Nighthawk 作:憑き燈
「僕が飛び降りようとした?」
僕は上杉の家庭教師を手伝いにここにきていて……
なんで飛び降りなんて物騒なワードが出てきたんだ。わけがわからない。
「まさか。何かの間違いじゃないか?」
僕に希死念慮があるのは間違いないが、いくらなんでも場所くらいは考える。
「覚えてないのか?」
「いや、流石におかしいでしょ。僕がそんな行動をとるわけがない」
僕の思考能力を信頼するならば、こういう結論にならざるを得ないわけだが……
「あぁ、わかった。僕がおかしいんだな」
姉妹や上杉の反応を見る限り、僕は相当壊れているらしい。
僕は今、どんな顔をしているのだろうか。きっと幽霊もビックリするような、酷い顔をしているのだろう。
これではいつ自我が崩壊してしまってもおかしくない。僕は僕自身を保てなくなる。恐ろしいことだ。死ぬことよりも、はるかに。
「……助けてくれ」
「お前……今なんて?」
上杉が驚いたような顔をしている。僕は今なんと口走った?
「なんでもない、忘れてよ」
「いや、今確かに」
「あーっ!なんだ、勉強サボって遊んでるんじゃない」
上杉の言葉は次女に遮られた。
僕が言うのもおかしな話だが、どう見てもそういう雰囲気じゃない。
おそらく、机の上に広げられたままの人生ゲームが原因だろう。
「私もやる……って、どうしたの?」
「二乃、今はちょっと」
「特に何もないよ。ほら、ゲームの続きやればいいじゃん」
やっぱり、ゲームの進行を妨げた原因であろう僕が言っても変な空気にしかならないな。
来たはいいけど、役目を果たせないどころか迷惑をかけることになるとはね。
「そうだね!続きやろっか」
長女がなんともいえない空気を払拭するために動いてくれた。流石長女。
「アンタも混ざる?」
次女の視線は上杉の背後。
「五月、昨日は」
「私はこれから自習があるので。失礼します」
あーあ。これは簡単には修復できなさそうだね。
「中野五月」
「……なんですか?」
今日は本当にまともな仕事ができなかったから、せめてこういうことぐらいは引き受けなきゃいけないと思った。
僕の中に責任のような概念があったことに自分でも驚いている。ましてやこれは、本来他人の仕事だ。自分のことにすら責任なんて感じたことがなかったのに、気が狂ったことをこんな形で実感したくはなかった。
「結果は出せそう?」
「足手纏いにはなりたくありません」
その場を去ろうとする五女。でも、その返答じゃダメだ。
「質問に答えてよ。君がどう思っているのかじゃなくて、客観的に、俯瞰的に見て、今の君に結果が出せるのかって訊いてるんだよ」
「っ!あなたは!」
「君は以前結果を出すと宣言し、時間はかからないとまで言ったじゃないか。僕が死ぬ前に見せてくれるんじゃなかったのか?」
「……今回の試験までに間に合わなくとも、私は」
「遅いんだよ、それじゃあ。僕はさっき、そこのベランダから身を投げかけたらしい」
「なっ!」
「は?ちょ、聞いてないわよそんな話!」
「二乃、ちょっと静かに」
「僕が自分の意思で自殺を止められているうちにどうにかしてくれ。じゃないと君は、嘘つきってことになる」
自分でも酷いことを言っている自覚はある。こんな馬鹿げたことを言い出す人間なんて、本当にただの狂人にしか見えないだろう。それでも、こんな状態の僕を頼ってくれた上杉のために、最低限やれるだけのことはしておきたかった。それに、どうせ早死にするのなら、僕の得た教訓を他者に引き継いでおいた方がいい。
「……そんな話を、信じろと?」
「僕のことは信じなくていい。君が信じるべきは君の姉妹だ」
五女は姉妹の方に視線をやった。次女以外は僕の行動を知っているようだったから、これで信じざるを得なくなる。
「まだ生きていたら、というのはそういう意味でしたか」
「考える時間は必要?」
「……いえ、約束を破るかもしれないことはいくらでも謝罪します。それでも、私は」
「僕のようなゴミになるなよ」
「ちょ、ちょっと、なんですかいきなり?!」
「何もできやしないのに、何かができると思い込んで、その結果がこのザマだ。僕の吐いた言葉は全てが嘘になった。結局僕には何にもない。あるのは何の実力も結果も伴わない、ゴミのように蓄積されたゴミのようなプライドだけだ!君はこんなものを抱えながら死んでいく気か?!今からでも遅くはないんだ!考え直せ!」
気付けば涙が流れていた。こんなことを、他人の前で口に出したのは初めてだ。独りのときでさえ、あえて口に出すことはしなかった。ずっと、ずっと考えていたこと。僕は一体何者だったのか?僕自身はどう表現されるべき存在なのか?きっとこれがその答えだ。
「本堂、もういい。それ以上はやめてくれ」
五女は沈黙している。今の今まで他人に自分の言葉が届いてほしいと思ったことはなかった。“人に伝える”という行為は本当に大変な作業だ。ここまで心を削っても、それでも届かないのなら、それが僕自身の限界だ。やっぱり僕には何にもなかった。そういうことなんだろう。
さて、僕は帰ろう。もう僕にできることは何もない。最初から何もなかったのかもしれないが。
玄関に向かうと、上杉もついてきた。
「俺が悪かった。お前を無理にこんなところへ連れてきたから」
「上杉、それは違うよ。君の期待した成果を上げられなかったのは間違いなく僕のせいだ。君は数ヵ月前までの僕を頼ったんだろうけど、今の僕には何もない。君の知る僕はもうどこにもいない」
「そうじゃない。俺が言っているのは、お前にそこまでさせてしまったことだ。言っておくが、最初からお前に教え方の上手さなんて期待しちゃいなかったぞ。お前みたいな天才タイプとあいつらが同じ土俵で話せるわけがない」
「君は一体何を……?」
「そもそも、俺がお前を呼んだ理由は、お前が誰にも思いつかないような発想でこの状況を打開してくれると信じたからだ。人手が足りなかったのも事実だが、それはあくまでも口実にすぎない」
「君は僕の記憶を、知識を試したじゃないか」
「だから、それも口実だ。大体、知識量なら元々俺の方がお前よりも上回っている。今更誰が増えても関係ない」
「……君が何を期待したのかはよくわからないけれど、結局どうにもならなかっただろう?」
「そうでもないぞ。できればこのまま、二乃の説得まで手伝ってほしいところなんだが」
「正気?」
「お前よりはな」
それはそうかもしれないが、僕に正気を疑われる上杉も相当では?
あれ?これは逆に上杉が正常ということなのか?
「あれ?アンタたちまだいたの?今日のカテキョーは終わったんでしょ。帰った帰った」
「あ、いや」
タイミングが悪いことに、玄関近くまで次女が来た。僕は帰ってもいいけど、上杉はまだやること残ってるだろうに。
「待って二乃。フータロー君、約束が違うじゃん。今日は泊まり込みで勉強教えてくれるって話でしょ?」
「えっ?えぇぇぇぇーっ?!」
長女、ナイスタイミングかもしれないけれど、言ってることヤバいよ。