よう相棒。まだ走れるか?   作:藤沢計路

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どうにか続きを更新することができました。ワォ、あんし~ん☆


Night butterfly「鬼針」

 夜の帳が下りた東京。無数の星が天に瞬き、月が静かに彼女たちを見守る。一方で地上の街並みは煌々と彩られ、絶えることのない人々の営みを育んでいる。その一角、都内の高級ホテル内にあるバーで、スーツ姿のサイファーはひとりワイングラスを傾けていた。

 

(この味、やはり変わらんか。いつ飲んでも、あの時の光景が目に浮かんでくる)

 

 グラスの中の赤い液体、カベルネを口に含み、舌の上で転がす。ぶどうの芳醇な香りと気品あふれる酸味が脳を刺激し、全身にまわったアルコールが彼を心地よい気分に誘おうとする。だが鬼神の心が満たされることはない。脳裏に浮かぶ光景、かつての相棒とふたりで飲み交わした時の光景が今でも忘れられずにいる。

 ベルカ戦争のひとつの転換点、敵に占領されていたウスティオの首都、ディレクタスはガルム隊の活躍によって解放された。その功績が称えられ、司令部からシャトー・ボロワーズのビンテージワインが届けられた。

 

(感傷なんてらしくないのは分かってる。だがピクシー、あんたはあの時満たされていたんじゃないのか? 自分の仕事に誇りを持っていたんじゃなかったのか?)

 

 希少なカベルネをお上品にあおりながら上気した頬で笑みを浮かべ、腹を割って話をしてくれた彼の顔が今でも頭から離れない。ワンマンアーミーだった自分が唯一相棒と認め、背中を預けるにふさわしい男と感じた。傭兵という職業をストイックにこなしながら、正義を信じ、そのために力を振るうことを誇りに思っていた。

 

 ――サイファー、自由を手にする民衆の声が聞こえるか! これが俺達の戦いだ!

 

 任務中に聞いた相棒の言葉がそれを如実に現わしている。本人はその思いを隠していたし、後に組むことになる傭兵仲間、PJとの会話でも冷徹な傭兵を貫き通そうとしていた。だが本当にそうなら、何故彼は裏切ったのか? 解放から侵攻に転じた戦争に心を痛め、世界を敵に回してまで全てをリセットしようとしたのか? その答えをサイファーは二度と聞くことはできない。その事実がサイファーの心に楔を打ち込み、鬱血し、それが今でも吐き出せずにいる。

 

(……こんなこと、あいつらには絶対話せないな。君も、俺がこうだと知ったらどう思うかね?)

 

 サイファーの手元に置かれた月刊トゥインクル、その表紙を飾るチームリギルの一員、かつてのチームメイトの姿を見つめながらカベルネをあおる。

 

「あら~? 珍しいじゃない、ひとりで飲んでるなんて。いつもは沖野君かおハナちゃんが一緒なのに」

 

 突如後ろから響いた女性の声に思わずサイファーはため息を吐いた。

 

「……たまにはそういう気分もある。あんたのせいでそれもぶち壊しだがな。いつもの白衣とおもちゃのサングラスはどうした?」

 

「ぶ~。こんなオシャレなバーにいつものカッコで来るわけないでしょ? あなたこそ、そんなグラサンなんて外しちゃいなさいな」

 

 そう言いながら女性はサイファーからサングラスをむしり取り、スルリと彼の隣の席に身を滑らせる。

 

「相変わらずだな、安心沢刺々美。妹のビューティーもそうだが、あんたらのマイペースっぷりはもはや尊敬に値するよ」

 

「ワォ、流石鬼神ちゃん。笹針に負けないくらい刺々しいコメントね。で~も~、そんなところが反抗期の子犬ちゃんみたいで可愛らしいわよ☆」

 

 呆れた目つきのサイファーを青い瞳で覗き込みながら、安心沢刺々美が愉快気な笑みを浮かべる。金髪のウェーブがかかったロングヘア―、女性らしい起伏に富んだ体を紅いドレスが彩っている。度々治療と称してトレセン学園に不法侵入し、理事長秘書に追い掛け回されている姿からは想像もつかない艶やかな姿だった。

 

「……今日は一体何をしに来た? まさか偶然鉢合わせしたなんて言うつもりはないだろうな?」

 

「え~、本当にそのつもりだったんだけど。まぁ強いてあげるなら勘かしら。あたしってば、困った人は放っておけない善良な笹針師だし☆ 現にシカメッ面のあなたもいたでしょ? まさにグッドタ~イミングだったわね」

 

「よく言う。だが丁度いいというのはあながち間違ってもないな。マスター、彼女にも私のカベルネを注いでやってくれ」

 

「あら、今日はやけに優しいじゃない? ようやくあたしの魅力に気づいちゃったとか?」

 

「……そうじゃない。これは礼だ。彼女を救ってくれたことへのな」

 

