月の明かりが街道を照らし出している。
今は日が落ちてからほんの数十分後の時間。
就寝するには早すぎる時間だが、夜道に人と獣の声は聞こえない。
時が止まったように静かな夜の街だが、一カ所だけ例外的な者達がいた。
「今日こそブっ飛ばす!」
「ええい、しつこい
開けた場所で戦闘するレイと蛇の異形。
そして周囲では異形が召喚した幽霊と応戦しているフレイアとマリー。
レイ達は夜になれば再びあの異形と幽霊が現れると予測して、屋内で待ち伏せていた。
結果としては予想通り。
街の人々が気絶すると同時に、幽霊と異形は姿を現した。
事前にアリスに幻覚魔法への予防を打ってもらったおかげで、レイ達は気絶することはない。レイ、フレイア、マリーは異形の相手。残りの四人は屋外に取り残された人の救出担当。
事自体はスムーズに入れた……が。
「どらァァァァァァ!!!」
前回の教訓からダークドライバーを使わせないように、隙が生じぬよう連撃を繰り出していく。
「くゥッ! 小癪なぁ!」
両腕の鱗で斬撃を受け止め続ける異形。
いい加減我慢の限界に達したのか、巨大な尾を振り回して、レイとの距離を作り上げた。
「私に貴様らの相手をしている暇などないのだ!」
そう言うと異形はダークドライバーを手に取り、先端から大量の煙幕を噴出させた。
煙の直撃を受けて、数秒視界を奪われるレイ。
だが武闘王波で強化された聴覚を頼りに、異形の気配を掴み取る。
「逃すかァ!」
「ボォォォォォォツ!」
「な!?」
レイが異形を追おうとした次の瞬間、嫌と言うほど聞き慣れてしまった鳴き声が襲いかかってきた。
「なんでこんな所にボーツがいんだよ!」
「貴様らはそれと遊んでいろ」
異形はそう言い残し、その場を去っていった。
後を追いたいところではあるが、食獣植物であるボーツを放置する方が街の住民の危機となってしまう。
やむなくボーツと応戦する事を選んだレイは、銀色の
「
術式構築。並行して、武闘王波で強化した聴覚と触覚で、襲いかかってくるボーツの位置を正確に把握する。
ものの一秒足らずでターゲットロックは完了。
後は引き金を引くのみ。
「
――弾弾弾弾弾ッッッ!!!――
撃ち出されたのは無数の魔力弾。
縦横無尽にその軌道を変えて、ボーツの急所を的確に撃ち抜いていく。
「ボッ!」「ボツッ!?」
短い断末魔を挙げて絶命していくボーツ達。
全てのボーツを倒した頃には、レイの視界も元に戻っていた。
「目ェ痛ったー……逃げられたか」
まだ微かに痛む目で周囲を見渡すが、蛇の異形の姿はどこにも無かった。
時同じくして、フレイアとマリーも幽霊退治を終えたようだった。
「レイ、大丈夫?」
「少し目が痛いけど大丈夫。そっちは?」
「問題はありませんわ。犯人の蛇さんに逃げられた以外は」
耳も痛くなった。
変身を解除したレイが首の裏を掻いていると、グリモリーダーに通信が入ってきた。
『あ、レイ君聞こえるっスかー?』
「ライラか、そっちはどうだ」
『ダメっス。幽霊はアーちゃんとロキが止めてくれたけど、幽霊船の方は逃げられたっス』
「そうか……こっちも蛇野郎には逃げられた」
『逃げ足早い敵っスね〜』
目標に逃げられてはどうしようもない。
レイ達は一度集まり、気絶していた住民の様子を見回りに行った。
だが案の定、気絶していたという記憶は皆無くしていたが。
街を回る中、レイは先程戦闘したボーツの事を考えていた。
何故デコイインクの産地でもないバミューダの地でボーツが発生したのか。
あの異形はキースのようにボーツを召喚する手段を持っているのだろうか。
