アスカとシンジは、空の軌跡の世界で本当の幸せを見つけた ~アスカ・ブライト!~ 作:朝陽晴空
1
学園祭の日の早朝、エステルたちは演劇が行われる講堂で最終チェックを行っていた。演劇に使うセットや大道具、小道具、照明や衣装の確認を終えると、ジルはエステルたちに演劇の時間まで、学園祭を見て回るように勧めた。
「やっほー! 全ての出店を制覇するわよ!」
「食べ過ぎて、お腹が衣装に入らなかった、何て事にならないでね」
元気良く拳を振り上げて宣言するエステルに、ヨシュアは笑顔を浮かべてツッコミを入れた。
「アスカ、元気無さそうだけど、どうしたの? あんなに学園祭を楽しみにしていたのに」
「別に、そんな事ないわよ。ああ、楽しみだわ!」
心配そうな顔のシンジに指摘されたアスカは無理やり笑顔を作って答えた。シンジはアスカの笑顔に影が差しているのを残念に思っていた。曇りの無い満面の笑顔のアスカと学園祭を見て回る、それがシンジにとって学園で過ごした最高の思い出となるはずだった。
「アンタたちも一緒に学園祭を見て回らないの?」
「私たちは『新しい仕事』の件があってね。学園長先生と話があるの」
アスカに尋ねられたジルは意味ありげな笑みを浮かべてそう答えた。
「私も手伝おうか?」
クローゼがそう言うと、ジルは大丈夫だと首を横に振った。
「孤児院のチビちゃんたちも学園祭に遊びに来るんでしょう?」
「ありがとう」
笑顔でクローゼはジルにお礼を言った。
「そうだ、来場者の中にオレ好みのタイプの女性が居たら連絡先を聞いておいてくれよ」
ハンスがシンジとヨシュアに声を掛けると、ヨシュアはため息をついて答える。
「はいはい、胸が大きくて美人で大人の魅力を備えたお姉さんね」
ミサトさんみたいなタイプが好きなのはトウジたちと似ているな、とシンジは思った。シェラザードさんを紹介してあげれば良いのかなとも思った。この場に居ないので紹介のしようがないけれど。
2
『大変長らくお待たせいたしました。ただ今より《第五十二回ジェニス王立学園・学園祭》を開催いたします』
女性の声のアナウンスが校内に響き渡ると、学園の正門が開け放たれ、入場待ちで行列を作っていた人々が中庭へとどっと雪崩れ込んだ。
「凄い数のお客さんね」
講堂から出てその光景を目の当たりにしたエステルは感心したようにつぶやいた。
「フフ、これなら例の計画も上手く行きそうよ」
腕組みをしたジルは満足気な笑みを浮かべて見つめていた。ジルがハンスと一緒に立ち去ると、エステルたちは学園祭を見て回る事にした。
「あれナイアルさん、学園祭の取材ですか?」
講堂から中庭に足を踏み入れたヨシュアは、リベール通信の記者ナイアルが居るのに気が付いて声を掛けた。
「まあそんなところだ。まずは出店で腹ごしらえだな」
中庭にはクレープ、ポップコーン、ゼリー、クローゼの後輩が居るアイスを売る店などが並んでいた。レシピ担当のシンジは出店のスイーツを全てアスカに食べさせられるのだった。
本館一階の教室では、学生たちが喫茶店をしていた。その喫茶店の中でウェイトレスをしていた学生たちよりも目立っていたのが、純然たるメイドを引き連れていた若い女性客の姿だった。
「あーっ、メイベル市長にリラさんだ!」
「あら、エステルさんたちではないですか。こちらには遊撃士のお仕事で?」
その女性客はボースでエステルたちが出会ったメイベル市長だった。御付きのメイドのリラも一緒だった。メイベル市長に尋ねられたアスカは今日の演劇で自分たちが出演すると話した。
「それは是非楽しみにさせて頂きますわ」
「知ってる人に見られるのはとても恥ずかしいんだけど……」
シンジが異常に顔を赤くしているのを見て、メイベル市長とリラは不思議そうな顔でシンジを見つめる。
「ええ、それは楽しみにしてください」
アスカはニヤリと笑みを浮かべてメイベル市長に声を掛けるのだった。教室を出た本館一階の玄関ホールで、ダルモア市長と学園長が親しげに話していた。声を掛けるのもはばかれるので、エステルたちはそばを通り過ぎた。
本館の二階の社会科の教室でデュナン公爵の姿を見たアスカは顔を引きつらせた。これはマズイと思ったシンジはアスカの手を引いて別の教室へと行った。その教室では『相性占いマシーン』が出し物となっていた。
