魔法少女サクリファイス【完結】   作:難民180301

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番外編:Fading Away
前半


 魔法少女サクリファイスの最後の一年は、情けない駄々をこねるところから始まった。

 

「やーだー! 合わせる顔なーいー! 私はもう死んだ扱いでいいんですぅー!」

「ね、姉さん? 私塾の子たちきっと喜ぶよ? すっごいチヤホヤしてくれるよ?」

「もう十分されたから満足なの! 今は気まずい気持ちの方が大きいの!」

「ですがお姉さま、どうせ私たちと外を出歩けばバレましてよ?」

「それでもやーだー!」

「お姉ちゃんが子供みたい……」

 

 少女が拒絶したのは生存を公開するかどうかだ。盛大に悼まれ惜しまれ墓まで建てられた今、少女に生き返る度胸はなかった。今更どんな面して戻ってきたのか、と呆れられるのが怖い。チヤホヤされるのは大好きだが、その逆の失望は人一倍苦手だった。

 

 ひとまず少女の要求通り死んだ体で押し通すことにしたものの、少女の顔はあまりに有名だ。面倒くさがって変装もせずに妹たちとアトリエを出る上に、死人だからと開き直って生前の奇行に拍車がかかりろくでもない生存の噂が広まった。

 

 その噂とは、墓前で故人当人が死を悼んでいるとの内容だ。

 

「ああっ、サクリファイス! どうしてあなたのような立派な魔法少女が死んでしまったの! あなたほど偉くてかわいくてすごい女の子は世界のどこを探してもいないというのに! しくしく!」

「しくしく」

「朝っぱらから何を訳の分からないことやってますの!?」

「故人を偲ぶ故人ごっこ。中々にバカらしくて楽しいんだこれが。なあユノン?」

「ん」

「お願いだから二度とやらないでくださいまし!」

 

 弔問客の多くが墓前でそのようにやりとりする姉妹を目撃し、まさか自分の偉業を自分で持ち上げつつ悼む奇矯な魔法少女など他にいないだろうとして、サクリファイス生存説がまことしやかに囁かれ始める。 

 

 その噂を聞きつけ一番に確認しに来たのは、魔王だった。

 

「なんと……このような奇跡がありえるのか……おお、おお……」

「どうも魔王様。暑苦しい泣き方しますね」

 

 もう十分妹たちの涙に出迎えられた少女には、天敵に等しい善人魔王の涙は響かなかった。放置してクロアを捕まえ、覚醒以来鋭くなった爪の手入れをしてじゃれ合った。

 

 そうこうしているとようやく泣き止んだ魔王が、真剣な顔でこう告げる。

 

「本当に申し訳ないが、君にはこのまま死んでうわぁ落ち着きたまえ建前の話だっ!」

「フシャーっ!」

「どうどう、クロア」

 

 毛を逆立てたクロアが魔王に飛びかかり、自動発生の障壁を粉微塵に切り刻んだ。

 

 とはいえ魔王に悪意はなかった。死んでもらう、ではなく死んだことにしておくと言おうとしたのだ。折しも隣国エボルレアの革命新政権が拡張主義を唱えだして情勢がきな臭くなってきたので、少女の身柄を守るため、表向きはこのまま死亡扱いにしておくほうが安全なのだ。

 

「身柄を守るってちょっとちょっと、私がものすごい重要人物みたいじゃん」

「今更何言ってるの姉さん」

「えっ」

 

 クロアと魔王は、少女の無邪気さにそろって呆れ返った。

 

 最上位魔性位階たる魔法少女であるだけでも価値が高い上に、スラム街の改革を通して国力を増大させ、挙げ句には救国さえ成し遂げた。なんなら私よりもよっぽど重要人物だよ、と魔王は苦い顔で付け足した。若干スケールが大きくてピンと来なかったが、少女は頑張りが評価されたみたいで気分がよかった。

 

 こうして少女は公には死んだまま、アトリエの近隣住民には暗黙のうちに生存を受け入れられつつ、のんびりした余生を送る。

 

 生存の扱いの次に少女が取り掛かったのは、姉妹の約束だった。

 