モヤモヤしたものを残して、夜は更けていった。
◆
翌日。
街の端のある浜辺で、レイは拾った枝を片手に砂を弄っていた。
枝の先を動かして砂浜に図を描いていく。
頭の中では昨日得た情報を反芻し整理していた。
「(一つ、幽霊の原理や理論はおおよそ検討がついた)」
昨日ルドルフ爺さんの家で読んだ論文に、今回の幽霊と近しいものを作る研究があった。
霧状に散布させた
そして他者の魔力によって肉体を構築されているのであれば、術者の意思によって操られてもおかしくはない。
「だけど問題は二点……」
レイは砂浜に「魂の入手」と「魔力の供給方法」と描き走る。
まず「魂の入手」について。
幽霊を使って街の住民から狩りとっているのは確かだが、問題はその狩りを行っている幽霊の魂だ。
ゲーティアの悪魔との戦闘で、膨大な数の幽霊を相手にしてきた。もしもその幽霊全てに元となった人間の魂が宿っているのだとすれば……
「あの蛇野郎、どんだけ人間を殺してきたんだ」
正直考えたくもない。
更に間が悪い事にライラが持ってきた情報によると、ここ数年間でバミューダシティの住民の死者数が少しずつ上昇しているらしい。
普通なら対して気に留めない事だが……一連の幽霊騒動、もしもその死者の魂があの幽霊に転用されているのだとすれば……。
想像するだけで吐き気を覚える。
スレイプニルの言う通り、敵は生命を生命とも思わない外道なのだろう。
敵の最終目的は分からないが、最早関係ない。あの悪魔は見つけ次第すぐに討たなくてはならないと、レイは心に誓っていた。
「そうなると新しい問題は、蛇野郎の居場所なんだけど……」
「レイ、大丈夫?」
ブツブツと呟きながら砂弄りをしていると、フレイアが心配そうに覗き込んできた。
「大丈夫、とは言い難いな。前進はしてるけどゴールが遠い」
「目撃証言も碌に無いんじゃ、そもなるよね」
「結局自分達の足で進むしかないな。しかも敵は相当な外道ときた」
「人を殺して魂を狩ってるんですよね……」
オリーブが苦い表所を浮かべる。
昨晩の戦闘である程度の確信を得たレイは、チームのメンバーに自分の推測を離した。事が事なだけにフレイアは怒り、オリーブやマリーは顔を青ざめさせていた。
「でもまぁ分からない事が多くても、目的ははっきりしたよね」
「そうだな、一秒でも早く……」
「「蛇野郎を見つけてぶっ潰す!」」
「なにを潰すの?」
レイとフレイアがハモった直後に、聞き覚えのある幼い声が呼びかける。
振り向くと金髪の三つ編みを揺らしている少女、メアリーがいた。
「こんにちはー!」
「あ、メアリーちゃん。こんにちは」
「よっ、この前ぶり。ここに居るって事はあの後ちゃんと逃げられたんだな」
「ん? 知り合い?」
フレイアは初対面だった事を失念していたので、レイが軽く紹介をする。
「今日は樽に隠れなくてもいいのか?」
「だいじょーぶ。今日は王さまなにも言ってないから」
曰く、危ない時は王様が教えてくれるのだとか。
「あ、でも……夜は隠れた方がいいかも。緑色の霧がかかったら身体が動かなくなっちゃう」
「(それアリスの幻覚魔法だな。アイツ珍しく加減間違えやがったな)」
後で小言を言ってやろうと心に決めるレイ。
「メアリーちゃんは遊びにきたの?」
「んーん、歌の練習にきたの。もうすぐお祭りも近いから」
「どうせなら聞いてってやりな。この娘の歌めっちゃ上手いぞ」
「ドルオタ公認なら期待できそう」
「ドルオタって言うな」
ジト目で睨むレイに反し、キラキラと目を輝かせてフレイアを見るメアリー。
