クリミアホワイト 戦場を駆け、命を救い、天使と呼ばれたウマ娘   作:オリスケ

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第3話

 

 

 

 夢を見ていた。

 夢の中で、クリミアホワイトは草原を駆けていた。

 見慣れた故郷の草原だ。風になびく柔らかな若草。緑の絨毯が地平の先までまっすぐ続いている。地面を蹴る躍動感、風を浴びる爽快感を鮮明に感じる。心が沸き立つような気持ちで、足を動かす。

 しかし、その草原にふと影が差した。彼女の背後から追い抜くようにして地面がボコボコと隆起して、草原が掘り返されたような土くれに変わっていく。

 顔を上げた時には、彼女の見知った青空はなく、鉛を混ぜ込んだような重たい暗雲が覆っていた。

 

 

 その空に、橙色の光が三つ、四つ、次々に増えていく。

 それは瞬く間に姿を大きくし、隕石のように彼女の周囲に降り注いだ。

 立て続けの爆発。ウマ娘の耳が千切れそうな轟音が鳴り響く。舞い上がった土砂が顔に当たり、大きくよろめく。

 目を開けた時には、そこはもう草原ではなかった。眼前には草木一本もない焦土。丘の上には大量の大砲が並んで砲塔をこちらに向けている。彼女の周囲には大量の兵士がおり、銃剣を手に雄叫びを上げて突撃していく。

 火砲がパッと閃光を瞬かせ、爆発が巻き起こる。クリミアホワイトのすぐ傍にいた兵士が砲撃をマトモに喰らい、"四カ所に散らばって飛んでいく"。

 

 

 魂が震えた。ここに居たくないと本能が告げた。走っていた足が止まり、逃げようとする。しかし、後ろからも大量の兵士が押し寄せており、彼女を無理矢理に押して前に進む。嫌だ、逃げたい、そう思っても、兵士達が彼女の身体を無理矢理戦場へと運んでいく。

 走れ、と。無数の兵士が叫ぶ。走れ、走れ、走れ走れ走れ走れ! 頭を覆って叫びたくなるような、怒鳴りつけるような声で走れと命じられる。砲撃と怒号への恐怖で思考ができなくなり、訳もなく涙が滲んでくる。

 クリミアホワイトを呑み込む兵士の只中に、高射砲が直撃した。何十人もの悲鳴が重なって鉛色の空に木霊し、赤く重たい雨がバラバラと降り注ぐ。

 

 

 煽りを受けて吹き飛んだクリミアホワイトの目の前に、ばちゅっと激しい水音を立てて何かが落ちてきた。

 まだ恋すら知らないような、あどけない青い瞳。

 首だけになったユリアンと目が合った。

 悲鳴すら出せず、クリミアホワイトは凍りつく。

 ユリアンの首は、千切れ飛んだ痛みに身悶えるようにもぞもぞと震わせ、口を開いた。

 ギリギリと歯を食い縛り、炎のような憎しみを彼女に向ける。

 

 

「お前が、ちゃんと走っていれば――」

 

 

 そこまでだった。丘の上にずらりと並んだ大砲が、まっすぐ彼女に向く。

 パッと閃光が瞬き、爆発が彼女の意識を一気に塗り潰す。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――はぁッ! あぁ、うぁぁっ!」

 

 

 電気ショックを浴びたように、クリミアホワイトはベットから飛び起きた。起きてからも錯乱状態は収まらず、身体を誰かに押さえつけられているかのようにじたばたと身悶える。

 ベッドのシーツを掻き抱いて抱き締め、身体をぎゅっと丸くする。ばくばくと早鐘のように打つ心臓の鼓動で、自分が生きている事を必死に確かめる。

 

 

「ふッ、ふッ、ふぅッ……ふゥーっ、ふぅー……!」

 

 

 喉がしゃくり上がって呼吸が難しい。身体が凍えるように震えていた。脳裏に染み着いた光景は、たとえ夢だと分かっていてもあまりに鮮明な、本当に一度死んでしまったかのような恐怖だった。

 

 

「落ちついて……生きてる。大丈夫。生きてるから……」

 

 

 震える身体に、自分でそう言い聞かせる。何度も何度も深呼吸して、硬直する身体を解きほぐす。

 抱き締めていたシーツを下ろして、ようやく彼女は、自分が見覚えのない場所にいる事に気が付いた。

 営舎として利用される自軍のテントだが、彼女の知るそれより遙かに大きく丈夫そうで、何より個室だった。幹部格にしか与えられない筈なのに。

 ここに来るまでの記憶がすっぽりと抜け落ちている。必死に走って、前線基地に辿り着いて、それから自分はどうしたのだっけ。

 

