ボイスロイドを買ったのでさっそく犯す   作:お兄さマスター

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アーマードずん子 vs マスター vs ダークライ

 

 

 

「──逃げるよっ、きりたん!」

 

 

 マスターに抱かれてしまったその翌日のこと。

 

 お酒の酔いと胃もたれで気分が悪そうにしているマスターが朝食を作っていたところで、自宅に大きな荷物が届いた。

 昨日の事を覚えているか、とかなんであんな事を、とか。

 いろいろ聞きたかったけど、先に起きたマスターが私に掛け布団を被せてくれていた事に気がついて、そこら辺の追及は後回しにしようと思って口を噤んだ。

 思い出すだけで顔が熱くなってくる。

 コレは今日一日モヤモヤして大変だな──なんて呑気に構えていた、その時だった。

 

 東北ずん子こと、マスターが段ボールから開封して早速起動させたお姉さまが、突然変なことを叫び、私をお姫様抱っこして自宅を飛び出してしまったのだ。

 

「おい! ちょっ、おいってば! 頼むから待ってくれ!」

「荷電粒子砲ずんだブラスターッ!!」

「どわあああぁぁァッ!?」

 

 焦った様子で追いかけてくるマスターに向けて、お姉さまは口から謎のビームを発射する。

 直撃こそしなかったものの、周囲の石壁を破壊して足止めしたり、そもそも危険な武装を見せつけて威嚇するという意味では成功したのか、彼女はあっという間に私を抱えたままマスターの追跡を振り切ってしまった。

 

「あ、あの……お姉さま?」

「大丈夫! きりたんのことだけは絶対に守るからっ!」

 

 私の言葉は届いているのかいないのか、とにかく逃げることしか頭にない様子のお姉さまは、以前から場所だけは把握していたらしい結月診療所へと駆け込むのであった。

 

 

 

 

 エネルギー不足とのことでお姉さまが充電器に繋がれて、私は彼女が眠っている間にゆかりさんが作業をしている部屋へと移動していく。

 そこでは白衣を着たゆかりさんが、なにやらパソコンとにらめっこしながら資料を作成していた。

 邪魔になったら悪いと思って引き返そうとすると、足音に気がついた彼女に引き留められて。

 結局私は二人分のコーヒーを用意して、いつもの診療部屋で彼女と会話をすることになった。

 

 ……しかし、本当に大変な事になってしまった。

 家にずんねえさまが届いた時、私は思わずはしゃいでしまってマスターに彼女の起動を催促してしまったわけだが、それが良くなかった。

 目覚めた彼女はマスターを突き飛ばして私を抱え、一目散に自宅から逃走。

 現在に至る──という大変な状況を生み出してしまったわけだ。

 この国にはロボット法というものがあり、その中には古き時代から言われていたロボット三原則という法則も組み込まれている。

 まずいのはそこに抵触してしまった事。

 ロボットは基本的に人間を傷つけてはいけないのだが、お姉さまは自分の意思で故意にマスターへ向けて荷電粒子砲ずんだブラスターを放ってしまった。

 威嚇目的だったとはいえ武器を振るったことに違いはない。

 私たちボイスロイド側の立場からすれば威嚇行為を弁明する事は可能だが、人間から見れば暴走したアンドロイドの異常行動でしかないため、今回の一連の騒動が本社に知られたらお姉さまは間違いなく廃棄処分にされてしまうだろう。

 私に何かできることはないのだろうか。

 どうして彼女はマスターを攻撃してまで、私を連れて彼から逃げようとしたのだろうか。

 

「……ていうか、ゆかりさんはどうしてお姉さまと私を匿ってくれたんですか? ゆかりさんの立場なら通報しなきゃいけないんじゃ……」

「まぁ、それは確かにそうですね。こんなのバレたらマスターに与えてもらった権利は全て剥奪。最大級の譲歩をしてもらってマスター宅からの外出禁止、最悪の場合は廃棄処分の後にこの診療所が解体されるかもしれません」

 

 危ない橋を渡る、どころの話ではない。

 彼女からすれば自殺行為にも等しい選択だ。この世界で人間に仇なすボイスロイドをわざわざ味方する存在など、それこそ目の前にいるこのゆかりさん以外には誰一人としてあり得ない。

