ヒフミちゃんアーカイブ   作:煮豆

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ヒフアズお泊り会(2/2)

 ふとヒフミがアズサに聞いたところ、どうやら彼女はまだ入浴を済ませていなかったらしい。

 

 アズサの部屋が爆発した原因は手榴弾の誤爆からの連鎖爆発だが、元はと言えばアズサは武装の点検をしていた。

 そういった作業は得てして汚れやすいため、二度手間にならないように、入浴は点検が終わった後にしようと考えていたようだ。

 しかし結局はその点検の最中に部屋がめちゃくちゃになってしまったことで、彼女は今に至るまで風呂に入り損ねてしまっていた。

 

 そういうわけで、よく嗅いでみると若干鉄と油臭かったアズサを、ヒフミは風呂場に案内する。

 服などが入っているタンスは別の部屋にあったおかげで、爆発には巻き込まれず無事だったらしい。そこから着替えはきちんと持ってきているようだったので、ヒフミのものを貸し出す必要はなさそうだ。

 

 脱衣所で制服を脱ぎ始めたアズサに背を向けると、ヒフミは今度はキッチンに足を運ぶ。

 冷蔵庫の中身を確認し、しばらく考えた後に「よし!」と一人頷く。

 そして、手早く二人分の軽い夜食の準備をし始めた。

 

 夕食については、実のところヒフミもアズサも寮の食堂ですでに済ませている。

 けれど、大変な目に合ってアズサも疲れているはずだ。

 少し落ち込んでもいたようだし、そういう時はきっと美味しいものを食べるのが一番だ。

 

 そうして料理がちょうど出来上がったタイミングで、アズサが暖簾をかき分けてキッチンに入ってきた。

 

「上がったよ、ヒフミ……ん? この匂いは……」

 

 風呂から出たことで制服からパジャマに着替えていたアズサは、漂ってきた匂いにスンスンと鼻を鳴らす。

 

「あ、おかえりなさいアズサちゃん。ちょうど出来たところで……って、まだ髪がちょっと湿ってませんか……?」

「ああ、これくらいなら別に平気」

 

 自分の髪を軽くかき分けて状態を確かめたアズサはそう言ったが、なんだか疑わしく感じたヒフミはアズサに近づいた。

 アズサの髪を近くで直接観察し、想像以上に割と濡れていたことが判明すると表情を険しくする。

 

「……アズサちゃん、お風呂上がりのケアってかなり大事なんですよ? アズサちゃんはせっかく長くて綺麗な髪をしてるんですから、もっと大切にした方がいいと思います」

「でもこれくらいなら私はいつも」

「いつも!? いつもこれくらいで放置してるんですかっ!?」

「えっ。う、うん……」

 

 アズサはやぶ蛇をつついたような気分になる。

 

「アズサちゃん……私が髪を乾かしますから、ちょっとこっちに来てもらってもいいですか?」

「いや、私は……わ、わかった。ヒフミに任せる」

 

 鬼気迫る様相のヒフミに気圧されて、アズサは気がついたら頷いてしまっていた。

 その後すぐに半ば強引にヒフミに洗面所まで連れていかれて、鏡に正面を向けるようにして立たせられる。

 

「では、触りますね」

「ん……」

 

 戸惑うアズサの背後から、ヒフミはアズサの髪を傷つけないよう丁寧にブラシで梳かしていった。

 これまで他人に髪を触られる経験がほとんどなかったアズサは、ヒフミの手とブラシの感触に、たまにくすぐったそうに身動ぎをする。

 

「……ヒフミ、いつもこんなことやってるの? あ、誰かにって意味じゃなくて、自分の髪」

「もちろん毎日やってますよ。髪は油断するとすぐ傷んじゃいますし。私だけじゃなくて、このくらいはおしゃれに興味がある子なら皆欠かさずやってるはずです」

「へえ、そうなんだ」

「アズサちゃんは、あんまりしてこなかったんですか?」

「私は……まあ、そうだね。トリニティに来る以前は、任務や目標についてしか考えたことはなかったし……その達成には、おしゃれなんて不必要なものだったから」

「任務と目標だけ……アズサちゃん、私は」

「大丈夫。ヒフミが気にすることじゃない。それに今は……うん。今は、こういう非効率で何気ない時間も、悪くないって思ってる。この気持ちは嘘じゃない」

 

