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「ねぇ」
「何だ」
「アンタって味噌汁好きなの?」
タイシンからそんな言葉が出るなんて雪や槍が降るのだろうかと空をわざとらしく見上げた時、腹部に強烈な一撃がお見舞いされた。この痛みは慣れているからなんのそのだがタイシンが〜したいの? とか疑問形で聞いて来る時は大抵それがしたいってことだからな。味噌汁好きって聞いてくるってことは味噌汁をおそらく作ろうとしてるんだろうけど何でそんな事いきなり言い出したんだ? って……あ! そういえば言ったわ。あの時か……
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重要な話があると呼び出された俺はついにここを離れられるラッキーとうきうきな足取りで理事長室へと向かっていた。“お前向いてるからやれ”の一言でやらされ続けているトレーナー業も今日で引退。寂しくなるなと思いながら重い扉を開ける
「推賞! 君の素晴らしい功績を称えよう!」
「トレーナーさん。これまでの指導育成の功績が認められて理事長から推賞が送られることになりました! 何か好きな物などございませんか?」
「え? あのたづなさん。進退に関わる大事な話って言ってましたよね」
「はい。トレセン学園の理事長から推賞されるということは進退に関わる大事なお話です」
「そういうオチですか」
四つん這いになりたいところだったが話の続きがありそうだったので首を上げたづなさんと理事長の方を見る。推賞! と書かれた扇子からどす黒いオーラが放たれている。これが退職! なら光り輝いて見えたはずなんだけどな
「もしかしてクビになることを想像していらっしゃいました? まさかそんなことある訳ありません。トレーナーさんの担当するウマ娘は今や重賞はもちろんクラシックやグランプリでも活躍するのほどの実績ですから」
「なんてこった……トレーナーになった以上とりあえず実績だしてから辞めようとしたのは失敗したなぁ。転職に有利になると思って結構頑張っちまったし」
「あら? 転職したいんですか?」
「え!? 出来るんですか?」
「はい。管理職員はもちろんですが勉強の補習員や食堂の補助スタッフなど多数の職業がありますよ」
「いやここから逃れられてねぇ……」
「無論! ここから逃がす気はない! それ故の褒美だからな」
まあ最初のやつはそうだったらいいなの希望的なやつだったからこうなるのは分かってたよ。退職願を出したら今日はエイプリルフールではないぞって笑顔で無視されたし。でもそれならこの理事長が出せないやつを言ってゴネてしまえばいいんじゃないか? これだけ頑張ったのに褒美が出せないなんてどういうことだ! って言えば“ぼくもうやめる! ”って言えるんじゃね? 天才か俺は
お金は無難すぎて無理だろう。ふっかけても給料で支払いますって言われたら一生ここ確定だからな。金の次とくれば女だけどこれもここの関係者と結び付けられたら終わりだ。後この間道に迷っていたウマ娘を助けた後にグラスに握られた右腕が疼くからね。怖い
となると選択肢って意外とないのか? 理事長たちが用意するのが不可能かつ俺が好きそうで不思議じゃないもの。
「あ! 手作りの味噌汁とか? 出来る前のふわりと香る味噌の匂い好きなんですよね」
「驚嘆! そんなものでいいのか?」
「いやまあそんなものでいいですよ。もちろん言ったからには美味しいやつが飲みたいですけど」
「了解! よぅしたづな。今すぐ味噌汁の調達に向かってくれぃ!」
「はい。承りました」
「では俺は下がりますね」
「ご苦労だった。また頼む」
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ブルボンがIH壊したり、フラワーがしきりに水筒に入れてきた味噌汁飲ませようとしてきたり、ゴルシが味噌玉投げてきたのはそれが理由か。なんかみんなおかしいなぁと思ってたんだよな。そんなにやろうとするってことは推賞の味噌汁だすと褒美でも出るのか?
