ヒフミちゃんアーカイブ 作:煮豆
――キヴォトス。
連邦生徒会を中心とし、数千の学園が寄り集まって作られた、巨大な学園都市である。
この学園都市キヴォトスでは、なによりも生徒の自主性を重んじている。
その方針はある種の極みに達しており、生徒たちには各学園の運営までもが一任されていて、それぞれの学園には学園が統治する自治領が存在する。
もしも自治区でなにか問題が起きれば、その学園の風紀委員やそれに類する委員会の生徒が対処に当たり、その後の後処理もすべて学園にて生徒が行う――。
いわば一つ一つの学園が、それぞれの生徒会を頂点とした、小さな国のようにして機能していた。
……さて、そんなキヴォトスにはトリニティ総合学園と呼ばれる学校が存在する。
文武両道を掲げ、歴史と伝統が息づいたトリニティ総合学園は、数ある他の学校と比べても破格の規模を誇る、いわゆるマンモス校だ。
同等の規模で、トリニティ総合学園とは双璧をなすと言われるゲヘナ学園は不良が多いことに定評がある一方で、トリニティ総合学園は上品で奥ゆかしい生徒が多い。
ちなみにこの二つの学園はすこぶる仲が悪く、互いにいがみ合う関係である。
閑話休題。そんなトリニティ総合学園には、正義実現委員会と呼ばれる委員会が存在する。
一風変わった名前ではあるが、要するに他の学園で言うところの風紀委員だ。
トリニティ総合学園の武力の象徴でもあり、その名に掲げる正義にかけて、正義実現委員会は今日もトリニティの安全を守ってくれていた。
ここは、そんな正義実現委員会の由緒正しき教室……から少し離れた廊下の角。
そこには現在、なにやら廊下の奥の方からコソコソとやってきた、三人の女子生徒の姿があった。
その女子生徒たちは、ちょうど教室からは見えない角の向こう側で立ち止まると、三人のうちの一人、銀髪の少女が角から慎重に顔を出す。
正義実現委員会の教室の扉が閉じられていること、周囲に誰もいないこと。それらを素早く把握した銀髪の少女は一旦顔を引っ込め、続けて今度は残りの二人の方を振り返った。
二人のうち片方、平凡そうな少女は不安と困惑に満ちた表情を浮かべ、対称的にもう片方のお淑やかそうな少女はニコニコと楽しそうに微笑んでいる。
「よし。ちゃんとついてきているな」
銀髪の少女は二人の様子を確認するとコクンと頷き、再び教室の方に向き直った。
扉の上に設置された『正義実現委員会』と記されたネームプレートを力強く睨みつけ、持っていた銃を構える。
「ではこれより――正義実現委員会を襲撃する。準備はいいな、二人とも」
「もちろん大丈夫ですよ~」
「あ、あうぅ……」
……三人が着ている純白の制服と十字架の校章の意匠は、彼女たちがトリニティ総合学園の生徒である証にほかならない。
決して、そう決して、トリニティと犬猿の中にあるゲヘナの生徒などではない。
三人とも全員、まごうことなきトリニティ所属の生徒であった。
……ここはトリニティ総合学園。
上品で奥ゆかしい生徒が多い……多いが……。
……一部例外もいる、キヴォトス有数のお嬢様学校である。
三人のうち、唯一襲撃に乗り気でなかった平凡そうな少女――
事の発端は、今から二時間ほど前に遡る。
ちょうどその時間、いつも通り授業を終えたヒフミは、他の大多数の生徒と同じく自らの所属する部活動に勤しむべく、同じ部活の仲間である銀髪の少女――
ヒフミとアズサが所属する部活動は補習授業部と言い、その名の通り放課後に補習や自習を行う部活である。
この部活は本来、落第に匹敵するほどの成績不振者が現れた場合に、特例として限定的に発足し、その成績不振者を強制的に入部させる部活だ。
そう聞くとヒフミもアズサも勉強ができなさそうに思えるが、ヒフミに関しては別にそんなことはなく、成績は平均程度だったりする。
そんなヒフミが補習授業部なんてものに入れられてしまっている理由は、なんてことはない。
単にテスト当日に、ついうっかり好きなマスコットキャラクターのゲリラコンサートに行ってしまっただけである。いやなにやってんだ。
ちなみにアズサは普通に勉強ができない。
ヒフミはそんな補習授業部の部長の任を任されていた。