 自分の感情を確かめるように胸に手を当てて、目を閉じながら。

 最初こそアズサを心配してしまっていたヒフミも、そんなアズサの様子を鏡越しに認めると、自然と破顔してしまっていた。

 

「えへへ、それならよかったです。これからいっぱい覚えればいい話ですもんね。アズサちゃんは元々が可愛いですし、どんなおしゃれだって似合うと思うんです! 普段つけてる花の髪飾りだって凛々しい感じで素敵ですし……さらに一工夫すれば、きっと皆の視線を釘付けにできるに違いありません!」

 

 実際、アズサは相当可愛い。ただ普通に街を歩くだけでも他のトリニティの生徒から注目されるくらいには。

 珍しいトリニティへの転校生という肩書きが付随しているゆえという部分もあるが、それを差し引いてもアズサは普通以上に可憐で美麗だ。

 その容姿端麗さと常に冷静沈着な様子から、なんでも一部では『氷の魔女』なんて呼ばれてるとかいう話をヒフミは聞いたことがあった。

 そんなアズサが本格的におしゃれを覚えれば、間違いなく皆の視線を釘付けにできる。ヒフミにはそんな確信があった。

 

 しかしそんな高評価を受けた当の本人と言えば、気が進まなさそうに眉をしかめていた。

 

「いや、釘付けは困るかな。目立ちすぎると人混みに溶け込むのに支障が出る。潜入や尾行の際にも、そういった視線は邪魔になるだろうし」

「あ、はい……あ、あはは……」

 

 バッサリと切り捨てられてしまって、ヒフミは少し苦笑いをする。

 トリニティに来てからの経験で変わってきているとは言え、任務や目標を第一に考えるアズサの根底に根づいた常識は根強いものだ。

 

「……でも」

 

 呟くように続いたその言葉に、ヒフミはなんとはなしに耳を傾ける。

 

「可愛い格好には……その、少し興味がある……かも」

「……! ……えへへ」

 

 ボソリと小声で付け足された、その普通の女の子らしい一言は、決して悪いものではなかった。

 

 その後は特にこれと言ったやり取りはなく、ヒフミがアズサの髪を手入れする時間が続いた。

 この頃になると髪を触られる感触にも慣れてきたのか、アズサはたまに気持ちよさそうに目を細める。

 

 そんな時間は、アズサの髪がドライヤーで髪が乾かされるまで続き……その間ずっと、彼女は無言でその感触に浸っていた。

 

「はい、終わりましたよ」

「え、もう終わ……あ、いや!」

「……? どうかしましたか? まだどこか乾いてないところとか」

「な、なんでもないっ。平気、もう大丈夫……その、私はこういうのまだあんまり慣れてなかったから、助かった」

「どういたしまして、です」

 

 途中からアズサの髪を大事に扱うことに注力していたヒフミは、その間、鏡に映ったアズサがどんな表情をしていたかまでは見えていなかった。

 必死に取り繕おうとするかのようなアズサの反応をヒフミはちょっとだけ不思議に思いつつも、髪を触られたのが嫌だったという風ではなさそうだったので、それならいいかと気にしないことにした。

 

「さあ、髪も乾いたことですし、一緒にご飯を食べましょうか」

 

 またキッチンに戻ってくると、すでに出来上がっていたものを二人分の皿に移して、部屋に運ぶ。

 

「その、実は部屋にはあんまり食材とか置いてなくて……ありあわせのもので作った簡単なものなんですけど……」

「ううん、気にしないで。とてもおいしいから。ヒフミの優しさが伝わってくるみたい」

「え、えへへ。なんだかちょっと恥ずかしいですね……」

 

 フレンチトーストについて話すアズサの声は、ほんのわずかだけれど上ずっていた。

 こういった夜食を作るのは、もしかしたら余計なお世話かもしれないと思っていたけれど……どうやら喜んでもらえたみたいだ。

 フォークを手にフレンチトーストを口に運ぶアズサをチラリと覗きながら、ヒフミは密かにほっと胸を撫で下ろした。

 

