艦娘達が夜の岸で就寝の準備をしている頃、施設側も1日を終えようとしていた。まだ眠るには早い時間ではあるものの、風呂も終わって一段落している状態だ。
いつものように駆逐艦の4人組がベッドルームに入るのだが、案の定、叢雲は半日イライラしっぱなしである。今でも感知の中には8人の艦娘の反応はあり、常にチラついているのだ。甘い物を与えられて多少は抑え込まれていたものの、今はもう寝るだけというところまで来ているので、ここから甘味による抑制は期待出来ない。
「私も一緒に寝ようかって聞いたんだけど、お断りされちゃった。海風に、姉さんには身体を痛めてほしくないですからって」
「寝袋も無いもんね。いくらいい感じの芝でも、直に寝たら流石に身体痛めちゃうなぁ」
そんな叢雲のことは気にしつつも、海風に丁重にお断りされたことを話す春雨。最初は海風の側にいたかったのだが、言われてみれば確かに、寝袋も無い状態で一緒に眠るのには無理があった。ベッドで一緒に寝るならともかく、地面にダイレクトは深海棲艦にも厳しい。
自分のことはどうでもいい春雨にとって、身体がガタガタになるのも至極どうでもいいことなのだが、海風がそう言うのならと今ここにいる。そこにいるのに離れ離れなのは寂しいものの、気遣ってくれた結果というのは嬉しかった。心はしっかりと繋がっている。
「明日は調査に行ってくれるからね。朝ご飯も作ってあげなくちゃ」
「なら私も手伝うわ。ミシェルのことを見に行かなくちゃいけないし」
「うん、よろしくね。外で食べるものだし、簡単なものがいいよね。あとは戦闘糧食もあった方がいいかな。時間がかかるかもしれないし」
春雨とジェーナスが和やかな話をしていても、叢雲の表情は暗い。というか酷い。
夕食もしっかりと食べて怒りを鎮静化していたのだが、もう限界に近かった。艦娘がチラつくだけでも嫌なのに、艦娘の話題が展開されているのも気に入らない。今は何もかもが腹が立つ状態になりつつある。
「姉さん、大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃないわよ」
心配そうに問いかける薄雲に対して、叢雲は刺々しく返す。もう薄雲に対しても体裁を整えられないくらいになっているようである。
「あれだけは割り切れないわ。やっぱりわたしは艦娘のことが気に入らないのよ」
「叢雲ちゃんの気持ちはわかるけど……でも、今日だけだから」
「そういう問題じゃないって言ってるでしょ」
みんなが叢雲のことは理解しているつもりだ。だが、それで艦娘との繋がりを全て断ち切っていたら、進むものも進まなくなる。
この施設は不可侵を徹底したいという気持ちがあるが、仲良く出来るものなら仲良くしたいという気持ちだってあるのだ。春雨が施設の一員となり、それを意地でも探し出そうとした艦娘達が施設に辿り着いたことで、その一歩が踏み出せたと言える。
「正直、寝られるかもわからないわ。気になってしかたないし、今すぐにでも潰しに行きたくて仕方ないもの」
「それだけはやめてね。和睦とかそういう話じゃなくなっちゃうから」
「わかってるわよ!」
勿論、みんなが叢雲のことを考えて今まで行動している。艦娘の方も、叢雲に配慮し続けている。しかし、叢雲にはこれだけではまだ足りないのだ。
叢雲自身も、それが完全に我儘であることはわかっている。自分の性質、発言が、周りに迷惑をかけていることくらい理解している。だが、怒りがそれを上回ってしまう。頭が熱くなって、思考が纏まらない。
「……もう寝るわ。寝れば多少は気が紛れるかもしれないし」
イライラしながらも、一番最初にベッドに入った。いつも通り、薄雲の隣に居られるように、ベッドの端に。
残された3人は、まだまだ重症だと小さく溜息をついて、いつもの場所に潜り込んで就寝した。出来ることなら叢雲を真ん中に置いた方がいいのではと思ったものの、叢雲自身が端から退こうとしなかったため、結局いつも通りのポジションに。
叢雲の表情は、ずっと辛そうだった。こうしている間も、艦娘は感知の範囲に入り続けているのだから。
その夜、叢雲は酷い夢を見る羽目になった。せっかく眠れたというのに、夢の中でも追い詰められてしまった。
艦娘がいるという事実が刺激となって、
「う……ううっ……」
