サクリン街、魔法少女サクリファイスのアトリエ裏手。
小さな墓石が花束に囲まれていた。棺に入り切らなかった手紙や手向けの類が山をなしている。もはやそこが墓なのか供えものの捨て場なのか分からない有様だ。弔意に溺れかけた墓碑には『救国の魔法少女サクリファイス、ここに眠る』と刻まれている。
そんな墓石の前に、三人の少女が力なく座り込んでいた。故人の妹であるクロア、サプー、ユノンだ。彼女たちを気遣うように墓地の周囲に人気はなく、ひっそりと静まり返っている。
獣耳を生やした少女、クロアは古びた手帳をパラパラめくる。故人の遺した日記だ。汚いのか丁寧なのか分からない字体で、故人の想いと思い出が綴られている。
「私のせいだ」
クロアがつぶやく。
「せっかく魔法少女になれたのに……やっと役に立てると思ったのに、暴走して足引っ張って、困ったら全部姉さんに押し付けちゃった……私がもっと頑張ってたら」
「……『妹が姉の見せ場を奪おうとするな』。あの人なら、そんな風に言うでしょうか」
ほんとに言いそう。思いの外説得力のあるサプーの言葉に、クロアは嗚咽しながら噴き出した。
泣き笑いで涙に咽びつつ、日記をシワができるほど強く握りしめる。
「ひどいよ姉さん……あんなに強そうなフリしてたくせに、本当に辛い気持ちは全部ここに押し込めてさ。もっと頼ってくれてもよかったじゃない……」
後悔と自責の念が溢れ、あの日の苦い記憶が脳裏をよぎった。
魔獣退治の助っ人に向かった姉が久しぶりに帰ってきたあの日、クロアたち妹は姉が日記を書いている横に引っ付いて眠った。サプーとユノンが先に寝入ってやがて姉も落ちた一方、クロアだけは最後まで起きて、姉の日記をのぞいた。
きっといつか見たような、姉らしい強気で汚い割にちょっとだけ優しい奇妙な文章がたくさん書かれてる。そう期待してのぞいたクロアが目にしたのは、
『死にたくない、辛い、こわい』『頑張れない、怖い。もうやだ』
消えかえの灯火みたいに頼りない弱音だった。
すべてのページがそうだったわけではない。それでも当時のクロアは隠された姉の弱みに、胸を貫かれたような衝撃を受けた。姉を一人で戦わせてはいけない、と動物的本能が警鐘を鳴らした。
その本能が魔法の腕前を底上げしたのか、クロアは間もなく魔法少女として覚醒した。しかし初めての変身で理性と記憶を失い、気がつけば姉の膝枕で寝ていた。
『姉さん、その腕……』
『ええい泣くな泣くな、私も泣きたくなるだろ。うっかり落としただけだっての。それよりクロアお前、寝てるとき私を引っかいてきやがって。この戦いが終わったら尻を捧げてもらうぞ』
『捧げるよそんなの、いくらでも捧げるよっ!』
『いくらでもはいらんわ』
失われた腕の包帯には血がにじんでいた。痛みによるものか不自然に汗をかいていた。それでも平気そうに強がる姉を前に、クロアはもう我慢ならなかった。
『姉さん……もうやめて。戦わないで』
『は?』
『私が戦うから。姉さんの分まで戦う。もう無理しなくていいんだよ』
『は、はは』
妹から戦う決意を告げられた姉は、くしゃりと笑ってから疲れたようにため息をついて、窓の外と日記にぼうっと目をやるだけの傷病生活を始めた。
そうして姉に代わり魔獣退治に参加したクロアは、人一倍懸命に戦った。偉大な姉の代わりになるために必死だった。しかし実は固有魔法を使わない姉の働きは大したものではなく、クロアは結果として姉よりもはるかに多くの魔獣を退治した。役に立てている実感が嬉しくて戦いから戻るたび姉に声をかけたが、姉は人が変わったように言葉少なだった。
戦って、他の魔法少女たちと仲良くなって、宿舎に戻り姉に話しかける毎日。
その生活は突然終わった。
『バカな、あり得るのかこんなこと……』
『この魔獣……希望が欠片も見えない……!?』
空を覆い隠すほど大きな魔獣が、列をなして山の向こうからやってきた。大昔の障壁はきしみを上げ、驚くほどあっさり壊れた。
『姉さんっ!?』
そのとき破滅的な魔獣を大きく上回る悪寒を覚え、姉の元に舞い戻ったクロアは、変身した姿の姉と対面した。少女の背に浮かぶ逆転した赤いろうそくのすべてが激しく燃え盛り、溶けた蝋は天井をすり抜け、どこか上方へ消えていく。