好きなもののためなら授業もテストもサボタージュすることを辞さない、そこはかとない問題児の側面もあるものの、基本的にヒフミの性格は真面目である。
今日も今日とて補習授業部の部長として、他の部員の皆と教え合いながら勉学に励むつもりであった。
しかし補習授業部の教室に向かう道すがら、困り果てた様子で廊下をオロオロと彷徨うクラスメイトを見かけたことでヒフミは教室へ向かう足を止めた。
「――猫さんですか?」
「そうなんです。さっきから姿が見当たらなくて……」
なにか力になれることはないかと話を聞いてみれば、なにやら連れてきていた飼い猫が目を離していた隙に迷子になってしまっていたようで。
「まだ幼い子なので、とても心配で……ヒフミさんも、もし見かけたら連絡していただけませんか? 白い毛並みのおとなしい子です。黄色い首輪をしています」
「白い毛並みの子猫さんですね。わかりました。私の知り合いの方にも見かけていないか声をかけてみますね」
「ありがとうございます。お願いします、ヒフミさん」
飼い猫を探しに違う場所へ立ち去ったクラスメイトを見送り、ヒフミは会話を傍観していたアズサの方に振り向く。
「アズサちゃんは、見かけたりしてませんよね?」
「ああ。ヒフミも知っての通り、放課後はすぐにヒフミと合流した。その間に件の猫の姿は見ていない」
「ですよね……猫さん、大丈夫でしょうか……」
「トリニティは他の学園と比べれば治安はいい。失踪したての今のところは、まだ大丈夫なはず」
「い、今のところはですか。できれば未来の保証もしていただけると助かるのですが……」
「残念だけど、物事というのはいつ何時なにが起こるかわからないものだ。楽観視が過ぎると足元をすくわれかねない。こういう時は最悪の事態まで想定しておいた方がいい」
「最悪の事態ですか!? あ、あうぅ。そんな……子猫さんが悲惨な目に遭ってる未来なんか想像したくありません……」
「……そうだね。それは私も同意。手遅れになる前に、早く保護して飼い主に届けてあげよう」
「て、手遅れって、怖いこと言わないでくださいアズサちゃん……でも、そうですね……とりあえず、今日の補習授業部の活動は中止ということで、お二人にもモモトークで連絡しておきましょう。それから猫さんの特徴も知らせなきゃですね」
ヒフミは自分の端末を取り出し、ここにいる自分とアズサ以外の補習授業部のメンバー二人にメッセージを送る。
内容は今ヒフミが自分で言った通り、今日の部活動を中止にすることと、子猫を探していること、そしてその子猫の特徴だ。
連絡をした後は端末をしまおうとしたが、すぐにピコーンと端末が反応を示す。
見れば二人のメンバーのうち片方、
『猫探しで活動中止なんてずいぶん呑気ね。でも、わかったわ。子猫については私も気にしとく。見かけたら連絡するわ』
ヒフミは『お願いします』とだけ返して、今度こそ端末をしまった。
「それじゃあアズサちゃん、行きましょうか」
「子猫の居場所に当てはあるの? ないなら手分けした方がいい」
「そうですね……ではアズサちゃんは向こう側から庭園を回って、校舎に入ったら上の階に上がって見て行ってくれませんか? 私は反対側から行きます。最上階で合流しましょう」
「わかった。白洲アズサ、作戦行動を開始する」
妙に物々しいアズサの返事に苦笑しながら、ヒフミはアズサと別れて猫探しを開始した。
しかし結果だけを言えば、その成果は芳しいものではなかった。
通りすがった知り合いにも子猫を見ていないか聞いたりもしてみたが、フルフルと首を横に振るばかり。
結局なにも得るものがないまま、ヒフミは最上階までたどりついてしまった。
「来たか、ヒフミ」
先に合流地点に到着していたらしいアズサは、柱に寄りかかって腕を組んでいた。
なにやら難しい顔をしている。
「こちらに子猫の姿はなく、聞き込みもしてみたが目ぼしい情報は掴めなかった。ヒフミ、そちらは?」
「私もです……やっぱりそう簡単には見つからないですね……」
「……いや、学園で行方不明になった猫について、いくらなんでもここまで目撃証言がないのはおかしい。もしかしたら、猫はもうこの学園にはいないのかもしれない」
