3月下旬。西に傾き始めた日差しがトレセン学園を照らし、植えられた樹木のつぼみから花弁が顔をのぞかせる。春の到来が目前に迫る中、二人のウマ娘が練習用のコースを疾走していた。前を行くサイレンススズカとそれを追うヒシアマゾン。勝負服ではない、トレーニングウェアであるジャージを纏っているが、その眼は本番さながらの様相を醸し出している。
三馬身ほど離れ、最終コーナーを回る。スズカが先に抜け、スパートをかけようとして異変に気付く。後ろにいたはずのヒシアマゾンがいつの間にか隣につけていた。慌てたようにスズカも脚に力を込めるが、わずかに体勢が乱れ、抜かされる。そのままヒシアマゾンがスズカを引き離し、勝敗がついた。ガッツポーズを取るヒシアマゾンと何が起こったのか理解できないスズカに、模擬レースを見守っていたサイファーが駆け寄った。
「ナイスラン、二人とも。ヒシアマは新しい走りが身についてきたな。その調子なら、まだまだ速くなれそうだ」
「おうよ。私だってガルムの一員さ。まだまだタイマンじゃ負けやしないよ」
ドンと胸を張るヒシアマにサイファーが頷き返し、今度はスズカのほうに目を向ける。
「スズカは、残念だったな。今回なぜ負けたかは分かるか?」
「……何となくは。いつもは最後の直線で伸びてくるヒシアマさんが、コーナーを抜けたあたりですでにスピードに乗っていて。それを見て動揺して自分の走りができませんでした」
「上出来だ。戦況を冷静に分析できるのもエースの条件だ。それはクリアしているみたいだな」
気落ちしているスズカをサイファーが労う。
「君の気持ちは何となく分かる。今まで自分のほうがいい走りが出来ていたのに、今回に限っては何もできずに負けてしまった。だがそれはある意味で必然だった」
「どういう、意味ですか?」
「ひとつはヒシアマが走り方を変えたことだ。ラストの直線に入る前にコーナーでスパートをかけ、最高速度を維持したままゴール板に突っ込む。有馬での敗北を機に編み出した対ブライアン用の走法だ。無論、通用するのは彼女だけじゃない。自分のルールに基づいてレースを走る奴にも有効だ。スズカ。君のようなウマ娘にもな」
「私にも、ですか?」
「それが二つ目の理由だ。君はスタート直後に前に出て、独走状態でレースをつくることを常としている。だからそれができないと途端にペースが乱れてしまう。今回のレースはヒシアマが自分の走りを完成させ、なおかつ君の弱点を突いたレース運びをしていたから勝ったんだ」
「そうでしたか。それでも、やっぱりくやしいです」
目を潤ませたスズカが顔を伏せる。おとなしそうな性格をしている彼女でも、レースにかける思いは相当に強い。だからこそ、サイファーも遠慮なく彼女にぶつかっていく。
「落ち込んでいる暇はないぞスズカ。今うちのチームは注目を集めてしまっている。特に君は奇跡の復活劇などと持てはやされている状態だ。そうなれば君の対策を練り、潰そうとしてくる輩も出てくるだろう。それに対抗するためには、今から君も勝ち方を考える必要がある」
「勝ち方ですか? これまでのように前に出るのではなく、走法を変えるということですか?」
「いや。そういうわけじゃない。もう君の強味を殺すようなやり方はさせたくないし、君のためにもならない。そうだな。例えば今のヒシアマに勝ちたかったら、トップスピードを封じる。あるいは乗せないような作戦をたてる必要がある。意図的に速度を落とし、詰まらせることで相手の動きを阻害する。そうして最後に急加速して相手を振り切る。加速力は君のほうに分があるからな。自分の走りではなく、相手の動きを見ることを優先すれば、そういったこともできるようになる」
「それは、難しそうですね。今までは自分らしく走ることだけを考えてきましたから」
スズカが戸惑ったようにつぶやく。
「まぁ、今のはほんの一例だ。相手に構いたくないなら、ひたすら自分を高めるという手もある。スピードを徹底的に鍛え上げて、誰も追いつけないような走りをする。爆逃げならぬ鬼逃げ。ターフを君の蹄跡で焼き尽くす。己の力のみを誇示する単純明快な勝ち方だ」
「鬼逃げ。トレーナーさんが鬼だから、ですか? ちょっと面白いですね」
「君までルドルフみたいなことを言うんだな。そういう意図はなかったが、それはそれでいいかもしれないな」
ほがらかな笑みを浮かべたスズカにつられて、サイファーも思わず笑顔になる。チームガルムに属してから、彼女は色々な表情をするようになった。籠の中の鳥が空に飛び立ったかのような解放感と幸福感がサイファーにも伝わってくる。それでも、勝負事に私情をはさむことはしない。
「ちなみにサイファーさんは私にはどんな勝ち方が向いていると思いますか? まずはそれを試してみたいのですが」
「悪いが、それは俺には決められないな」
「えっ?」
「俺はトレーナー。勝ち方は教えられるが、実際に走ってやれるわけじゃない。勝ち方を決めるのは君自身だ。この先はサイレンススズカにとっての生命線。他人に委ねることなく、自分で決めてほしい」
トレーナーの存在意義はウマ娘を導き、勝たせることに他ならない。サイファーはただその務めを果たす。彼の突き放すような言い方に呆然としていたスズカだったが、その真意を読み取ったように、深く頷いた。
