クリミアホワイト 戦場を駆け、命を救い、天使と呼ばれたウマ娘   作:オリスケ

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第12話

 ズズ――ン、という地響きが遠くで響いている。

 塹壕に張ったブービートラップが作動した音だった。撤退しがらんどうになった迷路を、敵軍が着々と解いていく。

 罠が一つ、また一つと解除されていく。正確な数は数えていないが、多分、残っていてもあと二つか三つくらいの筈だ。

 しばらくすれば、敵は塹壕を抜け、丘を越え、前線基地を占領しにやってくる。

 医療テントの中は静まり返っていた。ベッドの六割ほどが負傷兵で埋められていたが、呻き声の数も少ない。

 残された負傷兵のほとんどが、助かる見込みのないと判断され、取り残された人達だった。彼等は痛みに呻く事もせずに、ただベッドの上でじっと成り行きを――敵軍が攻め入ってくる時を待っている。

 

 

「……ふぅ、少尉ったら。ずいぶん巧妙に隠していたな」

 

 

 そんな静寂を、気の抜けた声が破った。デュナンは朗らかな笑みを浮かべながら、医療テントに顔を出す。

 横たわっていた負傷兵の数人が、苦しそうに身動ぎしてデュナンに言った。

 

 

「見つかったか?」

「この通り、なんと三本も隠されていた」

「ヒュウ、やっぱりだぜ、あのクソ少尉。さっさとチクって軍法会議にかけとくんだった」

 

 

 デュナンが掲げたのは、なみなみと中身の入った酒瓶だ。まだ意識のある負傷兵達が、各々のできる精一杯の喜びを表現する。

 吹き飛んだ両足に包帯を巻いた負傷兵が、大儀そうに呻きながら身を起こし、ベッドの端に座る。

 

 

「さっそく飲ろうぜ。酒があると聞いちゃ、もう一秒だって我慢できねえ」

「そうだね、みんなで飲もう。何も気分までどん底になる必要はない」

 

 

 デュナンは微笑み、一本目の栓を開け、負傷兵に手渡そうとする。

 

 

「待てよ。最初の一口は先生だ」

「僕はいいよ。アルコールなら消毒薬で嗅ぎ飽きてる」

「シケた事言うな。最後くらいハメを外そうぜ」

「どうせもってあと一時間だ。酔っ払った先生のノロケでも聞かせてくれよ」

 

 

 そう言うと、ベッドに寝たままの負傷兵達も、そうだそうだ、飲め飲めと口々に応じてくる。

 

 

「それじゃあ、お言葉に甘えて」

「乾杯は、誰に捧げるんだ? 誇り高き我が祖国か?」

「冗談よしてくれ……僕等が守るべき人達に」

 

 

 そう言って、デュナンは酒瓶を掲げ、一口含んだ。

 半年か、一年近くご無沙汰だった酒だ。酔うためにやたら度数を高くしたアルコールが強烈に喉を焼き、デュナンは思わず咽せた。そのだらしない姿に、負傷兵達から失笑が上がる。

 

 

「くぁ、ほんとにキくなぁ……はい、次どうぞ」

「それじゃ、俺は先生に乾杯だ」

 

 

 デュナンから酒瓶を受け取った負傷兵は、デュナンに向けて酒瓶を掲げ、一口ずつ煽り、次のベッドに。そうして、酒を回していく。立ち上がる事のできない人には、隣の人が飲ませてやる。酒を飲む力すらない人には、酒で濡らした指で唇を湿らせてやる。

 

 

「俺も先生に。死にかけの俺達のために死を選んじまった、馬鹿でお人好しのハワード・デュナンに乾杯」

「じゃあ俺は、あの白毛のウマ娘に。あの子が無事に家族の所に帰れるように乾杯だ」

「ウマ娘に乾杯。ああ、俺ももっと早く怪我しとけば、キザなデュナン先生じゃなくてあの子に看病されたってのに。惜しいことをしたもんだ」

「それはいい。うっかりアルコール瓶を傷口にぶちまけられても知らないよ?」

「ははっ、慕ってくれてたウマ娘にも容赦ねえなあ、先生は」

 

 

 ずずん、と地響き。音は確実に近くなっていく。

 まだ日暮れも遠いというのに、空を覆う暗雲は分厚く、世界を暗い灰色に染めている。

 人が失せ、戦いもすでに終わり。嘘のように静まり返った前線基地に、酒瓶を煽る音と、死にかけの負傷兵達の細やかな声が響く。

 一巡しただけで、酒は三本中二本が空になってしまった。二巡するには足りない。どうしたものかという胡乱な悩みが、自然と沈黙を産む。

 

 

「……馬鹿なことしたもんだよ、先生」

 

 

 出し抜けに、両足の無い負傷兵がデュナンに言った。

 

 

「どうして一緒にいてやらなかったんだ。あの娘は、先生を慕ってただろ」

「そうは言っても、僕にはこの医療テントがあるし」

「馬鹿言うなよ。こんな死にかけ達ために残って、何の

ためになるっていうんだ」

 

 

