1967年5月2日。
中東での激戦をよそに日本ではアムール共和国駐留の米軍部隊についての議論が行われていた。
「アメリカのアムール共和国駐留軍は極東最大規模であり、ドイツへの攻撃に最適でありました。しかし、米軍基地が集中しているハバロフスク市では米軍兵士による犯罪などが後を絶たず、住民は困り果てているようです。そこで日本政府はアメリカ政府や中国政府と交渉し、アムール駐留米軍を一部中国に移転させるべきと考えます。」
「中国への移転はいいが、どこに移転するのかは決まっているのかね?」
「はい。新疆に移転させます。」
「だが、あの地域は民族問題や経済不況などで非常に治安が悪い。そこに米軍兵士が入ったら、さらに治安が悪くなるのではないか?」
「はい。そこで、中東での戦闘が終わり次第、トルコ方面の日本軍を新疆に向かわせ、テロ組織の掃討を行います。」
「それについては了解した。だが、作戦中は民間人に十分に注意してくれよ。」
「了解です。」
そして、舞台は日本から中東に移る。
トルコではドイツ軍の特殊部隊であるブランデンブルクがイスタンブールを占領した日本軍に対して大規模な毒ガス攻撃を実施。
この毒ガス攻撃により、日本軍は足止めを受けた。
これに対し、バグダッドを占領したイタリア軍は北進を開始。
イタリア軍機甲師団はトルコ南部のジュクルジャにおいてドイツ軍機甲師団と衝突。
最初は劣勢であったイタリア軍だったが、サウジアラビア軍とアメリカ軍のジュクルジャ到着により形勢は逆転。
1ヶ月後にジュクルジャのドイツ軍は降伏した。
その頃、アナトーリエン国家弁務官区のヴォルフガング・シェンク国家弁務官はトルコを脱出。
これを受け、アナトーリエン国家弁務官区は正式に降伏した。
その2時間後にイラクも降伏。
イラクはイタリア軍占領地域、トルコはトルコ共和国として独立を果たした。
その後、トルコに駐留していた日本軍は本国からの連絡を受け、新疆に急行。
テロ組織の掃討を開始した。
その頃、バルカン半島ではハンガリーとルーマニアの小規模な国境紛争が戦争に発展。
これに対し、地中海協定加盟国が次々とルーマニアに宣戦布告。
第五次バルカン戦争が勃発した。
地中海条約機構の第五次バルカン戦争介入を受け、統一協定もスロバキアとハンガリーの国境に展開。
ハンガリー危機に発展した。
この危機によって、ドイツとハンガリーの国境地帯では小規模な武力衝突が発生。
ドイツとの戦争は避けられないものとなった。