よう相棒。まだ走れるか?   作:藤沢計路

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Demon wolf「L'Arcの追憶」

 トレセン学園には二つの学生寮が存在する。その内のひとつ、ヒシアマゾンが寮長を務める美浦寮の宿直室で、サイファーは数日後に迫った夏合宿のスケジュールの最終確認を行っていた。

 

(大の男が女子寮で飼い殺しとは笑わせてくれる。おかげでずいぶん体を休めることはできたが)

 

 畳の上に胡坐をかいて座り、ちゃぶ台に置かれたマグカップを手に取ってコーヒーをすする。住んでいたマンションを引き払い、ほとぼりが冷めるまでトレーナー室で寝泊まりしていた彼だったが、秘密を暴こうとする者はトレセン学園内部にも存在していた。盗撮、盗聴、部室やトレーナー室への侵入未遂。行き過ぎた所業の数々に、ついに鬼神のキャパシティは限界を超えた。

 犯人の目星はついていた。何名かのトレーナー、清掃スタッフ、警備員。不届き者にガルムのメンバーがどれほど不安にさせられたか、それを体に叩き込んでやろうとトレーナー室を飛び出したところをブライアンたちに制止され、終いには駆け付けたルドルフやエアグルーヴたちによって捕縛されてこの場所へと放り込まれた。その後、理事長やシンボリ家、メジロ家によって一連の騒動は完全に鎮圧され、サイファーも次の合宿から職務復帰が許された。

 

(一対多。相手がウマ娘とはいえ女相手に情けないな。俺も、トレーナーとしてこの世界に馴染んでしまったということか。……あんたならどう思う、ピクシー?)

 

 生身と戦闘機では勝手が違う。そう分かっていても、サイファーは自分の傭兵としての感覚が徐々に薄れてきているのを感じていた。それがトレーナーとしての能力に還元できているのは幸いだが、このままいけば空に還ることは二度と叶わなくなる。その事実を振り払うようにコーヒーを一気に飲み干す。直後、部屋のドアがノックもなしに開け放たれ、ひとりのウマ娘が滑り込むように侵入してきた。

 

「よう相棒、邪魔するぜ。またヒシアマに博打をやっているのがバレちまってな。しばらくここに匿ってくれ」

「……お前に相棒呼ばわりされる筋合いはない。しかも仕事中に入り込んでくるとは、相変わらず躾けがなってないみたいだな。俺からヒシアマに連絡してやってもいいだぞ」

「チッ、つれないこというなよ。折角アンタの様子を見に来てやったんだ。後悔はさせねぇよ」

 

ひとさし指を口に当て、腰まで伸びた鹿毛の長髪を揺らしながら、そのウマ娘はサイファーの隣に座り込む。シリウスシンボリ。赫々たる天狼。知性と運動能力を兼ね備えたシンボリ家の星のひとつ。実力に裏打ちされた自信と、我が道を進む豪胆さ。凛々しい容姿と美貌で多くの後輩やファンたちを手懐けてきた。そして日本で唯一の偉業を成し遂げた英傑でもある。

 

「分かっていると思うが、ここは本来トレーナーがいてはいけない場所だ。気軽に会いに来られても困るんだがな」

「よく言うぜ。その割には寮の連中に馴染んでたし、相談にも乗ってたじゃねぇか。アンタも相当なタラシだな」

「俺という異物を受け入れてくれた彼女たちの役に立ちたかっただけだ。誰にでも尻尾を振るわけじゃない」

「そうかよ。なら、そろそろ私にも従順になってもらわないとな。どっちが子犬なのか、たっぷり教え込んでやるよ」

 

 シリウスがサイファーの顎に手を添え、顔を近づけながら不敵な笑みを浮かべる。一瞬、サイファーはドアの方に目を向け、彼女の手を払いのけてちゃぶ台に置かれたノートパソコンを操作する。

 

「お前も懲りないな。俺の飼い主は理事長、秋月やよいだけだ。それ以外の人間になびいたりはしない。お前の大好きなルドルフやラモーヌにもな」

「……んだと? 誰が皇帝サマのことなんか」

「それよりも、ちょうどお前に見せたいものがあったんだ。俺たちがよく知る相手からラブレターが届いたぞ」

 

 サイファーがディスプレイに英語で書かれたメールを表示し、シリウスがそれを覗き込む。

 