「アンタがこんなものをやりたがるなんてね」
アスカはあきれた顔でため息をついてシンジの事を見つめた。
「まあまあ、そんな事を言わないでやってみようよ」
エステルが二人を取り成して、相性占いをしてみる事になった。
『一人目の誕生日を入力してください』
機械のアナウンス音声に従い、シンジは自分の誕生日である六月九日を入力した。
『続いて二人目の誕生日を入力してください』
機械のアナウンス音声に従い、シンジはアスカの誕生日である十二月四日を入力してしまった。
「何を勝手に占っているのよ!」
「ご、ごめん……」
アスカはあわててシンジの胸倉を掴んで止めたが、既にデータは入力が終わってしまっていた。
『シンジさんとアスカさんの相性占いを開始します』
機械音声の後、ディスプレイに映し出された絵文字の顔がルーレットのように喜怒哀楽の表情に切り替わる。悲しそうな絵文字の顔でルーレットは停止した。
『今日の二人は一緒にいてもギスギスとした一日になりそうです。隠していた秘密がバレそうになり、ごまかそうとしても相手に不信感を与えてしまうでしょう。無理に歩み寄ろうとせず、思い切って別行動をしてみましょう。距離を置く事でお互いの必要性を再認識できるはずです』
占いの結果を聞いたアスカは渋い顔になった。ジルだけではなく機械にまで自分とシンジは相性が悪いと言われた気分になったからだ。
「もう一回やってみるわよ」
不機嫌そうなアスカは、シンジに代わって機械の前へと立った。
『一人目の誕生日を入力してください』
機械のアナウンス音声に従い、アスカはシンジの誕生日である六月九日を入力した。
『続いて二人目の誕生日を入力してください』
機械のアナウンス音声に従い、アスカはクローゼの誕生日である十月十一日を入力した。
「アスカ、どうして……?」
「ほら、今日の演劇ではアンタたちが主役のカップルじゃない」
驚いて息を飲むクローゼに、顔を赤くしたアスカはごまかすようにそうつぶやいた。
『シンジさんとクローゼさんの相性占いを開始します』
機械音声の後、ディスプレイに映し出された絵文字の顔がルーレットのように喜怒哀楽の表情に切り替わる。ハートマークの絵文字でルーレットは停止した。
『今日の二人は意識が同調し、楽しく過ごす事が出来るでしょう。二人のどちらかにトラブルがあっても、お互い手助けをして乗り越えられるでしょう。共通の意識を持つ事で相手の知らない一面に気が付くとともに、二人の絆もより一層深まります。今日一日で二人は互いに特別な愛情を持つ事が出来そうです』
シンジとクローゼの相性占いの結果を聞いたアスカは、悔しそうに唇をかんだが、直ぐに笑顔を作って、
「これなら演劇も上手く行きそうじゃない、良かったわね!」
と強がった。それが空元気だと察したエステルたちはアスカを気遣い、『相性占いマシーン』から離れるのだった。
3
部活棟の一階にある食堂に足を踏み入れたエステルたちは意外な人物が学園祭に顔を出している事に驚いた。そのうちの一人は、リシャール大佐の副官のカノーネ大尉だった。なぜ彼女が一人で学園祭に来ているのかは分からない。直接の知り合いでもないエステルたちは声を掛ける事は無かった。
もう一人は翡翠の塔と琥珀の塔で出会ったアルバ教授だった。テーブルでソフトドリンクを飲んでくつろいでいた。エステルたちはアルバ教授に近づいて声を掛けると、アルバ教授は穏やかな笑顔で答える。
「これは奇遇ですね。四人ともお元気そうで何よりです」
「アルバ教授も学園祭に招待されたんですか?」
ヨシュアが尋ねると、アルバ教授は残念ながらそうではないと答えた。アルバ教授はこのルーアン地方にある《紺碧の塔》の調査に来たのだと話した。ついでにこの学園に研究資料がないか足を伸ばして立ち寄ってみたのだと付け加えた。
「まさか、光の柱が現れたんですか!?」
「いえ、そのような目撃証言はありませんでした」
シンジが必死の形相で尋ねるがアルバ教授は否定した。アルバ教授の答えを聞いたシンジは少し残念そうに肩を落とした。アルバ教授は遺跡研究の成果報告をしている教室は無いかとエステルたちに尋ねた。
「社会科の教室で展示をしていたと思いますけど……ご案内しましょうか?」