「……分かりました。私色々考えて、やってみます。トレーナーさんのためにも、チームのみんなのためにも、私自身のためにも。だから、これからも支えてくれますか?」
「無論だ。俺はそのためにここにいる。改めてよろしく頼む、スズカ。一緒にトゥインクル・シリーズで生き残ろう」
サイファーとスズカ、どちらともなく突き出した拳を互いに合わせ、頷きあう。かつての英雄と未来のエース。熱と想いが肌を通して交錯し、更なる高みへ昇ることを共に誓う。
「あー、ちょいとアンタら。イイ感じになってるところ悪いけど、アタシもいることを忘れないでおくれよ。全く、トレ公も平然と担当の子を誑かしてるんじゃないよ。……アタシの苦労も知らないでさ」
見つめあう彼らに割って入るように、ヒシアマゾンがわざとらしく声をあげた。二人の行為を咎めているようにみえて、その実スズカの拳をうらやましそうに見つめていた。その視線を感じ、スズカが恥ずかしそうに手を引っ込める。それでも拗ねたようにそっぽを向くヒシアマゾンの肩を、サイファーが優しく叩いた。
「悪かったよヒシアマ。スズカだけじゃない。君にだって期待している。これからも互いに助け合っていこう」
「だぁああああ、急になにすんだいトレ公! びっくりするだろまったく! でもまぁ、そういうことならこれからもアテにさせてもらおうかね」
サイファーに触れられたヒシアマゾンが慌てて飛びのく。直後に息を入れて平静を装うが、頬はわずかに上気し、尻尾もブンブンと振れていた。そんな彼女にサイファーが微笑みかけ、仕切りなおすように手を叩く。
「よし。もうすぐコースの使用時間が切れる。もう一本模擬レースをやった後、トレーナー室でミーティングに入ろう。外でランニング中のブライアンも戻ってくるころだ。手早く済ませるぞ」
彼の号令を聞き、惚けていた二人のウマ娘たちに真剣な表情が戻る。
「あいよ。トレ公、そこからちゃんと見といてくれよ。ここんところは負け続きだったけど、次勝てば二連勝だ。手加減はしないよスズカ」
「望むところです。今度こそ、ガルムの一員らしく走ってみせます」
スズカとヒシアマゾンが闘志をたぎらせながらスタートラインに立つ。姿勢を低くし、構えながらゆっくりと前を見据える。
「二人とも、いい面構えになったな。最後の一本、今日一番の風になってこい。よーい、ドン!」
サイファーが合図を出す。同時にウマ娘たちが駆け出した。先ほどとは違い、スズカが序盤からハイペースで飛ばしていく。勝ち方を模索し、感触を確かめるようにターフを踏み抜く。その様子を楽し気に観察しながらヒシアマゾンも続く。だがターボ全開で飛ばした分、燃料切れも早い。最後の直線に差し掛かり、七馬身ほど離れていた二人の距離がどんどん近づく。セーフティーリードを保ちたいスズカだが、ヒシアマゾンの脚がそれを許さない。
(たった二人。それでもいい勝負だ。スズカもヒシアマも、今この瞬間に成長を重ねている。俺たちもうかうかしていられないぞ、ブライアン)
チームメンバーの躍動にサイファーも気合を入れなおす。先ほどのスズカの話は、昨年の年度代表ウマ娘だったナリタブライアンにも当てはまる。シニア級となった彼女はますます警戒され、マークされることが多くなるのは分かりきっていた。そんなブライアンを支え、勝ち続けさせなければならない。自分が戦うのではない、別次元のプレッシャーがのしかかるが、負けるつもりはない。生き残る。それがエースたるサイファーの義務であり、使命だった。
決意を新たにし、スズカたちのレースの行く末を見届ける。そこで違和感に気づいた。
(ん? 何だあいつ。今こちらを見ていなかったか?)
スズカたちの走るコースの端、コーナー付近にひとりのウマ娘がいた。赤い髪をポニーテイルで結わえている。それが突然全力疾走を始め、スズカたちへと突っ込んでいく。サイファーが即座に反応した。
「注意! 後方からウマ娘が接近してるぞ!」
大声を出し、二人に注意を促す。その声に反応し、スズカたちが後ろを振り向く。刹那、乱入者が大外から二人を追い抜いて二馬身ほど突き放し、鋭い挙動でインコースへと切れ込んだ。その走りを見て、スズカの顔が驚愕の色に染まる。
「あいつ、あの走り。まさか!」
サイファーの中にあるひとりのウマ娘の姿が浮かぶ。前を塞がれ、加速を削がれたスズカたちを尻目に、赤い髪のウマ娘が一番にゴール板を駆け抜けた。
「なるほど、この程度か。所詮は野良犬の集まりに過ぎないということか」
振り返り、後からゴールした二人のウマ娘を睨みながら、彼女がぼそりとつぶやく。その瞳にはサイファーの姿も写り込んでいた。
いつも読んでくださる方々、感想を書いてくださる方々、誤字報告してくださった方々、誠にありがとうございます。
今回の話の後半部分につきまして、あきらかにやりすぎな部分があったため、修正させていただきました。また、勉強はしているものの、特定のレースの出走条件を勘違いしてしまうなどのミスも目立ってしまいました。今後もお見苦しい点を晒してしまうかもしれませんが、都度改めていきますので、何卒よろしくお願いいたします。