翌朝。春雨の部屋で眠っていた海風と山風は、鎮守府で眠るよりも深く気持ちよく眠ることが出来たような気がしていた。
今は鎮守府の朝よりも少し遅いくらい。目覚ましで目を覚ますわけでもなく、自然にこの時間に起きたので、もっと寝ていたいとか起きるのが億劫とかそういう気持ちは全く湧かない。
特に山風は、昨晩にいろいろと不安に思ってしまって心が重かったのにだ。松竹姉妹に相談出来たことで、少しだけ前向きになれたのだが、それだけでは足りないくらい。
その理由の1つは、真ん中に挟まれるように眠っていた脚を消した春雨。姉の温もりというのは、こういう時によく効く。精神状態を安定させる効能でもあるのかと思えるくらいに効果抜群であった。
「おはよう、2人とも。いつもとは違う環境だけど、よく眠れたみたいだね」
にこやかな春雨の顔から朝が始まり、海風は自然と昂揚。山風も幾分かスッキリしたおかげで大分楽になっている。
今回は寝間着の件を海風の経験からわかっていたため、宿泊のためにその辺りも準備済み。2人とも、鎮守府で使っているパジャマ持参である。
「はい、本当にグッスリと。姉さんを抱き枕にしてしまって申し訳ないんですけどね」
「……うん。ぬいぐるみを抱いて寝てるみたいだった」
「うんうん、それなら良かったよ」
妹のことを気遣う姿は、正しく姉であった。今でこそ脚を消して小柄な山風よりも小さいような状態ではあるものの、姉の包容力が出ている。
「山風、なんだかスッキリした顔してるね。そんなに気持ちよく眠れた?」
「……そうかも……しれない。昨日は少しあったから」
「そうなんだ。確か松ちゃんと竹ちゃんが山風のところに行ってるのは見たけど、それのことかな」
「……うん、多分」
心の中で松竹姉妹に感謝しつつ、詳細は語らなかった。春雨も深く追求することはせず、山風が晴れやかな表情をしていることを素直に喜ぶ。
海風は皆目見当がついていないようではあるが、山風が元気そうならそれで良しと割り切っている。自分に対しての不安で悩んでいたことなんて露知らず。
「さ、朝の準備しよっか」
ベッドから降りると同時に脚を作り出し、そのまま寝間着からいつもの制服姿へと変わっていた。いつ見てもこの光景は驚くようで、山風は別に眠たいわけではなかったのだが眠気が飛ぶような衝撃を受ける。
「春雨姉……前の制服になることって……出来る?」
そこで、試しに聞いてみる。部屋の物は不要と言っていたためショックを受けたものの、こちらに関してはどうだろうかと。
「前ってことは、艦娘の時の制服、かな」
「……うん」
わざわざ持ってきてもらうというのもあり、春雨はあえて何も要らないと言った可能性もある。だが、服なら自由自在だ。持ってくるわけでもなく、春雨の心境のみ。
実際、艦娘の時のことを想起させる制服というのは、それだけでも寂しさが溢れ出してしまいかねない代物だ。こちらも無意識に除外してしまう可能性は充分にあり得る。
これも一種の博打だった。服を着たことで壊れてしまったら、もう艦娘としての春雨は半分以上は壊れていることになる。
「一番最初はやろうとしたんだけど出来なかったんだよね。これが深海棲艦としての私に適したものだからってことらしいんだ。でも、慣れてきたし出来るかも」
少し考えた後、よしと意気込んだ瞬間、春雨の制服は深海棲艦となる前の制服になっていた。当初は出来なかったのに、深海棲艦としての生活を続けてきたおかげで、生成の技能が成長したようだ。
それに、艦娘としての春雨は海風と再会出来たことで失われずに済んでいる。そのおかげで、艦娘を切り捨てることなく、どちらの春雨も共存している状態だった。
「わ、なんだか久しぶりだね、この格好も。こっちはこっちでしっくりくるなぁ」
嫌がるわけでもなく、何処か懐かしむような表情で自分を見回し、艦娘の時から変わっていないことを確認。制服のみならず、被っていた帽子もしっかりと艦娘時代のそれに変化していた。
