アスカとシンジは、空の軌跡の世界で本当の幸せを見つけた ~アスカ・ブライト!~ 作:朝陽晴空
1
昼間は女王生誕祭、夕方はアリシア女王主催の晩餐会で盛り上がったグランセル城の夜は静かに更けて行った。シェラザードはオリビエとジンを誘って談話室のバーでさらに酒を飲むと部屋を出て行き、エステルはヨシュアを空中庭園に誘うためにヨシュアたちの部屋へと向かう。
「エステル、ファイトよ!」
アスカは部屋を出るエステルにそう言って送り出した。エステルとヨシュアは相思相愛だ、告白が成功するのは間違いない。肝心なのはエステルとヨシュアが理想の《ファーストキス》が出来るかどうかだ。
アスカがシンジに暇潰しとして葛城家のリビングで持ち掛けたファーストキスは、アスカもキスのやり方を良く分かっていなかったので、《バッドキス》になってしまった。あれからシンジの頬などにふざけてキスする事はあったが、唇同士を合わせたキスはしていない。
そろそろセカンドキスをするべきか……と部屋に残ったアスカが考えていると、アスカのカバンに便箋が入っている事に気が付いた。差出人はシンジと書かれていた。シンジが手紙を書いているところをアスカは見た事が無い。
アスカが手紙の封を開けると、シンジが普段話さないようなアスカへの愛の言葉が綴られていた。顔を真っ赤にしながら書いているシンジの姿を想像して、アスカはお腹を抱えて大笑いした。
手紙の最後には、『今夜10時、グランセル港まで来られたし。他言無用』と書かれていた。ユリア中尉の文章を真似て格好を付けたつもりなのだろう。シンジには似合わないのに分かっていないんだからとアスカは笑った。
夜の静かな港で若い男女がする事と言ったらアスカにも想像が付いた。アイツはムードの良い場所を選んだ、合格点をあげてもいいわとアスカは微笑んだ。
待ち合わせをしているのに、こちらからシンジの部屋へ押しかけるのもおかしな話だ。アスカは時計を見ながらじっと港へと向かう時間まで待つのだった。
2
その頃、ヨシュアはシンジと同じ今夜泊る予定の部屋に居た。カシウスも同室だったが軍議などで忙しく、部屋に戻るのは夜遅くになると思われた。
「……それじゃあ、アスカの所へ行って来るよ」
「うん、上手く行くと良いね」
真剣な表情で部屋を出るシンジに、ヨシュアはそう声を掛けた。クーデター事件が終わって平和が訪れたのに、まるで戦場に送り出すかのようだ。しかしシンジにとってアスカにホテルの個室へと呼び出される事は、今までの恋人未満の関係に終止符を打つと言う事だ。真剣な表情をしていても不思議ではない。シンジはアスカと待ち合わせをしている王都のホテルへと向かって部屋を出て行った。
ヨシュアもエステルに大事な話があるから部屋で待っているようにと言われていた。このタイミングでヨシュアはエステルとの約束を果たすつもりでいた。エステルと出会う前の自分の過去を明かすと言う話だ。
その事をヨシュアに決意させたのは、少し前に東街区のベンチ広場で交わしたアルバ教授との会話だった。
(……エステル、父さん……僕は……)
アルバ教授はエステルがアイスクリームを買いに屋台に向かい、アスカとシンジが内緒話をしに遠く離れた場所に移動して、一人で東街区の広場のベンチに残ったヨシュアに偶然に会った風を装って、穏やかな笑顔で話し掛けて来た。
「おや、ヨシュアさん。そんな厳しい表情でどうしました? せっかくのデートなんですから、もっとにこやかな顔をしないと心配されてしまいますよ」
しかしヨシュアは鋭い目でアルバ教授をにらみつけ続けた。
「最初に会った時から、あなたと居ると体の震えが止まりませんでした。今はもう慣れましたけど……」
「はて?」
アルバ教授はとぼけた顔でそう答えた。
「各地で起きた事件に関わった記憶を消された人たち……あなたは《四輪の塔》の調査という名目で、タイミング良く事件が起こった現場の周辺に居た……」
ヨシュアの追及に対して、アルバ教授は無表情で何も答えなかった。
「確信を抱いたのは、僕自身の記憶です……僕は一人で何度もあなたと会った記憶がある。でも何を話したのか、一切覚えていない。会ったという記憶の方が僕の思い違いならともかく、真実は逆なのだとしたら……!」
そのヨシュアの言葉を聞いたアルバ教授は、今まで見せた事の無い性悪な表情を浮かべて笑い出した。
「認識と記憶の操作は完璧だと思っていたが、欠片でも記憶が残っていたか。私の作った操り人形の中では優秀な方だな」
「人形……!?」
アルバ教授の言葉を聞いたヨシュアは、驚いた顔でアルバ教授を見つめた。アルバ教授はヨシュアに、青い錠剤を差し出した。
「その薬を飲めば、私の掛けた暗示が解かれる。“本当の自分”を知りたくないか、ヨシュア・アストレイ?」