「それは助かりますね、でもよろしいんですか?」
クローゼが案内を申し出ると、アルバ教授は学園祭を見て回っている途中なのではないかと気遣うように尋ねた。
「あの公爵はもう居ないだろうし、行っても良いわよ」
アスカはエステルたちの視線を受けてそう答えた。本館の二階にある社会科の教室はつい先ほどデュナン公爵の姿を見て慌てて出て来た教室だった。
「ほう、これはこれは本格的な展示ではないですか。歴史から経済まで様々なジャンルを網羅しているようですね。これは楽しめそうです」
社会科の教室を見回したアルバ教授は感心したようにつぶやき、案内をしてくれたクローゼにお礼を言った。
「いえ、どういたしまして。私も社会科を専攻していますから、興味を持って頂けると嬉しいです」
クローゼはアルバ教授に笑顔でそう答える。エステルは展示物を見て、こういう難しい物を見てると眠くなっちゃうなと苦笑いを浮かべていた。
「遊撃士だって色々な知識を必要とするんだから、興味を持たないとダメだよ」
ヨシュアはあきれた顔でエステルにそう声を掛けた。エステルは助けを求めるようにアスカたちを見つめたが、アスカたちもヨシュアの味方だと知るとうなだれた。
4
エステルたちが二階から降りると、本館一階の玄関ホールでクラムたちと会った。
「みんな……来てくれたのね!」
クラムたちの姿を見たクローゼは笑顔になる。エステルたちが学園祭を楽しんでいるか尋ねると、孤児院の子供たちは弾けるような笑顔ですっごく楽しいと答えた。
「テレサ先生も一緒に来たの?」
「うん、さっき外で別の大人の人と話していたけど……」
クローゼに聞かれたクラムがそう答えていると、穏やかな笑みをたたえたテレサ院長が玄関ホールに姿を現した。
「こんにちは。今日は招待してくれて本当にありがとう。子供たちと一緒に楽しませてもらってますよ」
「なあ、クローゼ姉ちゃんたちが出る劇っていつ始まるの?」
クラムに尋ねられたクローゼは午後からだと答えた。
「ねえ、シンジお兄ちゃんはどんな役をするの?」
「えっと……それは言いにくいと言うか……」
子供たちに聞かれたシンジは言葉に詰まってしまった。
「フッフッフ、それは見てのお楽しみよ」
アスカはからかうような笑みを浮かべて子供たちに声を掛けた。
「そうだ、みんなはまだマノリア村にいるの?」
「はい、ですが……」
エステルに尋ねられたテレサ院長は浮かない表情になってため息をついた。その雰囲気から察したヨシュアが子供たちに声を掛ける。
「ねえみんな、劇の衣装を見てみたくないかな? 綺麗なドレスや騎士の服とかあるよ」
ヨシュアの言葉を聞いたクラムたちは目を輝かせた。ヨシュアはエステルたちにウインクをすると、クラムたちを連れて玄関ホールを出て行った。多分ヨシュアはテレサ院長が子供の前では話しにくい事を察して、子供たちを講堂の舞台袖に連れて行ったのだろう。
「ヨシュアさんは気の利く良い子ですね」
テレサ院長はヨシュアたちの消えた方向を見て感心したようにそうつぶやいた。
「先生、もしかして……」
クローゼが不安そうな顔でテレサ院長に尋ねた。
「はい、市長のお誘いを受ける決心がつきました。これ以上、マノリアのみなさんにご迷惑をかけられませんから。今日の学園祭が終わったら、あの子たちにも話します」
「……そう……ですか……」
テレサ院長の言葉を聞いたクローゼはとても悲しそうな顔でつぶやいた。見かねたシンジがテレサ院長に声を掛ける。
「あの……せめてクローゼさんがこの学園に居る間だけでも、ルーアンに居る事は出来ませんか?」
「シンジさん!?」
クローゼが驚いた顔でシンジを見つめた。
「クローゼさんにとって、孤児院のみんなは家族だと思うんです。家族と離れ離れになるなんて、悲しすぎます……」
「シンジさんも、クローゼもそんな顔をしないで。王都は飛行船を使えばすぐの距離ですから、いつでも会えますよ。それに私、王都で仕事に就きたいと思います。ミラを貯めて、きっといつか孤児院を再建します……」
テレサ院長が強い決意を秘めた瞳でそう言うと、シンジはそれ以上何も言う事が出来なかった。話が終わったエステルたちはテレサ院長と一緒にヨシュアと子供たちの居る講堂へと向かうのだった。
5