 刺々美のペースに飲まれぬように目を逸らしながら、サイファーが先ほどまで見ていた雑誌を彼女の前に置く。それを見て怪訝そうにしていた刺々美も納得した表情を浮かべた。

 

「あ~、なるへそね。確かにあたしの治療でこの娘が活躍できるようになったのは事実かも。でもそれはあなたが秘孔の位置を正確に見極めてくれたからだし、リギルのトレーナー、おハナちゃんを説得してくれたからでしょ?」

 

「逆に言えば俺にはそこまでしかできなかった。だからあんたには感謝してるんだ。俺も、フジもな」

 

 彼がつぶやきながら雑誌の表紙に視線を落とす。漆黒の勝負服に身を包み、ターフを走る姿が映えるひとりのウマ娘、フジキセキの姿がそこにあった。

 

  "麗しのウマ娘、二冠達成! リギル史上三人目のクラシック三冠に王手!"

  "リギルの強さの秘訣? 彼女の語る『鬼』の正体とは?"

 

 でかでかと添えられた見出しが彼女の功績を称えている。弥生賞を経て、皐月賞、そして日本ダービーも獲ってみせた。美しく、凛々しく、躍り出るように先頭に立ってゴール板を駆け抜ける。その様に誰もが魅了され、彼女の描く軌跡に注目している。

 

「はぁ~。あなたってホント謙虚なのかニブチンなのか分からないわね。そもそもあなたがあの娘の爆弾を発見してなかったら弥生賞で故障、最悪引退もあり得たって聞いたわ。もうちょっと自分を褒めてあげてもいいじゃない?」

 

「俺は俺の責務を果たしたまでだ。それを言うなら、当時はサブトレーナーの戯言と取られても仕方がない俺の言葉を信じてくれたあんたらがいたからこそ、彼女の治療が実現した。そのおかげで俺たちはフジを絶望させずに済んだんだ」

 

「いやいや。ブライアンちゃんやヒシアマゾンちゃん、ルドルフちゃんやエアグルーヴちゃんだって、あなたのおかげで三冠ウマ娘になれたんでしょ? そんなあなたが言うことをあたしやおハナちゃんが信じないはずないじゃない。立派なトレーナーさんがそんなこと言ったらバチが当たるわよ」

 

「立派なトレーナー? 俺がか?」

 

「そりゃそうよ~。この前のトライアルだっけ? あれでも、あなたが担当した部門の娘たちってみんな担当付いたんでしょ。やっぱりあたしの目に狂いはなかったってことね」

 

 うんうんと頷く笹針師の横で、サイファーは複雑そうな表情を浮かべる。彼がリギルを抜ける直前、置き土産のつもりでチームに所属するウマ娘たちのコンディションを確認した時、フジキセキの左足の動きに微かな違和感を覚えた。漠然とした気づきはやがて脚の過負荷を確信させ、精密検査の結果、腱繊維にわずかな損傷があることが判明した。

 

「……素直に受け取れんな。少なくとも今の俺には」

 

「うん? それってあたしなんかに褒められてもってやつ?」

 

「そうじゃない。あんたは見た目は奇妙奇天烈だし、行動も極端すぎる。だがウマ娘を助けたいという気持ちは本物だ。あんたが現れるのは、決まって心身に問題を抱えていて、笹針による治療が効果的な連中の前だけだしな。そんな使命を全うしようとするあんたを俺は尊敬している。だからあんたがたづなに追われている時も何回か匿ってやったし、取り成してやったりもした」

 

「ワ~ォ。……やばっ、ちょっと顔赤くなってきちゃった」

 

「それに比べて、未だに俺は自分の在り方に疑問を抱いている。当たり前だったものがなくなって、捨て去ったはずのものが目の前に広がっている。狭いと感じたはずの地上が広く、見上げる空がとてつもなく寂しい。腑抜けたか、戻りたいと思っているのか? 踏ん切りがつかない。こんな不純物が本当に彼女たちの傍にいてもいいんだろうか」

 

 アルコールの酔いにまかせて、サイファーがため込んでいた感情を吐き出す。戦争の中で生きてきたはずの自分が平和な世界を謳歌している。命の奪い合いを演じてきた鬼神がウマ娘の指導をしている。覚悟はできていた。それでも、かつての世界のことを忘れることなどできなかった。このままトレーナーとして生きていくということは、傭兵である自分を否定することになりかねない。あの世界での軌跡、業、未練、全てを消し去ることになる。

――弱くなったな、俺も。自嘲的な笑みを浮かべ、グラスに映り込んだ自分の顔を凝視する。

 

「は~い、じっとしてねー。ブスッ!」

 

 サイファーの胸元に手を添えた刺々美が、右の人差し指で彼の心臓をこずいた。

 

「おい、何のつもりだ?」

 

