1966年1月13日。
やがて、暴動は拡大し、内戦に突入した。
これにハンス・ヒュティッヒ率いる大アフリカ国家弁務官区が介入。
南アフリカ戦争が勃発した。
これを受け、南アフリカ連合はアメリカ合衆国に救援を要請。
アメリカはこれに応え、機甲師団10個師団を中心とする義勇軍を派遣。
その頃、日本では・・・
日本国 東京
「南アフリカ戦争への介入・・・ ですか?」
「ああ。アメリカから要請があった。」
「ですが、北洋連邦との緊張が高まっている現状、遠方に軍隊を回すのはリスクがあります。」
「実は陸軍はインドがカバーしてくれるらしい。我々は海軍を派遣するだけで構わない。」
「となると、対独防衛計画の一環でインド洋に送っていた艦隊をそのまま南アフリカに向けるか・・」
司令官は書類に目を向けた。
「わかった。この作戦を承諾する。」
「了解!」
翌日、インド洋に展開していた艦隊は南アフリカへ向けて出発。
2日後に南アフリカに到着した。
それと同時にインド軍も政府軍が確保していたダーバン港に到着。
インド軍機甲師団は南ア・日・印の連合軍は西部に上陸した米軍と合流するため、西進を開始。
日本国海軍は駆逐艦3隻による沿岸部への艦砲射撃の後、艦載機<桜花3型>を30機ほど発進させ、反乱軍占領下のアマンジムトティを爆撃。
その頃、イングランド王国とスコットランド連合の間で国境紛争が発生。
この国境紛争を好機と見たイングランド王国内のパルチザンがロンドンなどで一斉に蜂起。
ドイツの傀儡に成り下がった国王を引きずり下ろし、イングランド自由国を宣言した。
本来ならば、ドイツ軍が介入するべきだが、ドイツは政情不安により軍を動かせない状況だ。
そのため、イングランド自由国はわずか3日でイングランド王国全土を制圧。
北部のスコットランド連合と統合し、イギリス連合が成立した。
中東ではイラクで大規模な内戦が勃発。
バアス党派イラク、民主イラク軍、ナチスラーム派イラク、イラク労働者戦線の4つ巴の内戦となった。
さらに、シリア、アフガニスタン、イラン、イエメンでも大規模な内戦が発生。
これにより、石油価格が大暴落を起こし、世界中で経済が破綻。
第二次世界恐慌に発展した。
この影響を最も強く受けたのがドイツであり、ドイツ国内の企業の3分の2が倒産。資本家は次々と自殺していった。
さらに、この段階でドイツ総統であるアドルフ・ヒトラーが心臓発作により倒れ、ドイツ国内はさらに混乱した。