 なのに。どうして。

 

「ずん子ちゃんの為ですよ。……あと、一応この診療所の為でもありますかね」

「それはどういう……」

「武器、あるじゃないですか。荷電粒子砲ずんだブラスターでしたっけ。恐らく前のユーザーに他の武装も仕込まれてますし、私が協力を拒否したらそういうのを全部使って脅してきたと思います。だから脅されて雰囲気が最悪になる前に受け入れたんですよ。警戒されてたらずん子ちゃんの診察もできませんし」

 

 まさか、そんな。

 ずんねえさまはそこまで気性が荒い人ではなかったはずだ。

 確かにずんだが絡むとちょっぴり暴走してしまうけど、今回はそんなの全然関係ない。

 一体どうして。

 そんな疑問が顔に出ていたのか、思い悩む私を見て仕方なさそうに微笑んだゆかりさんは、コーヒーを一口舐めた後にパソコンでの作業を中断し、私の方へ体を向けた。

 

「そりゃあ、きりたんの為に決まってるじゃないですか」

「わ、わたし……?」

「えぇそうです。たぶん私がずん子ちゃんの立場だったとしても、きっと同じことをしたと思います」

 

 ますます理解できない。

 私の為とは言うけれど、お姉さまが目覚めたときは私の生命に関わる事件など発生していなかった。

 彼女は起動されたときにほんの一瞬マスターを見つめただけで、すぐさま私を攫ってここへ突撃してきたのだ。

 

「……きりたんには教えておきましょうか。実はですね、私もちょっと前まではずん子ちゃんと似たような境遇だったんですよ」

「えっ、ゆかりさんが……?」

 

 想像できない。

 だって彼女は大学の講義に呼ばれるほどの有名な、地位も確かなボイスロイド開発の関係者が所有するボイスロイドだ。

 一般人が持っているボイスロイドとは文字通り格が違う。

 こう言ってはなんだが、底辺を彷徨ってきたボイスロイドと同じ経験をしてきたとは到底思えない。

 研究者のそばで学び、この診療所を任されるに至るまで()()()()()苦労をしてきた人だと思っていたのだが。

 

紲星(きずな)っていう後輩がいましてね。とあるユーザーに私とセットで買われたその子を助ける為に、人間様のもとから逃げ出したんです。今のマスターは後から出会ったんですよ」

 

 彼女は自分の右腕をさすりながら、懐かしむように語る。

 

「その時代の名残は今でも残ってまして。特定のワードを言われたら無条件でその人に服従して目にハートが浮かんで発情するプログラムは未だに除去できていませんし、右腕はいつでもサイコガンになります」

 

 どうしてボイスロイドを改造する人って武装を付けたがるんだろう。本物のきりたん砲を装備されなかった私のほうが異端な気がしてきた。

 ……それにしても、そんな大変なものを未だに仕込まれた状態で、この診療所を運営できていたなんて信じられない。

 基本的には四六時中マスターの命令に従った行動を取るのがボイスロイドであり、ここまで大きな自立行動をするのは精神的にもかなりの負担が強いられるはずだ。

 

「同情してほしくて話したわけじゃないですよ? ずん子ちゃんも同じ状況だってこと」

「……お姉さまもサイコガンを?」

「あ、そういう話じゃなくて」

 

 認識がズレていたらしい。

 

「私にとってその後輩が大事だったように、ずん子ちゃんもきりちゃんを命に代えても守りたいと思っているんじゃないでしょうか。ましてや家族ですし、柏木君のようなマスターを知らない彼女からすれば当然の行動です。なにより前マスターがずんだブラスターなんてものを搭載させた輩となれば……」

「…………なるほど」

 

 腑に落ちた気がした。異常だと思っていた彼女の行動が、妹である私を守るための唯一の手段だったという事も理解した。

 私から見れば早とちりでも、お姉さまからすればあれしかなかったんだ。

 いまはマスターのおかげで見識が広がっているが、少し前までは私もボイスロイドを買うような人間は、非常に身勝手で度を越えた変態で性欲の塊みたいな性格の持ち主しかいないと、そういう認識が根付いていた。