「…………チッ、アンタ、アイツと交流を持ってやがったのか?」

「たまに連絡を取り合う程度にな。俺がガルムを立ち上げてからは頻度が増えたが。お前が未だに俺のチームに入らないのが意外だと言っていたよ」

「ハッ! 当然だろ。皇帝サマの目があるような場所に好き好んでいられるか」

「まだそんなことを言っているのか。まったく、天下の凱旋門賞ウマ娘も、随分と器量が小さいもんだ」

 

 メールの送り主であるイギリスのウマ娘、リガントーナとシリウスシンボリ。共に凱旋門賞で争い、一着同着となったライバル同士。シリウスにとっては今でも決着がつけられていない因縁の相手だった。

 

「あの時は悪かったと思ってる。一からチームを立ち上げるつもりが、まさかブライアンたちまで俺についてきてくれるとは思わなかったんだ。彼女たちはリギル出身で、裏でルドルフが手を回したことも知っている。お前が気に入らないのは当然だ。……だが、本当はそうじゃないんだろ? お前ならブライアンたちを丸め込めるだろうし、ルドルフの干渉だって跳ね除けられる。お前はそれができるウマ娘だからな」

「……」

「あの時、凱旋門の大一番でリガントーナを振り切れなかった。だから自分はガルムの番犬にふさわしくない。そう考えてるんじゃないのか?」

「チッ。……あの時のアンタの作戦は完璧だった。勝てなかったのは、私が最後の最後でフヌけちまったからだ。あんな情けねぇ走りをしたまま、アンタを手なずけられるなんて思っちゃいねぇんだよ」

 

 サイファーの追及にシリウスが吐き捨てるように答える。フォルスストレート、偽りの直線前からスパートをかけ、他者の思考を乱しながら先行して逃げ切る。駆け引きを排し、負荷の少ないコースの選別のみに意識を傾け、接地時間を極限まで短縮したストライド走法で蹂躙する。無謀としか思えない作戦はライバルたちへのジャミングとなり、バ群がばらけてリガントーナの末脚を鈍らせた。それでも彼女はその状況を力ずくで跳ね除け、ゴール直前のシリウスに喰らい付いた。

 

「うぬぼれるな。あの時お前が全力を出せなかったのは俺たち大人の責任だ。まともな支援もできず、下らない諍いに君を巻き込んでしまった。ルドルフの不調も俺やハナに責任の一端があったかもしれない。お前が負い目を感じることはない」

「ふざけんじゃねぇ! それをアンタが言うのか? 私が連中に付き合いきれずに欧州へ飛び出した時、遠征を成功させるための資料や金を送ってくれたのはアンタだろ。自分の理論を証明するためだとか、モニター料とか回りくどい言い回しをした挙句、凱旋門賞の二ヶ月前にはリギルを抜け出して私のところに来やがった。そこまでアンタにさせといて、結局はお情けの同着に終わっちまった。この私の気持ちがアンタに分かるか?」

 

 赤く燃える瞳が鬼神を睨む。その奥にくすぶる屈辱や後悔の念を受け止めながら、サイファーが当時の記憶を思い返す。

 クラシック期のシリウスが日本ダービーを制した直後、ルドルフを中心とした海外遠征の計画が彼女の不調によって暗礁に乗り上げた。帯同者として渡欧予定だったシリウスにも無関係な話ではなく、彼女単体でも行かせようとする者、リスクと出資に見合ったリターンが得られないと拒む者、どちらにも与せず様子見をする者、様々な思惑の渦中に放り込まれることになった。それに業を煮やしたシリウスは半ば強引に海外へ渡り、孤立無援の戦いに身を投じた。

 

「分かるさ。お前の無念さは俺も、裏でお前を支援していたお前の親父さんたちも理解しているつもりだ。それにあの勝負に不満を持ってるのはお前だけじゃない。お相手のほうも白黒つけたがっている。だからわざわざこんなメールまでよこして再戦を望んでるんだ」

「……ジャパンカップで今度こそデーモンロードにアタシを刻み込む、か。私にはアンタに媚びてるようにしか見えねぇけどな」

「別にいいじゃないか。それでお前のリベンジマッチが成立したと思えば儲けものだろ。それに彼女の強さはとっくに俺の心に刻まれてる。あの破壊的な末脚が天狼星の輝きに勝るかどうか、その答えを俺は見てみたい」

「そうやって煽って、その気にさせようって魂胆だろ。言われなくても私は逃げやしねぇ。東京だろうがロンシャンだろうが、全てのターフは私が征服する。……アンタの浮ついた心もな」

「何だって?」

「アンタも自覚してんだろ。アンタはいつだって、私たちを見ていると言っておきながらどこか遠くを見ていやがる。リギルにいた時も、私といた時も、今のチームを率いている時ですら、心ここにあらずって感じだ。他の連中にも、散々言われているだろうがな」

