クリミアホワイト 戦場を駆け、命を救い、天使と呼ばれたウマ娘 作:オリスケ
「二度の裂傷! 患部を圧迫して出血を押さえて――違う、もっと強く! 遠慮しようなんて思わないで!」
「はいっ! うう、血が酷い……」
「怖がってちゃ命は救えないわよ、クレア! ほらしっかり!」
「止血帯がない? 嘘でしょ? クレア、いま誰に使ってるの?」
「え、ええっと三四番です! ……いや四二番だったかも……!?」
「もう、これで探す手間が一つ増えたわ。忙しいからって適当にしちゃダメだからね!」
「違うコレじゃない、欲しい薬はアスピリン! どうしたらアルコール瓶と間違えられるのよ!」
「ひぇぇ、ごごごめんなさーい!」
「ひぇぇは薬を間違って打たれそうになってる患者のセリフよ! クレアったら、使う機会の多い薬はそろそろ覚えてちょうだい!」
二週間後。
日増しに激しくなる戦いによって苛烈さを増す前線基地の医療テントには、艶やかな白い髪と尻尾を靡かせてベッドの間を必死に走るウマ娘、クリミアホワイトの姿があった。
デュナンの掛け合いもあって、クリミアホワイトは輸送任務の合間、前線基地で待機している際に、医療部隊の一員として負傷兵の治療にあたるようになった。元々、ウマ娘が輸送と補給以外で任務に充てられる事はまずなく、任務に支障を来たさなければある程度の自由行動は黙認されている。本人たっての希望ということもあって、彼女の不安とは裏腹にアッサリと医療スタッフとして従事できるようになった。
しかし、そこからが本当に大変な日々の始まりだった。
クリミアホワイトの仕事ぶりはお世辞にも良いとは言えなかった。負傷兵の傷にあからさまに狼狽え、薬を間違えたびたび混乱して、あわや転んで器具をぶちまけかけてしまう。医療テントには、これまで家族専用だったクレアという愛称で彼女を叱責する声がひっきりなしに響き渡る。
それも無理のない話だった。本来医療部隊に所属するためには、医療従事者のそれに準じる正式な資格が必要となる。猫の手も借りたいという事で働く事自体は黙認されているが、薬剤投与などは任せられず、赤十字の腕章も着けてはいない。
膨大な知識と的確な判断を常に迫られる医療行為、その中でも世界一過酷な現場である前線基地に飛び込んだのだ。単なる手伝いと言えど、その激務はクリミアホワイトの許容値を大幅に越えていた。
「クレアー! 包帯早くしてー!」
「は、はい! いきますよしっかり受け止めてくださいね!」
「ナイススロー! ――ってコラ、医療器具を投げるなー!」
一日に何十回も「しっかりしてクレア!」と怒られて、ベットの間を駆けずり回って。空回りしっぱなしで、ときどき治療を受ける負傷兵からも苦笑いをされるようなとんでもないミスをやらかしたり。
そんな彼女にも、適任と呼べる仕事があった。
その通信が入ると、彼女はヘルメットを被り、丘をくり抜いて作られたトンネルを抜け、戦場である最前線の塹壕へ。専用のソリを手に走り出す。
そこは掛け値無しの戦場だった。深く掘られた塹壕の中を、沢山の兵士が右へ左へと駆け回って戦線を維持している。敵の高射砲が断続的に大地に落ち、ずどん! ずどん! と耳を震わせる。
その火薬の香る砂埃をかき分けて、クリミアホワイトは目的地、不運にも高射砲の一発が着弾した爆心地に辿り着く。
「輸送隊、来ました! 負傷した方はどこですか!?」
「ここだ! 二人怪我してる、片方は意識がない!」
応急処置に当たっていた兵士が手を振ってクリミアホワイトを呼ぶ。爆発の余波の強烈な熱に肌がヒリつく。空気に混じるのは、むせ返るような炸薬の匂いと――血の匂い。
こみ上げてくるものを押さえて、クリミアホワイトは血だらけで倒れ伏す二人の傍に持ってきたソリを敷いた。慎重に二人を横たえると、落ちないようにベルトでしっかりと固定させる。
「早かったな、さすがウマ娘! 頼むぞ、二人ともいい奴なんだ。死なせないでくれ!」
「任せてください。私達が絶対に助けてみせますから!」
力強く頷いて、クリミアホワイトは火薬と焼けた土の香りが漂う塹壕の中を、ソリを引いてひた走る。
最前線の負傷兵を安全な場所まで運ぶ輸送兵という役割は、脚力に優れるウマ娘たる彼女にとってまさしく適任だった。彼女は日々塹壕をくぐり抜け、怪我を追った負傷兵達を迅速に後衛まで避難させる。