ヨシュアは一瞬だけ戸惑ったが、アルバ教授の手から青い錠剤を受け取り、飲み込んだ。ヨシュアの頭に失われた記憶のイメージがフラッシュのように流れ込んで来る。
自分の住んでいた村を焼き払った兵士たち、悲鳴を上げながら殺されて行く村人たちや自分の両親。幼い自分を庇って兵士の剣で背中を斬られ、ハーモニカを託して息絶えた自分の姉。
ヨシュアは姉の命を奪った兵士を、落ちていた剣を拾って斬り殺した。子供だと思って油断していた兵士は自分が死んだのも分らない顔をしていた。廃墟となった村に現れたアルバ教授。
アルバ教授に引き取られたヨシュアは暗殺者として育てられ、何人もの人間の命を奪った。そしてカシウス・ブライトの暗殺命令を受け、返り討ちに遭ったヨシュアはカシウスに保護されてエステルと出会う……。
「あなたは……第三の使徒、ゲオルグ・ワイスマン!」
「壊れた君の心を縫い合わせてあげた私の事を思い出したようだね」
ワイスマンは眼鏡を人差し指で押し上げながら、愉快そうに笑ってそう言った。
「《執行者》ナンバー13。《漆黒の牙》……ヨシュア・アストレイ。それが君の本当の姿だ」
「あなたが今回の事件の真の黒幕だったんだな!」
ヨシュアはワイスマンに向かって厳しい表情でそう怒鳴った。
「それで……僕を始末しに来たというわけですか」
ただではやられないと、ヨシュアは双剣を抜いて構えた。
「計画の第一段階が無事完了したのも、君の協力があってこそだ。だから君に御褒美をあげに来たのだよ」
「僕があなたたちの計画に協力!? でたらめを言うな!」
ワイスマンの言葉を聞いたヨシュアは大きな声で怒鳴り返した。
「君が私と何を話していたのか……その内容は気にならないのかい?」
そうワイスマンに尋ねられたヨシュアは必死に思い出そうとするが、頭にモヤがかかったようで一字一句も思い出せなかった。その部分の記憶はワイスマンに消されているようだ。
「この計画はカシウス・ブライトがリベール国内に居ては出来なかった。リシャール大佐がクーデターを起こしても、潰されてしまうからね。だから君を使って、彼が国外に出る工作活動をしたのだよ。君の本当の役目はカシウスの暗殺ではなく、スパイだったのさ」
「嘘だ……」
ワイスマンの言葉を聞いたヨシュアは、膝から崩れ落ちた。
「この五年間、君は定期的に遊撃士協会とカシウスの動向を我々に報告してくれた。カシウスの性格の細かい部分まで報告してくれた君のお陰で、我々は上手くカシウスを帝国まで誘導する事が出来たのだよ」
「僕はずっとエステルと父さんを裏切っていた……?」
ヨシュアの目から涙があふれた。家族として暮らす事が、ワイスマンの計画に協力する事になっていた事はヨシュアにとって大きなショックだった。
「そのお礼に、君を自由にしてあげる事にした。おめでとう、これからは『ヨシュア・ブライト』として生きるがいい」
そんな事、出来るはずが無いとワイスマンは分かった上でヨシュアにそう告げているのだ。どこまでも残酷な男だった。ワイスマンは遠くからシンジがこちらに戻ってくることに気が付いた。
「そうだ、異邦人の彼には我々の計画に協力してもらいたい事がありますので、お借りしますよ」
ワイスマンはヨシュアの耳元でそう囁いた。シンジがヨシュアとワイスマンに近づいた時には、既に二人は『正遊撃士ヨシュア』と『アルバ教授』の関係に戻っていた。
「ヨシュア、部屋に居るの?」
ヨシュアが部屋で長い物思いにふけっていると、部屋のドアをノックするエステルの声が聞こえて来た。ヨシュアは自分が暗い思考に囚われていた事を悟られないように、笑顔を作ってエステルを出迎えるのだった。
3
グランセル城を出たシンジは、北街区の《ホテル・ローエンバウム》の201号室でその時が来るのを待っていた。シンジはただアスカの胸を触れる事だけに釣られたはなかった。
アスカに呼び出されて二人きりになると言う事は、アスカから恋人として認められることを意味する。この世界に来てから、アスカは頼る相手が自分しか居ない事もあって、アスカが好意を持ってくれている事は感じていたが、それが家族としてのものだけだとしたら寂しい気がしたのも事実だった。
シンジにはアスカがこの世界で恋人を作って自分から離れて行ってしまうかもしれないという不安もあった。アスカがはぐらかしてストレートに気持ちを示してくれない性分だとシンジは分かっていただけに、今回のアスカからの誘いにハッキリと応える必要があると思った。
しばらく待っても誰も姿を現さない。もしかしてからかわれただけなのかもしれないとシンジは少し不安になった。
(そういえば、クローゼさんって……ボクの事好きなの……かな?)
