春雨が目を覚ましたのは深夜。夕食後の比較的早い段階で眠ってしまったため、おかしな時間に目を覚ましてしまった。悪夢を見たわけでもなく、単に睡眠時間の谷間に入ってしまったことによる目覚め。
戦艦棲姫を見送ってから、発作を起こしている間に記憶が途切れていることもあり、そのまま泣き疲れて眠ってしまったのだろうと察した。風呂にも入っておらず、制服のままでベッドの中にいたため、少し潮風の匂いが染み付いてしまっていた。
「……お風呂……入らなくちゃ」
と思ったものの、ベッドでは薄雲とジェーナスに囲まれている状態であり、薄雲サイドの外側には叢雲もいる。ベッドから抜け出すことはまず出来ない。さらに言えば、ここから離れたいとも思えなかった。今独りになるのは絶対によろしくないと自分でも察することが出来た。
戦艦棲姫との別れで激しい発作を起こしているというのに、このタイミングで誰の助けもない状態で行くのは確実にさらなる発作に繋がる。ベッドから出るのも怖い。
「……明日でいいかな……でもなぁ……」
別に潔癖症というわけではないのだが、やはり風呂に入らずに眠っているという状況が、いざ気になり始めると妙に気になって仕方ない。
「……臭くないかな……みんなに迷惑かけてないかな……大丈夫かな……」
自分ではわからなくとも、ここにいる3人はどう思っているのか。そんなの春雨にはわからないものの、嫌な気分をさせているとしたら困る。だからと言って、ここから独りで出ていくことは出来ない。
「んん……春雨ちゃん……?」
春雨がモゾモゾと動いたからか、薄雲が目を覚ました。大分眠そうではあるが、殆どゼロ距離で視線が合う。
「あ、薄雲ちゃん……いや、あの……私、お風呂入らずに寝ちゃったから……」
「そうだね……気になる?」
「うん……ちょっと洗いたい……かも」
独りならダメでも、2人なら動くことが出来るだろう。出来ることならジェーナスと叢雲にも起きてもらえたら助かると思いつつも、迷惑をかけるのも憚られる。そういう意味では、春雨はまだ動けない。
「どうにか抜け出そっか」
「だ、大丈夫かな……起こさないように動くの、ちょっと難しいよ」
「そうかもだけど、でもお風呂入りたいんだよね。私も一緒に行くから、ちょっと頑張ってみよう」
薄雲がそう言うならと、春雨もどうにかベッドから抜け出そうとさらに身を捩った。一旦脚を消し、体積を小さくしてみたところ、なんとかジェーナスの拘束から抜け出すことが出来た。
しかし、抜け出し切れるかと思った瞬間、ジェーナスの脚に手が強めに当たってしまった。
「あ痛っ!!」
「何よ……喧しいわね……」
ジェーナスもこれで目を覚ましてしまい、その反応によって叢雲も目を覚ます。結局、4人全員が深夜に目を覚ますこととなってしまった。
自分がただただお風呂に入りたいというだけで、周りに迷惑をかけてしまったようで罪悪感が湧き上がってくる春雨だったが、ジェーナスが即座にフォロー。
「あ、ハルサメ、具合は大丈夫? 結構大きな発作だったでしょう? 私達がいるから大丈夫だと思うけど、まだキツイなら寝てた方がいいかもしれないわよ?」
「う、ううん、大丈夫。お風呂に入ってない状態で寝ちゃったから、さっぱりしたくて」
「そっか、そうよね。それならシャワーくらいは浴びた方がいいわよね。姉姫はハルサメが朝風呂入るかもって言ってたんだけど、そういうの気になるものね。今出来るなら今やっちゃった方がいいわ。よし、みんなで行きましょ行きましょ!」
起き抜けなのに元気なジェーナス。対する叢雲は、まだ眠たそうに目を擦りながらも、せっかくだからと付き合う。
眠っている時だけは燻っている怒りがかなり落ち着くようで、最初は小さく悪態をついたものの、ここに1人残っているくらいなら便乗しようと考えたようである。