看護婦達の手伝いとして医療テントを走り回り、負傷兵の救助のために塹壕内をひた走る。
輸送任務の合間の、一回あたり三日ほどの滞在期間中、クリミアホワイトはそうやって、止まる事なく走り続けた。
「どいて、路を開けてください! 負傷者が通ります!」
「っあぁ……ありがとう。も、もう、ダメかと……本当にありがとう……」
「大丈夫、助かりますよ! 私もあなたも、みんな必ず生きて帰るんですから!」
涙を流す負傷兵をソリに乗せ、力強い言葉と共に塹壕の中をひた走る。
沢山の怪我を見た。血の臭いも嗅いで、聞くに堪えない呻き声にも向き合って。
少なくない数の死にも立ち会った。
だからこそ、生きようと頑張っている人のために、懸命になれた。目が回るような忙しさにも、凄惨な光景にも、前線に踏み込む恐れにも、負けるもんかと踏ん張れた。
忙しすぎて考える暇すらなかったが、誰かのために自分から動くその経験は、クリミアホワイトを確実に成長させていた。
短い期間で彼女は、少女として、ウマ娘として、一回りも二回りも逞しくなっていった。
「はぁ……つ、か、れたぁ……!」
その日、朝から昼に懸けて五時間ぶっ続けで動き続け、ようやく休憩の時間を貰えたクリミアホワイトは、医療テントを出た途端にばったりと倒れ伏し、珍しく除く青空に向け万感の気持ちを籠めて吐息を吐き出した。
ウマ娘はスタミナもヒト以上だが、常に緊張し考えて動かなければいけない医療テントの労力は並大抵ではない。頭はかんかんに熱が籠もって石炭みたいだ。もう一歩たりとも動きたくない。こうして休み時間にくたくたに倒れる度に、毎日負傷兵と向き合う看護師達が本当のプロだと思い知らされる。
「……私、まだまだなんだろうなあ」
「そんな事ないさ。日進月歩、君は毎日大きく前進しているよ」
ひとり言だったはずなのに、不意に頭上から声が懸けられた。えっと思う間もなく、ほっぺたにひやりとした何かが押し当てられる。
「ひょわっ!? ……も、もお。驚かせないでくださいよ、先生!」
「ごめんごめん。あんまりに気が抜けているから、つい悪戯したくなっちゃった。はい、水を貰ってきたよ」
「ありがとうございます……喉がカラカラなのを、今思い出しました」
柔らかな笑みを浮かべるデュナンから水筒を受け取ったクリミアホワイトは、蓋を開けて一気に流し込む。味気もないぬるい水だが、身体が何よりも欲していたものだ。身体が潤いを取り戻し、目が覚めるような心地よさが全身を包む。
「どうだろう。そろそろ仕事にも慣れたかい?」
「いいえ、全然です。毎日みなさんに怒られっぱなしです……ミスばっかりで、覚えきらない事もまだまだ沢山あって……」
「はは、だろうね」
「ちょ、ちょっと先生。だろうねとは何ですかっ」
「情熱だけで名医になられちゃ、世界に医科大学なんて存在しないよ。君がここで満足に働くなんて、僕がいきなり徒競走で君に勝つくらい無謀な話だ」
「うぅ、分かってます、分かってますけど……あんまりバッサリ言われるとしょげちゃいますよ、先生」
組んだ膝で熱くなった顔を隠して、クリミアホワイトは小声で文句を言う。
医療テントで仕事をする傍ら、自然とクリミアホワイトは、他の看護婦と同様にデュナンを『先生』と呼ぶようになった。
それは彼女とデュナンの立場上ふさわしい呼称だったのもある。加えて彼は、時々こうしてクリミアホワイトに話しかけ、よく気に懸けてくれている。誰より自分が忙しいにも関わらずだ。『先生』という呼称は、彼の厚意を受け取る上で最も適切な呼称だと感じていた。
そんな先生は、明朗な言葉でクリミアホワイトの仕事ぶりを一刀両断し、あっけらかんと笑ってクリミアホワイトの隣に座る。
「でも、情熱がなければ上達することもない。現に最初よりずっとテキパキ動けているし、普通は目を背けたくなるような酷い血や怪我にも、しっかり向き合う事ができている。君は立派に自分の使命を全うしているよ」
「そうですか? 先生から見ても、私は頑張れていると思いますか?」
「もちろん。だってほら、君の目」
「目?」
デュナンが顔を向け、自分の顔、薄いフレームの眼鏡を指さす。ぱちくりと瞬きするクリミアホワイトの目を見て、言う。