 フレンチトーストを食べ終えた後は、まだ床につくには少し早い時間だったこともあり、せっかくなので二人で少しだけ勉学に励むことにした。

 

 アズサはヒフミと同じ二年生ではあるが、転校前の学校との学習進度の違いで、同時進行で一年生用の内容も勉強している。

 いつかは二年生の内容に完全に追いつく必要がある以上、アズサには学ばなければいけないことが人一倍あった。

 それを加味すれば、こういった空き時間での勉強や、補習授業部の活動で行う補習や自習は、アズサにとっては他の三人の部員たちよりも重要な意味を持っていると言える。

 

「――ふぁぁ……終わりましたー……」

 

 ヒフミが自分の課題を進める傍ら、問題集を進めるアズサがわからなかった部分について偶にヒフミに質問する。

 そんな時間がしばらく続いた後、ようやく課題が一段落したヒフミは、小さくあくびをしながら時計を見た。

 

「んー……もう結構な時間ですね……そういえば明日は自由登校日ですけど、アズサちゃんは学校に行くんですか?」

「ああ、私は行く予定。そういう時間で地道に訓練を積み重ねていかないと、いつまでも一年生ぶんの学習が終わらないから。ヒフミは?」

「実は私も、この前ペロロ様グッズを買いに行くために授業をこっそり抜け出してしまったので、その埋め合わせの勉強をしようと思っていて……せっかくですしアズサちゃん、一緒に登校しませんか?」

「わかった。ヒフミがそれでいいなら」

「じゃあ決まりです!」

 

 友達と一緒に登校する。

 言葉にしてみればなんてことのないことだけれど、なんだか無性に楽しくなってくる。

 それはさながら、遠足を次の日に控えた子どものような気分だ。

 

 一方アズサは、なぜ一緒に学校に行くというだけで、ヒフミがこんなに楽しそうにしているのかよくわからなかったが……まあヒフミが嬉しそうなら別によしということで、喜ぶヒフミをなにを言うでもなく見守っていた。

 ヒフミを何気なく眺める自分の顔がほんのわずかに緩んでいたことには、アズサ本人も気づいていないようだったけれど。

 

「えへへ、そうと決まったら明日に備えて今日はもう寝ないとですね! このまま勉強していたら寝落ちしてしまいそうですし、この辺りで切り上げて、ぐっすり眠れるようきちんとベッドで……あ……」

「……? どうかした?」

「……ベ、ベッド……そういえば一つしかありません……」

 

 一人で暮らしている空間なので寝具も一つしかない。

 至極当たり前のことだったが、ヒフミは今になってようやくその当たり前に気がついた。

 

「ああ、そんなことか。それなら平気。心配はいらない」

「えっ?」

 

 重大な事実に気がついてしまったというようなヒフミに反し、アズサは至って冷静だ。

 どうやらアズサはヒフミとは違い、初めからこの展開を予測し、想定していたみたいである。

 

 ヒフミは思わず、期待を込めた目線をアズサに向けた。

 

「あ、もしかしてアズサちゃん、寝袋とか持ってきて――」

「硬い地面で寝るのは慣れてる。私は床で寝るから、ヒフミは普段通り自分のベッドで寝て」

「――ないですね!?」

 

 想定していたのに、なんの備えもしていなかったらしい。

 むしろ想定したからこそだろうか。

 別に床でも寝られるから、特になにも手を打つ必要はないと判断したのであろう。

 

 つまるところ最初にヒフミの部屋を訪れた時から、アズサは床で寝る気満々だったのだ。

 

「ダ、ダメですよアズサちゃん! 寝心地も悪いですし……! 起きた時に体が痛くなっちゃいます!」

 

 ヒフミが反対してくるのは想定内だったのか、アズサは常と変わらぬ冷静な態度を崩さない。

 

「安心して。どんな場所や体勢でも効果的に睡眠を取れる訓練は積んでるから。睡眠時間が不十分だと得てして判断が鈍りやすい。力を発揮すべき時に発揮できるよう、そういう訓練も積んであるの」