唐突にそんな考えがシンジの頭に浮かんだ。エルベ離宮で突然抱き付いて来た事や、時折シンジを見つめる視線などから、鈍いシンジでも薄々クローゼの好意には勘づいていた。少なくとも嫌われてはいないはずだ。
(でもボクがもしクローゼさんと付き合っても、相手は王女様なんだから結婚出来るわけないよね。……ってボクが結婚する相手はアスカだよ、ゴメン!)
浮気がバレたかのように、心の中でシンジはアスカに謝った。そして自分が妄想した内容に気が付いてシンジは顔を赤くする。
(アスカと結婚だなんて、ボクは何を考えているんだ、先走り過ぎだろう!)
そんな事を考えているうちに、シンジは眠くなって来た。辺りには霧のようなものが立ち込めている。部屋の中で霧が発生するなど絶対に変だと思いながらもシンジは睡魔に抗えなかった。
ベッドに腰掛けていたシンジはそのまま仰向けになって倒れた。怪しい霧が晴れると、部屋の中にはシェラザードよりも色気のある、露出の多い東方風の服を着た妖艶な女性が立っていた。
「私の《睡魔の霧》が効いたようね」
手に持っていた扇子を広げて、その女性はぐっすりと眠りに落ちているシンジを見下ろした。
「坊や、せめて幸せな夢が見られると良いわね……」
その妖艶な女性は同情しているのか、からかって笑っているのか、感情の入り混じった複雑な表情でシンジに声を掛けた。王国軍の兵士の格好をした二人組が部屋に入って来て、寝ているシンジを両脇から抱え起こした。
ホテルの従業員や宿泊客たちは《睡魔の霧》によって深い眠りについている。外の通りでシンジを連れている姿を目撃されても、一般市民には怪しまれないだろうと計算されていた。
「あんた、私に感謝しなさいよ。私の幻術のサポートが無ければ、あの娘に上手く化ける事は出来なかったんだからね」
妖艶な女性は部屋の外に居る人物に向かってそう呼びかけた。
「ふふ、あの場で胸を触られていたら、さすがの貴殿の幻術でも誤魔化せなかったよ」
部屋の外に居る人物は仮面を付けたキザな細身の男性だった。この男性がアスカがエステルとアイスクリームの屋台に行っている隙に、アスカに変装してシンジと話していたらしい。
この集団はシンジをどこへ連れて行くつもりなのか。シンジをホテルから運び出した王国軍の兵士に変装した二人組は、遊撃士協会の前を避ける形で遠回りをしながら王都の外へと去って行ったのだった。
4
その頃、グランセル城の空中庭園ではエステルとヨシュアの二人が城下の街を見下ろしていた。ヨシュアはハーモニカで『星の在り処』を吹いている。その音色は城の中へと響いていた。
「……月が綺麗ね」
「そうだね」
ヨシュアに普通に返されたエステルは、首を捻った。アスカの話によれば、月が綺麗だと言う事はあなたが好きですと告白するのと同じ意味だと言うのに。エステルは気を取り直してヨシュアに話そうとした。
「あの約束を果たさせてくれるかな。僕が君に会うまでの事を話したいんだ」
先に言葉を発したのはヨシュアだった。
「えっ、でも本当に平気なの?」
「エステル、君に聞いて欲しいんだ」
真剣な表情でそう語るヨシュアに、エステルは黙ってうなずいた。
「昔、甘えん坊で気の弱い男の子が居ました。その子の住んでいた村は貧しかったけど、温かい家族と村の人々と過ごせて、その子は幸せな毎日を送っていました。しかしある日悲劇が降りかかりました。その子の住んでいた村が略奪に遭ったのです。家は焼かれ、ほとんどの村の人たちの命が奪われました」
エステルはヨシュアの生まれた故郷の話を聞いた事が無かった。まさか、そんな事があったなんて思いもよらなかった。
「その男の子は生き残る事は出来ましたが、惨劇を目の当たりにして心が壊れてしまいました。ただひたすらに、姉の形見のハーモニカを吹き続けるだけの日々。世話をしてくれた人の呼び掛けにも答えず、男の子は機械のようにハーモニカで『星の在り処』を繰り返していました」