 

 憎々し気にサイファーを睨むシリウスを前に彼は沈黙する。ベルカ戦争での経験をウマ娘のトレーニング、レースの戦術に活かすことは多々あるが、それだけではない。ふとしたきっかけで過去とのつながりを手繰り寄せ、郷愁の念に駆られることも珍しくなかった。シリウスの遠征に関しても、関係者たちが己の利益のために争っている光景は、当時のサイファーにベルカ戦争中盤の状況を思い起こさせた。

 ベルカがウスティオから撤退し、戦争の目的が反攻から侵攻へと転換した直後、様子見をしていた周辺各国はベルカの天然資源のおこぼれを頂戴しようと続々と連合軍への参加を表明した。その状況に彼のかつての相棒は戦争そのものに疑問を感じ、ある者はその様相を醜いパイの奪い合いと表現した。サイファーがシリウスを助けようとしたのも、それらが後に相棒の離反、国境無き世界によるクーデター、核の発射という最悪の事態を引き起こしたのを経験していたからだった。

 

「サイファー、いや、円卓の鬼神。アンタの戦争はもう終わったんだろ? だからこうしてトレーナーをやっている。なのに何で今も昔のことを気にしてんだ? アンタにとって私たちのレースが物足りないからか? 退屈だからか? アンタのほうこそ、うぬぼれてんじゃねぇのか?」

「口を慎め小娘。報酬の分はしっかりと仕事をこなしている。そこに個人的な感情が介在する余地はない。……ただ、強いて言うなら、今の俺は羽がもがれた鳥のようなものかもしれん」

「は? 突然何言いやがる」

「鳥は自由に空を飛べるが、翼を失えば何もできなくなる。餌を取ることも移動することもままならない。そうなれば死ぬだけだ。俺の場合、死ぬとまではいかないが、生きた心地がしないんだ。平和な世界は、戦争を生業にしてきた俺にとっては異常なことに思える。本当の意味で俺の世界は変わったが、俺自身は簡単に変われそうにない。過去を抱え、時々振り返って、俺の存在意義を確かめながら少しずつ、地に足を付けて歩いていくしかないんだ」

「っ! ……そうかよ」

 

 サイファーが己の心中を晒し、偽りのない彼の気持ちに触れたシリウスも視線を逸らす。

 

「で? アンタのその迷いはいつになったら断ち切れるんだ?」

「さぁな。一生彷徨い続けることになるかもしれない。それでも何とか前に進んでみるさ。この世界で俺が生きる意味も、その理由も見つけてみせる。ブライアン、スズカ、ヒシアマ。マヤノ、ターボ、ドーベル。チームガルムのウマ娘たちが刻む軌跡がその標になってくれる。俺はそう信じてるよ」

「何だよ、それ。アンタはひとりで全部乗り越えてきたと思ってたんだがな」

「それは間違いじゃない。俺はいつだって自分で道を切り拓いてきた。頼れるのは自分の力のみ。他人など当てにできない。だが信頼できる仲間はその限りじゃない。互いに助け合って困難を乗り越える。それもまた自分の力だ。だから俺は今、お前の目の前に立っていられるんだ」

 

 ガルム隊の二番機、かつての相棒であるピクシー。その後を継いだクロウ隊のPJ。的確な航空支援で作戦に貢献したAWACS、空中管制官のイーグルアイ。彼らだけではない。ウスティオ、ヴァレー空軍基地に所属していた他の傭兵、整備兵、基地のスタッフたちも彼の力となり、ベルカ戦争を駆け抜ける助けとなってくれた。誰かを頼るのは悪いことじゃない。それを知ることができたからこそ、彼はトレセン学園でトレーナーとしての職務を全うできていた。

 

「……ったく、何が鬼だ。だからどいつもこいつも夢中になったんだろうが。……アンタみたいに出来れば、私もアイツを……」

「シリウス、どうした?」

 

 顔を伏せながら彼女が何事かをつぶやく。怪訝に思ったサイファーが彼女に問いかけようとして、突如シリウスに飛び掛かられた。回避が間に合わずにウマ乗りされ、両手も彼女の腕に押さえられる。

 

「アンタに、ひとつ忠告しといてやる。確かにアンタなら自力で答えを出せるだろうな。今まで過酷な戦場を生き残ってきたんだろ。私の想像の及ばないような地獄の中で。けどな、アンタのルールがここで通用すると思ったら大間違いだ。一緒だと思ってた奴がいつの間にか消えちまう。そこにいるはずの奴が別の誰かに変わっちまう。アンタが過去に捕らわれている限り、頼りにしてるガルムの連中だってそうなるかもしれねぇ。あの皇帝サマのようにな」