当時のことを鮮明に思い出し、ただただ苦しかった最後の戦いを見せられ、死の間際まで再現された。2体の深海棲艦に圧倒され、他の仲間に囮にされ、蹴り出されるかのように砲撃の前に投げ出される。
攻め込むわけでもなく、半狂乱の中でただ逃げる時間を作るためだけの命と扱われた悲しみ、苦しみ、怒り、憎しみ。夢だというのに痛みすら反芻させられるかのようだった。
「っあ……ぐ……」
叢雲の本質は、怒り。怒りによって身体が動く。思考が焼かれる。黒い繭に包まれていく時も、叢雲は怨嗟の声を上げ続けていた。
生み出しておいてこの仕打ちは何なのか。何を考えればこんなことが出来るのか。そんなことで命を散らせるなんておかしくないか。そう考えていくうちに、怒りと憎しみは極限まで高まり、そして溢れ出した。
「……憎い……憎イ……ニクイ……」
魘されながらも、その言葉はよりハッキリと、しかし歪んでいく。まるで槍持ちに戻っていくように、叢雲は狂っていく。
これが叢雲の本当の発作なのだと言われれば納得は出来た。正気を取り戻したとしても、今まではまだ艦娘を感知したことが無かったからだ。それを今日初めて感知し、さらにはその範囲内に半日以上滞在されたのだから、限界が訪れても仕方ないこと。
「姉さん……?」
ここまでしていたら流石に薄雲が気付く。深い眠りであっても、強く魘されているのだから、真隣にいる薄雲にもその怒りの激しさが伝わり、目を覚まさせる程になる。
薄雲が身体を叢雲の方に向けようとした時、叢雲はベッドから下りてふらりとベッドルームから出て行こうとした。その足取りは普通ではなく、まるで夢遊病のようにフラフラと、しかし向かう場所は理解しているかのように強い。
まだ頭が働いていなかったが、叢雲のこの謎の行動は、意識を覚醒させるには充分だった。部屋を出た瞬間に見えた叢雲の顔が、怒りと憎しみに染まっていたからだ。
「姉さん!? 何処に行くんですか!」
薄雲の言葉にも答えない。足を止めることなく、さらには寝間着からいつものスタイルへと変化した。湧き立つ怒りを顕現させるかの如く、その手には愛用の槍まで現れた。
まずいと感じた薄雲は、1人で追うわけにもいかず、春雨とジェーナスをすぐに起こす。薄雲だけで叢雲が止められるかはわからない。しかし、あまり時間をかけていると叢雲が
「春雨ちゃん! ジェーナスちゃん! 姉さんがまずい!」
少し揺すって声をかけるだけかけて、薄雲はすぐに叢雲を追った。最初はフラフラだったその足取りは、今や明確に艦娘達に狙いを定めたものになっていた。
悪夢に呑まれ、怒りが限界に達し、理性すら失っている。しかし、その本質だけは失われず、『艦娘を沈める』という槍持ちの時の本能が全てを塗り潰していた。
「姉さん! 止まってください、姉さん!」
薄雲に叫ばれても聞く耳を持たず、むしろその足は速くなる。確固たる意志で、感知の中にいる
薄雲もこのままでは本当にまずいと感じたため、施設内ではあるものの艤装を展開。小型であるため、歩くことを邪魔することもない。叢雲が艤装を展開しているようなものなのだから、こちらもそこまでしなくては止められない。
しかし、それでも叢雲の足を止めることが出来なかった。陸の上であるために十全の力を発揮することが出来ないのは勿論、そもそも叢雲がスピードに特化しているのも原因である。薄雲はどちらかと言えば万能型。特化している部分は無いため、良い言い方をすれば万能だが、悪い言い方をすれば器用貧乏である。
「止まってください!」
代わりに、薄雲にしか無い武器もあった。それが、主砲と主機を繋ぐ鎖である。
今は主砲だけは展開せず、鎖のみで運用。それで叢雲の脚を絡め取ろうという作戦。せめて止まってくれれば、話が出来る。
「……煩い!」
しかし、その鎖は叢雲の槍に切り払われた。一切止まるつもりはない。薄雲すらも決別するかのように突き進む。
今の叢雲には怒りしか無かった。それは、艦娘をどうにかしなくては治まらない。心を鎮めるためには、チラつく羽虫を振り払わなければ気が済まない。
「私はもう迷わない! 邪魔なモノは排除する! そうしないと、この怒りは晴れないのよ!」
「排除しても晴れないでしょう! そうやって全部振り払っても、姉さんの怒りは一生晴れません!」