「く、訓練とかそういう問題じゃなくてですね……! 余ってる毛布とかもありませんし、風邪でも引いちゃったら大変です!」

「座りながら寝れば寒さも多少は軽減できるし、一日くらいなら平気だよ」

「で、でも……」

「第一、ないものはないんだからどうにもできない。ベッドは一つで、どっちかが床で寝るしかない以上、それが泊まらせてもらってる身である私になるのは自然な流れ……でしょ? これ以上ヒフミの手を煩わせるのは私としても不本意だし、私は本当に大丈夫だから、ヒフミはなにも気にしないで」

「う、ううぅ……」

 

 アズサが言っていることは、正論だ。

 ないものはない。なければないなりに対応するしかない。

 ないものねだりをいくらしたところで、今から布団を二人分用意することなどできないのだ。

 

 だけどヒフミは、友達が硬い床で寝ている横で自分だけ平気で柔らかいベッドで寝るなんて行為は、どうしても許容できそうになかった。

 もしもそんなことになってしまったら、きっとベッドに入っている間はずっと罪悪感と自己嫌悪に苛まれる。

 そんな状態で気持ちよく眠るなんてできるはずもないし、なんなら近くで寝ているアズサのことが気になりすぎて一睡もできないかもしれない。

 そんなことになるくらいなら、アズサと一緒に床で寝た方がまだマシだと思えた。

 

 だけどヒフミが自分も床で寝ると言い出してしまったら、アズサは全部自分のせいだと気にしてしまうに違いない。

 それはヒフミがベッドに入ることで味わうだろう罪悪感などの感情を、すべてアズサに押しつけることと同義だ。

 それでは意味がない。

 

 ヒフミはただ、まだ心のどこかで落ち込んでいるだろう彼女に、なにも気に病むことなく温かいベッドで休んでほしいだけなのだ。

 そしてそれをどうしても叶えたいのなら……ここで取れる手は、おそらく一つしかない。

 

「…………しょ、に……」

「……? ごめんヒフミ。よく聞こえなかった。もう一回言ってもらえる?」

「っ、いっ、一緒に寝ましょうアズサちゃんっ! 同じベッドで……!」

「……」

 

 ヒフミの反対を予見していたアズサでも、この提案ばかりは完全に予想外だったらしく、落ち着き払っていた表情を崩してポカンとしていた。

 

 

 

 

 

「……本当に良いの?」

 

 ヒフミは先にベッドに入ると、端に寄ってアズサが入れる隙間を作る。

 しかしながらアズサはベッドの前で難しい表情で佇むばかりで、その中に入ることに気が進まない様子だった。

 

 ヒフミが同じベッドで寝ようと提案した時からこんな感じで、アズサはしきりにそれで良いのかと確認していた。

 

「だ、大丈夫です……! それとも、その……アズサちゃんは、私と一緒というのは嫌ですか……?」

「いや、私は別にいいけど……ヒフミの方こそ良いの?」

「は、はい。もちろんその、こんな歳にもなって誰かと一緒に寝るなんて恥ずかしいという気持ちはありますが……それ以上に、やっぱりアズサちゃんだけを床で寝させるわけにはいきません……!」

 

 きっとヒフミが少しでも難色を示せば、アズサはやっぱり自分は床で寝ると言い出していただろう。

 けれどアズサを温かい布団で寝かせたいというヒフミの意思は固く、アズサが何度確認しても自分の意見を曲げようとはしなかった。

 

 そう……こうして実際にベッドに入る直前まで、何度も何度も聞き直したことだ。

 アズサはヒフミの返答に、ようやく諦めたように嘆息すると、おずおずとヒフミと同じ布団の中に潜り込んだ。

 

「あ、アズサちゃん。そんなに端だと落ちちゃいますから、もうちょっとこっちに……」

 

 ヒフミが一人で暮らしている部屋なので、当然シングルベッドだ。二人で寝るには普通に狭い。

 アズサとしては、せめて端っこで縮こまることでヒフミが寝るスペースを広く残しておく算段だったが、ヒフミは案外目ざとく、そんな細かな遠慮も見逃してはくれなかった。

 

「私は別にここでも……いや、うん。わかった」

 

 アズサは最初こそ自分の意思を主張しようとしたものの、早々に意見を翻す。

 さきほど何度も確認し合ったこともあり、下手に抗議したところで無駄だと判断したのだった。

 実際、ヒフミはアズサに気兼ねなくしっかり休んでもらうためにもあの手この手で説得しただろうから、アズサの判断は正しかったと言える。

 