「おねーさん達、わたしの歌聞いてくれるの?」
「うーん、どうしよう……」
「聞いてってやれよ。どうせ進むべき道が見えてないんだ、寄り道しても変わらねーよ」
「じゃあ遠慮なく」
「やったー!」
オリーブとフレイアの了承を得て、メアリーは嬉しそうに飛び跳ねる。
「ね、ね! はやくはやく!」
「ちょ、ひっぱらないで」
「じゃあレイ君、ちょっと行ってきます」
「おう、あんまり遠くにはいくなよー。今グリモリーダー俺が持ってるんだからな」
「分かってる分かってる」
メアリーに引っ張られて、駆けていくフレイアとオリーブ。
その背中を見届けながら、レイは二人から預かっていたグリモリーダーを取り出した。
「進む道が見えなくても、対策くらいはできるもんね~」
専用工具を使って、二人のグリモリーダーを分解するレイ。
幽霊との戦闘を見越して、内部の頁をチューニングしているのだ。
他のメンバーは昨晩の内に終えたのだが、フレイアとオリーブは内部の術式が少々複雑だったので今の今まで持ち越してしまった。
極薄のオリハルコンに必要な術式を書き込んで、新しい頁を作り出す。
「ひーろーがーれー♪ なーがーうみよー♪」
メアリーの歌が耳に入り込んでくる。
相変わらず綺麗な歌だなとレイは感心していた。
「さーざーなーみー♪ なーをーいわいー♪」
美しい歌声い耳を傾けながら、並行してグリモリーダーのチューニングを行う。
そしてもう一つの考え事。幽霊の魔力供給方法だ。
あれだけ大量の魔力を維持するのは並大抵の事では無い。
どれだけ事前に丁寧な魔法術式を構築していようとも、一人の人間(今回の場合は異形か?)が持てる魔力には限界がある。
だから何かしらの途中補給手段がある筈なのだが、それが見当もつかない。
「(ここはデコイインクの産地じゃないから、キースのような方法は取れないからな……)」
仮に魔僕呪を使っていたとしても、あんな粘液をどうやって霧状魔力の塊である幽霊に供給するのか。そもそも街一つを覆う程広域に、どうやって補給させるのか。
「根っ子を断たないと、どうしようもないんだよな~」
ぼやきながらも、グリモリーダーを綺麗に組み立てあげるレイ。
チューニングを終えた頃にはメアリーは歌い終わり、フレイア達と浜辺で遊んでいた。子供の様にはしゃぐフレイアと、それを見守るオリーブを見ながら「何やってるんだか」とためを息一つつく。
海を見渡す。
眼に入るのは水平線から顔を覗かせる魔獣の子供。浜辺で遊ぶフレイア達。
そして反対方向には座り込む老人……見覚えのある人物のようだが。
「ん、ルドルフ爺さんじゃん」
そこにいたのは、昨日論文を見せて貰ったルドルフ爺さんだった。
幽霊に関しては世話になった事だし、改めて御礼でも言おうかと、レイが近づいた時だった。
ルドルフは小さな巾着袋から、一本の小瓶を取り出していた。
小瓶の中にはどす黒い粘液。
間違える筈もない、つい最近まで振り回されていた悪魔の薬物がそこには詰まっていた。
ルドルフが悲壮な顔で蓋を開けようとすると同時に、レイはコンパスブラスターを抜き取り、小瓶だけを銃撃した。
突然爆散した小瓶に混乱するルドルフ。そこにレイは静かな怒りを込めて歩みよって行く。
「アンタ程の人間が、それが何か知らない筈ないよな?」
「赤髪の小僧……余計な事を」
「禁制薬物使うのを防いだんだ、感謝して欲しいくらいだよ」
というか何故赤髪を気にするのだろうか。
少しばかり気にはなったが、今はそれどころではない。