エステルたちが講堂の舞台袖に着くと、そこでは子供たちが目を輝かせて用意された舞台衣装や小道具などを見ていた。しかし、ヨシュアの姿が見当たらない。
「ヨシュア兄ちゃんなら少し前に急用があるからここで待ってろって言ってたぜ」
クラムの話を聞いたエステルたちは不思議そうな顔になった。ヨシュアが子供たちを放り出して姿を消すなんて嫌な予感がする。エステルたちは子供たちをテレサ院長に預けて、ヨシュアを探しに行く事に決めた。
「あ、ナイアルさん、ヨシュアを見かけなかった?」
「ヨシュアなら、旧校舎の方に行くのを見かけたぜ」
講堂前に居たナイアルにエステルが尋ねると、意外にすんなりとヨシュアの行き先が判明した。エステルたちはナイアルにお礼を言って旧校舎へと向かった。旧校舎に通じる王立学園の裏道にも人の気配は無かった。
「えっ、昨日先生が鍵をかけたはずなのに!?」
旧校舎の入口のドアの鍵が開いている事にエステルは驚きの声を上げた。昨日旧校舎では魔獣が出現し、エステルたちが退治した後、報告を受けた教師によって入口のドアは施錠された。
旧校舎の中に足を踏み入れたエステルたちは耳を澄ますが、物音は何も聞き取れない。二階への階段を昇り、室内の窓からバルコニーに立つヨシュアの姿を見つけたエステルは大きな声を上げて駆け寄る。
「ヨシュアーっ!」
「エステル!?」
ヨシュアは驚いた顔で振り返った。
「もう、いきなり姿を消したって言うから、心配したんだからね!」
「ごめん」
エステルに向かってヨシュアは謝ったが、その理由を語ろうとしなかった。
「ヨシュア、アンタねえ……」
怒った顔のアスカが問い質そうとしたが、エステルは手を伸ばしてアスカを制した。
「あたしたちは家族だから……何も聞かないって決めている。そうでしょう?」
「本当にごめん」
ヨシュアは再度謝る事しかしなかった。その雰囲気を察したクローゼは、エステルたちの家族の絆が深い事を感じ取った。
『連絡を申し上げます。劇の出演者とスタッフは講堂で準備を始めてください。繰り返します。劇の出演者とスタッフは講堂で準備を始めてください』
校舎から発せられた連絡放送のアナウンスが旧校舎に居るエステルたちにも聞こえるほど響き渡った。
「よしっ、気合い入れて行くわよ!」
重苦しい雰囲気を振り払うようにエステルは明るい口調でそう言い放った。
6
それから三十分後、講堂に用意された観客席にはダルモア市長とメイベル市長にデュナン公爵、ナイアルにアルバ教授、学園長にテレサ院長と孤児院の子供たちとエステルたちの知り合いが顔をそろえていた。
「うーっ、たくさん人がいて緊張するよ!」
「大丈夫、劇が始まれば他の事は気にならなくなるよ。特に君は一つの事に集中すると周りが見えなくなるタイプだからね」
落ち着かない騎士装束姿のエステルを、メイドに扮したヨシュアはそう言って励ました。
「アスカ、頑張ろうね」
ドレスを着て長い黒髪のカツラとティアラを被り、薄化粧に口紅を付けてすっかりとお姫様となったシンジに微笑みかけられたアスカは思わず鼻を押さえた。
(……シンジってば、可愛くて正面からまともに顔を見る事が出来ないじゃない)
アスカとしてはこの演劇でシンジにストーカーが付かないかどうか心配になった。もし第壱中学校に居た頃にシンジにこの姿をさせていたら、あの相田ケンスケによって画像データが高く売りさばかれていただろう。
「今年の学園祭は大盛況。公爵やら市長やらお偉いさんまで来ているみたいだけど、私たちが臆する事は無いわ。練習の通りにやればいいのよ」
ナレーションを務めるジルがエステルたちや劇のスタッフ達に檄を飛ばす。
「俺たちの手で学園祭の最後にでっかい花火を上げてやろうとしようぜ!」
演劇の監督であるハンスも明るい笑顔で声を掛けた。
ブーーーッ。
開園を告げるブザーの音が講堂に鳴り響くと、ざわざわとしていた観客席も静まり返った。
『……大変長らくお待たせいたしました。ただ今より、生徒会が主催する史劇《白き花のマドリガル》を上演いたします。皆様、心ゆくまでお楽しみください……』
制服姿のジルが舞台の端に姿を現した。