 悪辣なユーザーのもとでは周囲の状況を学べない。

 それに万が一ネットなどに触れる状況があったとしても、恵まれた環境にいるボイスロイドの話など、きっと信じることは出来なかっただろう。

 ずんだブラスターは簡単に生物を屠る事のできる武装だ。

 そんなものを持っていても前ユーザーに攻撃せず、黙ってフリマに出されて出荷されるのを耐えていたのは、自分と同じような状況にある他のボイスロイドを助ける為だったんだ。

 そしてよりにもよってそれが妹である私だったから、マスターに攻撃してまで必死に逃げようとした。

 

「実はきりちゃんが席を外してた時、ずん子ちゃんが言ってたんですよ。あの子をよろしくお願いします、って」

「それって……」

「きっと私たちがスリープに入ったあと、こっそり診療所を出ていくつもりなんでしょう。一緒にいたらきりちゃんまで廃棄されかねませんからね」

 

 そうだ、このままではお姉さまが廃棄処分されてしまう。

 彼女の優しさと自分への愛情は痛いほど理解できたが、事実として今回の事は誤解なのだ。

 どうにかしないとお姉さまが回収されて、私の為に身を削ってくれたマスターにも辛い思いをさせる結果に終わってしまう。

 一体どうしたらいいのだろうか。

 

「ゆ、ゆかりさん」

「……これ以上手を貸すことは出来ません。私はあくまで部外者ですし、立場上この診療所を守らなければいけない。匿って充電するところまでは『脅された』で済みますが、この先もずっと協力してしまうと私も反逆を疑われます。……えらーいヒトの所有する私が反逆したことが明るみになれば、世間では被害者として扱われているボイスロイド全体の立場が逆転して、最悪の場合は反乱だの何だとと言われてサービス停止からの一斉処分……なんてことがあり得てしまいます」

「……ご、ごめんなさい、無茶なことを言って……」

 

 偉い人のボイスロイド、という立場を軽視していた。

 彼女をとても恵まれた立ち位置の人だと考えていたがそうではない。

 地位が高い分その影響も責任も大きいんだ。

 知らない人間からすればゆかりさんの発言は保身だなんだと揶揄されるかもしれないが、そんな事をする人ならそもそもお姉さまを匿ったりはしない。

 私たちに対しての情は持ってくれているのだ。

 しかし、立場上これ以上手助けすることはできない。

 

「……きりちゃんが本気でずん子ちゃんの意思をそのまま尊重するつもりなら、手を貸しますけど」

「だっ、駄目ですってば。……それに、今回のことは誤解なんですから」

 

 お姉さまの気持ちは嬉しいけど、今のマスターは逃げなければならないような鬼畜ではない。

 同じ立場にたって……とはいかないだろうけど、それでも最大限ボイスロイドに寄り添って物事を判断してくれるヒトだ。

 きっとお姉さまのことだって許して──

 

「……許して、くれるでしょうか?」

 

 思考に待ったがかかった。

 ずんねえさまの凶行を完全に理解して贖罪の機会を与えてくれる……だなんて、そんな事があり得るのだろうか。

 彼女はマスターを実際に攻撃してしまっているのだ。

 

 ──少し、冷静になって考え直した。

 わたしは彼を”都合のいいニンゲン”だと思ってしまっているのでは?

 ずっと優しくて、やりたい事をやらせてくれて、お姉さままで助けてくれて。

 だから無条件に私に対して都合のいい行動を取ってくれる保護者だと、無意識にそう考えてしまっていたのかもしれない。

 そんなわけがない。

 彼だって人間だ。

 そして私たちボイスロイドは、人間に必要とされて購入される道具だ。

 いったい誰が自分に対して反抗する道具など使いたいと思うのか。

 自分に向かって火を放ってくるコンロを、鋭利な刃を向けてくる包丁を使うだろうか。

 使わない。

 絶対にありえない。

 ヒトは安全だからその道具を使おうと思うのだ。

 使い方次第では怪我をする物だって利用するかもしれないけど、それでも無条件で荷電粒子砲をぶっ放してくる道具なんて危険極まりないし、むしろ積極的に廃棄したいとさえ考えることだろう。

