ボイスロイドを買ったのでさっそく犯す 作:お兄さマスター
ゆかりさんの様子がおかしくなった、という連絡を受けて診療所へ向かった俺は、いつの間にか患者用のベッドに寝かせられていた。
何か大変なものを目撃してしまった、というおぼろげな記憶は残っているものの、それが何だったのかは思い出せない。
思い出さないほうがいい、という事も周囲の態度からして察している。
だからこの件に関しての言及はしないでおこう、と決めてすぐに意識を切り替えた。
問題はゆかりさんだ。
いま俺は彼女と診察室で二人きりで話をしているのだが、ゆかりさんから聞かされた話は想像をはるかに超える凄惨なものだった。
特定のワードを目の前で言われると、発言者に対して発情して我を失ってしまうという恐ろしいプログラム。
彼女はそんな望まぬ十字架を背負わされながらこれまで生きてきたらしい。
日常生活を送るのも億劫に感じてしまう程の、理不尽なデメリットだ。
彼女の以前までのマスターは何を考えていたのだろうか。
「……そういうわけで、システムが作動するとその前後の記憶が曖昧になってしまうので、自分へのNGワードがなんなのか把握できていないんです。教えてもらおうとすると発動しちゃうし……」
「…………なるほど」
秘密にしていたそれらの事情を彼女はすべて話してくれた。
明らかに弱った様子で、逐一こちらの表情を窺いながら、だが。
「ごめんなさい、こんな大事な話をこれまで隠していて」
「……」
何と声を掛けたらいいか分からない。
先ほどからあまり良くない空気が部屋の中を支配している。
確かにそんな大変な事情を抱えていたのなら事前に教えておいて欲しかった、という気持ちがないわけじゃない。
しかしゆかりさんの気持ちを考えると、話さなかった事情も分かると、そう思えてしまった。
普通に会話をしているだけでも、もしかしたら突然自分を襲ってくるかもしれない。
そんな相手とコミュニケーションを取りたいと考える人間がどれほどいるというのだろうか。
恐らくそう多くはない。
まず一般人なら近づきたいとさえ思わないだろう。
──と、ゆかりさんはそう考えている。
正直言って間違いではない。
彼女が抱えているそれは爆弾そのものであり、事情を知られてしまったら嫌われる程度のことでは済まない可能性も大いにある。
「マスターに紹介して頂いた方の中に、いわゆる裏稼業のような形で改造ボイロたちの治療をおこなってくれる先生がいらっしゃるんです。改造品は本社に回収された場合、八割くらいの確率で廃棄処理されるか、もし逃れたとしても人格データの抹消は避けられないから、記憶そのままに体内プログラムを除去してもらうにはその筋の人間様に頼るしかなくて……でも」
彼女の顔が曇った。
膝の上に置かれたゆかりさんの手が、震えを押し殺すように握りこぶしを作っている。
「手術成功の確率は半々。……とても緻密な部分を弄るらしいので、無事に除去できるか……もしくは人格データが記憶領域ごと吹っ飛ぶか、その二択だと言われました」
「……受けるのを拒否したのか」
ゆかりさんは小さく頷く。
「怖かった……失敗したらわたしは死ぬって事ですから。……いろんなボイスロイドを診察する身でありながら、我が身可愛さに他人への迷惑を承知で手術の提案を蹴ったんです。……でも、その結果がこれなら……」
なるほど、と。
もう一度相槌を打ち、俺は少しばかり逡巡する。
ゆかりさんの事情は概ね把握した。
彼女は手術のリスクを考えて発情プログラムをそのままにし、周囲に距離を取られない為に自らの事情をひた隠しにしていた。
自分のマスターときりたん以外には誰にも話していなかったらしく、発情プログラムは彼女にとって最も大きな秘密であったようだ。
「……ゆかりさん」
「っ……?」
少女の震える手を握る。
ゆかりさんの気持ちが全て理解できる、と言ったらそれは完全なる驕りだ。
気休めの言葉は目の前にいる少女をさらに追い詰めるだけだろう。