「時は七耀暦1100年代、100年前のリベールでは貴族制が存続していました。その一方、商人達を中核とした平民勢力の台頭もあり……貴族と平民の対立は日を追うごとに激しくなったのです。王家や教会が仲裁に立っても、効果がありませんでした……」
そこまでジルが話すと、舞台袖からセシリア姫に扮したシンジが静々と歩きながらステージに姿を現した。ステージの中心でスポットライトを受けて煌くその美しさに、観客席から感嘆の息が漏れた。
しばらくの間沈黙が辺りを支配する。しかしその沈黙が長すぎると不穏な空気となった時、再びジルのナレーションが始まる。
「国王が病で崩御されて一年が過ぎたくらいの頃……ある春の日の夜、グランセル城の屋上にある空中庭園でセシリア姫はこの国の未来を憂えていました……」
ジルのナレーションが読み上げられている間、頭が真っ白になってしまっていたシンジは何とかセリフを思い出すことが出来た。アドリブのナレーションを加えてくれたジルにシンジは心から感謝するのだった。
「街の光は、人々の輝き……」
シンジがセリフを喋り始めると、ジルは速足で舞台袖へと引っ込んだ。それはアドリブとは感じさせない自然な動きだった。
「あの瞬き一つ一つに人々の幸せがあるのですね。ああ、それなのに私は……」
シンジが両手を合わせて祈るような仕草でセリフを言う。舞台袖からまた美しい黒髪のメイドが現れると、観客席からどよめきの声が上がる。セシリア姫と美しいメイドの女性は姉妹なのではないかと二度見する者達も居た。メイドの女性は黒髪のカツラを被ったヨシュアだった。シンジとヨシュアは瞳の色が違う。その点が二人が血縁である可能性を否定させた。
「姫様……こんな所にいらしたのですね。そろそろお休みくださいませ。あまり夜更かしをなされては御身体に障りますわ」
セシリア姫の声に続き、メイドの声も女性と言っても差し支えない声をしていたので、この演劇が男女逆転劇だと気付く者はほとんどいなかった。
「構いません、私など病に罹ってしまえば、この国の火種とならずに済むのですから」
シンジは憂いを浮かべた表情でそう言った。観客席の誰もがそのシンジの演技に引き込まれた。
「そのような事を仰せられないでください、姫様はこの国の至宝……良き御方とご結婚なさって王国を統べる方なのです」
メイドであるヨシュアも、シンジに負けない熱演をする。当初は舞台に二人のメイド役の男子が登場する予定だった。しかしヨシュアの美しさに釣り合う男子が学園内に存在しなかった。試しにハンスが女装をしてみたら身の毛がよだつほどだった。だからハンスは舞台にヨシュア以外の男子を登場させない英断を下した。
「私、結婚などしません。亡きお父様の遺言でも、受け入れる訳には……」
セシリア姫はメイドの言葉に強く首を横に振って拒絶の意を示した。
「どうしてでございましょう、あのような立派な求婚者達がいらっしゃいますのに。一人は公爵家の嫡男にして近衛騎士団団長の赤き騎士ユリウス様。もう一方は平民出身でありながら多数の武功を上げられた青き騎士オスカー様。何の不満がございましょう?」
メイドが尋ねると、セシリア姫は硬い表情になって黙り込んだ。
「姫様、彼らが素晴らしい人物であるのはご存じでございましょう?」
二度念を押すようにメイドが尋ねると、セシリア姫はメイドに同調するようにうなずいた。
「ええ、それは私が良く知っています。ああ、オスカー、ユリウス……」
セシリア姫は二歩ほど前に出て、目を閉じながら両手を胸に当てた。
「私は……どちらかを選ばなければならないのでしょうか?」
グランセル城の空中庭園の場面が終わり、一旦幕が下りる。観客席からは盛大な拍手が上がった。舞台袖にシンジとヨシュアは引き揚げた。
「ジルさん、ヨシュア、ありがとう。二回ぐらいセリフが思い出せなくなって焦ったよ」
舞台袖に戻ったシンジはアドリブで助けてくれた二人にお礼を言った。
「まあシンジもなかなかのものだったわよ。やっぱり人間、努力してみるものね」
アスカはからかうような笑顔を浮かべながらも、シンジの事を率直に褒めた。次の場面は街の路地裏で赤の騎士ユリウスと青の騎士オスカーが語り合うシーン。エステルとクローゼの出番だ。今のところ演劇は上手く行っている。アスカも少ないながらも出番もセリフもある。演劇の後半に向けて気合いを入れ直すエステルたちだった。