 西の歓楽街の中心に満を持して竣工した大浴場。三階建ての広い内部に浴場、飲食施設などが充実した魔法の国最大の娯楽施設だ。地脈エネルギーが湯に溶け出しているためか健康増進の効果があり、連日国中から客が集まってくる。

 

 当然いつ行っても利用客でごった返しているが、

 

「本日はサクリファイス様御一行の貸し切りでございます。ごゆるりとお楽しみください」

「オーナーありがとー!」

 

 理解のあるオーナーが気を利かせてくれた。なお、オーナーは私塾経営を始めて間もない頃入塾していた乞食である。魔法少女サクリファイスのためならば首と赤字をかけて全力で融通する信者になっていた。

 

 広い、広すぎる浴槽に姉妹四人で肩まで浸かる。

 

「あー生き返るわー。死んでるけどねぇ」

「姉さんそれシャレにならない」

「いや、なるだろー。もう我ながら立場がごちゃつき過ぎて笑えてくるわ」

「立場なんてただ一つですわ。わたくしたちの誰より大切なお姉さまです」

「嬉しいこと言ってくれるなあサプー、このこの」

「へ、変なとこ触らないでくださいまし」

「サプ姉、喜んでる」

「喜んでませんわ! 変態クロアさんと一緒にしないでくださいまし!」

 

 サプーの声はよく反響した。湯気と湯の中に揺らめく妹たちの裸体に視線を巡らせる。出会って一年ほど経っても大して成長していない。

 

 意地の悪い笑みを浮かべて、サプーのどことは言わないまでもツルツルした平たい身体に指を這わせる。サプーは華奢な足をもじもじさせるだけで逃げようとはしない。

 

「んっ、いけませんこんなところで……」

「その通りだね、やーめた」

「泣きますわよ!? 生殺しですの!」

「あはっ、めんどくせーなサプーは」

 

 涙目で抗議するが、少女が優しく頭を撫でているとすぐにうっとり目を閉じて機嫌を直す。極めてチョロい元王女の痴態を、ユノンがジト目で睨んでいた。

 

 と、そこで少女はクロアに見つめられていることに気がついた。クロアは少女の脇腹、ないし脇から背中にかかるあたりを凝視している。とんがった獣耳はぺたりと伏せっていた。

 

「クロア? 姉さんの身体に惚れた?」

「えっ、あ、ううん。えっと、腕、痛くない?」

「平気」

 

 なくなった片腕を心配してくれたのだろうか。しかし間違いなく視線は腕ではなく背中の方に向けられていた。

 

 気になって後から確認してみると、そこには四本の切り傷が痕になっていた。暴走したクロアの爪で引き裂かれた部分である。

 

 クロアは暴走したときの記憶を覚えてないはず。遺した日記のページも該当部分は塗りつぶしておいた。あのとき現場にいたホープフルとヘイトレッドが、クロアが傷つく事実を口外したとも思えない。

 

 きっと心配ない、と少女は楽観した。

 

 残り一年、変な心配事は抱えたくないものだ。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 無事約束を果たした少女は続いて、ホープフルとヘイトレッドと顔を合わせた。

 

 用件を伝えると、ホープフルは目をまんまるにして口に手を当て、ヘイトレッドは無愛想に腕を組む。

 

「地脈との同調による魔獣の発生予測、か」

「はい。二人ならちょっと練習すれば私と同じくらい出来るようになります。魔獣がいつ出てくるか分かれば便利でしょ? それと、元々えげつない二人の魂由来の魔力を地脈で増幅させれば最強無敵になれますよ」

「ああ、メリットは理解できる。先の戦いでは随分助けられたからな。教えてくれるというならありがたい。だが」

「サクちゃんは本当にいいの? 貴重な時間を私達に使って」

 

 ホープフルが言葉を引き継いだ。困惑と心配が半々の表情だった。

 

 少女の用件は簡単だ。ホープフルたちに地脈増幅説の魔力運用を教え込みたい。そのメリットはこれだけあるからどうだろうか、と。

 

 少女の余命を知っている二人は都合の良すぎる話に首を傾げるが、少女としては打算の上での提案である。

 

