ボイスロイドを買ったのでさっそく犯す 作:お兄さマスター
雨が降ると、いつもあの日を思い出す。
大企業に勤める金持ちの息子が現実を知った日。
親の威光を笠に着てふんぞり返っていた世間知らずのクソガキが、すべてを取り上げられて惨めに泣き喚いた日のことだ。
すぐそばで凶器を振り回して警官と戯れる男を気にも留めず、動かなくなった雨曝しの母親に声をかけ続けていた。
『お母さん』
いつも夢を見る。
堅物の父親と、柔和な笑みを浮かべる母親がいた。
諸事情で別の場所で暮らしてる姉の話なんかも聞きながら、三人でクッキーを食べていたりする夢を見ていた。
そして気がつくと雨が降っている。
父親は玄関でうつ伏せに。
母親は俺のすぐそばで、雨に打たれながら眠っている。
『お母さん』
何度も語り掛けていた気がする。
こんな豪雨の中で寝ていたら風邪を引いてしまう。
腹部のお洋服が赤く汚れてしまっているから、これも洗濯して綺麗にしないと。
それからどこか怪我をしているかもしれないので、一緒に病院へ行った方がいい。
俺もさっき、男の人に殴られたから。
『──お母さん』
優しい人だった。
温かい人だった。
父は少しだけ厳しかったから、より一層母の穏やかさが心地よかった。
そんな人が冷たくなっている。
こちらの呼びかけに一言も応じなくなっている。
雨が降ると、いつもあの日を思い出す。
家族三人で手作りのクッキーを食べていた日。
知らない男の人に全てを奪い去られた日。
──母さんが笑って俺を送り出してくれた日。
お巡りさんの所まで行ってきて、と。
言われるがまま雨の中を駆け抜けて。
そのあと、風邪を引いてしまった日だ。
◆
「兄さま」
声が聞こえる。
「かぜ、引いちゃいますよ」
心が落ちつく声音だ。
両親を失った後、どこかで触れ合った一人の少女と、とても似た声をしていると思った。
うっすらと目を開ける。
隣にはきりたんがいた。
俺は自分の腕を枕にして眠っていたらしい。
それから数瞬呆けて、ようやく今の状況を思い出す。
博覧会を見終えたあと、バイクを走らせている途中で雨が降ってきた。
雨合羽を積み忘れていたので屋根がある場所まで急いで走らせて、結果的に屋根付きのベンチとテーブルがある公園に逃げ込んで。
こうしてきりたんと横並びになって座り、雨が止むまでここで待機しようという話になったのだ。
最初はスマホで動画を観たりして時間を潰していたのだが、どうやらいつの間にか眠ってしまっていたらしい。
雨の日に、昼寝。
二つの条件が重なって、昔の記憶を掘り返すような夢をみていたようだ。
「どうぞ」
「……っ?」
きりたんがハンカチを差し出してきた。
なんだ、藪から棒に。
屋根の下にいるから濡れているはずはないのだが。
「怖い夢でも見たんですか」
「えっ。……あ、俺、泣いてたのか……?」
言われてようやく気がついた。
俺の目尻には水滴と流れた痕があり、夢を見ている間俺は何故か涙を流していたらしい。
「……怖い夢、か」
考えてみればそうかもしれない。
これまで蓋をしてきた過去の記憶なのだから、見たくもないものだったはずだ。
そんな夢を今更になって想起するようになってしまったのは、一体どうしてなのだろうか。
「浮かない顔です」
「……博覧会を出たあと、お前も似たような感じだったぞ」
「なんとっ」
小さく驚くきりたん。
俺が指摘されたことは彼女にも当てはまることだ。
博覧会でのボイスロイド向けコースで何を見たのか、彼女はバイクに乗るまでずっと何かを考え込むように俯いていた。
聞くのも野暮と思ったから質問こそしなかったが、こうして同じ状況になったのなら互いにそれを答えてもいいんじゃなかろうか。
「きりたんは何を見たんだ?」
「……まぁ、歴史です。ボイスロイドの過去を知って、ちょっとだけセンチメンタルになってたのですよ」
ボイスロイドも感傷に浸るときがあるのか、と素直に関心した。
何分最近はASMR配信で世のボイロ好きたちを唸らせたり、コッショリした音声作品を作って俺を唸らせたりしていたので、彼女らは悩みとは無縁の生活を送っているように思えていたから。
昨日今日だってずん子と茜は楽しそうに耐久配信を行っていた。
きりたんも同じで、博覧会に行ったとはいえ道中は動画やゲームの事ばかり考えていると思っていた……のだが。
なにやらボイスロイドの歴史を知る際に、それよりもっと大きな何かを目の当たりにしたらしい。
