1969年5月5日。
ドイツ軍は独立したポーランドに宣戦布告。
南部ではスロヴェニア独立共和国への侵攻を開始。
同時期にはスイスにて反乱が発生したが、こちらはまともな武器を持たない民兵が蜂起しただけだったため、3日ほどで鎮圧した。
ポーランド方面軍は戦車やヘリボーン部隊を用いて、ポーランド軍を包囲殲滅。
さらに、サリンやタブン、青酸ガスなど毒ガスを用いた攻撃も実施。
スイス反乱鎮圧の3日後にポーランドとスロヴェニアは降伏した。
その後、フリードリヒ・イェッケルン率いる親衛隊によって乗っ取られたオストラント親衛隊管区に侵攻。
この頃になると、世界情勢は収拾がつかないほど混沌としていた。
まず、アジアでは韓国で朴正煕が暗殺されたことで3つ巴の内戦が発生。
インドではインド革命戦線が蜂起。
インド内戦が勃発した。
ルーマニアはハンガリーとの領土問題をきっかけに地中海協定を離脱。
ドナウ戦争が勃発した。
この戦争は最終的にイタリア軍の介入により、ハンガリーの勝利に終わり、ハンガリーはルーマニア北部とモルドヴァを併合。
その翌日にはルーマニアで鉄衛団を名乗るファシスト政党が蜂起。
ルーマニア内戦が勃発した。
この内戦は王国側の勝利で終わった。
このように、世界情勢が混沌としている中、日本は朝鮮戦争に介入。
1968年に就役したばかりの日本空軍のジェット戦略爆撃機<富嶽3型>100機で釜山を爆撃。
その2日後に釜山に日本陸軍の戦車<29型高速戦車>1個師団が上陸。
速やかに展開し、釜山を攻略した。
その後、後続部隊として、68式7.68mm小銃を装備した歩兵3個師団と油圧ショベルなどの器材を装備した工兵部隊が上陸。
釜山に前線基地を構築した。
その後、日本軍は朝鮮半島での作戦を見事成功させ、朝鮮戦争は終結。
大韓民国が朝鮮半島を統一した。
その後、日韓安全保障条約により、韓国国内に日本軍が駐留することとなった。
日本は敗戦国ではあるが、混乱に乗じて、韓国を事実上の勢力圏に組み込み、アジアにおいて大きな影響力を持つことに成功した。
アフリカではアメリカ軍が中央アフリカを平定。
ウィリアム・ウェストモーランド将軍を国家元首とする中央アフリカ連邦を建国。
一方、イタリアも北アフリカ、中東における勢力圏を確立。
アフリカはイタリア、アメリカ、南アフリカの3勢力に分割された。
その頃、日本では・・・
日本では大学管理臨時措置法案を参議院本会議で与党である自民党の強行採決で可決し、成立した。
この法律は大学紛争の沈静化を目的としたものであり、大学自治との兼ね合いにより、それまで非常に困難であった構内への警察の立入りなどを認めさせるために当時の自民党幹事長である田中角栄による議員立法の形で成立したものである。