「いいです、というかこっちがお願いしてます。だってほら、私もうすぐ死ぬじゃないですか」

「う、うん」

「そしたら、魔獣から国を、もとい私の妹たちを二人は守ることになります。そのためのお手伝い、生きてるうちにしときたいんですよ」

「サクちゃん……」

「参考までに今日と明日の魔獣は〇から五体、明後日は二十から三十体、明々後日は百から百二十体です」

「そこまで分かるようになればありがたいどころの話ではないな。提案を受けよう。早速今から教えてくれ」

「おまかせあれ」

 

 涙ぐんでいるホープフルとは対照的に、ヘイトレッドは淡々と受諾した。

 

 さすがにベテランにして最強の二人組だけあって、地脈と同調する感覚を少し助言するだけで今日明日分の予測が可能となった。少女は舌打ちした。

 

「才能が腹立たしいぜ」

「さ、サクちゃんの教え方が良かったからだよ!」

「ふへへ」

「そこまでではないと思うが」

「んだとコラァ!」

「んもうヘイちゃん!?」

 

 そんなこんなで教え合うこと二時間。

 

「ちょっとお手洗い借りるね」

 

 ホープフルが離席した。静かなアトリエに二人きりで残されるサクリファイスとヘイトレッド。妹たちは私塾の講義に回っており、もうしばらく帰らない。

 

 ヘイトレッドは気にせず目を閉じて、教えられた地脈の感覚を確認していた。この女に対して気まずさを覚えれば負けだ。少女はむっつり顔でふんぞり返った。

 

 ぼんやりしていると、不意にヘイトレッドが口を開く。

 

「サクリファイス」

「はい?」

「なんでもない」

 

 居心地悪そうに目を伏せるヘイトレッドに、少女は勝利を確信した。口を開いたはいいが適当な話題が見つからずなんでもないの一言に逃げたのだ。先に気まずさを感じたのはヘイトレッドの方だ。

 

 しかしその勝利の高揚感は、間もなくどん底へ突き落とされることとなる。

 

 ヘイトレッドは秒間五回程度の高速瞬きを十数秒間披露した後、再び口火を切った。

 

「あのときはすまなかったな」

「どのとき?」

「初めて顔を合わせた日だ。魔法の腕前と思想、存在を否定するような言い方をした」

 

『路傍の石程度に自分の価値を上げて出直せゴミクズ!』

 

 忘れようのない罵倒が少女の脳裏をよぎる。あのときといい姿をくらましたのを捕まえられたときといい、ヘイトレッドは憎たらしい女だった。

 

 なのに彼女はあっさりと頭を下げてしまう。

 

「貴女は普通とは違う活躍のできる素晴らしい人物だったようだ。あのときの言葉を撤回し、謝罪する。申し訳なかった」

「……勘弁してよ」

 

 少女は絶望感でいっぱいの顔を手で覆って仰天した。ヘイトレッドが怪訝に首をかしげる。

 

「ヘイトレッドさん、あんたは私の同類だと思ってたのに。人間のクズとか嫌なヤツとか呼ばれる同志だと思ってたのに……あんたまで、いい人なの……?」

 

 顔をしかめるヘイトレッド。

 

「貴様の奇天烈な価値観はまるで理解できん。だがこれだけは言っておくぞ。貴様はクズではない。ただの不器用な臆病者だ」

「あっそ。じゃあ私もこれだけは言っとこう。ありがとうね」

 

 顔から手をどけた少女の表情は、つきものが落ちたように晴れ晴れとしている。

 

「あのときヘイトレッドさんがきついこと言ってくれたから、私はここにいる。逃げ出した私を無理にでも連れ戻してくんなかったら、死ぬまで寂しいままだった。おかげで今すっごく楽しい。ありがとう」

「別に。私は臆病者が嫌いなだけだ」

 

 ぷいとそっぽを向いたヘイトレッドの横顔は、ほんのりと紅潮していた。

 

「あっ、照れた! 初めての赤面いただきましたァ! ヘイちゃんかっわいいー!」

「き、貴様このアホ野郎……あまり図に乗るなよ」

「ふふん、今更怖い顔しても無駄無駄。私知ってるんですからね、夜のヘイトレッドさんが超かわいいこと」

「なんのことだ」

 