「兄さまは……」
「俺も似たようなもんだよ。昔あった出来事を夢で見てた。……あの日もこんな雨だったから」
「あ、回想シーン入る感じですか?」
「変なこと言われたからやめる……」
きりたんが詳細を語らなかったのだから、俺も詳しい話はしないでおこう。
お互いに黙っておきたい秘密の一つや二つはあるだろう。
尤も、彼女から教えてほしいと頼まれた場合であれば話すのもやぶさかではない。
知らないままでいいと思う反面、知ってほしいとも考えている。
そう、これは単なる甘えだ。
「……私も話したら教えてくれますか?」
意外な提案だ。
彼女にも俺を知りたいと考える程度の興味はあったようだ。
「いや、言いたくないなら別にいい。こっちが勝手に話すよ。俺のはいずれ明るみになる話だからな」
それから色々とあの日のことを語った。
二度この事を喋ることは無いだろうから、この一回で済ませられるよう、なるべく覚えている限りの範囲で詳細に。
──雨脚が強まる。
近くの砂場はちょっとした池みたいになっていた。
溢れそうな水たまりに雨粒がぶつかり、跳ね返る音がとても大きい。
びしゃびしゃ、ばしゃばしゃ、と。
俺は喋りながら辺りを見回す。
とても大きな公園だ。
ベンチやテーブルがあるこの場所だけでなく、駐車場にも屋根があった。
ここのおかげでマッハずんだーも俺たちも濡れずに済んでいる。
……ふと、考えた。
人型の自立ロボット形態になれるほどの高度な変形機構が組み込まれたマッハずんだーや、一応精密機械であるはずのきりたんがこの雨のもとに晒されたら、どうなってしまうのかと。
ボイスロイドは入浴できる。
むしろ外で活動などをした際は人間のように汚れることもあり、それを洗い流すために積極的に風呂へ入ることも珍しくないほどだ。
耐水性が抜群、どころの話ではない。
人のように食事し、人のようにシャワーを浴び、人のように喜怒哀楽を表し、一日の最後には睡眠をとる。
それはもう人間ではないだろうか。
寸分違わず、自分たちと同じ存在なのでは──そう考えて疑問が浮かぶ。
どうして茜のマスターは、ずん子のマスターは、彼女たちを人として扱わなかったのか。
まるで人間と変わらない存在なのに、どうしてそこまで
少し逡巡して、ようやく答えを得た。
彼らには先入観があった。
ボイスロイドは、アンドロイドは人ではなく人間が扱う道具である、と。
どんな用途で使おうが本人の自由で、法に触れる事でもないのだから文句を言われる筋合いだってありはしないのだと。
分かる。
そう思うのが普通だ。
大前提として人の為に造られた存在という事実があるのだから、活用する人間がそれらに対して『人間と同じように』などと考えるはずがないのだ。
だったら俺もそうすればいい。
茜のマスターのように過度な干渉を行わなければ、適度にストレスを発散してやれば、それで何も問題ない。
道具として扱えばその分従順になる。
もっと好きなことができる。
自分に何かを強いる必要のない、アンドロイドを手足のように扱える快適な生活を送ることができる。
──そのはずだった。
『あのとき本当に嬉しかったんですよ?』
好きにすればいいと。
何をやってもいいと。
そう考える度に、一人の少女が脳裏によぎる。
『ユウくんはわたしのヒーローだ』
手を握りながら温かい笑みを見せてくれた、かつての少女を思い出す。
すると不思議なことに、彼らマスターのようにボイスロイドを道具として見ることはできなくなっていた。
そうだ、これも先入観だ。
心を持つアンドロイドは人間と変わらないという先入観だ。
俺もただの人間であり、あのマスターたちと何ら変わらない。
ただ昔、どこかも分からない研究所へ見学に向かったとき、機械仕掛けの一人の少女に価値観を変えられただけに過ぎない。
彼女がそう思わせた。
なにかのプロトタイプであったという、あの少女が俺を変えてくれた。
誕生する過程が違うだけで、彼女も俺と同じ心を持つ──人間だったのだと。
「んっ。……兄さま?」
きりたんの手を握って自覚する。
間違いなく、俺は彼女を道具として見ることができていない。
「急に手を握ってきて、なんなんですか発情期ですか、このロリコン兄さま」
「うるせぇ、静かにしとけ」
そう、ただの小生意気なメスガキだ。
部屋にあった同人誌を読んでからちょっとメスガキ成分が増しただけの、ただの一人の少女だ。
