クリミアホワイト 戦場を駆け、命を救い、天使と呼ばれたウマ娘 作:オリスケ
その日、クリミアホワイトは一五人分の糧食を平らげた。
元々、ウマ娘としてはお手本のような健康優良児。平時からヒトの五倍くらいは平気で食べる少女だったが、任務で体力が削られていた事に加え、緊張が一気に解けてしまったのだ。山と積まれた乾パンや酢漬け野菜が、吸い込まれるようにクリミアホワイトのお腹の中へと消えていく。
「んぐ、はく、はふはふ……ん~……!」
口いっぱいに頬張ったまま、思わず歓声を漏らす。保存性を上げるために缶詰だったりやたら塩や酢を利かせていたりと、味は決して良いとは言えなかったが、食べるとはそれだけで嬉しいものだ。いっぱいに頬張った口元は自然と緩んで笑顔を作る。
兵士達の中には、ウマ娘を始めて見る人達も多くいた。彼等はクリミアホワイトの凄まじい食いっぷりに口をあんぐりと開けて驚き、感心し、終いにはいつまでも終わらない食事に呆れてそれぞれの任務に散っていく。
最後の人参ピクルスをごくんと呑み込んだ時には、テーブルの脇には空き缶が山と積まれ、食堂の人はすっかりまばらとなっていた。
「はぁ……おいしかったぁ……」
一杯に満ち足りたお腹をさすって、クリミアホワイトは微睡みにも似た心地よさに浸る。
「凄い食べっぷりだね。見ているこっちまで元気を貰えそうだ」
ふいに声をかけられる。顔を上げれば、にこやかな笑顔がクリミアホワイトを見下ろしていた。フレームの薄い眼鏡に、赤十字の腕章。医務室にいた男性だ。
「あれからもうひと波あってね。ようやくご飯の時間だ――座っても?」
「え、ええ。どうぞ」
「じゃあ遠慮なく。それと、はい。これは君へのプレゼント」
クリミアホワイトの正面にトレーを置いた彼は、自分のコートのポケットを弄ると、掌に収まるサイズの袋を彼女のテーブルの上に乗せた。中を見ると、カラフルな色合いの粒が沢山入っている。
「……これは?」
「チョコレート」
「チョ――うぇぇ!?」
何気ない調子で男性が言う。一方のクリミアホワイトは、ガタッと椅子を揺らすほど大きく仰け反った。タバコの次に貴重な嗜好品だ。それもこんな大量になんて。
「受け取れませんよ。私なんかが、こんなっ」
「はは。さっきあんなに大量に食べておいて、いまさら遠慮する事があるのかい?」
「そ、それはお腹がぺこぺこだったからで、あの……うぅ」
「謙遜する事はない。君への感謝としては、これじゃ全然足りないくらいなんだから」
言われて、クリミアホワイトはきょとんと目を丸くする。男性は缶詰の蓋を開けながら微笑む。
「工業技術が発達して、自動車もかなり普及してきたけれどね。機動性や悪路への適応力、ガソリンの燃費を考慮すれば、前線基地への補給は今なおウマ娘が最良だ。一六〇〇名もの人を抱える前線基地が活動できているのは、紛れもなく君達のお陰なんだ」
言いながら彼は、開いた缶詰のブロック肉を一口。ほとんど噛まずに呑み込んで、続ける。
「そればかりか君は、あわや棚の下敷きになりそうだった負傷兵を助けてくれた。あの棚には、鎮痛剤止血剤包帯結束バンド、その他諸々の器具と医薬品を仕舞っていたんだ。少なく見積もっても三〇人分はある。あのまま倒れていたら、それだけの命を助ける機材の破損は避けられなかっただろうね」
「……」
「つまり、君の咄嗟の行動がそれだけの命を救ったって事さ。これは助けて貰った全員分の感謝を籠めた、僕からのお礼だ」
彼の声は優しい色をしているのに、まっすぐで芯があり、心にしみ込んで否定も遠慮も引っ込ませる不思議な力があった。
そうまで言われれば、突き返せるはずもない。クリミアホワイトは礼を言って、袋を受け取る。
満足げに頷いた男性が、彼女に手を差しだした。
「ハワード・デュナンだ。この前線基地で軍医を担当している。階級は曹長だけど、ほぼ名義上だから気にしないで」
「クリミアホワイトです……その、よろしくお願いします」
「はは、冗談はやめてくれ。君が僕によろしくされるなんて最悪の未来だ」
笑って、デュナンは握ったクリミアホワイトの手を振る。すらりとした印象だが、手の皮は分厚くかなり力強い。思わず感じ入っていると、彼はぱっと手を離して缶詰に手を付ける。
「楽しくお話をしたい気持ちはあるんだが、君も見た通り医療テントは大混雑でね。すぐに戻らなきゃいけないんだ。毎日二〇人も三〇人も担ぎ込まれるんだから、てんやわんやさ」
言っている間にも、デュナンはガツガツと糧食を平らげていく。食べるというより吸い込むみたいだ。テキパキとしつつも捲し立てるような話しぶりも、彼の忙しさから来ているのだろう。
「……戦況は、どんな感じなんですか?」
「ひどいね。ひどくなっていくばかりだ。負傷者の数は日ごとに増えて、負傷も深い。それだけ敵が果敢に攻めていて、ウチの防衛がずさんになりつつあるって事だ。しばらく睨み合いを続けていたけれど、そろそろ限界かもしれないな」
「限界になったら、どうなるんです?」
「さあね。戦線を放棄して撤退か、自棄になって全員突撃か。どちらにせよ深刻な被害が出るだろう。死者が一〇〇〇を越えなきゃいいけれど」