 小癪にもとぼけやがるぜ。白々しいヘイトレッドに対し少女の悪戯心と復讐心に火がついた。うるさい声のせいで夜眠れずに悶々とさせられたのを思い出し、わずかな容赦すら捨てて口を開く。

 

「戦線の宿舎の壁、案外音を通すんですよね。『やめて許してホープ! 気持ちよすぎて私おかしくなっちゃう!』」

「イヤアアァアァっ!」

「ひゃわっ」

 

 ヘイトレッドは少女に飛びかかり押し倒した。

 

 組み敷かれた不利な姿勢ながら、精神的優位は明らかに少女にある。

 

「てっきり攻めだと思ってたんですがね。ホープフルちゃんも中々出来るようで」

「誰にも言ってないだろうな」

「もちろんです……あんたのその表情(かお)を見るためになぁ、今の今まで温存してたんだよぉ! クケーケケケ!」

 

 悪魔めいた腹の立つ笑顔。ヘイトレッドは顔を真っ赤にしてプルプル震えている。それでも有頂天気分の少女は止まらない。

 

「どうせアレでしょ、初めて会ったときもお邪魔虫をチームに入れたくなかったんでしょ? きゃー乙女、ヘイちゃん乙女!」

「だーまーれ!」

「むぐ」

 

 限界を迎えたヘイトレッドは実力行使に出た。少女の隻腕を押さえつけ、口を手で塞いで睨みつける。だが依然涙目なので迫力がない。少女のニタニタ笑いは健在だ。

 

 ヘイトレッドが全力で思考を巡らせる。気に入らない女に最大級の弱みを握られた現状を打破する方法はないか。

 

 必死で考えるあまり、彼女はホープフルが帰ってきているのに気づけなかった。

 

「ヘイちゃん。サクちゃんと何してるのかな?」

 

 二人は本能的な悪寒を覚えた。ゆっくりと背後に佇むホープフルを振り返る。彼女の目から光が消え、瞳孔が深淵のように開き切っていた。

 

 はっとヘイトレッドは状況に気づく。サクリファイスを押さえつけて口を塞いでいるこの態勢は、客観的に見てかなりまずい。

 

「ち、違うんだホープフル。これはだな」

「大丈夫だよ。私はヘイちゃんが浮気なんてしないって信じてる。だから帰ってお話しよ?」

 

 ヘイトレッドの首根っこをむんずと掴み、持ち上げるホープフル。変身してないので普通の女の子の力で人一人を宙吊りにしている。

 

「一生こんなことできないくらい、たくさんお話しようね」

「待って、違うの、ていうかほんとに信じてる!?」

「サクちゃん、今日はありがとう! また今度ね!」

「聞いてよ! ホープ、ホープってばあ!」

 

 そのまま連行する形で、二人は出て行った。

 

 一人残された少女は、嫌いな相手をやりこめた達成感で心の底から笑った。この日の晩ベッドの上で臨死体験をしたと後日ヘイトレッドから愚痴られ、さらに腹筋が割れる思いをした。その際、少女の目論見通り魔獣防衛戦線の運営は楽になったとついでのように報告を受け、満足だった。

 

 ヘイトレッドとの微妙な関係は死ぬまで変わらないと思っていた。憎たらしい初対面の印象も変わらないだろうと。しかし少女たちは、ささいなきっかけで簡単に変化していく。

 

 ユノンもまた、大きく変化している一人だった。

 

「──こ、このように、魔力がゼロに近くとも地脈エネルギーと同調し、増幅させれば魔法を使えます。完全に魔力がゼロなら、生命力を触媒にすると、いいです。ただし地脈エネルギーを直接魔法に使うのは絶対だめ。い、以上が地脈増幅説の概要となります、はい」

「ユノン先生、なぜ地脈エネルギーを直接使ってはいけないのですか?」

「ぼ、暴走するから、です。私達の魂は燃えていて、地脈エネルギーは燃料、です。だから直接使おうとしてたくさん汲むと、えー、メラメラドカンして吹っ飛ぶ、です」

「なるほど、ありがとうございます」

 