「学園の外に行っているかも、ということですか? そうなるとさすがに見つけることは難しいですが……」
「うん、そうなっていたらお手上げ。トリニティの広い自治区を私たち二人だけで探し回るのは無理がある。だから……うん。あるいは今はその可能性は敢えて省いて、もう一つの可能性に賭けるべきなのかも……」
「もう一つの可能性ですか?」
曖昧な表現にヒフミが首を傾げると、アズサは考え込むように自らの顎に手を添える。
「目撃証言がないということはおそらく、近くにいないか、いるとしても囚われているかの二つだ。前者の場合の想定は、さっき言った通りこの際一旦捨て置く。そして仮に後者だとすれば……その猫は警備員か、この学園にある部活動のどこかにすでに保護、いや囚われている可能性が非常に高い」
「そ、そこは保護の方が正しいと思いますが。でも、なるほど。そうですね、それなら確かに情報はほとんど出回りませんし、アズサちゃんの言う通りかもしれません」
黄色い首輪をした、白い毛並みの飼い猫。
一目で飼い猫とわかるそれが学園の敷地内で悠々と出歩いていたなら、安全のために保護されていても不思議はない。
その場合、きっと子猫はいずれ飼い主の元に渡るので、ヒフミやアズサがなにかしなくても大丈夫なはずではあるが……。
「部室を回ろう。学園の外に出ていないなら、警備室か、この学園の部活動のどこかの部室か教室にいるはず」
「そうですね……そうしてみましょう」
なにもしなくても大丈夫かもしれなくても、できることなら早く再会させてあげた方が、きっとクラスメイトの子も安心できるだろう。
「今度も手分けをして探しますか?」
「いや……悪いけど、私はまだこの学園の地理には疎い。どこで戦闘になっても良いように地形については把握してるけど、だいぶ広いから、どこがどの部室かまでは完全に理解しきれてないんだ。できればヒフミに先導を頼みたい」
「そういえばアズサちゃん転校生でしたね。最近は馴染みすぎててすっかり忘れちゃってました」
ヒフミは自分の胸の前に手を置くと、ドーンと胸を張る。
「わかりました、そういうことなら任せてください! えへへ、この際ですから、アズサちゃんに学園の案内もしてあげますね! 補習授業部を卒業した後のためにも、どんな部活があるか今のうちに知っておいた方がいいでしょうし!」
「……私は別に、ずっと補習授業部でも構わない。ヒフミたちといるのは、そう悪い時間じゃないから」
「え、えへへ、そうですか? でもその、そう言ってもらえるのはとても嬉しいのですが、補習授業部は成績を上げて皆で卒業するための部活なので……」
一緒にいて楽しいのはヒフミも同じ気持ちではあるのだが、いつまでもそのままというのは、いかんせん補習授業部の趣旨とは異なってしまう。
補習授業部は「成績の振るわない生徒たちを救済すること」こそが目的であり存在意義なのだ。
いつまで経ってもこれが果たされないということは、とどのつまり落第になるということで……。
特にコハルは、補習授業部を卒業しなければ本来の希望の部活――正義実現委員会に復帰できないとも通達されている。一刻も早く補習授業部を卒業したいことだろう。
「まずは、そうですね……文学系の部活から尋ねてみましょうか。最初は純文学部に寄ってみましょう!」
部活、サークル、委員会と細かい種別はあるが、総じて部活動の範疇である。
というわけで、部活動巡りを始めた二人。
トリニティほど大きな学園ともなると、部活動の数も凄まじい。
それらを回るのはなかなかに大変ではあったが、苦ではなかった。
トリニティの生徒は基本的に皆、真面目で善良なのだ。
せっかく来たのだからとおもてなしをしてもらえたこともあれば、転校生のアズサのために懇切丁寧に部活動の説明をしてくれたり、体験させてもらえることもあった。
物珍しさもあってか、アズサもどことなく楽しそうにしてくれていたので、ヒフミは案内のしがいがあったと感じている。
……しかしながら、そんな有意義な時間を過ごすことができた一方で、依然として子猫の居場所を特定するには至ってはいなかった。
警備室にも足を運んでみたが、それも徒労に終わっていた……。