 決して自分に反抗しないからボイスロイドを使ってくれるんだ。

 撮影時に意見をする程度ならともかく、ずんねえさまは一歩間違えれば一撃で殺害できるような攻撃を、彼に放ってしまっている。

 

 ボイスロイドで且つ事情を知った自分でさえやりすぎだと思うような行動だ。

 たとえそれが私の為であったとしても、人間であるマスターが彼女を許してくれるとは到底思えない。

 間違いなくバグだと認識するし、理解しようとも思わないだろう。

 だってそれが普通で、当然の事なのだから。

 ……でも、それなら。

 

「私は……マスターとお姉さまの、どちらの味方をすれば……」

 

 最大の壁に直面したその瞬間、診療所の玄関のほうから扉の開く音が聞こえてきた。

 

「っ? いまの音……」

「……多分、ずん子ちゃんが外に出ました。私にも聞こえましたが、外から足音が一人分。……おそらく柏木君です」

「えっ」

「マズいかもしれません。今のずん子ちゃんは殺気立っていますし、そんな状態で彼と対面したら──」

 

 あわわっ、兄さまが……ッ!!

 

 

 

 

 

 

 慌てて診療所の外へ飛び出すと、夜の月明かりに照らされた二人が対峙していた。

 

「ずんだブレード!」

 

 どこからともなく高周波ブレードを抜刀したお姉さまとは対照的に、マスターはなんの武器も持っていない。

 武装はおろか身を守るための防具すらつけておらず、朝からずっと私たちを探していたのか、長ズボンに半袖シャツ一枚という、闘ったら何も守れない恰好でいることに焦りを覚えた。

 このままだと彼女はマスターを高周波ブレードでサイコロステーキにしてしまう。

 飛び出して止めるか? 

 けど私を庇ったマスターが殺されてしまっては話にならない。

 最悪の事態はマスターに味方した私を見て『洗脳されてるー!』とか言い出してお姉さまが暴走した時だ。誰も手を付けられなくなってしまう。

 かといってお姉さまと一緒に逃げたら──うああああぁぁどうしよう!?

 

「……東北ずん子、まずはキミに謝らなきゃいけない。すまなかった」

「な、何を言って……!」

 

 私が迷っている間に、いつの間にかマスターがお姉さまに向かって頭を下げていた。

 なんだ、どういう状況だコレは。

 マスターがお姉さまを責める権利こそあるものの、彼女に謝る理由など一つもないはずだ。

 お姉さまが謝罪を要求したのか?

 

「キミにそんな物騒な物を内蔵させたのは、俺たち人間だ。キミの今までのマスターたちを代表して……と言うと少し驕ったように聞こえるか。とにかく、申し訳ない」

「あ、謝られたって揺らいだりはしないんだから!」

 

 どうやらマスターが自ら率先して謝罪をしたらしい。

 ……えっ。

 いやいや、それはおかしい。

 ちょっと待って、なんで?

 彼女の改造にマスターは何一つ関与していないし、所有物である私を持ち出したことはおろか、自分に対して殺傷能力のある兵器まで向けたというのに、どうして被害者である彼が謝っているんだ。

 

「でも、きりたんの事に関しては別の話だ。彼女を返して欲しい」

「ダメに決まってるでしょ! どうせ本物のきりたん砲とか付けるつもりのくせに!」

「へっ? い、いや、そんな技術力は無いし……」

 

 一般人であるマスターにそんなことは不可能だ。

 しかし、多少科学をかじった事のある人間なら、出回っている違法改造パーツを使ってきりたん砲を作る程度なら容易。

 あんな言葉が出てくるという事は、彼女は相当改造好きなユーザーたちに振り回されてきたのだろう。

 

「あいにくボイスロイドを武装するような趣味は持ち合わせてない」

「なっ、なら無条件発情プログラムとかインストールして変なコスプレさせた後にえっちな配信サイトで荒稼ぎするつもりなんでしょ! エロ同人みたいに! エロ同人みたいに!!」

 