「手作りの味噌汁ってインスタントの百倍美味いと思う。なんて言うかまごころがこもってるって感じでさ」
「じゃあ百個インスタント飲めば?」
「なんてことを言うのこの娘は」
ツーンとしてるがタイシンはいつもこんな感じだし特段不思議なことはない。ひねくれて成長細胞もひん曲がってるからチビなんだよって言ったら地平線の彼方まで蹴り飛ばしてくるからな。まあでもバレンタインの時に食ったカレーは美味かったからタイシンの味噌汁が飲めるのなら飲みたい
「ア、アタシが……」
「ウオッカにでも頼むか」
あいつノリいいし作ってくんね? って言ったら作ってくれそう。というか気兼ねないし男の趣味に理解あるし料理上手だしウオッカってもしかしてめちゃくちゃイイ女というやつなのでは? やっぱり結婚するならウオッカがナンバーワン! スカーレットの隣でこれ言ったらヤバそうだけど
「うぐぅ……タイシン。連続蹴りはやめろ」
「アタシが作ってあげるって言ってんの!」
もう一度空を見上げた。パレット絵の具で塗ったような青が空高くまで広がっている。そして俺には昼には見えない北斗七星のごとき蹴りが七連で叩き込まれた。前世の俺……どんな徳の積み方したんだよ。タイシンの味噌汁飲めるのは超嬉しいし飛び上がりたいほどだけど蹴られてから俺の自室まで引き摺られてるしどういう
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トレーナー寮の自室のキッチンには自炊できる設備は揃っているが使わないから俺にとっては宝の持ち腐れ状態だった。たまにヒシアマとかが作り置きの料理を作りに来てくれるから無いと困るんだけど俺この最新の設備達全く使えないんだよね。それにここだけ俺の自室なのに私物おかれまくってるもん。エプロンに調味料にマイ包丁。あとはカップラーメンや余ってる具材が書かれたホワイトボードなんかも置かれているし。まあやってもらってるし文句言える立場じゃないけどもう少し遠慮があっていいんじゃないかと思う。特にカップラーメン。ファインだろこれ
「意外とやってもらってる……遅かったか……」
「実は俺手作りの味噌汁作ってもらうの初めてなんだよなぁ。しかもタイシンのやつだしなんかワクワクするわ」
「そ、そんなに期待されても大したモノじゃないから!」
ソファに身体をあずけ包丁が奏でる心地よいリズムに耳を傾ける。呼吸をすれば
「ネギ多めに入れるけど平気?」
「うん。別に大丈夫」
「そう」
「タイシンはさ。結婚したら旦那を尻にしきそうだな」
「そういうアンタはウザ絡みして子供から嫌われそうだけど」
「んなわけねぇだろ。ひねくれたクソガキを相手にしてる訳じゃあるまいし」
「は? もしかしてそれアタシに言ってる?」
かき混ぜていたおたまを置きこちらに歩み寄ってくる。ソファにもたれ掛かる俺と目の高さが変わらないあたりこいつの小ささが分かる。言ったら蹴りが飛んでくるから言わないけど
「いや? ひねくれたクソガキに言ってるんだけど」
「じゃあさ。試してみる? アタシがガキかどうか」
小さな手が俺の右手に添えられすごい力で身体に寄せられる。俺の身体は動かずまるでタイシンにキスをするかのように抱き寄せていた。目の前にタイシンの顔が近づいていく。微かに感じる匂いは小さいけれど中に強い芯があるような感じでどこかタイシンらしい。そこから視界がぐわんぐわんと地震にでもなったみたいな……
「起きろ!」
「あ? タイシン?」
「出来たよ。味噌汁」
「悪い。寝てた」
「知ってる」
「いつから寝てたんだ? ネギの話はしたよな?」
「何寝ぼけてんの?」
「あれ? じゃあ一体いつから寝てたんだ」
「……いいから早くして。冷めるから」
そっぽを向きながらエプロンを外す姿は可愛らしく、サッカーのエースストライカーのごとき蹴りを繰り出す凶暴さは見えない。こうやって大人しくしてれば可愛いのにどうしていつも蹴るんだ。俺が煽るからか
「ありがとなタイシン。いただきます」
「別に……これくらい」
「美味い。そういや実家もあまり帰ってないしこうして誰かが作った味噌汁飲むの久しぶりだ」
「あっそ……っし」
「あぁこういうの毎日飲みたいなぁ。やっぱインスタントとは違う」
お湯を注いで出来るそれとは美味さの次元が違う。もちろん開発者の努力を否定する訳では無いが、手作りとインスタントではどうやっても埋まらない差というものがあるのだ。今それを実感させられた
「ま、毎日とかこ、困るし。だってまだレースあるし」
「だよなぁ。まあご褒美的なやつだししゃぁないか」
「でもどうしてもって言うなら……毎日作ってあげても」
「まあでも次はハヤヒデに頼も」
亜音速で飛んできた蹴り。走マ灯のようなものが一瞬見える中タイシンと巡り会った日々が目の前によぎる。初等部に見間違え過食していた所を指摘して蹴られ、自主練を覗き見て初等部の就寝時間過ぎてるぞと指摘して蹴られ、珍しく小声でありがと……って言ったのを言いふらして蹴られ……あれ? 蹴られるだけが俺の人生だったのか?
「アタシのエプロンここに置いておくから!」
「お、おう」
「グランプリで一着とれたらまた作りに来てあげる」
顎に的確に決まった一撃で動けない俺を放置して帰るっぽいタイシンを床で見送る。猫さんがプリントされてるやつか。まあサイズ的に無いんだろうけどってことを言ったら、今度こそぺちゃんこにされるくらい踏み潰されるだろうから黙っておこう
「ありがとなタイシン」
「ふん……一生って言った意味はき違えんな……バカ」
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トレーナーのヒミツ
手作りの味噌汁が好き