クロアは代償の固有魔法を知らない。しかし獣性で底上げされた本能が、姉を止めろとけたたましい警鐘を鳴らしていた。
『何、やってるの姉さん』
『クロア』
『ううん、わかってる。どうせまた一人で抱え込んで、みんなを助けようとしてるんでしょ……ふざけないでよっ! 姉さんに結局全部押し付けて、それで助かったって意味ないじゃない! 私は姉さんを助けたいのっ!』
『うるせーバカ』
『ば……っ!?』
身も蓋もない罵倒に虚をつかれ、怯むクロア。
その微かな間隙に、代償の発動準備が終わっていた。
姉は窓の外の破局に目を向けたまま、
『日記、読めよ』
淡々と告げて、すべての代償を捧げた。
視界が光に包まれたクロアがおそるおそる目を開けると、破滅の魔獣たちは姿を消し、魔王の障壁は何事もなかったかのように復活していた。ふもとの魔法少女たちは白昼夢でも見たのかと混乱しだしていた。
ただ、それが夢ではなかった証拠として、姉が忽然と消えていた。
『なるほど……おそらく「代償」の固有魔法で救済の奇跡を願ったのだろう』
魔法少女ヘイトレッドがクロアの証言からそう推測したのを最後に、クロアの記憶は途切れ途切れになっている。
ただ、姉の死を魔王やサクリン街の住人たち、元教え子の子供たちがひどく悲しんで、アトリエの裏がしばらくごった返していたのは覚えている。
すべてが終わったあとでようやく、クロア、サプー、ユノンの三人が墓石に向かい合っている。
「約束、しましたのに……生きろともおっしゃいました……無責任じゃありませんか……」
サプーは赤子のようにぐずりだした。高貴な顔貌はすでに泣き腫らして赤くなっているが、涙は際限なく溢れ出る。ユノンに至っては何も言わずひたすらに涙と鼻水を流しては拭う人形と化している。
クロアはペタリと獣耳を伏せて、震える声で言った。
「姉さんは日記を見ろって最後に言ってた。見よう、みんなで」
芝生の上に日記を置いて、三人で読み始める。
ところどころページが破かれていたり塗りつぶされているが、それは紛れもない姉の存在証明だった。強靭な精神のもと自身の信念を貫いた軌跡。その合間にはささやかな日常の思い出。終盤のページに綴られた『忘れないでね』の一文は、日記を読めと言い残した理由そのままだろう。
ついにたどり着いた最後のページ。
『ごめんなさい』
『ありがとう』
たったそれだけの簡素な文字列に、クロアたちは絶句した。悲しさ、悔しさ、怒り、自責、その他あらゆる感情の激流が少女たちの心を押しつぶしていく。
彼女たちの悲痛な泣き声の示すところは、救国の魔法少女の失態だろう。
魔法少女は大切な誰かの命を守ったかもしれないが、心は救えなかった。国を変革し、改革し、救った功績が意味をなさないほどの大失態だ。
魔法少女サクリファイスは何もできなかった。
残酷な現実はただ厳然とそこにあった──
「ちょっと失礼するぞ」
「わわーっ、ヘイちゃん空気空気!」
が、その空気を打ち破る闖入者が現れた。
魔法少女ホープフルとヘイトレッドの二人組だ。ほわほわした顔つきにためらいや遠慮を滲ませるホープフルと、怜悧な瞳でズカズカ墓地に踏み入ってくるヘイトレッド。対照的な二人だ。
ヘイトレッドは大きな麻袋を抱えていた。紐でがんじがらめにしてあり、中には生き物が入っているのかバタバタ暴れている。
「お前たちに渡すものがある」
「ご、ごめんね? ほんとはもっと落ち着いてからにしようと思ったんだけど」
「この三人がいつ落ち着くというんだ、脱水で死ぬまで泣き続けるぞ」
「ヘイちゃん言い方!」
窘めるホープフルに取り合わず、ヘイトレッドは麻袋を姉妹の眼前に放り投げた。中からくぐもったうめき声が漏れる。
「痛そう……」
「開けてみろ」
と、言っても三姉妹は呆然と袋を眺めるばかりで動こうとしない。うめき声に聞き覚えがあったのだろう。涙は驚きで止まっていた。
しばし膠着した末、クロアが震える手を袋に伸ばす。
しかしそれよりもわずかに早く、袋の中身が自力で拘束を緩ませ、袋口からひょっこり顔を出した。