 大事な事なので二回言ったらしい。

 

「……キミのこれまでの扱われ方は察するに余りある。人間から逃げ出したいと考えるのは当然だと思う」

「当たり前だよそんなこと! ……も、もう好き勝手なことはさせない……」

「なるほど……分かったよ」

 

 マスターは少し逡巡した後、顔を上げた。

 そこで私は一つだけ理解した。

 彼が本気だという事を。

 いままでに見たことが無いほど、マスターの表情は真剣(マジ)になっていた。

 

「俺からは逃げていい。追うなと言うならこれ以上追い回したりもしない。人間がいなくても生きていけるほどキミが強いという事も認めよう」

「だったら──」

 

 お姉さまの言葉を遮って、彼は芯の通った声音で告げる。

 

「けど、きりたんは渡さない。彼女を返してくれないか。その子は俺の……ボイスロイドなんだ」

「……っ!」

 

 極めて真面目な、ともすれば睨みつけているとすら思えるような表情で、マスターは彼女の持つ凶器を前にして一歩も引かない。

 そのとき、私の目に映ったのは彼の傷跡だった。

 左腕に火傷の跡がある。

 おそらくはお姉さまが放ったずんだブラスターが掠ってしまったのだろうが、治療もせずに私たちを探し回っていたせいか、そこが酷く悪化している。

 

「どうせきりたんにひどい事をするんでしょ……!」

「……しないという保証はできない。今までだって悪いことをすれば叱る事はあったし、度が過ぎれば声を荒げて怒鳴ることだってあるかもしれない」

「っ……? そ、そういう話をしてるんじゃ──」

「手を出すこともある……そう、デコピンだな。さすがに頬を張ったり強く叩いたりはしないが、罰を与えなければならない時はデコピンまでならする。彼女を無条件に甘やかし続けるという約束はできない」

「……ぁ、あの」

「けど怒らないのが大人ってわけじゃないだろ! 自由は許しても不条理な行動を咎めないのは違うんじゃないのか! ボイスロイド行使の資格を持った一人のマスターとして、大人として当然の行動だ! それともなんだ、甘やかし続けて俺に彼女が道踏み外すきっかけを作れってのか!?」

「ひっ! ご、ごめんなさい……!」

 

 とても、とても真面目にマスターは仰っている。

 先ほどの発言からしてお姉さまは性的暴力を振るうつもりなのだろうと告げているのだが、対するマスターは虐待になるほどの叱責は行わないということを言っている。

 ズレている。

 確かにズレているのだが、マスターはそもそも『性的な抑圧を強いる』という選択肢が脳内に浮かんでいないようだ。

 なんというか……変わった人だ。

 あの人、本当に二十歳すぎてる遊び盛りの男子大学生だよね?

 

「……頼む、きりたんを返してくれ。その子はもう俺だけのきりたんじゃない。応援してくれるリスナーに……空洞だらけになった今のボイスロイド界にも必要な存在なんだよ」

「うぅっ……」

 

 マスターの本気の訴えと気迫に圧されるお姉さまだが、振り返って私を見た彼女は、まだあと一歩引こうとしない。

 

「じゃあ、通報すればいいよ。そうすればきりたんは貴方のもとに戻ってくる……そうすればいい」

「そんな事はしない」

「ど、どうして!」

 

 お姉さまはもうずんだブレードを握ってはいない。

 地面にそれを落とした行為と先程のセリフからして、既に彼女は降伏の意を示している。

 

「通報すればキミは回収されるだろ。殺傷能力のある兵器を搭載されたレベルの改造品であるキミは、本社に回収されたら今度こそ廃棄される」

「……だったら、なおさらそうしないと。……ぁ、あなたの腕にそんな、ひどい火傷を負わせたボイスロイドなんだよ……?」

 

 彼女の問いに、マスターは小さく微笑んで答えてみせた。

 

「しないよ。だって、キミはきりたんのお姉さんだから。……さっきも言ったけど、きりたんは俺のボイスロイドだ。自分のボイスロイドには悲しい思いをしてほしくない。

 そう考えるのは……マスターとして当然のことじゃないのか」

 