エステルは『星の在り処』についてヨシュアが特別な思いを持っている事を知った。軽い気持ちでヨシュアに吹く事をせがんでいた自分を後悔した。
「そんな男の子の元に、一人の魔法使いが訪れました。『私がその子の心を治してあげよう。ただし、代償は支払ってもらうよ』とその魔法使いは言いました。男の子の世話をしていた人は悩んだ末に、男の子を魔法使いに任せる事にしました」
ヨシュアの世話をしていた人、その魔法使いについて、エステルは初めて聞く話だった。だからどこの誰なのか見当もつかない不安を感じた。
「その魔法使いは、男の子を自分の好きなように作り変えました。新たな心を手に入れた男の子は、魔法使いの思いのままに動く人殺しになっていました。何年もの間、男の子は数えきれないほどの命を奪いました。男の子が住んでいたような村を全滅させた事もあります。男の子は優秀な化け物へと成長して行ったのです」
罪の無い人々の命を奪う、遊撃士とは対極とも呼べる行為をヨシュアはエステルと出会う前にやっていたのだ。自分を化け物と呼ぶヨシュアの姿にエステルは胸がとても痛んだ。
「魔法使いの命で暗殺を繰り返して行くうちに、その男の子は《漆黒の牙》と呼ばれ、闇の組織の一員となっていました。ある日魔法使いは大陸で4人しか居ないと言うS級遊撃士の暗殺を男の子に命じました。しかしその遊撃士は強すぎて、戦いを挑んだ男の子は撃退されてしまいました」
そのS級遊撃士の事は父カシウスの事だとエステルは思った。
「任務を失敗してその場を離れた男の子の前に、魔法使いの手下たちが現れました。暗殺の標的に顔を知られてしまった男の子を始末しようとやって来たのです。しかし、暗殺の標的であったその遊撃士がその男の子を助けました。そしてその男の子はその遊撃士の家に連れられて、一人の女の子と出会いました……」
カシウスがヨシュアを抱いて連れて帰って来た日の事はエステルも覚えている。エステルは死んだ母さんを裏切って新しい女を作ったのだとか大騒ぎしたものだった。
「それから男の子は何年もの間、素晴らしい夢を見る事が出来ました。本当なら、その男の子はそんな夢を見る事すら許されていないほど、両手は真っ赤な血で汚れていたのに……」
自虐的にそう話すヨシュアを、エステルは深い悲しみを感じながら見つめていた。ヨシュアはこんなにも苦しい思いを抱えていたのかとエステルは胸が痛くなった。
「でも夢が覚めて現実に戻る時がやって来ました。……これで、僕の話はおしまいだよ。最後まで耳を塞がずに聞いてくれてありがとう」
エステルは無駄だと判っていながらも、聞かずにはいられなかった。
「悪趣味な作り話……って事は無いわよね? つい大げさに話しちゃったとか」
「残念だけど、全部……実際にあった話だよ」
ヨシュアの言葉を聞いたエステルは沈痛な面持ちとなった。
「僕は君たちの側に居ながら、君たちを裏切り続けていたんだよ。リシャール大佐のクーデター事件も、シンジが奴らにさらわれたのも、全部僕のせいだ!」
頭を手で抱えながらヨシュアは大声でそう叫んだ。エステルはヨシュアを抱き締めて慰めてあげたかったが、ヨシュアは手を伸ばしてエステルが近づくのを拒否した。
「僕は魔法使いからシンジを助けに行く。危険な旅になるから君たちを巻き込むわけにはいかない」
ヨシュアが真剣な表情でそう言うと、エステルは怒った顔でヨシュアをにらみつけた。
「いい加減にしなさいっての!」
そう言ってエステルが強引にヨシュアの肩を掴むと、ヨシュアは驚いた顔になった。
「今まで夢を見ていたなんて言わないでよ! それじゃあ、今までの事が無かったことになるじゃない! 昔の事なんて関係無いわ! 心が壊れたなんてただの言い訳よ!」
エステルの涙声を聞いたヨシュアは思わず目を逸らした。
「あたしの目を見て話を聞きなさいよ! あたしはずっと……その男の子の事を見て来たわ! その男の子が何かに苦しみながら必死に努力して来た事は分かってる!」
深呼吸をすると、エステルは大きな声で叫ぶ。