てきぱきとデュナンが言う。感情の乗らない、事実を淡々と陳述するみたいな口調だ。
それだけ、彼にとって死は当たり前で、すぐ傍にある事なのだろう。そう思うと、否応なしに昨日の事が脳裏に蘇ってくる。
彼はもう缶詰の最後の一口を食べ終え、乾パンの包みを開けた所だった。半分を一気に咥え込む。あと三〇秒もせずに食べ終わり、そうすれば彼は、再び風のように去ってしまうのだろう。
話をするなら今しかない。そんな焦りに似た思いが、彼女の口を開かせていた。意を決して顔を上げ、乾パンを頬張ったデュナンを見る。
「あ、あのっ」
「ふも?」
「……私達、なんで戦ってるんですか?」
自然と、問いかける声が震えていた。頬を膨らませたまま、デュナンがぱちくりと目を丸くする。
「私、国のずっと西の方の村の出身で……つい半年前まで、戦争なんて本当に遠い、別の世界の出来事だったんです。なのにお父さんが連れていかれて、兄弟も連れていかれそうになって……私も……」
頭の上の耳がぺたりと寝ているのが、自分でも分かる。白毛の尻尾が、踏み荒らされて柔らかな地面をさっと撫でる。
いま、世界はかつてなく大きな争いの渦の中にいる。
国と国が、互いの威信と利益のために戦っている。どの国も勝利のために奔走している。
クリミアホワイトも、彼女の父親も、国の資源として戦場に投入されている。国のために命を捧げよと言われている。
正直、未だに、訳が分からない。
自分はただ、家族一緒に生活して、あのだだっ広い草原を駆けていくだけで、じゅうぶん幸せだったのに。
「ずっと悪い夢を見ているみたいで。ここで死んじゃうのかなって不安が、離れてくれなくて……なんでここに居るんだろうって、本当に分からなくて……」
じわりと、目頭に熱いものがこみ上げてくる。泣くのは卑怯だと分かっていたけれど、彼女の中の不安は、そんな理性で抑えられるものではなくなっていた。
自分でも、なんでこのタイミングなのかと疑問に思う。けれど、期待してしまったのだ。柔らかくてやたらまっすぐな言葉を使うデュナンであれば、この不安に、納得できる答えを授けてくれるのではないかと。
クリミアホワイトが胸中を吐露するのを、デュナンは乾パンを頬張った格好のままで静かに聞いていた。彼はごくんと口の中を空にして、打って変わった真剣な調子で言う。
「……国のため、憎い敵のためって信じられるならそれが幸せだけど。君はそうじゃなさそうだ」
息を詰めて続きを待つクリミアホワイトに対し、デュナンは静かに首を横に振る。
「なぜか、なんて聞かれてもね。理由なんてないよ。どこかで戦争が始まって、国が『何としても勝つ』と決めて、僕等がここに送られた。それだけだ」
「そ……それが、いっぱい人が死ぬ理由になるんですか? 私は何でこんな所に……」
「思うに、君が欲しいのは戦う理由ではなく、逃げる理由じゃないかな」
不意打ちのように、核心を突かれた。クリミアホワイトが息を飲む。デュナンは相変わらず穏和な顔つきをしていたが、その目はこれまでの彼よりも数段鋭い。
「残念ながらその理由もない。同時に逃げる君を引き留める理由も無いわけだけど、いま君がいなくなると前線に弾薬と医薬品を補給する労力が激増する。間違いなく戦線は崩壊するだろうね」
「っ……」
「君にとって凄く意地悪な答えだろうけれど、曹長って立場上は言わなければいけない。君の脚には、多くの人の命が乗っている……必要不可欠なんだ。理由など関係なく、君はもうこの戦争に組み込まれているんだよ」
望んでいた答えとは全然違う、突き放すような解答に、クリミアホワイトの胸が張り裂けるほど辛くなる。
どうしようもない。それが彼女の胸中に忍び寄る感情だった。自分か、兄弟二人か。出兵を要請されたあの時の苦しみと気持ちが重なる。
俯き、また泣き出しそうになったクリミアホワイトに、デュナンは「けどね」と言葉をかけた。
「戦争は終わるよ。結局、喧嘩と同じなんだ。どれだけ激しくいがみ合って、どれだけ時間がかかっても、必ず終わる」
クリミアホワイトが顔を上げると、デュナンは残り半分の乾パンを頬張った所だった。またもほとんど噛まずにごくりと呑み込んで、続ける。
「それまで生きるんだ。国の勝ち負けは関係ない、生きてさえいれば君の勝ちなんだ……気休めにしかならないかもしれないけど、僕に言えるのはこれくらいかな」
言うだけ言うと、デュナンは空き缶とゴミを纏めて立ち上がった。そのまま、踵を返して歩き去ろうとする。
気付けば立ち上がり、その背中に声を駆けていた。
優しい色をした瞳が、彼女を見つめる。
「デュナンさん。それじゃあ、あなたは何のために頑張っているんですか?」
「医者のやる事はいつも同じだよ。生きてさえいれば勝ちなこの戦場で、一人でも多くの人を勝たせるのさ」
解答には全く迷いがなかった。彼は唇を緩めて微笑むと、クリミアホワイトに背を向けて去っていく。
その背中を、クリミアホワイトは静かに見つめていた。彼女の白い尻尾が、言い知れない感情にふるふると揺れている。
去りゆく赤十字の腕章を付けたコートから目を離せない。その時の彼女はまだ、その感情が何なのかを言葉にする事はできなかった。