人間は他の誰かといると心に変化が訪れる。
ほんの些細なことだが、ずっと一人でいるのとはワケが違う。
一人と一つの道具じゃない。
ここには二人の心を持った存在がいる。
だから、彼女が人間と何も変わらないから、自分が一人ではないからこそ、こうして心に変化が起きている。
ボイロの資格を得るために一人で過ごしていた毎日はとても平坦だった。
だから記憶の蓋は閉じたまま。
自分は成長して過去を乗り越えられたのだと錯覚していた。
しかし、きりたんが来てからは不思議と昔の事をよく思い出す。
克服なんかしていなかったんだ。
俺は今でも一緒にクッキーを食べられる誰かを求めていて、きりたんと過ごしていると『誰かと一緒にいた記憶』が刺激されて、比較するかのように過去が想起されてしまうのだ。
「兄さま」
思い出さなくていいことを思い出して、教えなくてもいいことを別の誰かに教えてしまう。
「兄さまってば」
それはきっと俺を理解してほしいから。
わかってほしいから。
もう誰かを奪われるのが嫌だからこそ、繋がりをより深く求めてしまう。
「…………マスター」
「っ」
聞き慣れた言葉が脳に響いて、横からきりたんが声を掛けてきている事にようやく気がついた。
雨に影響されて考え込むあまり、彼女を無視してしまっていたらしい。とても申し訳ない。
「マスター、退屈なことを考えるのは一旦やめましょうよ」
「……確かにつまらん事だったな」
「えぇそうです。聞いた私も悪かったですけど、予想以上に悲劇の主人公みたいな過去回想をされて引いてます」
最初は深刻そうに聞き手に徹していたきりたんも、だんだんウンザリしたような表情になっていた。
俺でも多分こうなる。
それくらいつまらない話をしていたことを自覚して──なんだかおかしくなって笑ってしまった。
「……っ、ふふ。……ハハハッ。あー、いやぁ……すまん。隙あらば自分語りするのが癖になってたみたいだ。今後は気をつけるよ」
「なーに笑ってるんですか。忘れてるかもしれないですけど、ずっと私の手を握ったままですよ。なんですか、もしかして寂しくなっちゃいました? ロリに母性でも求めてたりします?」
「流石にそこまで追い詰められてはいないかな……」
「ぷぷっ、ロリコンでマザコンですか。もう終わりですねマスターは」
「オイ前言撤回しろよこのガキ」
きりたんに言われた通り、悲劇の主人公ごっこも大概にしないとな。
プロトタイプの話までは出てこなかったが、そのせいでより一層相手に気を遣わせるような内容になってしまっていた。
下手に優しくされるよりも、むしろ今のきりたんのように皮肉って笑い飛ばしてくれた方がずっといい。
俺はいま、不幸ではないんだ。
確かに楽しい環境に身を置いているからこそ、また奪われるんじゃないかという恐怖が出てくることもあるだろう。
だが、もし俺からまた何かを奪おうとする輩が出現したら、そのときは俺の全力を以て対処に取り掛かってやろうじゃないか。
俺の不幸体質へのカウンターとして親父もマッハずんだーを残してくれたのだ。
一度目の何もできなかったアレを糧にして、今度こそ俺は守りたいものを自分自身の手で守ってみせる。
もうあの時の無力なガキじゃない。
そう、俺は大人なのだから。
「あっ……雨やみましたね」
「みたいだな。すっかり晴れだ」
どうやら勢いが強いだけの通り雨だったようだ。
きりたんの手を離してベンチから立ち上がる。
雲が晴れ、眩しい太陽が姿を現した。
とても清々しい気分だ。
心の中のモヤモヤが吹っ飛んだ気がする。
「帰ろうか、きりたん」
「はい。きっとねえさま達も待ち侘びてますよ」
人型の状態で折りたたみ傘を差していたバトルずんだーをバイク形態のマッハに戻し、きりたんと共にヘルメットを装着して早々に出発する。
自分が傷つくのは怖くない。
でも誰かが傷つくのは良い気分じゃない。
そして楽しそうな笑顔を見せてくれるボイスロイドたちが奪われるのは、何よりも俺自身が許せないことだ。
……まぁ、だからというわけでもないけど。
「兄さまー」
「どした」
「バイクの音うるさくてみんな起きちゃうんで、夜中に出かけるのもうちょっと控えてくれますかー?」
「お、おう、気をつける。……あの、ごめんね」
「許します!」
「ありがとう!」
第一に守らなければいけない彼女たちのそばに居るためにも、深夜のドライブは少しお休みにしようと心に誓った。