1959年にボリス・パステルナーク率いる中央シベリア共和国とゲンリフ・ヤゴーダ率いる極東シベリア社会主義共和国との間で起きた戦争。
現在はエニセイ川で停戦状態にある。
1967年2月5日。
極東シベリア社会主義共和国が日本傀儡のアムール共和国に侵攻。
これに対し、中央シベリア共和国が極東シベリア社会主義共和国に宣戦布告。
第二次中央シベリア戦争が勃発した。
この戦争は1961年の停戦合意以降、エニセイ川で停戦状態となっていたが、極東シベリア軍による砲撃などが繰り返されており、停戦が破られるのは確実とされていた。
そして、今回の極東シベリア軍によるアムール共和国侵攻は中央シベリア共和国が極東シベリアに侵攻するのに十分な理由となった。
中央シベリア共和国のショスタコーヴィチ大統領は軍に対し、緊急待機を指示。
翌日に極東シベリア社会主義共和国に侵攻を開始したのである。
また、中央シベリア共和国と同盟関係にあった日本も極東シベリア社会主義共和国に宣戦布告した。
宣戦布告の後、現代改修された日本国海軍の空母<伊吹>からF-4ファントムが全力発進。
極東シベリア空軍の戦闘機と大規模なドッグファイトを繰り広げた。
その頃、アメリカでは・・・
アメリカ合衆国 ワシントンD.C.
ペンタゴン
「中東での紛争か・・・」
「はい。数時間前にイラク軍がクウェートに侵攻。現在、クウェートは劣勢とのことです。さらに、イラク軍側にドイツの義勇軍も確認されています。」
「イラクは確か、フセインが政権を握っていたな。」
「はい。」
「・・・イラク近海にインド洋艦隊を派遣しろ。」
「戦争ですか?」
「そうだ。我々はイラクに侵攻する。」
「わかりました。」
その数日後、アメリカ合衆国は自由国家機構の理事会にて対イラク開戦の認可を求めた。
結果は全会一致で認可され、アメリカ軍、カナダ軍、オーストラリア軍を中心とする多国籍軍が結成された。
舞台は戻り、中央シベリアへ。
中央シベリア軍は日本軍の航空支援を受けつつ前進。
極東シベリアの首都であるヤクーツクに迫りつつあった。
この頃になると、中央シベリア軍も日本からレンドリースされたジェット戦闘機<桜花3型>を用いた作戦も実施。
極東シベリア軍は半壊状態となった。
その頃、東京では・・・
日本国 東京
国防省3階
「シベリアでの戦闘も優勢か。これならば、すぐに戦争は終わりそうだ。」
彼は資料を見てそう呟いた。
しかし、彼の余裕は突然入ってきた兵士の報告によって崩壊した。
「失礼します。数時間前にアメリカ合衆国、カナダ自治領、オーストラリア連邦がイラク共和国に宣戦を布告。また、シリアからイタリア軍の機甲師団もイラク国境を越え、侵攻を開始しているとのことです。」
主はラッパを轟かせ、決して退却せぬと告げた
主は審判の御座の前で、人々を心をふるいにかける
おお、速やかに応えよ、わが魂! 歓喜せよ、わが脚!
我らの神は進み続ける
-リパブリック賛歌より