顔をぶんぶん振って猿轡を外す中身。
「ぷはっ……こんっのクソ年増無神経魔法少女野郎がァ! 余命一年の英雄に対する仕打ちかこれが!? ホープフルちゃんの相方だからと大目に見てきたがもう我慢ならん、少なくとも一発ひっぱたいて──」
中身、もとい魔法少女サクリファイスの怒鳴り声が途切れた。丸い目をぱちぱちさせて、呆然としている妹たちと顔を合わせる。
すると深いため息を吐きつつ、ヘイトレッドへ怨嗟のこもった一瞥を向ける。
それから呆れるほど屈託のない笑顔を浮かべて、自らの魔法少女名が刻まれた墓碑のすぐ前で、こう言い放った。
「よっ、久しぶり。元気してた?」
大騒ぎになったのは言うまでもない。
ーーー
新・日記
?月?日
魔法の国の魔性位階持ち全員分の頭脳を合わせたよりもはるかに、私の頭が良いのは自覚している。なので現状は想定の範囲内どころか計算どおりだ。こうなるの分かってた。
破局回避のため寿命と身体全部を捧げようとしたけど、奇跡の後でギリギリ余剰一年分残されたのはたまたまじゃない。賢い私の想定内。私が間違うとかあり得ない。
代償を使う直前に「あ、これ四十六年で足りそう」と分かったので他の代償はケチって、奇跡発動と共に姿をくらましてやった。今頃私は国を救ったすごいやつ扱いだろう。嬉しい。
ちょっとモヤモヤするのは、五感や四肢を捧げればもうちょい命ケチれたかなってこと。いやでも、あの蝋燭で目や鼻や足を焼くのはきっとすごく痛い。腕を千切られるのさえあんなに痛かったのに。
私はきっと正しかった。腕一本だけないけど、それ以外は満足な体で一年生きられるなら、最善の選択だったに違いない。さすが過ぎるぜ私。
あと一年も生きられる。
何して余生過ごそうかな。ひとまずこのアジトでケガ治るの待って、その後はやっぱり新しい最底辺探し? それとも救国の英雄扱いを楽しんで気持ちよくなる?
ああ人生楽しすぎる。
?月?日
人生楽しくない。ひま。
アジトにしてる魔導館は昔と変わらず見渡す限りの本棚と、その間で階段、梯子、渡り廊下が絡み合う悪夢みたいな景観をしてる。使い勝手最悪でじめじめ湿っぽいし本の中にはカビの楽園になってるやつもある。この有様で何を導くってんだよバカじゃねーのと何度思ったか知れない。
だからこそ利用者が少なくて、本棚に隠れ住む暴挙が可能なわけだけど、ひまだ。本は全部読んでつまんない。どんな本でも一度読んだら飽きる。ひま、ひま。
思えばここの本読み尽くしてヒマになったから日記を書き始めたんだっけ。それにも飽きてやることないから学校行って、サボり常習犯になって。
ダメだ。回想しようにも懐かしむ過去とかあんまりない。ひま。
?月?日
クロアをナデナデしたい。サプーいじめたい。ユノンを下に見たい。
何書いてんだ今更女々しい。
生まれ変わったら紙虫になりたい。
?月?日
ホープフルちゃんとヘイトレッドさんが来た。
私に感づいてる。消えかけの魔力を感知したらしい。伊達にベテランじゃないわけだ。
ここは私の根城。たちの悪い迷路みたいなものだ。見つけられることはまずない。
ツンケンしてるくせに根は優しいヘイトレッドさんのこと。捕まったらきっと妹たちのとこへ連れて行かれる。
それだけは嫌だ。
いやだ。
?月?日
捕まった。
クロア、サプー、ユノンが泣いていた。私が生きていたのを喜んでいた。私の存在を求めてくれていた。
だから嫌だったんだ。
かわいい妹たちとの満たされた生活が、あと一年しか出来ないなんて、そんな短い間なら最初からなかった方がマシだ。
もっともっと長く生きていたいな。
もう五、六十年くらい延長できないかな。できるわけないよな。一秒を惜しんで生き抜くしかないよな。これ以上妹たちが泣かなくていいように。
だから日記を書くのはもう終わりにする。文字を一つ綴る時間さえ、楽しい思い出に使いたいから。
読み返してみると人は殺すし、暴力的だし、妹はよく泣かせるし、肝心なところで逃げる私はとんでもないクズだ。性格最低の魔法少女が最底辺の肥溜めで調子に乗っていた最悪の日記だ。
だけどクズはクズなりに、精一杯輝いたと思う。
妹たちと一緒に。
これから最期の輝きを。