「ごめんねみんな……付き合わせちゃって」
「
薄雲も大丈夫と手を繋ぎ、叢雲も溜息を吐きながらも当たり前のようについてきてくれる。
叢雲の性質が他の3人と少し毛色が違うものの、絶妙なバランスが取れているおかげで、なんだかんだでこの4人組はいい仲となりつつあるようだ。
深夜にシャワーを浴びるという滅多にしないようなことをしたことで、変に目が冴えてしまっていた。さっきまで寝惚け眼だった叢雲も、一緒にシャワーを浴びたため、眠気が取れてしまっている。おそらくベッドに入って目を瞑れば、そのまま自然と眠っていくのであろうが、今は朝起きたかのように眠たくない。
だからといって、ここから朝まで起きているわけにもいかないため、少しだけダイニングで休んだら、そのままベッドルームに戻るつもりだった。
「はい、ハルサメ、とりあえずお水。本当は紅茶とか淹れてあげたかったんだけど、こんな時間に火を使うのはやめておいた方が良さそうだったからね」
ジェーナスから水の入ったカップをもらい、グイッと呷る。発作を起こしたことで喉も渇いていたため、風呂以上に満たされる感覚を得た。
「アンタも難儀なモノね。私も大概だけど」
「あはは……本当にね」
叢雲に同情され、春雨は苦笑するしか無かった。言われた通り、自覚出来るくらい難儀な性質である。
例えばまた戦艦棲姫がこの施設に訪れ、そしてまた旅立った場合、今回の焼き直しが行なわれることが確定しているようなもの。
薄雲も溢れた感情が寂しさなのだから、似たようなことが起きてもおかしくないのだが、そこは寂しさの
春雨は部隊が全滅し、独りぼっちで沈んでいくことから生まれた寂寥感。対する薄雲は、慕っていた姉が目の前でやられたことで溢れた寂寥感。似ているようで本質はそれなりに違った。春雨の方が範囲が大きいと言えばいいか。
そのため、同じ状況でも春雨は発作を起こすが薄雲は起こさない。近くに叢雲がいるため、薄雲はさらに発作を起こしづらくなっているというのもある。
「死に際に、敵すらも求めたくらいだもん……
周りに仲間達がいても、別れがトリガーとなって激しい発作に繋がる。そこにヒトが増えるのは喜びに満ちているが、ヒトが減ることには耐えられない。それがたまたまそこに来た客だとしても、春雨にとっては別れ。
ほんの数時間滞在した海風相手でも、1回目は起きなかったが2回目は発作を起こした。精神的な成長をしたと思ったら、そこについては悪化したとすら言える。
「お客様相手でもこれだから……相当重症なんだなって、自分でもわかったよ。それが私の本質だからって言っても……これはちょっと」
「仕方ないことよ。ここの元艦娘達はみんなそういうの抱えてるわ。ハルサメだけじゃなく、私だってそうなのよ?」
ジェーナスが何かを思い出したように話し始める。
「私、この中では一番古くにこの施設に入ったんだけど、最初は本当に酷かったのよ」
「そうなの?」
「うん。前にも言ったけど、私の溢れた感情は『自己嫌悪』なのよ? 何するにしても自分のせいにしちゃって、発作ばかり起こしてた。姉姫にも妹姫にも迷惑かけっぱなしだったわ」
ツラツラと話すのは、ジェーナス自身の過去。この施設に来たばかりの時のこと。
そうなった理由は実に簡単なことだった。恐ろしく強い敵艦に部隊を全滅させられかけた時、特に仲が良かった駆逐艦の仲間が自分を庇って沈んだ。その時の部隊は、必死に逃げる以外に選択肢が無かったのだが、その中でもジェーナスは少し練度が低かった。
誰もそんなことは思っていなかったし、庇って沈んだ仲間も恨み言の1つも言わなかったのだが、ジェーナスはその時、自分が