「活き活きしてるよ。隈は張って疲れは溜まっているけれど、強い光が宿っている。前を向いて、前に進んでいる人の目だ」
「……この状況で、活き活きっていうのはどうなんでしょう」
「はは、不謹慎かな? でも実際、君が来てくれて医療テントは明るくなったよ。おっちょこちょいで笑いが上がるなんて前代未聞さ……みんな辛いけど、苦しいけど、君のような可憐なウマ娘が誰よりも必死に頑張っているんだ。僕達も頑張ろうって思える」
「か、可憐って……」
ぽっと頬が朱に染まる。けれど羞恥心以上に、デュナンのハッキリとした言葉が、クリミアホワイトの胸に熱いものを宿す。
実際に、自分でも分かるくらいにクリミアホワイトは変わった。彼女が纏う軍服は治療の際に飛び散った血で所々赤くなっていたが、それに気を窶す事がなくなった。痛みに悶える悲鳴を聞いた時に、前は怖くて勝手に身体が震えて涙が溢れていたのに、今はとにかく何とかして助けなきゃと心が奮い立つ。
戦争に慣れたと言えば、聞こえはあまり良くない。物怖じせず血や傷に触れるのは普通の女の子の胆力ではない。
けれどそれは、逃げられもしない戦争から逃げたいと願い、目を背けて蹲るよりは、ずっと勇気が必要で、意義のある選択のはずだった。
クリミアホワイトは、膝を抱えていた腕を見つめ、拳を作る。疲れてへとへとの腕は、それでもこれまでよりずっと強い力を籠められているような気がした。
決意を新たにするクリミアホワイトの横で、デュナンがふっと苦笑した。
「……本当は、君のような娘は、こんな場所にいるべきじゃないんだけどね」
「え?」
しみじみとした声に顔を上げる。デュナンは彼女に対し、慈しむような温かい目を向けている。デュナンは上体を逸らして、暗雲の隙間から青色の覗く空を眺める。
「ウマ娘――人の姿をしながら、人を越えた優れた身体能力を持つ少女達に、僕達人間は古くから助けられてきた。故郷の村にもウマ娘がいて、一緒に畑を耕してくれたし、医学生の時に何人か看た事もある」
「……私が、始めてじゃなかったんですね」
「意外かい?」
「いえ。ただ、そうなんだーと思って」
デュナンに目を向けられて、さっと顔を逸らす。
お腹のあたりがむずむずする。なんで自分は今、水を差すような事を言ってしまったんだ? 幸いにもそのモヤモヤには気付かれず、デュナンは続ける。
「彼等はその力で僕達を支えてくれていたけれど……医者仲間の間でよく言っていたよ。彼女達は本当に、幸せそうに走るなってね」
走るために産まれてきたとは、果たして誰が言った言葉だったのか。それはクリミアホワイト自身も腑に落ちる言葉だった。
走る。小さな身体にありったけの力を籠めて大地を踏みしめ、蹴り、風を切って進む。その時にクリミアホワイトは、大きな充足感を抱く。自分はこれを味わうために産まれてきたのだと確信するほどに強い幸福感を抱く。それはクリミアホワイトに限らず、全てのウマ娘に共通する喜びだ。
「クレア、前に故郷の事を話してくれたよね。草原がどこまでもまっすぐ広がる、心地良い場所だって」
「はい。昔はよく、日が沈むまで走り回っていました」
自分の言葉に苦笑する。
かつて、いつまでも走っていられそうと思っていた故郷の草原は、自然と「昔」と呼称するくらい遠くなってしまったのだ。
そんな感慨に耽っていたから、デュナンの言葉への反応は、一呼吸遅れた。
「戻りたいだろう」
「……え?」
「あの頃に、戻りたいだろう? 故郷の草原をまっすぐ駆けていた、楽しかったあの頃に」
……珍しく。
彼にしてはとても珍しく、「そうだ」以外の答えを許さないような、強い問いかけだった。
思わずクリミアホワイトは押し黙る。その沈黙を肯定と捉えて、デュナンは笑った。笑って、空を仰ぎ、深く息を吐く。
「本当は、君達が健やかに、のびのびと走れる場所があるべきなんだろうね。君達のように眩しくて、人を元気づけられるような女の子が……戦争の道具として使われるなんて、あっていい筈がないんだ」
「先生……?」
空を見上げるデュナンの顔には、どこか陰りがあるようにも見えた。
クリミアホワイトが戸惑っているうちに、デュナンは「よし」と一息、気持ちを切り替えて立ち上がる。
「休憩終了だっ。まだまだ仕事が山ほど残っているから、頑張らないと」
