追放令嬢(男)、ダンジョンに潜る 作:桂馬。桂馬。桂馬。
金が無いと生きていけない。物も買えない飯も食えない宿にも泊まれない。三時のおやつだって露店でジッと見ることしか出来ない。金と文明的生活は切って切り離せないのだ。万国共通の概念である。
生活するには金が要る。
財布を確認してヴィーレもそれを実感することになった。
「レミア青銅貨8枚……これじゃ明後日には宿から出てかないといけなくなるんだよね。しかも3食抜きでだもんなぁ」
侘しい。侘し過ぎる。
ちょっと泣きそうにながらヴィーレは溜息を吐いた。
ルングルーグン家にいた頃なら毎月レミア銀貨10枚は貰えていた。それが今やレミア青銅貨6枚。
レミア青銅貨15枚=レミア銅貨1枚。
レミア銅貨25枚=レミア銀貨1枚。
そんな交換比率を考えるとヴィーレの生活水準は随分と低くなったことが分かる。貴族生活の名残から昨日はちょっと金銭感覚がバグったが、それでもヴィーレの金銭感覚は少しマシになりつつある。
まだ自殺未遂を起こして一時間くらいとはいえ、生きたいというポジティブな思考は無くとも死にたくない以上金は要り用だった。
よってヴィーレはギルドの依頼を初めて受注することにした。
ギルドの依頼ボードは大きく二つに分かれている。
常設依頼と特定依頼。
常設依頼は常に設置されているギルドの依頼である。薬草の採取や食用野生生物の捕獲などなど。
特定依頼はギルド以外の個人や組織が冒険者に出す依頼だ。こちらは一回きりの場合が多く、受注しようと思う場合は一度依頼者と面会した後に本当に受注するのかを判断することとなる。その難易度も誰でも出来る雑用からドラゴン殺しまで種々様々だ。
悩んだ上でヴィーレは薬草採取の常設依頼を引き受けることにした。
─── ─── ───
薬草採取は特筆することがなく滔々と終えることが出来た。
レリーズ草の規定本数25本、丁寧に数えて袋の中に詰めると額に浮かんだ汗を袖で拭う。
ヴィーレは知らないが本来これは子供でも出来る簡単な依頼である。草花の見分けさえ出来れば誰でも可能な最低ランクの依頼。その証拠にヴィーレはこの森で何人かの子供とすれ違っている。ただヴィーレ自身は「こんな小さい身体で家のお仕事なんて凄いなぁ」とのほほんと草を摘んでいたが。
薬草を採取し終え、ギルドに戻ると受付カウンターにギルドカードを提示した。
受付嬢はヴィーレのギルドカードを見て頷いた。
「常設の薬草採取ですね。規定本数通りですのでレミア青銅貨7枚になります」
「青銅貨7枚……失礼ながら少なくないですか?」
「そう言われましてもこちらも業務表に従っているだけですので」
レミア青銅貨7枚。先日金貨2枚を食いつぶしたヴィーレが飲み食いをすれば秒で溶ける金額だ。
……思った以上に稼げない。これが冒険者と言う職業!
もっと楽に生きてけるだろうと思っていヴィーレに戦慄が走った。
「あの、因みに私が出来そうな依頼で高いものって何かありますか?」
「依頼にもよります。Fランクの常設依頼ですとゴブリン退治ですが……戦闘に自信があったりしますか?」
「戦闘……ですか? 一応剣は握れます」
そう言ってヴィーレは柄に手を置いた。
ルングルーグン家から貰った路銭の大半を使って買ったレイピアだ。本当はロングソードを買いたかったのだが力が足りない。女に比べて男は非力なのだ。
それに仮にロングソードを持てたとしても哀しきかなヴィーレの戦力はあまり変わらない。ヴィーレは剣を使ったことなんて一度もないので魔物と接敵しても「えい! えい!」と子供みたいにブンブン振ることしか出来ないのだ。それはレイピアでも同じである。
何となく察した受付嬢は愛想笑いを浮かべながら口を開く。
「ですとゴブリンは厳しいですね……。彼らの大半は子供くらいのサイズしかありませんが、集団だと戦術的に動いて襲ってきます。新人の方が一人で熟すには重い依頼です」
「そ、そんな事をするんですかゴブリンって。魔物なんですよね?」
「誤解があるようですね。群れを成す魔物は総じて規律だって獲物を殺します。群れを作る魔物って存在自体があまりいないんですけど」
「ってことはゴブリンは特別なんですか?」
「いえ、どこでもいますよ。だから常設で退治依頼が出てるんです。現在集団行動が確認されている魔物は9種ですね。言うまでもなくゴブリンが最も雑魚ですけど」
「雑魚ですか。それなら一体でいるところを狙えば私でも勝てるんじゃ」
「そうですね……私の手を握ってくださいますか?」
「は、はい?」
「良いですから」
ヴィーレは言われた通りに受付嬢の手を握った。何故か受付嬢はウットリと目を細めると、ヴィーレの手は絶妙な手加減でにぎにぎとされた。
なんだこれ、なんでしょうこれ、と当然のようにヴィーレは戸惑う。
握手かと思ったけど目的が全然分からない。いま何をされてるんだろうか、と今度は腕をプニプニされながらヴィーレは考える。
1分くらい触り続けた後に、何故か名残惜しそうに受付嬢は手を引っ込める。