 アズサがきちんと布団の中に収まったことを確認すると、ヒフミはリモコンで部屋のライトを消した。

 部屋の中が暗闇に包まれて、窓を覆うカーテンの隙間からわずかに差し込む月明かりだけが光源になる。

 ほんの一寸先も見えない程度の明かりしかなかったが、密着と言っていいくらい距離が近い関係で、ヒフミとアズサはお互いの顔くらいなら見ることができた。

 

「……え、えへへ……やっぱりその、ちょっとこそばゆいですね……普段何気なく喋っている友達と、一緒のお布団で寝るというのは……」

「なら、私はやっぱり床で」

「それはダメです! そもそも、別に嫌という意味で言ったわけではなくて……ふふっ」

「……? どうかした?」

「いえ、どうというほど大したことではないんですけど……なんというか、こうして同じお布団の中にいると、なんだかアズサちゃんと家族になったみたいで、不思議な気分だな、と」

「……家族か……」

 

 アズサは少し考えるように数秒ほど目を閉じた後、くすりと穏やかに微笑んだ。

 

「なら、私は妹かな。ヒフミより小柄だし。そうなるとヒフミは姉になるから……ヒフミお姉ちゃん?」

「お、お姉ちゃん……! 新鮮な響きです!」

「まあ私たちは同い年で同級生だから、どっちが姉でどっちが妹かは諸説あるかもしれないね」

「なるほど……それもそうですね。つまり、アズサちゃんがお姉さんという線もあるかもしれないということですか……」

「……自分で言ってみてなんだけど、私が姉というのは合わないな……」

「そうですか? アズサお姉ちゃん! ……良い響きだと思いますが」

「……や、やめて。なんだかよくわからないけど、体がムズムズする……」

「ご、ごめんなさい……?」

 

 アズサの頬には少しばかり朱が差していて、ヒフミと視線を合わせづらそうにそらしていた。

 ……たぶん気恥ずかしいんだろう。

 

 それからお互いに瞼を閉ざしたまま、しばらく沈黙が続く。

 アズサが一緒だからだろうか。ヒフミはいつもと比べるとなかなか寝つけなかった。

 

 だけどアズサはどんな状況下に置かれても、いつだって落ちついている。

 こんな場面でも特に緊張を覚えることもなく、もしかしたらもうすでに寝てしまっているかもしれない。

 

 どうしても眠気がやってこなくて、そんなことをつらつらとヒフミが考え始めた頃、不意にポツリと声が聞こえてきた。

 

「……今日、ヒフミに最初のメッセージを送った時」

「……? はい」

 

 ヒフミは薄く瞼を開けるが、アズサは目を開いておらず、その唇だけが動いていた。

 小さく、囁くような声量だったけれど、暗闇と静寂で包まれた空間にはよく響く、透き通るような声だった。

 

「ヒフミから返事はなかったけど……ヒフミなら良いって言ってくれると思ったから、その、返事が来る前から向かっちゃってた」

「……私が返事をした時にすでに玄関の前にいましたからね。あの時はちょっと驚いちゃいました」

「迷惑だった?」

「ふふっ、そんなことあるわけないじゃないですか。こうしている今の時間も、私は楽しいですよ」

「うん……私もきっと、同じ気持ち。だから、もしかしたら私は……その、私自身が思っている以上に……ヒフミのこと、頼りにしてるのかもしれない」

「アズサちゃん……」

「……そ、それだけ。別に深い意味があるわけじゃない……そ、そろそろ本当に寝よう。これ以上起きてると、明日の体調にも影響が出る」

「……えへへ、そうですね」

 

 ありがとう、と。きっとアズサは、そう言いたいんだろう。

 不器用だけど正直で、正直だけど少し回りくどくて。アズサにしては珍しく、距離を縮めるような言葉。

 

 いつもフワフワしてて悩みがなさそうに見えるせいか、ヒフミはよく他人から相談を持ちかけられることがある。

 そういう時は大抵、ヒフミは相槌を打つだけで、実際に力になれることはほとんどない。

 