 半ば自棄のように、咎めるような声音で言う。デュナンは緩い微笑みを崩さない。彼は迷う時間もなく即答する。

 

 

「もちろん、君達のためになる」

「……」

「こんな場所だ。救えない命も、使い捨てられる命も山ほどある。だけど医療の鉄則として、命は平等だ。平等に救うべく手を差し伸べられるべきで、失われる時には平等に厭われるべきだ」

「……」

「このテントが、前線基地の医療の全てだった。僕は医療を任された者として、できる限り多くの人を救い……救えなかった君達にも、最後まで敬意を表したい。痛みを和らげて、不安を取り除く。できることを全てやって、最後まで見捨てない。これは医療の誇りで、僕の責任で、意地だ」

 

 

 蕩々と語る。声はちっとも震えない。デュナンはちゃんと、今ここにいるという意味を分かっている。

 残るのは自殺行為だ。残されるのはここで死ねと言われたのと同じ。だから誰も残る筈がなくて、だからこそデュナンは残ったのだ。命を守りたいと懸命に働いた医療の使命を最後まで貫くために。

 

 

「ウマ娘のあの子はいいのかよ? 式場まで決めてたんじゃないのか?」

「はは、そんな関係じゃないよ。クレアに僕は必要ない」

 

 

 デュナンは空のベッドの上に腰掛けた。回し飲むには足りない酒瓶を手で弄びながら、続ける。

 

 

「クレアは強い子だ。もう自分の足で歩くことができる。きっと、僕がいなかったとしても、自分で目標を見つけて成長していただろう……居合わせたのがたまたま僕だったというだけの話だ。僕がいる必要はない。むしろ、僕を見ていてはいけないんだ。これ以上長く僕といたら、彼女は戦場を居場所にしてしまう」

 

 

 それはだめだ、と呟いて、デュナンは首を振る。

 クリミアホワイトの事を考えれば、より一層、デュナンはここに残って良かったと思う。ここに残ったのは患者のためで彼女のためではなかったが、結果的にデュナンの感じていた負債を精算するように繋がった。

 クリミアホワイトは、大きく成長した。恐れにもめげず、まっすぐ前を向いて。誰かの事を思い、目的のために走る事に気付いた。

 

 

 だが、戦場という環境と、デュナンという人間は、これ以上彼女に関わるべきじゃない。

 彼女を成長させる事に貢献したが、結びつけてはいけない。

 いわばデュナンは重石だ。彼女を成長させるための試練で、枷だった。

 役目を追えれば、外して、忘れ去られるべきだ。

 

 

「あの子は……ウマ娘は、自由に走るべきだ。戦場よりも遙かに相応しい、居るべき場所がある。走るために産まれた魂は、こんな場所で使い潰されるべきじゃない」

 

 

 それがデュナンが下した結論。

 ある意味当然の帰結でさえあった。真っ白い髪と尻尾をなびかせ、心地よさげに耳を跳ねさせて走る彼女の姿を見れば、誰もが同じ結論に達する。

 

 

「……そう、だなぁ。あの子には、こんな場所は似合わねえ」

「幸せになって、欲しいよな」

 

 

 横たわる負傷兵達が、誰からとなくデュナンに頷く。

 全員が、かつてこの戦場にいた眩しいほどに懸命な少女の事を思い、静寂が満ちる。

 

 

「……でもよ、先生」

 

 

 静寂を割って。

 掠れた声で、誰かが言った。

 

 

「それでもアンタは、あの娘の傍に居てやるべきだったぞ」

「……」

「俺は、確かにあの子には自由に生きてほしいけど……これ以上、泣いて欲しくもねえよ」

 

 

 兵士達が、深い溜息で頷く。

 デュナンはしばらく押し黙っていたが、やがて手にしていた酒瓶の栓を開けた。思い切り瓶を傾けて、度数の高い酒をごくりと煽る。

 

 

「……僕だって、そうさ」

 

 

 ズズン、と、すぐ近くで爆発が轟く。

 否応なしに迫る最後の気配を、全員が悟っている。

 ぜぇ、と苦しげな吐息と共に、誰かが言う。

 

 

「間に合うんじゃないのか」

「そんな訳ない。僕は彼女のように走れない」

「やってみなきゃ分からないだろ」

「無理だよ、無駄死にだ。奇跡でも起きない限り」

「だったら、奇跡を祈って走る価値はあるんじゃないか?」

「……ダメだ、僕には君達がいる」

「やめてくれ。俺達がもういいって言ってるんだ。死ぬしかない俺達に、これ以上付き合うな」

「……」

「もういい。もう充分だよ。ありがとう、先生」

「……」

「俺達のためにも、走ってくれよ」

「……」

「あの子は、諦めなかったじゃないか」

 

 

 口々に、誰もが同じ気持ちで、デュナンに言う。

 ベッドに腰掛けたまま、デュナンは項垂れる。手にした酒が、振動を感じて揺れている。

 ざくざくという土を踏む音が、迫る。

 

 

 

 

 

 

 




今日の20:00、20:15、20:30の連続投稿で完結です。
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