 

「なんでここにいるんだっけ……っう」

 

 

 思い出そうとしたのがいけなかった。昨日の光景が、飛び散る血が鮮明に香るほどフラッシュバックしてきて、胃が捻れるような吐き気に襲われる。

 嘔吐かずに済んだのは、テントのフロントを捲った彼が、フラッシュバックを止めてくれたからだった。

 

 

「やぁ、起きたみたいだね」

 

 

 親しみの籠もった、柔和な声。

 顔を上げると、優しい笑顔と目が合った。

 癖が強くあちこち跳ねた伸び放題の茶髪。細いフレームの理知的な眼鏡。やたら多いポケットが目立つ濃緑のロングコートは何日も洗っていないのかヨレヨレだ。コートの左腕には、白字に赤十字をあしらった腕章が付けられていた。

 彼はテントに入ってくると、迷いのない足取りでクリミアホワイトに近寄り、いきなり彼女の白髪をかき上げ、額に手を置いた。

 

 

「ひゃっ」

「うん、熱はなし。顔色も……良くはないけど、衰弱してはいないね。はい、こっち見て」

「え、あの……わ、眩しっ」

「はい、瞳孔収縮は正常。ついでに脈拍も正常の範疇っと……はは、いつ脈拍計を巻かれたか分からなかっただろ? 毎日やり過ぎて、最近はもう手品みたいな手際の良さになりつつあるんだ」

 

 

 言う通りにいつの間にか巻かれていた脈拍計のバンドを外し、男性は楽しげに笑ってクリミアホワイトから離れる。突然の事に、クリミアホワイトは目をぱちくり、頭の耳をぴこっと揺らして男性を見る。男性はコートのポケットを弄り、小瓶から錠剤を取り出すと、傍らの机の小皿に乗せた。

 

 

「これが鎮痛剤、これが抗炎症剤。あと湿布も付けておこう。足は少し痛むかもしれないけど、オーバーワークでくたびれているだけだから、二,三日休めばすぐ回復するはずだ。ここは僕の個室だけど、僕は兵舎も使えるし、ひとまず君が自由に使って構わないよ」

「ちょ、あなたは……」

「痛むなら薬は今飲んで大丈夫。けどできれば食事の後の方がいい。お腹は空いてるかな?」

 

 

 その質問に答えたのは、戸惑いっぱなしのクリミアホワイトではなく、彼女のお腹だった。ぐぅぅぅぅ~……という素直過ぎる音がテントに木霊した。

 悪夢の恐怖なんてすっかり消えて、クリミアホワイトは思わずお腹を抑え、ぼっと顔を赤くする。男性は微笑ましいものを見るような目で頬を緩ませる。

 

 

「恥ずかしがらなくていいさ、お腹が空くのは元気に生きているって証拠だ。ご飯の用意はできているから、落ちついたら兵舎の方に行くといい。酢漬けだけど人参もあるよ」

 

 

 捲し立てるような口ぶりでハキハキと喋ると、男性はサッと身を翻す。クリミアホワイトがハッと気付いて「あの……」と声を上げた時には、彼はもうテントの外に出てしまっていた。

 いきなり押し寄せて、あっという間に去ってしまった男性。差しだした手を下げられないまま、ヒラヒラ揺れるテントの入口を呆然と見る。

 

 

「……なんだったの、あの人」

「ああ! そうだ、大事な事を忘れてた!」

「ひゃいっ!?」

 

 

 またもいきなりテントが捲られて、男性が顔を覗かせた。

 大声に身を竦ませるクリミアホワイトのまん丸な目を見つめて、彼はにっこりと、晴れやかな優しい笑顔で言った。

 

 

「君の届けてくれた物資のお陰で、大勢の命が救える。本当にありがとう、綺麗な白髪のウマ娘さん」

 

 

 言うだけ言うと、男性はあっけなく「それじゃ」と手を振って、今度こそテントから離れていく。

 テキパキとした早口で、全く会話をさせてくれない。それなのに不思議と心に染みるような言葉をかける、不思議な男性だった。

 

 

「……、…………あの、せめて名前を……」

 

 

 結局最後まで、クリミアホワイトは呆然としたまま、名前も知らない彼を見送ったのだった。

 

 

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