「あたしはそんなヨシュアが好きになったのよ!」
エステルの告白を聞いたヨシュアは驚いた顔になった。
「一人で行くなんて許さないからね! 三人で力を合わせてシンジを助けに行くのよ! あたしを……あたしの気持ちを置き去りにして消えるなんて、絶対にダメなんだから!」
「……エステル……」
エステルの言葉を聞いたヨシュアは真剣な表情でエステルと向き合った。そして……ヨシュアの方からエステルの唇に迫った。思わぬファーストキスに戸惑うエステルだったが、ヨシュアと目を合わせると小さくうなずいた。
(……ヨシュア……)
自分の気持ちにヨシュアが応えてくれたとエステルは胸が熱くなった。しかしエステルは弾かれるようにヨシュアから身体を離した。
「ヨシュア、あたしに何を飲ませたの……?」
「……即効性のある睡眠薬だよ。副作用は無いから大丈夫」
エステルの質問にヨシュアはそう答えた。エステルは急激に身体の力を抜いて腕をだらんとさせた。立っていられなくなったエステルは膝を地面に付きながらも腕の力で何とか上半身を起こしてヨシュアに問い掛ける。
「そんな……ひどいよ……どうして……?」
「僕のエステル……太陽のような君。君は僕の闇を照らしてくれた。それが眩しすぎて辛いと思う事もあったけど、君と出会えて良かった。シンジなら、こんな風に大切な女の子から逃げ出す事はしないと思うけど……だからなおさら、アスカと引き裂かれたシンジを助けてあげたいんだ」
意識を失いかけているエステルにヨシュアはそう話し掛けた。同時に自分に比べてシンジの心は強いものなのだとヨシュアは思った。数年前にブライト家に来た時は、人の顔色をうかがう、気弱な男の子だと感じていたのに。
「信じて、僕は誰よりも君の事を愛している」
自分でも残酷な言葉だと思いながらもヨシュアはエステルにそう言わずにはいられなかった。
「……ヨシュア、……ヨシュア、行かないで……」
力を振り絞って、それでも弱々しい声で呼びかけるエステルの姿をヨシュアは見つめた。意識が落ちるのも時間の問題だろう。
「エステル、今まで本当にありがとう。大好きな君と過ごした毎日の事を僕は忘れないよ……さよなら」
ヨシュアは笑顔でエステルにそう声を掛けると、空中庭園から身を翻して姿を消した。人目につかないようにこっそりと城を出る。王都に出たヨシュアの顔は《漆黒の牙》に戻っていた。
5
その頃、グランセル港で待っていたアスカは、約束の時間になるのを今か今かと待っていた。シンジは遅刻するようなタイプではない。むしろ約束の時間より早く来て待っている方だ。
だから約束の時間を過ぎたアスカが港を離れてシンジを探し始めてもおかしくはない。戦術オーブメントには時刻を表示する機能が付いているので手違いが無いように何度も確認した。
アスカは城へ戻り、一直線にシンジの部屋へと向かう。部屋には誰も居ない。アスカもそれは分かっていたが、シンジの現状を思うと心が痛んだ。
(敵をあぶり出す為にシンジを囮にするなんて、ツライ事だけど……すべてが終わったらシンジに“お礼”はするから……)
アスカはそう心を決めると、空中庭園への階段を昇った。庭園の中を歩き回ったアスカは、倒れているエステルを見つけると駆け寄った。
「どうしたのエステル? 何があったの!?」
アスカが大声で尋ねても、エステルからの返事は無い。エステルは深く眠ってしまったようだった。アスカはエステルを起こそうとエステルの身体を揺さぶるが、エステルは目を覚まさない。
エステルの身体を離したアスカは、空中庭園を出て談話室に居るシェラザードたちに助けを求めた。アスカが談話室に来た事で、シェラザードは事態を理解したようだった。
「これは……誰かに睡眠薬を盛られたわね」
エステルを診たシェラザードは厳しい表情でそう言った。シェラザードは多少睡眠薬に関する知識はあるのだと話した。シェラザードは眠気覚ましにも利く香水を取り出すと、エステルに嗅がせた。