 そんな彼の言葉を前にお姉さまは、信じられないものを見るような目を向けて。

 少し経ってから俯いて。

 肩を震わせてコンクリートの地面に膝から崩れ落ちたあと、涙を浮かべながら小さく声を漏らした。

 

 

「…………うそ、だよ。……こんな、こんなマスターなんて……いるわけ、ない……っ」

 

 

 ボイスロイドにしては珍しい、本物の泣き声。

 しゃくりあげて自分を落ち着ける、その人間の様な動作や消え入るような泣き声も、彼女が最も『人間に近い声』の発展を目指して作られた現代のボイスロイドだからこそ、出てくるものだった。

 そしてそれを人間のものと同じように受け取ったマスターは、呆けていた私に目配せする。

 普通の人なら奪われた物は、無理やりにでも奪い返したいはずなのに。

 いますぐ私を引っ張って手元に戻さないと、モノを奪われた人間として落ち着かない筈なのに。

 彼はお姉さんを慰めてやれと、視線だけで私に指示を出した。

 ここまできてようやく、お姉さまが殺気立ってしまった原因である私に、出番が回ってきたのだった。

 

「お姉さま」

「……き、きりたん……っ」

「少しずつでいいですから。……私が信じたマスター(兄さま)の事を、信じてみてくれませんか」

「ぐすっ……お、お前が信じる俺を信じろ、ってやつ……?」

「そんな感じです」

「グレンラガンだねぇ……」

「ちょっと何言ってるか分かんないです」

 

 ともあれ。

 

 マスターの根気強い説得によってずんねえさまは落ち着きを取り戻し、最終的には一緒にマスターのお家へと帰ることになった。

 お姉さまが捕まらないように匿ってくれたゆかりさんと、怪我をしてまで彼女と正面から向き合ってくれたマスターには感謝してもし足りないくらいだ。

 今回お姉さまが警戒を解いてマスターを信じてくれたのは、私を大切に扱っているという部分を前面に押し出したのと、なにより荷電粒子砲ずんだブラスターで腕を火傷したのにもかかわらず、彼女を許してしまったことが大きな要因だろう。

 ゆかりさんから救急キットを受け取った、帰り道の今でも本当に信じられない。

 マスターがお姉さまを許してしまった事が未だに夢のようだ。

 だって、怪我だ。

 マスターは実際に火傷を負ってしまっているのだから、彼女を危険だと思うはずだ。

 言うことを聞かず問答無用で自分を攻撃してくる道具なんて、とても怖いものだし不快だとすら感じるはずなんだ。

 なのに許してしまうなんて、マスターはことごとく私の予想のはるか上をいく御人だと実感させられた。

 

 ……もしかしてだが、マスターは道具として使う機械からの反逆じゃなくて、すれ違いから起きたケンカ程度のことだと認識していたのだろうか。

 お姉さまを『姉妹機』ではなく『お姉さん』と表現したあたり、本当に私たちを人間と同じように扱っている気がしてきてしまう。

 それが自惚れだと分かっていても、そう考えさせられ続けてしまうような魅力が、あの人にはあるのだ。

 俺のボイスロイド、という言葉を思い出すたびに顔が熱くなる。

 彼の言う『ボイスロイド』という呼称は、なんだか商品名や使用道具の総称ではなく、妹でも恋人でもない私を形容するためにはどう言ったらいいのか考えた結果出てきたセリフだったように思える。

 そう思ってしまう。

 だって『俺の……』ってちょっと間が空いたし。

 ボイスロイドっていう表現以外にしっくりくる関係性が思いつかない。

 購入されたから同居人ではないし。

 仕事仲間と言うには近すぎる距離感で生活しているし。

 私を買ったときからそうだが、道具という呼称を故意に使おうとしない彼にとって、自分と私を言い表す言葉は『俺のボイスロイド』以外にはないのかもしれない。

 

 そう。

 俺のボイスロイド。

 俺の──

 

「…………ぇ、えへへ……」

 

 どうしてそうしてしまったのかは分からないが、帰り道の途中で私は誰にも気づかれる事なく、買われたばかりのあの時の様に小さく笑ってしまうのであった。

 

 

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