よう相棒。まだ走れるか?   作:藤沢計路

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CHOKER ONE「ウマ娘たちの円卓」

 4月18日。中京レース場。小倉大賞典。マイル、中距離での飛躍を狙うウマ娘たちが集う1800メートルの舞台。そのゲート前に勝負服を身に纏ったサイレンススズカが佇んでいた。春風が頬をなぞり、右肩の赤いマントがゆったりとなびく。

 

(ついに来たわ。トレーナーさんとの特訓の成果。うまく出せるといいのだけれど)

 

 あたりを見回してみる。色とりどりの勝負服を纏ったウマ娘たちと、それに混じって体操服姿のウマ娘もいる。デビューしたてなのか? あるいは功績がなく、まだ勝負服が支給されていないのか? 近々レース規定が見直され、勝負服を着用するのはGⅠレースのみに限定するという話も聞いたが、スズカにはあまり興味のない話だった。

 

 ――レースも円卓と同じだ。上座も下座もない。条件は皆同じ。学年も所属も関係ない。勝利に向かって走れ。それが唯一の交戦規定だ。

 

 彼女のトレーナーであるサイファーの言葉を思い出す。時折彼はレース場のことを円卓と呼ぶ。それが何を意味するのかスズカには分からない。だが彼のもとで走るようになってから、正確にはガルムの勝負服を纏うようになってから、ぼんやりと見たことがないはずの光景が目に浮かぶようになった。凍えた雪山、夕焼けに鳴り響く鐘楼、空から光が降り注ぎ、幾多もの戦闘機が台地を飛び交う。それを自分は空の上から見下ろしている。

 どれもバラバラのピースのように思えたが、どの場面でも必ず近くに蒼く彩られた翼の戦闘機が飛んでいた。時に獰猛で、時に冷徹で、時に全てを見透かしたかのように空を舞う。スズカには何故かそれがサイファーであると確信できた。

 

(あれは夢? それとも幻? スピードの先に見える光景の一端なの? それを確かめるためにも今は走りたい。チームガルムの片羽として)

 

 自らの右肩に手を添え、精神を集中させる。全身がタキシングしているかのように熱くなり、力がみなぎってくるのが分かる。視界の端にロッソミレニアムの姿が見えた。赤い燕尾服調の勝負服を着ていて、自信に満ちた表情をしている。スズカの視線に気づくと口角を吊り上げ、そのままゲートのほうへと進んでいく。自分の勝ちを信じて疑わないかのような態度に、スズカが静かに闘志を燃やす。

 

(負けない。今のあなただけには絶対に)

 

 彼女に勝つために、サイファーと対策を練ってきた。今までとは違う。速く走るためではなく、自分を討ちにくるロッソミレニアムを相手取るためのトレーニング。加速力を高め、上半身を鍛えるために不慣れなトレーニングマシンにも挑戦した。レース場のどこかにいる彼とチームメイトに想いを馳せる。サイファー、ナリタブライアン、ヒシアマゾン。そしてエアグルーヴも勝負の行く末を見守ってくれているはずだった。

 ファンファーレが鳴り響く。ゲートに次々とライバルたちが入っていく。スズカも彼女たちに倣い、7枠14番へと自身を収める。ほぼ大外に近い位置だが問題はない。姿勢を整え、静かに幕が上がるのを待つ。スタンドの喧騒も、そよ風も、心臓の音すらも遠くに聞こえる。目の前が拓け、ゲートが開く。一歩踏み出した直後、脳内に彼の声が響いた。これまでの記憶、サイファーと積み上げてきた思い出がスズカの中で反芻する。

 

≪脚自慢のウマ娘どもが集う円卓だ。生き残るぞ、サイレンススズカ≫

 

 チームガルム、片羽の逃亡者、サイレンススズカのレースが始まった。大外から一気に前へと躍り出て、そのまま先頭へと突っ切る。彼女の出鼻をくじこうと数人が後ろに付こうとするが、加速してそれらを振り切った。

 

「あの片羽の赤いマント。何て奴なの」

 

「噂は本当だった。捉えても抜けていくあの俊足……」

 

 驚愕に染まる声を置き去りに、スズカは三バ身ほど前を行く。そのまま第一コーナーへと差し掛かる。

 

≪スズカ、円卓に入る。慎重に、大胆に行こう≫

 

 その身をカーブの遠心力に委ね、脚のスロットルをわずかに緩める。コーナー速度を保ちながらひと息入れ、身体をインにこすりつけるようにしながら旋回する。スタミナを温存し、向こう正面へ到達する。

 

≪まだ折り返しだ。油断はするな≫

 

 真後ろに他のウマ娘がいないのを確認し、脚に負荷をかけないよう遠心力を外に逃がす。わずかばかり身体がコース中央へ寄るが、リードは保てている。直線を駆け、そのまま第三コーナーへと入る。ここにきて後続が加速をかけてくる。その更に向こう、最後方から徐々に赤い敵が接近してきていた。

 

≪敵の追い上げ。ここからが本番だ≫

 

 ひとりのウマ娘がスピードを上げ、一気に前へ詰め寄ってくる。滑るようにターフを駆け、軽やかなステップで前を塞ぐウマ娘たちを翻す。

 

「野犬狩りの時間だ。サイレンススズカ、君の選択が誤りであったことを思い知らせてやる」

 

 ロッソミレニアム。チームリギルに心酔し、そこから離脱した者を許さない、プライドに生きるウマ娘。サイレンススズカへの怒りを力に変え、猛禽類のごとく離れた位置にいる彼女に狙いを定める。

 

≪赤い台風のお出ましか。あいつの機動を甘く見るなよ。遠くから狙い撃ちしてくるぞ≫

 

 このレースの最大の障害、因縁の相手の姿を確認しながら、スズカが事前に知り得た情報を整理する。序盤、中盤は後方に控え、レース終盤に一気に加速して先頭を差す。巧みな足捌きでいかなる位置からでも前を狙い、風のごとく駆け抜ける。

 

(っ! 仕掛けが過去のレースより速い。こちらの動きが読まれている?)