目を覚ましたエステルは、ヨシュアに睡眠薬を飲まされたのだと言った。そしてシンジが悪い魔法使いに誘拐され、ヨシュアが一人で助けに行ってしまった事も話した。聞いていたアスカとシェラザードは真っ青な顔になった。
「アタシのせいだ……油断してこんな偽の手紙に引っかかったから、シンジは……」
「落ち着きなさいアスカ! 気を抜いていたのはあんただけじゃない、私もよ!」
シェラザードがアスカの両肩を掴んで激励した。とにかくヨシュアとシンジの行方を手遅れになる前に探さなければならない。グランセル城は蜂の巣を突いたような大騒ぎになった。カシウスや遊撃士たち、王室親衛隊や王国軍も総力を挙げて二人を探したが、消息はつかめないまま夜明けを迎えてしまった。
「何よ、あの大きな飛行船は……!?」
アスカと一緒に王都郊外を探していたエステルは、エルベ周遊道の方から飛び立った、巨大な紅い空中戦艦を見て驚きの声を上げた。王国軍の警備艇が十隻は格納できるであろう空母を思わせる巨体、大きく口を開けた主砲と多数の自動砲塔を備えたその戦艦は、王室親衛隊の白き旗艦《アルセイユ》の数倍の大きさを誇る。
あれがヨシュアの言っていた『悪い魔法使い』の戦艦ではないかとアスカは直感した。それならばさらわれたシンジも、助けに行ったヨシュアもあの巨大戦艦の中に居るはず。止めなくてはならない。行かせてはならない。
アスカはそう思ったが、巨大戦艦を見上げるだけで成す術も無く、巨大戦艦は彼方へと飛びさろうとしていた。しかしその時、巨大戦艦の主砲が大爆発を起こした。続いて自動砲塔の辺りからも次々と爆発が起き、巨大戦艦は動きを止めた。
さらに戦闘艇の格納庫からも爆音と煙が上がり、巨大戦艦の攻撃手段が完全に封じられると、雲の中から王室親衛隊の飛行艇《アルセイユ》が姿を現した。あの船にはこの世界で最も頼りになる男が乗っている。
空を見上げるエステルとアスカは手を握り合って、カシウスがシンジとヨシュアを連れて帰って来てくれる事を信じて祈った。本当は自分たちの手で二人を助け出したかった。しかしあの狡猾なワイスマンを騙すには大掛かりな芝居をするしかなかった。ワイスマンは監視者を通じて自分たちの動きを見ていると考えたカシウスは作戦を立てたのだ。
6
爆炎を上げる巨大戦艦《グロリアス》の甲板で、怒りに震えるワイスマンの姿があった。向かい合うのは飛行艇《アルセイユ》から飛び降りたカシウスとヨシュア、独房から救い出されたシンジだった。
「この船はもう終わりだ。助かりたければ、お前さんも大人しく投降して《アルセイユ》に乗るんだな」
カシウスに声を掛けられたワイスマンは、カシウスには答えずにヨシュアを憎らし気に睨みつけた。
「《漆黒の牙》、貴様が結社に戻って来た理由がこの船に爆発物を仕掛けるためだったとはな……」
怒りに燃えるワイスマンは、気取って話す心の余裕が無くなっていた。
「ワイスマン、お前たちの計画は順調だったかもしれないが、わざわざヨシュアに正体を明かしたのは余計なミスだったな。お前の意地の悪さのお陰で、俺たちはお前たちの暗躍に気が付くことが出来た」
「おのれ……カシウス・ブライト……!」
カシウスに自分の慢心を指摘され、図星を突かれたワイスマンは歯ぎしりをして悔しがり、カシウスを目を大きく見開いてにらみつけた。
「お前はヨシュアを追い詰めれば、自分の思い通りに動くと考えていたのだろうが、ヨシュアは操り人形ではない。シンジと出会って成長して、逃げる事を止めたのさ」
カシウスの言葉を聞いたヨシュアとシンジの表情が明るくなった。ヨシュアが一人で抱え込んで逃げ出してカシウスたちに打ち明けなかったら、ワイスマンの思い描く結末になっていただろう。
「結社の他の連中は全員投降したぞ。お前も元七耀教会の司教だ、悔い改める機会があるのは知っているな?」
遊撃士であるカシウスは救える命があるのならば、悪人であっても助けなければならない。しかしワイスマンは自分の計画が崩れた怒りからカシウスの言葉に耳を貸さなかった。