脚が艤装になっているという時点で艦娘の時からはどうしても離れてしまうのだが、それでも今の春雨は色素が薄いだけの艦娘春雨そのものである。
部屋にある小物などは姉達とのピンポイントな思い出ばかりなので無意識に避けていたが、鎮守府全体の記憶に繋がる制服なら大丈夫。制服からも思い出が溢れ出すとなったら、そもそも鎮守府との付き合いが出来なくなる。
「……っ」
「艦娘の……姉さん……」
その姿を目の当たりにしたことで、海風も山風も、姉が帰ってきたのだと改めて実感した。海風に至っては、少しだけ涙目にすらなっている。
「……春雨姉、もう1つお願い……していい?」
「ん、何?」
「あたし達がここにいるときは……その格好でいてほしい」
山風にしてはかなり思い切ったお願いである。艦娘としての感情が消えていないことを証明するその姿を見せてくれれば、山風の中の不安が1つ消える。
「私からもお願いしていいですか……? その……勿論今の春雨姉さんを否定するわけじゃないんですが、私達にはやっぱり、その姿の姉さんの方が馴染み深いので……」
海風からも、出来ることならとお願いされる。本人が言う通り、勿論深海棲艦としての春雨を悪く言おうだなんて微塵も思っていない。しかし、
2人の目は、心の底からそれを望んでいるモノだった。春雨がこの姿でいるだけで、2人がイキイキとするというのなら、叶えてあげない理由は無い。
艦娘の制服を着ているからといって、寂しさが溢れ出すようなことは無かった。思い出の品とはまた別物である。心に影響が無いのなら、可愛い妹達の願いを叶えるべきだと、春雨は考えた。
「いいよ。2人が喜んでくれるなら、私はこの姿でいるよ。あ、でも脚だけは隠すようにするね。艦娘の時とは少し違うけど、それだけは許してね」
「ありがとうございます。艦娘としての姉さんがここにいるんだって実感出来ますから」
山風も無言で首を縦に振る。万が一海風が深海棲艦化してしまったとしても、艦娘の心を切り捨てることはないという明確な証拠を手に入れることが出来たのはとても大きかった。
朝食を終え、調査隊は本来の任務を実行するため、全員揃ってクルーザーのある方とは逆の岸へと向かう。ここに来るまではクルーザーが必要であったが、調査任務に持っていくのは違う装備とのことで、施設に置かせてもらうとのこと。
宗谷の艦娘としてのスペックが現状調査に特化出来ているようで、一度帰ってくることが保証されているのだから、置いていっても問題ないと判断したようである。
「CruiserはMichelleが護衛しているから、安心してね!」
「はい。ミシェルさんには昨晩も守ってもらいましたから、近くにいてもらえれば安心ですね」
昨晩は施設ではなくクルーザーで一晩を明かした宗谷と島風は、ミシェルの護衛のおかげかどうかはさておき、安心して身体を休めることが出来たようだ。
島風も見送りにまでついてきてくれたミシェルを撫で回して、ちゃんと帰ってくるからクルーザーをよろしくとお願いしていた。対するミシェルは、まるで任せろと言っているかのように身体を震わせた。
「みんな、気をつけてね。私達はここで待ってることしか出来ないけど、うまく行くって信じてるから」
「はい、任せてください。これが事件の解決に繋がる可能性もありますから、全身全霊で任務にあたります」
「海風の姉貴、堅ぇって」
やる気が漲っていることは見て取れるのだが、少し出過ぎにも思えた。その理由は一目瞭然で、春雨が艦娘の時の姿をしているからである。海風のモチベーションは今までで1番と言っていいほどに高まっていた。それでいて、冷静な判断も残しているのだから、今の海風は十全の力を発揮出来るだろう。
しかし、空回りしてないかと若干心配になった江風が即座にツッコミを入れた。海風自身も基本的にこんな感じで事を進めていくのだが、今はもっと気軽に行くべきだ。