「何って、治療だけど? あなたの心に溜まったモヤモヤをドバッ! って追い出したの」

 

 悪びれもせず彼女が微笑みながらサイファーのほうへ向き直る。

 

「あなたのそれって、もしかしなくても前の仕事、傭兵稼業のことと関係してるわよね?正直あたしには想像できないことだし、しても意味なんてないことよ。でも鬼神ちゃん、あなたひとつ忘れてることがあるわよ」

 

「俺が? 何を?」

 

「あなたが自分のためだって言ってやってきたこと。それって全部、誰かを助けることにつながってるのよ。リギルの娘たちも、おハナちゃんも、あたしもね」

 

 そう言って決意を固めたように、刺々美が自分のカベルネを一気に飲み干す。

 

「ぷはっ! 正直今だからブッちゃけるけど、フジキセキちゃんの治療をあなたから持ち掛けられた時、全然自信なんてなかったのよ。これまでたいした治療なんてできてなかったし、師匠の下でお茶くみ、ゲフンゲフン、修行してたとはいえ、効果的な秘孔の場所なんて全然視えてなかったし。でもあなたはそんなあたしを信じてくれて、あの娘の秘孔を探るのを手伝ってくれた。あたしを怪しむおハナちゃんに頭下げてまで治療させてほしいって頼み込んでくれた」

 

「それがフジのためだったからな。患部の負荷軽減と再生促進、既存の薬や治療じゃどうしようもなかった。だからあんたの笹針が必要だった。適度な休養と血行の調整、筋組織の活性化。それができたから、今の彼女は未来に向けて走ることができている。全部あんたの手柄だよ」

 

「だから~、そもそもあなたがいなかったらそれも出来なかったのよ! ほんとーに感謝してるんだから。……結局あなたはそういう人なの。トレーナーだろうと傭兵だろうとそれは変わらない。どういう立場でいても、あなたはあなたなんだから、無理して答えを出そうとしなくていいじゃない? 空の上にいた鬼神も、今トレーナーをやっているあなたも、みんな認めてくれてるんだから」

 

 ワインで頬を上気させながら胸中を吐露する彼女の言葉を聞いて、サイファーは思い出した。戦場で多くの敵を屠ってきた一方で、多くの仲間を救ったきたこともまた事実であると。この世界で一命を取り留めた時、自分の力をウマ娘のために行使すると誓ったことを。それらは間違いなく、自分が起こした行動の結果だった。ふっ、と全身を蝕んでいた葛藤が霧散していくのを感じた。

 

「やめだやめ。あんたを見てたら色々と馬鹿馬鹿しくなっちまった。シンプルに考えればよかったんだ。変わる必要なんてない。俺は俺のまま、自分の道を歩いていく。傭兵だろうとトレーナーだろうと、俺は常にそうしてきた。そもそも簡単に答えが出るようなら、こんなに悩むこともないだろうしな」

 

「あら? 意外と早く立ち直ったわね。この後ベッドで治療の続きでもしてあげようと思ったんだけど」

 

「悪いが明日もトレーニングなんだ。そこまで世話になるつもりはない。だが礼は言っておく。……ありがとう」

 

「ちょっと~、そんな風に一蹴することないじゃない! まぁ、いつものあなたらしくなってくれたのは嬉しいんだけどね」

 

 少し残念そうにしている刺々美を見つめながら、サイファーがワイングラスを彼女に掲げる。

 

「もしよければ、もうしばらく二人で飲み交わさないか? 無論俺のおごりでだ。それなら勘定も安心、だろ?」

 

「んもぉ、それを言うならあんし~ん! でしょ。……まぁいいわ。今日のところはそれで満足しといてあげる。じゃあ気を取り直して、全てのウマ娘ちゃんたちのあんし~んのために乾杯!」

 

「乾杯」

 

 掲げられたグラスの先で二人の視線が交差する。ウマ娘の勝利と救済。追い求めるものは異なれど、時折道は重なり、新たな可能性が切り拓かれていく。酔いが回り、熱いまなざしで鬼神を自分側に引き込もうとする笹針師のアタックをいなしながら、サイファーはこれからのことを考える。

 

(まずは勝つ。そしてその先にある答えを見つける。新生ガルムの仲間たちと共に)

 

 暦はもうすぐ6月に差し掛かる。ガルムにとって初のG1レース、安田記念と宝塚記念がすぐそこに迫ってきていた。

 




いつもお読みくださる方々、感想を書いてくださる方々、誤字報告を送ってくださる方々、誠にありがとうございます。

安心沢刺々美のサポカイベントでビューティー安心沢の本名が出てきてびっくりしました。最近はIFスぺちゃんやルドルフのグループサポカ実装など、トレーナーをあらゆる意味で燃え上がらせるような要素が出てきて心が昂っております。

そろそろ次のオリウマ娘を登場させる予定です。

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