 講堂の教壇で、ユノンはつっかえながら生徒たちに教えを授けていた。補助のために傍にはサプーが控えている。成長した末妹の勇姿を、少女は講堂の後方で腕組みしながら眺めている。

 

「ユノン先生、中央では地脈エネルギーの乱用により土地が枯れるとの批判が出ています。本当なのでしょうか?」

「枯らせるもんなら枯らしてみろ……」

「え?」

「ごほん、えっと、私たちはスプーンです。地脈はとーっても大きな河です。だから枯れません。むしろもっともっと使わなきゃ、魔獣ドバドバーっ、です」

「魔獣と地脈に関係があるのですか?」

「あります。えっと──」

 

 ユノンは少女が生還してからというもの、学習速度と意欲が別人のように上昇した。上級魔法の入り口までしか学んでいなかったくせに、わずか数日で応用まで修得。大勢の生徒たちの前で声を張れるだけの度胸までいつの間にか身につけている。

 

 この急成長の訳を問われたユノンは、はっきりこう答えた。

 

「お姉ちゃんに立派なところを見せて、安心してもらいたいから」

 

 少女がユノンを抱きしめて嫌と言うほど頬ずりしたのは、言うに及ばずである。

 

 そして生還から半年ほど経ったある日。

 

 もっとも大きな変化を痛感させられる事件が、少女の身に降りかかった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 その日は雨が降っていた。

 

 少女は薄暗い夕方の路地を、アトリエの方へ向かって歩いていた。私塾に顔を出してからの帰り道、少し遠回りする散歩気分だった。

 

 ちょっとした一人の散歩道を行くのは珍しいことではなかったが、この日はたまたま人気の少ない裏路地を選んだ。

 

 するとその経路選択を待っていたかのように、怪しげな人影が現れたのだ。

 

「あ、エボルレアの」

 

 路地の前後を塞ぐ形で一人ずつ、その後ろに周辺の警戒役が数人。見覚えのある怪しげな黒ずくめの格好は、サプーを追ってきたエボルレアの刺客のものだ。

 

 そういえば魔王が重要人物だと言っていた。と考えているうちに前後の黒ずくめがゆっくり距離を詰めてくるが、少女に危機感はなかった。

 

 彼女は魔法少女だ。変身さえすれば魔獣と魔法少女以外の相手にはほとんど無敵の力を発揮する。さらに慣れた少女の変身時間は瞬き一回分にも満たない。撃退するのは容易だ。

 

 今回は妹を狙われているわけではない。引っぱたくだけで済ませよう。

 

 少女はそう決めて悠々と変身を──

 

「けほっ、え、えっ?」

 

 試みて、失敗した。

 

 身体から力が抜け、倒れ込む。何かされた? 違う。

 

 息が苦しい。口の中が鉄臭い。せり上がってきた熱い塊が、濡れた路面を赤く染める。

 

 喀血だった。少女は変身もまともに出来ず、血を吐き出した。

 

 黒ずくめの二人は予定調和というように、倒れた少女を乱暴に引き立てる。残った片方の腕の鎖骨と肩甲骨に手を押し当て、体重をかけた。

 

「いっ、つ、ぅ……!?」

 

 少女の肩が外れた。隻腕を拘束するならこちらの方が早い、と判断したのだろう。

 

 身体に力が入らず、変身もできず、残された一本の腕さえ封じられた少女は、荷物のように黒ずくめに抱えられる。悲鳴を上げる間もなく口に布を噛まされ、上下に揺さぶられた。移動を始めたらしい。

 

 肩の痛みと脱力感と混乱で少女は前後不覚に陥る。

 

 だから聞き慣れた声が聞こえても、夢か現かとっさに判別できなかった。

 

「魔王の敷いた警備網をかいくぐる手腕は見事。ですがもう終わりですわ」

 

 雨で霞む視界の向こうに、サプーが突っ立っていた。

 

「飽きもせず内乱戦争侵略革命……さっさと滅びればいいものを」

 

 感情の抜け落ちた無表情でサプーが吐き捨てる。

 

 一方、黒ずくめの男たちは冷静的確に状況を分析していた。

 

 目標物の回収にあたり目撃者を出してはならない。万が一目撃された場合は迅速な抹消が望ましい。ただし相手が魔法少女であれば即撤退せよ。目前の相手は魔法少女ではない。

 