「江風達はさ、『行ってきます』でいいンだよ。ンで、戻ってきたら『ただいま』でさ」
もうこの施設は
だからこそ、ここでの言葉はもっと軽いものを選ぶべきと話した。そう、任務とはいえ、ちょっと行ってまた帰ってくるみたいな感覚で、行ってきますとただいまがいい。
「……うん、そうね。またここに戻ってくるんだし、それでもいいかも」
「だろ?」
江風がニカッと笑うと、海風も笑みを浮かべた。若干あった緊張感が、これで少し緩む。
空回りはしていないにしても、力んでいたところはあった。1回目の調査が中断されてしまっているので、実質今回が1回目みたいなもの。ここであらゆる痕跡を発見したいと力が入ってしまっていた。それはよろしくない。
今回見つからなくても、何度でも来たらいい。危険と思ったらすぐに引き返す。それくらい軽い気持ちで任務に当たればいいのだ。
「アンタは軽すぎなのよ」
「いいじゃンかよー。どうせ戻ってくンだからさ」
叢雲が江風の軽さに難癖をつけるものの、全く気にしていない。むしろ、叢雲にそう言われるのを待っていたかのようである。
「お昼ご飯も用意してもらったわぁ。時間がかかるようなら、それを食べて英気を養ってちょうだいねぇ」
「Oh, 今回もthank youネ! 必ず何かを見つけてきマース!」
前回調査隊に渡したような戦闘糧食を今回も渡し、任務が長引いてもいいように対策をしておいた。調査は広い範囲を隈なく探すため、どうしても時間はかかるだろう。向かってすぐに何かを見つけない限りは、長々と海を眺めることになる。
「それでは、そろそろ行きましょう。島風さんも大丈夫ですか?」
「おうっ! もう大丈夫!」
「はい。なら皆さん、
調査隊全員が施設の深海棲艦達に敬礼し、沖へと向かっていった。
海風や島風は、ギリギリまでこちらを向いて手を振っていた。無事に何かを見つけ出して帰ると約束して。
「全く、やっと騒がしいのがいなくなったわ」
水平線の向こう側に調査隊が消えたのを見届けて、叢雲が溜息をつく。島風だけでなく、江風と涼風も叢雲に絡んできたらしく、随分と騒がしい夜になったらしい。
それでも怒りを爆発させるようなことが無かったあたり、叢雲も成長している。それがわかって、薄雲も安心していた。
「ふふ、叢雲ちゃんも楽しそうで何よりよぉ」
「姉姫の目は節穴なのかしら。私が楽しくしてるように見える?」
「ええ。やっぱり、あの子達と交流出来るようになったのは良かったことだと思うわぁ」
しみじみと語る中間棲姫。
「艦娘さん達と仲良くなれるのは、とても良いことだと思うの。でも、やっぱり施設は危険に晒しちゃいかねないのよねぇ。本当に信用出来る間柄でないと」
「そうね。でも、あの提督は信用出来る相手だったわけよね。さすが、お姉は見る目あるわ」
「そんなことないわぁ。今のところは運がいいだけかもしれないからねぇ。提督くんもだし、大将さんもそうだけど、あれは人間さんがイイ人だったから成り立っているだけだものぉ」
今のところ、鎮守府の提督、そして大本営の大将と対話をして、悪い方向に向かっているものは何一つとして無い。中間棲姫の見る目があったからかどうかはわからないが、何もかも上手く行っていると言える。
これがずっと続いてくれればと願いつつ、深海棲艦達は施設に戻っていった。調査隊も何かしらを見つけて無事に帰ってきてくれる。そう信じて。
『欠陥』318話、『継ぎ接ぎ』303話、『異端児』284話、そして『空っぽ』95話目ということで、実は今回のお話で自作通算1000話目となります。ここまで続けられたのも、ひとえに読者様のおかげです。ありがとうございます。
あと5話でこちらも100話となり、1つの節目になりますが、少し早いですが今後ともよろしくお願いします。
その割には不穏な空気が流れているのが、実に自分の話らしさある。