 だけど今、ヒフミはきちんと力になれているのだと、他でもないアズサ自身が教えてくれた。

 それがどうしようもなく嬉しくて、ヒフミは今日一番の笑みを浮かべていた。

 

「アズサちゃん」

 

 名前を呼んでも、アズサはあいかわらず瞼を開けない。

 まだ起きているのか、もう寝てしまったのか。

 どちらかはわからなかったけれど、それでもヒフミは続きを言った。

 

「今日一日だけという話でしたが、部屋が元に戻るまで、いつまででもいてくれていいですからね」

「……」

 

 アズサから返事はなかったが、コクンとかすかに頷くようなその仕草を、ヒフミは見逃したりしなかった。

 

 アズサの言う通り、これ以上起きていたら明日に支障が出る。

 ヒフミも再び視界を闇で閉ざして、眠ろうと試みた。

 

 シングルベッドに二人で寝ている関係で、当然狭いし、少し熱い。

 ただ、それでも寝心地が悪いなんてことはまったくなくて、次第に心地の良い眠気がやってくる。

 その眠気に意識を預けると、ヒフミは深い眠りに落ちていった。

 

 

 

 

 

 ――そんなこんなで、ヒフミとアズサが同じ部屋で寝泊まりした翌々日のさらに翌日。要は三日後。

 キヴォトスでは構造物の倒壊なんて日常茶飯事なので改装も手早く済んで、その頃にはアズサの部屋もすっかり元通りだった。

 まあ壁や床などが元に戻っただけなので、家具は買い直さなければいけないが……その点は、ヒフミもアズサにしっかり付き合う所存だ。

 

 さて。その日は自由登校日でもない、普通の登校日だった。

 放課後には補習授業部の活動こと自習勉強に励もうかと、ヒフミとアズサはいつも通り教室に足を踏み入れる。

 しかしどうにも、教室にはなにやら奇妙な空気感が漂っていた。

 

 その空気を醸し出していたのは教室にやってきたハナコとコハルだったようで、二人は教室の後ろの方で固まってなにかをヒソヒソと話していた。

 教室に入ってきた二人に対し、ハナコは面白そうにニコニコと笑顔を向け、コハルは瞬時に頬を赤らめて視線をサッとすぐにそらす。

 

 ハナコはまあ、いつも通りなので良いとして……コハルの反応に少々首を傾げつつ、ヒフミはアズサを連れて二人に近づいた。

 

「こんにちは、ハナコちゃん。コハルちゃん。なにかお話されていたようですが、なんの話をしてたんです? コハルちゃんの様子がちょっとおかしいですけど……」

「こんにちは、ヒフミちゃんにアズサちゃん。ふふっ……いえ、大したことじゃありませんよ。つい最近小耳に挟んだ、風の噂について話していたんです」

「風の噂、ですか?」

 

 ヒフミがオウム返しで聞き返すと、ハナコはさらに笑みを深めて――唐突に爆弾を投下した。

 

「はい。なんでもここ数日の間、ヒフミちゃんとアズサちゃんは同じベッドで熱い夜を過ごしていたとか……そういう噂です♡」

「…………はい?」

「ここ数日の間、ヒフミちゃんとアズサちゃんは」

「い、いえ、聞こえなかったわけではなくて……え。えっ……えっ? な、なん……え、なん、なんで知……え……?」

「落ちついてくださいヒフミちゃん。壊れたレコードみたいになってしまってますよ」

 

 あまりの混乱で思考が麻痺してしまっていたが、どうどう、とハナコに宥められて、ほんの少しだけ冷静さを取り戻してくる。

 そうすると当然ながら羞恥心が一気に湧き上がってきて、一気に全身の体温が高まることをヒフミは感じた。

 

「な、なんで……ど、どうやってそんなこと知ったんですか!?」

「どうやってと言われましても……二人が早朝に同じ部屋から仲睦まじく出てくる様子が見られたと、そこそこ噂になっていましたよ?」

「う、噂……? え……? そ、そんな噂、私は欠片も……」

「まあ、ここはトリニティですからね。公共の場で本人に直接聞いてしまうほど、デリカシーのない生徒はあまりいないでしょう。ヒフミちゃんが知らなくても無理はないかと」

「…………」

「アズサちゃんは……知ってたみたいですね?」

「えっ……そ、そうなんですか?」

 