気合いを示すようにぐるぐると腕を回し、クリミアホワイトを残し医療テントに足を向ける。そんな彼に声がかけられた。
「デュナン先生」
「エドワード伍長。どうしました、急患ですか?」
兵舎の方から歩いてきたエドワードは、相変わらずのむっつりと唇を引き結んだ強面だった。軍服は塹壕の土で汚れ、前に見た時より痩せているようだった。彼は座り込んだままのクリミアホワイトを一瞥だけすると、デュナンに目を向け、顎をしゃくった。
「頼みたい事がある。少し向こうで話せるか?」
「構いませんよ。それじゃあクレア、君も休憩が終わったら医療テントに戻ってくれ。引き続き頑張っていこう」
「は、はい」
デュナンが微笑み、クリミアホワイトが曖昧に頷く。そうして彼女を残し、エドワードはデュナンを引き連れ、基地の外れの方に行ってしまう。
彼が見せた切なげな微笑が脳裏から離れず、クリミアホワイトはしばらくの間、赤十字の腕章を着けた濃緑のコートが小さくなっていくのを見送った。
普段から怖い顔をしているエドワードだったが、今日はいつになく強張っているように見えて。それが、妙にクリミアホワイトの記憶にこびり付いた。
とはいえ、そうやって気にすることができたのも、休憩の間だけだ。昼食でお腹を満たし、医療テントに戻れば、激務の波に飲まれて考える余裕なんてあっという間になくなる。
未熟でも医療テントを支える一員として、ベッドの間をかけずり回って、治療の補佐をし、薬を用意して、シーツを取り替える。
息を切らして仕事をこなしている内に、いつの間にかデュナンは戻っていた。相変わらずのテキパキとした指示で重傷者を処置していく。声をかけて患者を元気づけるその様子からは、エドワードからの頼みについても、クリミアホワイトに向けた陰りのある笑みも伺う事はできない。
患者が小康状態に入り、少しだけ余裕ができた時を見計らって、クリミアホワイトはデュナンに聞いてみた。
「ああ、エドワード伍長ね。まったく困った人だよ。威厳やメンツなんて気にしなくていいっていうのに」
負傷兵の容態を手早く書類に纏めながら、デュナンはコートのポケットを探ると、一枚の便箋をクリミアホワイトに差しだした。
「はい、伍長からの頼まれ事はこれ。自分で渡すのは恥ずかしいから、君に渡してくれってお願いされたんだ」
「これは、手紙ですか? ……私宛の?」
「違う違う。彼の家族宛てだよ。次に君が配送する事になる郵便物だね」
「家族……」
「はは、そんなに目を丸くしちゃかわいそうだよ」
デュナンが言い、クリミアホワイトは思わず手にした便箋を見る。丈夫な厚紙で作られたそれには、雑だけれど力強い筆致で、彼の家族の名前が綴られていた。
不思議な気持ちだった。筆致を指でなぞると、その封筒の中に綴られた強い思いが伝わってくるみたいだ。
皆に家族がいる。帰りたい故郷がある。そんな当たり前の事実を、始めて実感したみたいだった。
そんな風にしみじみと感じていると、不意にデュナンが言った。
「無事を祈る、だってさ」
「え?」
「エドワードからの伝言。自分で言うのが恥ずかしいから、伝えるかどうかは僕に任せるって……彼、子供が二人いるんだ。上の子はちょうど君と同じ年頃だそうだよ。だから放っておけないんだろうね。ああ見えて、君の事を凄く心配しているよ。いや、心配じゃなくて応援か」
不意に、ここに来た最初の頃を思い出す。敵の銃撃に遭い、怒号を浴びながら必死に台車を引き摺って走った。
ここで、何人もの死者を見てきた。だけど、目の前で一人の心優しい兵士が死んだ、あの衝撃は今でもクリミアホワイトの魂に貼り付いている。
エドワード伍長はクリミアホワイトの頬を叩いて走らせ、ユリアンの死について、これ以上考えるなと冷徹に言い捨てた。今ならそれが、彼なりの優しさだったと理解できる気がした。
しかし、それでも、釈然としない気持ちがある。
ひやり、と背筋が痺れるような感覚。
手紙を大事に胸に抱き、彼女は不穏な気持ちに強張る口を開いて、聞いた。
「……それを、どうして今、伝えにきたんですか?」
デュナンは答えなかった。書類を纏めたファイルをパタンと閉じて、緩く笑う。
その微笑には、先ほどクリミアホワイトが見た陰りのような不穏な淀みが、ハッキリと滲んでいた。