 

 スズカは逃げて差す。序盤からリードを保ったまま、終盤で更に加速する。脚を残しつつ負荷を低減するため、カーブでスピードを一時的に緩めている。それを見越し、ミレニアムが第四コーナーから勝負をかけてきた。円弧のマエストロ。弧線のプロフェッサー 。スズカのスタミナが回復し、ミレニアムのコーナー速度が上昇する。二人が集団から飛びぬけ、一騎打ちの様相を醸し出していく。

 

(これでイーブン。ヒシアマさんならタイマンだって喜ぶところだけど)

 

 スズカが後ろに視線を向ける。鬼気迫る表情の敵が三バ身ほどに詰め寄ってきている。ケツにつかれるのは時間の問題。だが相手のスタミナは持つのか? いや、無理にでも持たせてくるだろう。ミレニアムが勝つためには最終直線でスズカを抜き去るか、そこで加速をかけられる前に先頭に出て逃げ切るしかない。ミレニアムは間違いなく後者を取る。そのための手段も持っている。

 第四コーナーを抜け、最後のストレートに入る。

 

「いくぞスズカ! 君たちと私とでは戦う意義が違う。勝つのは真意を遂げようとする者だけだ!」

 

 ハヤテ一文字。一陣の風。全身全霊。迫る影。赤い燕尾服が大外から猛加速をかけ、ついにスズカの背中を捕捉した。それに合わせスズカが加速をかける素振りをした矢先、ミレニアムの口角が吊り上がる。彼女たちが横並びの状態となり、わずかにミレニアムが前に出る。凄まじい風圧がスズカに叩きつけられ、片羽のマントがあおられる。

 

「これで終わりだスズカ! 君を炎の中に叩き込んでやる!」

 

 ツバメ返し。ロッソミレニアムが持つ固有スキル。最終直線で外から相手を抜かす際に速度を上げ、突き放したと同時にレーンチェンジで相手の前方を塞ぐ。これが決まれば、いかに異次元の速さを持つスズカでもタイムロスは免れない。ペースを乱され、トップスピードに乗る前に千切られる。その瞬間は目前に迫っていた。勝ちを確信したミレニアムが速度を上げ、最後の追い込みに入る。その様をスズカが冷たい目で見つめている。

 

≪ここは円卓。死人に口なし≫

 

 ミレニアムがスズカの前に躍り出る。体をインコースへずらしていく。直後、スズカが上半身をわずかに逸らし、ミレニアムの視界から姿を消した。

 

「は?」

 

 混乱するミレニアムの真後ろで交差するように、スズカの体が外へと逃げていく。空気抵抗を受けて減速しつつ、反動を横に逸らすことで相殺する。コブラ機動。戦闘機のマニューバを応用した動きでツバメ返しを躱し、今度はスズカがミレニアムのケツに喰らい付く。腕のカナード翼と脚の推力偏向ノズルを調節し、体を沈みこませ、拓けた空間にスパートをかける。

 

「ば、バカな? 何だその走りは? 野良犬風情が何故こんな……」

 

 逃げのはずのスズカに差し返される。三バ身ほど離れた距離が逆転される。

 

≪こいつはもう終わりだ。スズカ、フィニッシュに取り掛かろう≫

 

 ロッソミレニアムを抜き去り、スズカは更に加速する。身体は空を切り、右肩の翼は赤い軌跡を描き、脚がターフに蹄跡を穿つ。誰も追いつけない。もう追い越させない。そのまま二ハロンを瞬く間に駆け抜け、トップでゴール板を通過した。どよめく観客、後続のウマ娘たちも呆然とした様子でレースを終えていく。2着となったロッソミレニアムは顔を伏せ、荒い息を吐きながらひざをつく。それらを見ることなく、スズカはただ天を仰ぐ。

 ふと、観客席のほうに目を向けると、チームメイトたちの姿が目に入った。こちらを静かに見つめるサイファー、子供のように無邪気に喜ぶヒシアマゾンと、それを呆れたように諫めるナリタブライアン。少し離れた位置には、複雑そうな表情をしたエアグルーヴの姿もある。そんな中、サイファーが何かをつぶやいたのが聞こえた。

 

「ようスズカ。まだ走れるか?」

 

 先ほどまでの幻聴ではない。正真正銘の彼の言葉がスズカに語り掛ける。

 

「……走れます。トレーナーさん。もっと速く、もっと先へ。そうすれば、あの空の、あの光景にたどり着ける気がするから」

 

 片羽の逃亡者、サイレンススズカが円卓の鬼神にうなずき返した。

 




文章でも盛り上がるようなレース描写とエスコンクロスならではの表現を模索していましたが、自分の腕ではかなり難しく、途中で何度も詰まってしまいました。
レースはつねに走っているため一秒一秒がドラマの連続で、駆け引きも目まぐるしく行われているように感じます。だからこそ競馬というたった数分の出来事も面白く、ツヨオオオオオオオオイ! や 大接戦ドゴーン! のような名勝負が生まれるのだと思います。

これからも精進を重ね、小説でも読みごたえのあるような文章を模索していきますので、楽しんでいただけると幸いです。

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