 ヒフミが思わずアズサの方を振り返ると、確かにアズサは今の話を聞いても平然としているように見えた。

 アズサは普段通り憮然とした態度で答える。

 

「うん、知ってた。身近に迫る危険を少しでも察知するためには、こまめな情報収集は基本。今ハナコが言った情報も今朝仕入れた」

「し、仕入れたって……ア、アズサちゃん、どうしてそんな平然としてるんですか……!? こ、これ、ものすごい誤解を招く噂ですよっ!?」

「誤解? 別になにも間違ってはいないと思うけど? 広まってたことは確かに結構恥ずかしかったけど……ここ数日、私とヒフミが同じベッドで寝てたのは事実だし」

 

 純情なアズサは事の大きさにまったく気がついていないらしく、コテンと無邪気に小首を傾げている。

 そしてそんなアズサの発言に、二人から気まずそうに視線をそらしていたコハルがキッと二人を睨んだ。

 

「や、やっぱりあんたたち……! ふ、不純異性交遊は重罪よ!? 校則違反よ!?」

「ふふっ、コハルちゃんも落ちついてください。ヒフミちゃんとアズサちゃんは同性なので不純異性交遊には当てはまりませんよ。あと、そういったお付き合い自体は別に校則違反でもなんでもありません。まあ……情事に関しては別なのですが」

「情事!? そ、それって……そ、そういうことよね? 同じベッドで寝たってことは、やっぱり二人で、あんなことやこんなことを……!? じゃ、じゃあやっぱり校則違反じゃないの!」

「ご、誤解ですよ!? コハルちゃんがなにを想像したのかはわかりませんが、私とアズサちゃんはそういう関係じゃありません! た、確かにアズサちゃんとは一緒に寝ましたが……それはただ言葉通り本当に同じベッドで寝たというだけで、それ以上のことはなにも……!」

「なるほど、同じベッドで寝たのは真実と。年頃の女の子が密室で二人……それも、同じベッドで。ふふっ……そんな状況でなにも起きないはずがありませんよね? 校則違反だから隠しているだけで、きっといろいろなことがあったに違いありません」

「あ、あうぅ……だ、だから違くて……」

 

 場をかき乱すのが大好きなハナコと、想像力豊かなコハル。この二人が合わさってしまうと、こういった誤解は手に負えないレベルでひどくなっていく。

 そのことはヒフミは身をもって知っていた。

 

 ヒフミ一人ではどうにもできない。

 思わず助けを求めるようにアズサを見ると、それに気づいた彼女は……なぜか若干照れくさそうに視線をそらした。

 

 え。えっ。どうしてそんな反応なんですか?

 ヒフミはマジでアズサにはなにもしてないしなにもされてない。

 なのになんでこんな反応されたのかと困惑していると、アズサがボソリと呟くように言った。

 

「……あの時は自分の失態に参ってたから……確かに、少し変なこと言い過ぎたかも。ヒフミのこと、お姉ちゃんなんて……今思い返すと、だいぶ恥ずかしい……」

「まあ、姉妹プレイですか? ずいぶんとマニアックですね……」

「アズサちゃんんんんっ!? い、今はそういうこと言っちゃダメです! も、もっと誤解がひどく……!」

「し、姉妹プレイ!? そ、そんなの本でもほとんど見たことないのに……う、うぁぁ! へ、変態コンビ!」

「コハルちゃん……どうしてコハルちゃんは、いつもハナコちゃんの言うことを真に受けちゃうんですか……?」

 

 やはり収拾がつかない。

 こうなることは半ば予想できていたが、できることなら回避したい未来であった。

 

 本当はヒフミとアズサが普通に寝ただけなことに気づいてるだろうハナコが、意図的に爆弾を投下し続けて。

 コハルがそれに過剰に反応し、妄想力を爆発させる。

 純情なアズサは二人が話していることの本質には気づかず、ハナコとは逆に意図せず火薬を二人に提供し続けて……。

 そしてヒフミは、そんな破茶滅茶な三人に翻弄され振り回される。

 

 ヒフミは補習授業部の皆が好きではあるのだが……気苦労が絶えない毎日に今日もまた一人、天井を仰ぐのだった。

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