 高度に訓練された黒ずくめの男たちは言葉による意思疎通を必要としない。目配せと簡素な指の動きで認識を共有すると、目撃者抹殺のため動き出す。

 

 目標物を抱えたリーダー格の左右に一人ずつ残し、手空きの二人がサプーへ躍りかかる。魔法の国の魔法使いは、魔法の発動までに遅延がある。仕掛けるなら発動の暇を与えないこと、と彼らは心得ていた。

 

 二人のうち一人が手先をサプーへ向ける。手甲に仕込まれたバネ仕掛けが金属矢を射出。サプーの正中線を的確に捉えている。もう一人の手甲からは鋭い鉤爪が飛び出し、矢の射線に寄り添うようにしてサプーへ肉薄していく。

 

 並の魔法使いなら声を上げる間もなく絶命する連携。

 

 しかしサプーは身じろぎすらせず迎え撃った。

 

 サプーの足元の水が蛇のようにとぐろを巻き、水流の槍衾として射出される。同時に足元から水の幕が吹き上がり、金属矢を弾き飛ばす。発動までの遅延はないに等しい。

 

 男たちは身を捻り間一髪のところで水の槍を躱す。そのスキに追撃の水槍が追い縋り、男たちの四肢を狙う。

 

「くっ……!」

 

 二人の男は巧みに手甲を盾のように扱い、水の槍を受け止め、いなし、逸らす。隣国エボルレア最新鋭の特殊合金製暗器兼防具は、通常の魔法をものともしない。

 

 男たちは体勢を立て直しながら目撃者の脅威を上方修正。事前の情報にある魔法少女ではないにせよ、相当な手練だ。無視して目標物の回収を優先すべきか。

 

 と、逡巡している暇はなかった。

 

 降りしきる雨だれを切り裂き、真横に白い筋が閃く。その筋は男の手甲に直撃すると、特殊合金をあっさり貫いて骨肉を穿つ。

 

 その様子にぎょっとしたもう一人に向け、白い筋が傾く。二人の男の身体は、胸のあたりで両断された。

 

 白い筋の正体はただの放水だ。ただし固い岩盤や金属製の建築骨組みさえ断裁する超高水圧の激流である。最新の装甲といえど紙切れのように切り裂くことを可能とする。

 

「くそっ!」

 

 リーダー格の左右に控えた二人が、悪態をついて前へ出る。身体を盾にしてでもリーダー格を守り、目標物を祖国へ持ち帰る腹積もりだ。

 

 が、二人は真横から突如吹き込んできた炎のカーテンに、全身を巻かれた。大量の水蒸気がたちこめ、雨水の溜まる路面を燃える二人が転げ回る。

 

「メラメラ……メラメラ……」

 

 炎の飛んできた方向には、ユノンの小さな体躯があった。柔和な目元はまなじりが裂けんばかりに開かれ、残った黒ずくめの男を凝視している。

 

 最後の一人。すなわち少女を抱えた黒ずくめの男はいちかばちか、勇敢にも独力で踵を返し逃走を試みる。

 

 しかし彼の背後はすでに獣が塞いでいた。短刀のように長く鋭い爪と牙をむき出しにして、鱗で覆われた長いしっぽを不気味に揺らめかせ、真っ赤な捕食者の眼光を煌めかせている。

 

 男が次に動くよりも早く、獣が地面を蹴った。

 

 音もなく男とすれ違い、背後へ着地する。一拍遅れて赤い眼光が男の周囲に糸を引き、獣へ追従した。

 

 身じろぎもせず硬直していた男はやがて、細切れの肉と臓物の塊になって崩れ落ちた。獣性の魔法少女、クロアの爪は交錯する刹那に男の身体を怒りのままに切り裂いていた。

 

「姉さん!」

「お姉さま……!」

「お姉ちゃんっ!」

 

 変身を解除したクロアが耳を忙しなく動かしながら、放り出された姉を受け止める。

 

 助けられた当人は痛みで何も考える余裕がなく、心配げな妹たちの声を聞きながら意識を落としたのだった。

 

 

 

ーーー


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