空から見ることができたとしても砂漠はどこまでも広がっていました。
砂の海には風の作った波の模様が続いています。
そこを黒い線が一本動いています。それは荷物を満載したラクダと人の群れでした。商人たちのキャラバンです。
東西にいろいろな交易品を運ぶ彼らは一年中旅をしていました。
その一匹のラクダの上で揺られながら居眠りをしてる少女がいました。ターバンを頭に巻いた赤い髪の女の子です。耳には金色のリングをつけて、首にはスカーフを巻いていました。
彼女は旅の商人でした。キャラバンが西に向かうことに同行させてもらっているのです。
彼女は大きく欠伸をすると、それからラクダの上で体を伸ばしました。見渡す限りの砂の世界です。見慣れた景色に彼女はもう一度欠伸をしました。
「お前は器用に寝るなぁ」
ラクダの一頭近づいてきます。その上には精悍な若い男が乗っていました。口にひげを少しだけはやした、整った顔立ちの彼は苦笑して言いました。
赤い髪の少女、ラドルマは流し目で彼を見ました。彼女の不思議なほど白い肌と美しい瞳に見据えられて男はうっとひるみそうになりました。
「こんないい陽気なのですから」
「いい陽気……?」
男は天を見上げました。
灼熱の太陽がぎらぎらと青い空を焼いています。にくいほど澄み切った空に雲はありません。
「やはり変わっているよお前は」
「それは、どうも」
「褒めてはいないのだがね」
男はまた苦笑しました。ラドルマはそれを相手にはせず、首筋を手で撫でてもう一度欠伸をしました。
ラクダは進みます。
昼も
夜も
朝も
砂漠を進みます。
遠い遠い場所へ。彼らは進み続けました。
砂漠の昼は熱く、砂漠の夜は凍りそうなほど寒かったのです。
そんなある日の夜にラドルマは夜空を見上げながら砂の上に座っていました。手には湯気を立てる丸い容器を持っています。彼女はその中を満たしている茶色の液体を口に含んでゆっくりとのみました。
少し苦みを感じていましたがラドルマは顔には出しませんでした。
キャラバンの者たちは焚火を起こして暖を取っていました。彼女はそこから少し離れています。凍えるような寒さの中でラドルマは平気な顔をしていました。
「なんでいつも少し離れているんだ?」
ラドルマは振り向きませんでした。彼女の後ろに立っているのは口ひげを少しはやしたあの若い男でした。
「か弱い乙女ですから」
「そうは……見えるが、中身は違うだろう」
おや、という顔でラドルマが振り向きました。男はふっと笑いました。
「この旅で一番元気なのはあんただ。俺だって結構疲れているんだがな。女に負けているとおもうとなかなか傷つくところもある」
「……私は旅が好きですからね」
「旅は俺も好きだ。故郷から出ればいろんな新しいことを見ることができる」
「あなたの故郷はどこにあるんですか?」
「ずっと北の方さ。ほら積み荷に塩の塊があるだろう? あれは俺の故郷から持ってきたものだ。……そこには塩の湖があるんだ。見たことがあるか?」
「……ずっと昔に」
「そうか、きれいだったろう? 浅いんだ。浅くてどこまでも広がっているんだ。青くてしょっぱい、そんな湖だ。空を鏡のように映すそれを見るたびに帰ってきたなぁって思える。俺はそれが好きでたまらない」
ラドルマの横に座りながら男は身振り手振り、表情をころころ変えて故郷の話をしました。そこには若い妻と子供がいるということでした。そのかわいさをラドルマに語りました。
その姿に赤い髪の少女は、くすりとかわいらしい笑みで答えました。
「そんなに故郷が好きならそこで働けないんですか?」
「ああ、なかなか作物も実らない貧しいところだ、塩はとれるがそれも売らなきゃ何にもなりはしない」
「…………」
男の横顔をラドルマは見ていました。ふと、一瞬だけ寂しそうな顔を彼はしたことを彼女は見ていました。彼女は懐に手を入れて、何かを取り出しました。
それは緑に光るエメラルドをはめ込んだ首飾りでした。彼女はいたずらっぽく男に微笑みかけます。
「なかなかいい話ですね。……今なら安くしておきますけど。奥さんへのお土産にどうですか?」
男はくっと笑いました。
「こんな時でも商売か……商人の鏡だよあんたは」
☆
砂漠を渡りきると草原が広がっています。
その草原には転々と城壁を持った街がありました。キャラバンはその街を回り、東から持ってきた交易品を売りさばくと、東に帰るためにいろんなものラクダに満載させました。
帰るときのことです。
「おい、ラドルマ」
ラクダの手綱を引きながら若い男が言いました。ラドルマは眼で答えました。
「本当に帰りは同行しないのか?」
男の胸元にはエメラルドが光っています。ラドルマは頷きました。
「ええ、もう少しこの近くで商売をしようと思っていますから。そうですね。季節が変わったとき位に来る別のキャラバンに同行させてもらおうかと思っています」
「そうか……残念だな」
男は言葉の通り心底残念そうにうつむきました。ラドルマはその鼻先を人差し指で押さえます。
「奥さんとお子さんによろしくおねがいしますね」
「……ああ。ラドルマも元気でな。いつか空の下で会おう」
「ええ、いつか」
男はそれだけ言うとラクダにまたがり、遠い故郷に向けて歩き始めました。キャラバンの人々もそれに続いていきます。
ラドルマはその姿を見届けると踵を返しました。
季節は廻ります。
赤い髪の少女は草原を旅して、いろんなところを見て回りました。そしてある日ふいに砂漠の向こうに帰ろうと彼女は思いました。
それは気まぐれでした。彼女には永い、永い時間があります。
同行できそうなキャラバンが草原の街に来るのを待って、彼女は帰り道の同道を依頼しました。リーダーは老人ですが、日に焼けた精悍な姿をしていました。
「女の一人旅か?」
声に張りがありました。ラドルマは言います。
「ええ、一人では不安なので」
「そうか。そうか。いいよ、あんたくらいの若い女……わしの子供くらいの年齢で行商をしているとはすごいものだな」
老人は快く受け入れてくれました。ラドルマも丁寧にお礼を言います。老人はそれから続けました。
「旅はいいものだが、つらいものでもあるからな。先年にもあるキャラバンは砂嵐にあって全滅したと聞くし、大の男でも死ぬときは死ぬものなのにな」
「…………へえ」
ラドルマは声に抑揚をつけませんでした。彼女は言いました。
「そうですか」
☆
砂の海の中。
散らばった命のかけら。
埋もれたラクダの首
人の手。
掘り起こせばそこには人の形をしたものがいるのかもしれません。
ラドルマはその中を歩きました。
ある一つの場所で止まると、その小さな手で砂をかき分けました。その中には乾いた手とそこに握られた緑色のエメラルドがありました。
「あなたの故郷、行ってみますね」
ラドルマはエメラルドを胸に抱いて、優しい表情を砂の下にいる、彼に向けました。
彼女は北へ歩き出しました。
遠い空の下の、浅くそして広い塩の湖ある地まで。