「頭にチラつくアイツらがいなくなれば気が晴れる! そうしたらココに艦娘が来なければいい話よ!」
もう聞く耳も持たない。自分の意思に従い、やりたいようにやると決め込んでしまっていた。悪夢によってストレスが限界に達したことで、思考能力が完全に奪われてしまっている。
「なんでそれだけしておいてここにいられると思っているのかしら」
しかし、それを簡単に止めてしまう者が現れた。施設の主の1人、飛行場姫そのヒトである。
これだけ騒いでいれば、施設の全員が目を覚ましていてもおかしくはない。その中でも、飛行場姫は姉よりもすぐにこの場に駆けつけた。
「この施設の意志は、今は艦娘達との和睦よ。それに、アンタのような溢れた艦娘の保護もね。
叢雲の真正面に立ち、その歩みを止める。槍を握りしめる叢雲に対し、艤装すら出していない飛行場姫。しかし、それだけでも叢雲は先に進めなくなった。威圧感が半端では無かった。
「艦娘が近くにいることで、悪夢でも見たんでしょ。アンタは特に酷い目に遭っているんだから、同情はするわ。でもね、それでこの施設の在り方そのものを壊されたら、こっちも困るの」
「そんなの知らないわよ! 私を保護して、殺さずに生かしてるのはアンタ達のエゴでしょ! 私は、私はこの怒りのままに艦娘を全部沈めてやる! 艦娘でも深海棲艦でもない叢雲が、それを選んだのよ!」
どれだけ考え直しても、本質だけは変わらない。もっと強い衝撃がないと、叢雲は変われない。提督に多少は感謝しているという言葉も、今や頭の中には無かった。艦娘は憎むべき敵なのだという意志は揺るがない。
そんな叢雲を見て大きく溜息を吐いた飛行場姫は、今までに無いくらいの冷たい視線を叢雲に向けた。その眼光は、まさに深海棲艦の姫。人間や艦娘が恐れるモノだった。
「なら、艦娘の前にアタシをやってみなさい。そうでもしない限り、ここから通さない」
「……っ」
「何よ。意志が固いなら、アタシ如きに日和ってるわけないわよね? ほら、かかってきなさい。アンタは柄物持ち。アタシは手ぶら。艤装も出さないであげる。ほら、ほら!」
挑発するように手招き。余程の自信があるのだろう、リーチが長い槍を目の前にしても、飛行場姫の余裕は一切揺るがない。その姿も、叢雲の怒りを増す結果になる。
「私の前を遮る愚か者め……! その余裕を突き崩して、後悔させてやるわよ!」
強く地面を蹴り、突撃。相手は素手。槍のリーチには到底敵わない。ならば、射程範囲外から攻撃すれば、少なくとも絶対的な優位を持ったまま戦える。
だが、叢雲は怒りのせいで何も見えていなかった。理性を失っているせいで、冷静ではないせいで、飛行場姫の実力を完全に見誤っている。
この施設、この島は、中間棲姫と飛行場姫の領域だ。つまり、完全なるホームグラウンド。艤装が無くとも十全の力を発揮する。対する叢雲は、そもそも海の上で戦う存在だ。どう頑張っても十全の力は発揮出来ない。
「はぁ……だから
その槍の尖端、刃を指2本で受け止めた。たったそれだけ。それだけで、叢雲は次の行動を全て封じられた。
前にも後ろにも槍が動かない。たった2本の指に挟まれているだけなのに、まるで万力に固定されているかのようにびくともしなかった。
「なっ……」
「怒りはね、本当に見境が無くなるのよ。こうやって、実力差すらも測れなくなるくらいに。アンタは違うと思っていたけど、結局同じだったわけね。残念だわ」
そしてその槍を軽く払う。強く握り締めていたせいで、叢雲ごと壁に激突。施設自体が強固であるため、ダメージを受けるのは叢雲のみ。
「アタシは、他人を恐怖で支配しようだなんて思ってないわ。でも、アンタみたいなヤツに対しては、それもアリなんじゃないかと思うわけよ」
指を少し曲げただけで、槍がグニャグニャと、まるで飴細工を作っているかのように曲がっていく。
叢雲の槍だって、深海棲艦の艤装の一部だ。艦娘のそれよりもむしろ硬いまである。それなのに、そんなことを全く感じさせない。
「でもね、お姉がそれを拒むの。だから、これくらいで勘弁しておいてあげる」
そして最後は、力尽くで槍を奪い取った挙句、バキバキに折って返された。
「何よ……それ……」
槍と共に、心が折れた。
中間棲姫や戦艦棲姫は特殊能力という感じですが、飛行場姫は物理。全ては姉を守るため。