そしてそのまま、運良くこの施設に流れ着いた。その時にはもう『観測者』はいなくなっており、姉妹姫が今の状態で確立していたおかげで、2人とも快くジェーナスの存在を受け入れた。
繭の適切な処置のことも既に知っており、目を覚ましたジェーナスは正しい処置のおかげで艦娘としての心を失わずに済んでいるのだが、自己嫌悪は当然ながら晴れない。
まず深海棲艦となった自分の姿を確認してから発作。そこから何とか回復しても、事あるごとに発作。記憶があるからこそ、毎日のように悪夢を見続け、それで姉妹姫に世話になるたびに、また自己嫌悪に陥る。負の連鎖を自分1人で起こし続けるという、この施設にはいないタイプ。
「でも、姉姫も妹姫も、私のことを絶対見捨てなかった。発作を起こすたびに抱きしめてくれて、頭や背中を撫でてくれてね。ハルサメもそうでしょ」
「……うん」
「私はね、それだけ親身になってくれる2人に聞いたの。『なんで、こんな私にそんなに気にかけてくれるの?』ってね。そしたら、なんで答えたと思う? 『仲間だもの』だって。ホントそれだけ」
昔から中間棲姫はおっとりしていたし、飛行場姫は姐御肌だったらしい。ジェーナスがどんな失敗をしても叱ることもなく、自己嫌悪に陥るたびに抱きしめて自分達がいるから安心してと語る。仲間だからこうして当たり前だと。
そんな2人の言葉を聞いたことで、自分のことはいつまで経っても大嫌いだけど、仲間には全幅の信頼を寄せるのだと誓った。ここにいるのは当時はジェーナス以外は主である姉妹姫だけ。その2人が、ジェーナスに対して全幅の信頼を寄せているのだ。同じ気持ちで返すのが当たり前だと思った。
そこからジェーナスは少しずつ明るくなり、自己嫌悪で発作を起こすスパンが徐々に長くなっていき、今に至る。心構えが変われば、身体もそれに引っ張られるモノである。
「だからね、いくら発作を起こしたところで、気にすることはないわ。だって、姉姫も妹姫も何も気にしていないんだもの。それだけこちらのことを信頼してくれているんだから、私達はそれに返すだけ。発作を起こしたら、その分この施設に貢献すればいいの」
にこやかに話すジェーナスは、自分の心の内を話しているにもかかわらず、発作の前兆すら見せなかった。
仲間のことを思っているからこそ、自己嫌悪が薄れている。春雨のために話しているからこそ、発作は起きない。
「私だけじゃないわ。みんな通ってる道なの。でも、誰も気にしてないでしょ? だから、ハルサメも気にしちゃダメよ。
春雨はまだ今の身体になって日が浅いのだから、余計に気にすることはないと語る。溢れた感情がなんであれ、その原因がなんであれ、時間をかければ自然と落ち着いてくるのだと、実体験まで持ち出して伝えてくれた。
ジェーナスも今のように落ち着くまでに、かなりの時間を要した。まだ2週間程度の春雨では、まだまだ落ち着くまでには時間が足りない。そんな状態なら、誰のことも気にせず、むしろ仲間達のことを信頼して発作を起こしておけばいい。
「……うん、わかった。これが今の私だもんね」
「そうよ。自然に良くなっていくから、ゆっくり楽しく生きていきましょ」
「そうだね。うん、みんなのこと信頼してるんだもん。大丈夫、だよね」
落ち込み気味だった春雨も、ジェーナスの言葉で自分を取り戻す。仲間のおかげで心が軽くなり、それがまた嬉しかった。
春雨の心持ちはまたポジティブになっていき、生きていくことが楽しくなる。
今後はまた鎮守府とも連絡が取り合えるようになりそうなため、春雨はこれ以上に良くなっていくことだろう。
自己嫌悪に陥るくらいジェーナスは真面目な性格をしています。一歩間違えたら、自己嫌悪から怒りになってもおかしくないのに、そうならなかったのはジェーナスの性格がそっち寄りだったから。