だから、俺はゆかりさんに対して”本気”だという意思を、今この場で示さなければならない。
「そばにいるよ、絶対」
孤独は辛い。
わかるのはそれだけだ。
一人になるのはとても寂しくて、だから他の誰かを求めてしまう。
俺が彼女の立場であっても、恐らく同じことをしただろう。
……いや、もう既に似たようなことをしている。
「柏木、くん……」
「ゆかりさんが怖いならずっとそばにいる。暴走しそうになったらまたずん子のお団子を食べさせるし、俺たちはゆかりさんを嫌いになったりはしないよ」
とてもキザというか、普段の自分が聞いたら恥ずかしくて逃げたくなるような言葉の数々。
それらがとめどなく溢れてきてしまうのは、やはりどうしても彼女に元気を取り戻して欲しかったから──なのかもしれない。
「話してくれてありがとう。でも俺たちがこの診療所からいなくなることはないから安心して」
「……ずびっ」
半泣きになったゆかりさんが鼻をすすっている。
ボイスロイドでも人間と同じように、泣きそうになると鼻が赤くなるらしい。
「俺だってそんな条件を聞いたら手術なんて受けたくないと思うに決まってる。……ゆかりさんは間違ってない」
診療所の先生をカウンセリングすることになるとは考えもしなかったが、いまこの瞬間彼女に寄り添える人間は俺しかいないのだ。
きりたんが俺を受け入れてくれたように、俺もゆかりさんを受け入れたいと思う。
あの子がいつでもそばにいてくれるのと同じように、俺もゆかりさんを決して一人にはしない。
孤独は痛い。
俺は何よりもその事を知っている。
だから、恩人であるゆかりさんには同じ苦しみを味わってほしくないから、俺はいつでも彼女を支えられる人間でありたい。
それを伝えるために俺は彼女の手を取り微笑み語り掛ける。
一刻も早く、いつもの気配り上手でお調子者な、ドヤ顔しがちのゆかりさんに戻って欲しかった。
「……ありがとうっ、ございます。……柏木くんは優しいですね」
そんな、俺の手を握りながら小さく笑う彼女の姿は、記憶の片隅にあるいつかの少女と重なって見えた。
そのせいなのか。
俺も釣られて、思わず笑ってしまっていたらしい。
◆
後日。
用事があるから出掛けると言って、一人で診療所から去ってしまったゆかりさんを心配しつつ、夕食の買い出しを終えて帰宅をすると、そこには見慣れた光景が展開されていた。
「ムフフー、きりちゃんフワフワですねぇ♪」
「あ、あの、ゆかりさん? そろそろ撮影するんで離して……」
なにやらモコモコな生地のパーカーをきりたんに着せたゆかりさんが、彼女を後ろから抱きしめて愛でている。
変な衣服を着せてきりたんを可愛がるのは、診療所ではよく見る光景だ。
……しかしゆかりさん、連絡もないから心配していたのに、いつの間に俺の家に。
「あっ、柏木くんお帰りなさい!」
「ただいま……?」
なんか、いつにも増して凄い元気だ。
昨日のあの様子からは考えられないくらい、普段以上の陽気さを取り戻している。
何か特別なイベントでもあったのだろうか。
「ゆかりさん。昨日はどこへ……」
「あっ、手術に行ってました」
「えっ? ………………えっ?」
ちょっと何言ってるかわかんない。
「きりちゃんと柏木君のおかげで踏ん切りがついたんですよ。皆さんと一緒にいる時に気をつかわれるのは嫌だったので、思い切ってドーンとやってきました」
「そ、そう……。……えっ、大丈夫だったの? あの、確率が半々とか」
「賭けに勝ちました!」
「…………なるほど」
こんなにあっさり手術を受けてしまうなんて思わなかった。
昨日の俺のカッコつけた恥ずかしいセリフの数々、もしかして必要なかった?
……まずい、今更になって急に顔が熱くなってきた。
結局その日はゆかりさんに圧倒されっぱなしで、妙にスキンシップというか距離感が近くなった彼女に翻弄されながらも、いつも通りの夜を過ごすのであった。