 

 シリウスの指がサイファーの体を伝い、彼の顎に添えられる。

 

「それが嫌なら、方法はただひとつだ。……私のものになれ、鬼神。私のことだけ見て、他のものなんて全部捨てちまえ。過去もガルムも、アンタが探そうとしている答えもだ。そうすれば誰にも文句は言わせねぇ。全部私が黙らせてやる。私がアンタにふさわしいと証明して、飼い主として一生大事に可愛がってやるよ。お望みなら、女として満足させてやってもいいんだぜ。ん?」

 

 シリウスがサイファーにしなだれかかる。逞しい胸板の上で豊かな果実が形を変え、甘い吐息が鼻腔をくすぐる。彼女の顔が目前に迫り、少しでも動けばその距離は一瞬でゼロになる。励まそうとしているのか? 弱みに付け込もうとしているのか? 鬼神の頭の中でアラートが鳴り響く。起き上がりかけた自分の獣を理性で抑え、彼女に気付かれないようにちゃぶ台の上のスマホを掴む。

 

「シリウス。何となく察しはつく。だからこれだけは言っておく。俺は勝手に消えるつもりはないし、お前とはイーブンの関係でいたい。形だけの関係で縛られるのはごめんだ。俺をモノにしたければ、レースで誰よりも輝いてみせろ」

「信用できねぇな。アンタは誰かが縛らなきゃ、すぐにどこかに行っちまう。元の場所に帰れないようにするためのガルムなんだろうが、ルドルフもラモーヌも温すぎるんだよ。他の誰かに譲りはしねぇ。アンタのリードを掴むのはこの私だ。だから首を縦に振れ。私から離れるな」

 

 焦りと恐れ、かつてブライアンの中に感じたものとは性質が違う。シリウスは一度、大切な存在との決別を経験している。それを繰り返さないためにかつての同志、皇帝の作った巣穴から番犬を引きずり出そうとしている。そこまで想ってくれているシリウスにサイファーは応えたくなるが、今彼女に堕とされるわけにはいかなかった。スマホでLANEアプリを立ち上げて文字を打ち込む。直後、部屋のドアが鍵ごと蹴破られる。

 

「くぉらぁあああ、シリウス!!! アンタ博打だけじゃなくトレ公をタラシ込もうってのはどういう了見だい! 事の次第によっちゃあ折檻だよ!」

「おうおう、シリウスさんよお。お前さんの気持ちは分かるが、いくらなんでもやり過ぎじゃねえのかい? っと、大丈夫かいダンナ? このイナリ様が来たからにはもう安心だぜ」

 

 シリウスと話し始めた時から感じていた気配。誰かまでは分からなかったが、予想通りヒシアマと何故かいたイナリワンまで部屋に押し入りシリウスを引き剥がした。騒ぎを聞きつけた他のウマ娘たちもドアの前に殺到し、中の様子をうかがおうとする。サイファーがそれを宥め、助け起こしてくれた鹿毛のウマ娘、狐の面の耳飾りをつけた恩人に向き直った。

 

「すまん、イナリ。まさか君までいるとは思わなかったが、今回ばかりは本当に助かった。だがシリウスのことはあまり責めないでやってくれ。原因の一端は俺にある。何か聞かれたら、みんなにもそう言っておいてほしい」

「はぁ……。ちょいとドア越しに話は聞いちまったが、別にダンナは悪くねえだろ。相変わらず、仏さんより心の広いお人だな。ダンナみてえな奴のことをお人好しって言うんだろうぜ」

 

 イナリが呆れつつも感心したような笑みを浮かべる。その奥で口角をつり上げたシリウスと顔を真っ赤にしたヒシアマが口論を繰り広げていた。宣戦布告! ジャパンカップ! タイマン! 勝った奴が飼い主! 次々と言葉が飛び交い、聞き捨てならない単語もいくつか飛び出す。思わずサイファーの口からため息が漏れた。

 

(こんな騒ぎを起こしてしまった以上、もうこの寮にはいられないかもしれないな。それよりも、あの状態の彼女をどう説き伏せるべきか。すまんリガントーナ。君とやり合う準備ができるのはもう少し先になりそうだ)

 

 廊下から放たれる強烈なプレッシャー。穿つような冷たい視線を向けるメジロラモーヌを見つめながら、円卓の鬼神はこれから起こるであろう修羅場をどう切り抜けるか、考えを巡らせ始めた。

 

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