジェーナスが任せてほしいとベッドルームに運んだ。誰もいない間に目を覚ましたらまた発作を起こしてしまうだろうから、まずは子供達に風呂に入らせ、春雨を決して独りにしないように心掛けた。
「ありがとう姉姫、ここからは私達は受け持つわ」
「駄々捏ねたら私が張っ倒すから」
「姉さん、それだけはやめてくださいね……」
頼もしい子供達の行動に全幅の信頼を置いて、姉妹姫はベッドルームから離れる。あの3人なら、途中で目を覚ましたとしても落ち着かせることが出来ると信じて。
姉妹姫はそのままダイニングへ。時間は遅いのだが、繋がるようなら提督に現状を話しておきたいと考えたからである。今の状況なら叢雲にも声が届かないため、落ち着いて話が出来る。
本来なら業務時間外であるはずなのだが、連絡をしてみたら普通に出てくれた。残業中なのかと聞いてみたら、苦笑されてしまった。隣に五月雨もいるようなので、あちらにもいろいろとあるらしい。
『叢雲の件はどうにかなったのかい?』
「ええ、何とかなったわぁ。貴方のおかげで、視野が拡がったみたいでねぇ。怒りが大分抑え込めるようになったみたいよぉ」
『それなら良かった』
連絡自体は昨日の今日なのだが、施設の状況、特に叢雲の心境は改善されている。話しづらいかと思われていたが、すぐに連絡再開が出来たのは、あの時の提督のおかげでもある。
叢雲自身も多少は提督に感謝の念があると言っていたことを伝えると、提督は心底嬉しそうに笑みを浮かべた。自分のやったことが施設にとっても良い方向に進んだことを素直に喜んでいる。
『それで、こんな時間でも伝えたいことがあるから連絡してきてくれたんだね』
「ええ、叢雲ちゃんのこともあるのだけれど、もう1つ、ね」
ここからが本題。知性のある駆逐イ級の話をする。今は大人しく、施設の者達に懐いているのだが、艦娘相手にはどういう行動に出るかはまだわからない。また、艦娘にも危害を加えようとしない可能性はあるのだが、艦娘側からしてみれば駆逐イ級なんて討伐の対象に過ぎないのだ。
ただでさえ見た目が他の個体と全く変わらないため、施設に近付いてそれを見たら、まず間違いなく攻撃を加えるだろう。事前に知っていればそういうこともしない。
『なるほど、了解した。施設近海にいる駆逐イ級は攻撃しないよう、こちらに指示しておく。だが、何かしらの目印か何かがあると助かるんだが』
「今ジェーナスちゃんが何かしようと考えてるみたいよぉ。リボンを巻いたり、装甲に目印を付けたりするって意気込んでるわよぉ」
『それは助かるね。それを持っている深海棲艦は攻撃対象外と認識しておけば、余計な戦いは起きない』
駆逐イ級でそういうことが起きているのは、施設でも初めてのこと。どうすれば最善の方法になるのかが確立されているわけでもないため、やれることは全てやってみる。
とはいえ、この提督とならば、今回のこれが最善となるだろう。全く別の鎮守府相手なら、目印を付けたところで容赦なく攻撃してきそうなものだが、あちらからの信頼も大きいために、お互いに嘘は無い。
「あと、今日ここにいた戦艦ちゃんがまた旅に出たのだけれど、そのついでに調査もしてくれるそうなの。でも、こちらは
『ならば、我々からも調査隊を派遣しよう。確かに、今までにない個体が現れるというのは何かが違う。こちらにも何かしらの影響があるかもしれないからね』
「本当に話が早くて助かるわぁ。もし必要なら、前の海風ちゃんみたいに、この施設に1泊してくれても構わないわぁ。でも、叢雲ちゃんとの兼ね合いもあるから、その時はちょっと相談してくれると助かるけども」
『勿論。全てそちらに都合に合わせるよ。あくまでもそちらが主体で構わない』
施設側は真摯に付き合う態度は一切変えない。そこに打算的な心境も無く、単に協力したいという優しさのみで接している。姉妹姫からの好感度は高まる一方。
『そうだ、こちらからも1ついいかな』
「ええ、こちらからばかりお願いをしているものねぇ。何かあれば力になるわぁ」
『僕の上司……叢雲のことを調査してくれた、話のわかる相手というのがだね、君と話をしてみたいと言っていてね。あくまでも君の意思を尊重するとは言っているのだが、どうした方がいいかな』
姉妹姫としては、この提督は最上級に信頼出来る人間として認識しているが、他の者となるとまた話は変わる。しかし、このように害を与えない人間とならば、別の者とも話をしてみたいという気持ちは少なからずある。
信頼出来る者が信頼している者なのだから、施設に不利益を与えるような存在では無いはずだ。しかも、この提督よりも立場が上ということは、人間により穏健派の深海棲艦の存在を知ってもらうチャンスとも言える。コミュニティを拡げていくのも悪くはない。
だが、やはり少しは不安があったりする。ここ最近立て続けにイベントが起き続けているのは、海で何かあったのではないかと勘繰ってしまう程の出来事。
これが長年築き上げてきた平和を崩してしまうのではないかと、どうしても考えてしまう。
「少し考えさせてもらっていいかしらぁ。貴方は信用しているのだけれど、他の人間となると話は変わってくるかもしれないもの」
『ああ、こちらもそう伝えておく。ならば、またこちらから連絡をしてもいいのだろうか』
「そうねぇ、叢雲ちゃんが貴方と話せるかはまだわからないけれど、頃合いを見てくれれば大丈夫よぉ。そちらの海風ちゃんのこともあるものねぇ」
ひとまず話はここまで。お互いに伝えたいことは伝えられただろう。
施設は一応の安寧を取り戻してはいるものの、まだ不安を全て拭い去ることは出来ない。
海の平和は、小さく小さく脅かされているのかもしれない。
旅人という名の探求者、戦艦棲姫。イ級の調査で何か見つけてくれればいいのですが。