「……仕方ない、それっ!」
そうつぶやいたカシウスは、棒術でワイスマンを気絶させた。考え事に夢中だったワイスマンを捕えるのはカシウスにとって簡単な事だった。気絶したワイスマンを担いだカシウスは、シンジとヨシュアと一緒に、近くに寄った《アルセイユ》の甲板に乗り移った。
「悪の箱舟の最期だな」
カシウスたちの目の前で、巨大戦艦《グロリアス》は仕掛けられた全ての爆弾が起爆し、爆散した。エルベ周遊道の上空だった事もあり、街への被害は少なかった。
7
その後、夜明け空の下でシンジと再会を果たしたアスカは、シンジに飛び付いて抱き付いて熱烈なキスをした。それだけ自分の気持ちを抑えきれなかったのだろう。数秒間に渡るキスの後、真っ赤な顔をしたシンジに肩を叩かれたアスカはあわててシンジの腰に回していた両腕を離した。
「本物のアスカにキスしてもらって良かったじゃない、シンジ」
ニヤケ顔のシェラザードをはじめとした遊撃士たちがその場に集まっていた。若い女性遊撃士アネラスは驚いた顔でアスカたちを見つめて固まっていた。その他の先輩遊撃士たちも温かい視線を向けて来る始末。
グランセル城の空中庭園からはクローゼやアリシア女王がこちらを見下ろしている感じがしたシンジとアスカは、揃って顔を真っ赤にした。エステルの隣にはヨシュアが立ってお互いの手を握っている。
「ワイスマンの計画は止める事は出来たけど、《伝説のアーティファクト》や結社の事とか、まだ分からない事は多いわね」
「そうだな。だがお前たちが全て抱え込む必要は無い。大陸中に居る仲間と力を合わせて解決すれば良い」
エステルに対して、カシウスはそう答えた。遊撃士協会もリベール王国だけでなく、様々な国に支部がある。王国軍や七耀教会の協力も得られるはずだ。結社の事件だけに構っているわけにもいかない。遊撃士の力を必要としている人々はたくさん居るのだ。
「さてと、俺は城へと戻るとするか。これから投降した結社の一味をレイストン要塞まで護送せねばならん」
グランセル城にも非常時用の牢屋があるが、監獄があるのは王国軍の本部があるレイストン要塞だ。リシャール大佐のクーデター事件の事後処理もほとんど終わったカシウスは、王国軍の立て直しのためにも王都からレイストン要塞へと行く事になっていた。
「お前たちはとりあえずロレントに戻るんだろう? それならば、レナによろしく言っておいてくれ」
エステルたちが旅立った後、ロレントにあるブライト家は長い間無人となってしまった。ロレントの街からエステルたちの面倒を見てくれていたステラ夫妻や、幼馴染のエリッサやティオなどが定期的に掃除に来ているらしいが、寂しい事には変わりない。
正遊撃士になったエステルたちは自由に所属を決められる。四人は話し合ってロレント支部の所属になる事にしたのだ。グランセル支部の受付エルナンは笑顔で四人を送り出してくれた。
遊撃士協会グランセル支部には、遊撃士たちとその仲間たちの集合写真が飾られている。事件解決を記念して、王都に集まった皆に声を掛けてドロシーが撮った写真だ。
中心に居るのは事件解決の最大の功労者であるカシウス・ブライト。その近くでは家族であるエステル、アスカ、ヨシュア、シンジ。先輩に当たる遊撃士の面々。クローゼやティータと言った協力者も写真の中では笑顔で写っている。
「次の集合写真では、アタシがセンターになるからね!」
「こんな大事件、そうそう起きて欲しくないよ」
腰に手を当てて宣言するアスカに、シンジはウンザリとした顔でため息を吐いた。
「別にリベール王国に限った話では無いわ。大陸を揺るがすような事件をアタシたちの手で解決するのよ!」
そう言うアスカの瞳は、ブライトの名の通り、爛々と輝いていた……。
8
ロレントのブライト家に帰って来たアスカが提案したのは、部屋の模様替えだった。旅立つ前はアスカとエステル、ヨシュアとシンジが同室だったが、それをエステルとヨシュア、アスカとシンジの組み合わせに変えようと言うのだ。