「爺さんみたいな老いぼれが魔僕呪なんか使ったら命の保証なんかねーんだぞ。俺みたいな若いのに言われるのは癪かもしんないけど、もっと命は大事にしろよ」
「……貴様に何がわかる」
「あ?」
「貴様に、家族を殺された人間の何がわかる!」
突然の怒号と迫力に少し怯んでしまう。
「たった一瞬で、何の脈絡もなく、息子家族を皆殺しにだれたんじゃ! その敵を取る為に手段なんぞ選んでられるか!」
「……家族を殺される気持ちなら、嫌って程知ってるよ」
脳裏に蘇るのは父親が殺された瞬間。
復讐の気持ちを否定するつもりは無い。だが一つだけ、ここで否定しないといけない事があった。
「自分が傷つかなくても、自分の隣人が傷つく。いない人間の事言ってもしょうがないかもしれないけど、アンタはまだ生きてるんだから、自分の家族が悲しむような真似は避けてやって欲しい」
「……」
「さしずめ魔僕呪の魔力活性を使って、幽霊船に突撃でもかまそうとしてたんだろ? でもその程度であのデカブツが沈むなんて無理。それは爺さんもよく解ってんじゃねーのか」
「……わかっとるわい。アレのおぞましさなら、眼の前で見た」
弱々しい声で、ルドルフはポツリポツリと語り始める。
曰く五年前の出来事。
ルドルフの息子夫婦は商船の船乗りだったそうだ。
その夫婦と孫がバミューダ発の船に乗って出た直後、商船は幽霊船に襲われ沈没。近くにいた水鱗王《すいりんおう》が迎え撃ったものの、返り討ちにあい、船と共に海の底に沈んでいった。その日、趣味の船釣りに出ていたルドルフは偶然にもそれを目撃したのだそうだ。
すぐに街の人々の手を狩りて救助に出向いたが、既に手遅れだった。
水鱗王は完全に姿を消し、乗組員は一人を除いて全員無残な姿で発見された。
「その一人ってのは」
「教会のガミジン司祭じゃ。学会に向かう最中だったらしい。あの頃はアイツも儂と同じ研究職の男じゃった……」
「(マリーが悪態ついてた、あの生臭司祭か)」
「ガミジンは事故のショックで記憶喪失。儂は幽霊船の事を話続けたが誰も信じやせんかった。当然じゃそうな、街の象徴たる水鱗王が死んだなぞ信じたくもないじゃろうな……」
色々と合点がいった。
あれだけの存在感を放つ幽霊船の事を誰も知らない理由も、幽霊船を信じる者が殆どいない理由も。
「だから儂はッ、どんな手を使ってでもあの船を――」
「そういう時の俺達だ」
ルドルフの言葉を遮って前に出る。
「誰も死なせない、傷つかせない、ダメージは全部肩代わりする。その為に俺達が来たんだ」
「……お前さん、何者じゃ」
「自称ヒーローだ。安心しな爺さん、俺一人じゃない仲間も一緒に来てる。力を合わせればこんな薬物使わなくたって……」
幽霊船なんか倒せる。そう言おうとして、砂浜に落ちていた巾着袋の破片を拾い上げたレイ。
その異質さにはすぐに気が付いた。巾着袋の内側にびっしりと書き込まれた魔法文字。
そして砂浜の上でズプズプと気泡を弾けさせる虹彩色交じりの魔僕呪。
明らかに今までのものと違う。
「……なぁスレイプニル、これ魔僕呪だよな」
『そうだな。だが異質すぎる』
「……臭いは?」
『お前の予想通りだろうな。あの幽霊共と同じ臭いがする』
よく見れば少しずつ揮発している魔僕呪。
レイはルドルフの方を向いて、出所を問い詰めた。
「おい爺さん、これ何処で手に入れた」
「……生臭坊主が配ってきた御守りじゃ。中にソレが入っとった」
バラバラだったピースが、レイの中で急速に繋がっていく。
「あの生臭司祭……何かあるな」
次にやるべき事が見えてきた。