「筋肉が無さすぎてゴブリンの首すら落とせませんよ。これじゃ雑魚以下の雑魚ですね、冒険者様」
「え、何で罵倒されてるんですか私。なんか凄い触られ損じゃないですか」
ヴィーレは普通に凹んだ。
筋肉量が無いのは性別差によるものだろう。
男ってつくづく弱いなぁとヴィーレはガクリと肩を落とす。
「まあそういうことなので自分を鍛えながら地道に稼ぐのが一番ですよルングルーグンさん。オススメは特定依頼で良く出る街の外壁工事ですね。力作業で鍛えられますし、報酬も銅貨1枚と薬草採取より高い報酬です」
「なるほど……。色々と教えてくださりありがとうございます、受付嬢さん」
「マリーと呼んでください。女性なら出来ますよ、頑張ってください」
女性じゃないんだよなぁ……。
複雑な気分になりながらヴィーレは青銅貨を握り締めた。
─── ─── ───
不味いが安い飯を食べて、泥のように眠り、翌日。
空がまだ薄々照らされた澄明な朝の空気の下、ヴィーレは再び崖に来ていた。
今度は自殺をしに来たわけではなかった。ヴィーレも明確な理由は分からない。ただ気分転換に足が向くまま歩いたらここに着いたというだけで、どうしてだろうなぁとヴィーレは思う。
何の気なしに昨日立っていた崖際で崖下を見下ろす。
今度はあの時ほど絶望感は湧いてこなかった。それどころか草木の色が昨日より鮮やかに見える。きっと気分のせいだろう。鬱々とした精神状態は世界を悪く捉えるものなのかもしれない。
一度寝たことで気分がリセットされたんだと前向きに捉えたヴィーレはふと気付く。
「無い……ね」
何が?
死体だ。少女の死体。
昨日の飛び降りた少女である。
ヴィーレは確かに目撃した。
飛び降りた瞬間も、痛々しく捻じれた四肢も、悲惨すぎて思い出したくないほど壊れた頭部も。
それなのに無い。血痕は残っているのに肝心の身体が無い。
眼下の景色を注視しながらヴィーレは考える。
野犬や魔物に食われるにしても、1日にして跡形も無くなるほど食い荒らされるのは無いはずだ。それ以前にここは野生動物が殆どいない場所である。とすると誰かが片付けた……? 確かに死体なんて見ていて気分の良いものじゃないが、それでもたった1日でギルドから依頼が出て片付けられる、なんてことは無いだろう。
「あの……退いてくれませんか?」
「あ……え?」
デジャヴだった。
その声には聞き覚えがあったのだ。
背後を見るとヴィーレの予想通り、或いは予想外の少女が立っていた。
「あの、貴方は……」
「……どこかで会いましたか?」
「昨日、此処で」
「ごめんなさい……覚えてないです」
見覚えのある慇懃な一礼。それに伴って金色の髪が揺れた。
間違いない。この少女はあの時飛び降りた少女だ。ヴィーレに確かな死という状態を見せつけ、死に対する幻想を砕き壊した少女だ。
何で……いや見間違いだったんだろうか。それともアンデッド……?
その疑問はヴィーレの理解の範疇を大幅に超越したようで、深く考えるより前に口を開けた。
「ここから飛び降りるんですか?」
「はい。いま貴方が立っている場所はこの崖で一番高い場所。死に近い場所です」
「死に近い場所……」
地面を見てみる。
ヴィーレにはとても違いが分からない。崖は崖で、どの地点から落ちてもヴィーレは死んでしまうだろう。ヴィーレの立つ場所とその三歩横の場所の高さはあって精々小石1個分か2個分の差異しかない。ヴィーレのような至って普通のか弱い人間にとってそんなのは誤差の範疇である。
「少しで良いんです、退いてくれませんか?」
「えっと……死にますよ?」
「だと良いんですが」
奇妙な迫力に負けてヴィーレはその場所を譲ってしまう。少女は頭を下げて、それからは昨日のリプレイだった。スー、ハー、と深呼吸を幾回か繰り返すと少女は手を上げて、自然体のまま落ちた。そうなると分かっていたヴィーレは少女が自然落下していく様を崖上から見つめる。
少女の小さな身体が崖の岩肌に当たり、肉を打つ鈍い音が響く。それから少女の身体は地面に打ち付けられ、角度が付いていたためにゴロゴロと樽でも転がしたかのような軌道で地面を進み、やがて止まった。損傷度合いは違っても過去見た死体だからか昨日よりは幾分冷静にヴィーレはその様子を見守っていた。
死んだ……はずだ。
だけど死んでなかった。それとも生き返ったのか。ヴィーレには判断が付かない。
今のヴィーレにあったのは未知への恐怖と困惑。それから好奇心。
気付けばヴィーレは少女を追って崖下まで下りていた。迂回路を使って5分も歩けば少女の死体の元へと辿り着く。
見るだけで精神がやすりで削られてしまいそうな少女の無念な死体。
しかし不思議と導かれるようにヴィーレは少女の胸元に手を置いた。
「本当に生きてる。こんな致命傷があって死んでない……?」
ドクンと確かに刻まれている鼓動の音。
足はひしゃげ、腕は外側に折れ曲がり、肌は傷が無い場所を探す方が難しい。痣やら出血やらで酷い容態なのに、生命力が弱々しくなる気配が無い。
取り敢えず応急処置をしとこう、とヴィーレは少女を看護し始めた。