それって模様替えとは言わないのでは、とシンジのツッコミが入ったが、顔を赤くしたエステルも反対しなかったので、そのアスカの提案は受け入れられた。ヨシュアの荷物が運び出され、アスカの荷物を運び込む。
その中には少ないながらもリベール王国各地を旅して手に入れた思い出の品も入っている。荷物運びや家具の再配置などに追われたエステルたちは遅めの夕食を食べた。
「明日は朝早くから遊撃士協会のアイナさんの所に顔を出すんだから、夜更かしは厳禁よ!」
アスカは部屋へと戻るエステルとヨシュアにそう釘を刺した。
「そう言うアスカこそ、早く寝なさいよ」
エステルも負けずにアスカにそう言い返した。夕食後の皿洗いを終えたシンジの手を引いて、アスカは部屋へと連れ込む。そしてアスカはお互いのベッドをくっ付けてシンジと添い寝をする体勢となった。
「勘違いしないで、シンジ。あくまでするのは添い寝だけよ」
アスカは静かな口調でそう言った。
窓から差し込む月明かりに照らされたアスカの顔は綺麗だとシンジは思った。
「……こ、子供なんかできちゃったら、遊撃士の仕事が出来なくなるじゃない。だから、S級遊撃士になるまでお預けよ!」
正遊撃士になったばかりなのに、気の早い話だなとシンジは苦笑していた。でも悠長に構えてなど居られない。G級遊撃士としてスタートを切った自分たちがS級に昇格するのに何年かかるのか。もしかしたら一生無理なのかもしれない。
「それなら僕たち、明日から一生懸命に遊撃士の仕事は頑張らないといけないね」
「今からプレゼントをあげるから、気合い入れなさいよ」
アスカはそう言うと、シンジの頭を抱き寄せて唇を重ねた。アスカの話だとキスでは妊娠しないからOKだそうだ。その後二人は身体を寄せ合って眠りに就いた。次の日の朝、太陽はいつもより強く輝いているように感じるのだった。
「おはよう。あんたたち、今朝は妙にやる気に満ちた顔になっているじゃない」
エステルたちがロレント支部の遊撃士協会に顔を出すと、受付のアイナと話していたシェラザードがにやけた顔で声を掛けて来た。今日の仕事終わりには、友人のエリッサの居酒屋《アーベント》で、酔ったシェラザードの質問攻めを受ける事になるだろう。
「間に合って良かったわ。あなたたちの正遊撃士の手帳が完成したの」
穏やかな笑みを浮かべたアイナが、エステルたちに真新しい手帳を渡した。
「さあて、アタシたちの正遊撃士としての初めての依頼は何かしら……」
アスカはキラキラと目を輝かせて白紙のページをめくった。
「オリビエさんを連れ戻す依頼だったじゃないか」
「アレは準遊撃士手帳に書いた依頼だから、ノーカウントよ!」
シンジにアスカはそう言い返した。そんなアスカを見てシェラザードがクスリと笑った。
「落ち着きなさいって。アイナが、とびっきりの依頼を用意しているそうよ」
「それで、どんな依頼なの?」
エステルが尋ねると、アイナは依頼の内容について話し始めた。
「クラウス市長からの依頼で……」
※こちらはあり得たかもしれない大団円のハッピーエンドとなります。エステル、アスカ、ヨシュア、シンジはロレント支部を拠点にしながらも、各地の支部に応援に行く事もあるかもしれません。外国に呼ばれたりする事も。
ワイスマンの組織の陰謀の全てを暴く事は出来ませんでしたが、リベール王国での活動にダメージを与えたと言う事で一応の決着は付きました。
LASの場面も最終話でもっと描きたかったのですが、話の長さから断念しなくてはなりませんでした。
この気持ちはSC編に持ち越そうと思います。
リシャール大佐やワイスマンなどがどうなったかのなどの後日談ですが、ifルートでもありますし、SC編を前に過剰なネタバレを避けたいので書きませんでした。
もしこのルートで後日談を書くのならば、アスカとシンジがデートや結婚式を挙げる話などを書きたいと思います。御意見お待ちしております。