──自分に
黄金の嵐が、少年の自室を抉り抜こうと吹き荒れる。
暴風に乗って部屋中を埋め尽くす勢いの黄金の粒子。それはあまりにも幻想的で、神秘的で、世界には未だ知らないことで満ち溢れているのだと、そう信じられる光景だった。
偶然、誰もいない瞬間を狙ったかのように始まった創作の如き光景に、少年は高熱を出していることも忘れて目を奪われている。
この光景は、まず間違いなく少年が原因であった。
発生している神秘の台風の中心、その目は誰に聞いても口を揃えてこの幼い子供の眼前であると答える場所。
だと言うのに、少年はその美しさに目を奪われるばかりで何が起きているのかまるで定かではない様子。
よく見れば、どこか瞳も虚ろ。頬には朱が差していて、呼気も荒い。
総じて、風邪と思しき症状を発症している少年は、元凶でありながらその光景を何一つとして理解している様子がなかった。
「うぁ……」
彼の肉体から何かが急激に抜け落ちていく。その脱力感に思わずといった様子で声が漏れ、起き上がろうとしていた体がベッドの上に倒れ臥す。
数え切れないほどの光の粒が一箇所に集中するに伴って発生する暴風。身体から絞り出されるように増えていくその神秘に比例して、風は強大に進化する。
一瞬でも気を抜けば吹き飛ばされてしまうようなその風を前に、少年は飛ばされないようにするのが精一杯。
落ちそうになる瞼を必死に堪えて、ただその災害を見つめながら収束の時を待ち続ける。
きっと、顔を伏せないのは心のどこかで理解していたからなのだろう。
この光景は、今の機会を逃してしまえば、もう二度と彼が見ることを許されない光景だということを。
天井を貫く勢いで立ち昇る光の柱。その出所は、黄金の粒子が集まった空間。
全てを塗り潰す白の中には、一つの黒き影。それが人型を取っているというのは一目でわかった。
そうして、光の中から現れるのは一人の少女。
その姿を見て、ついに少年は全てを思い出した。
けれど──
「こんにちは。立香。サーヴァント、キャスター。アルトリア。モルガンよりも先に来ちゃいました」
「ある、とりあ……?」
「はい、あなたと妖精國を一緒に旅した……たび、した……なんでこんなに小さいんですか!?」
聖杯戦争。英霊召喚術式。
頭の中にぼんやりと浮かぶ、一度も聞いたことのない見知った単語という不可解も、この瞬間だけは忘却の彼方へ。
幼い少年と目線を合わせて語るのは、儚い幻想でありながらなお燦然と輝く星のような少女。
驚いてはいるが、それすらも美しい少女に似合うのはきっと、月明かりを浴びて輝く舞台の上。
けれど人工の光、闇を恐れ、星すらも塗り潰す人間の叡智の上にあってなお、その輝きは潰えることはない。
これが最期の景色であったならば自分の人生にもきっと価値があったと、そんな戯言すら口にできてしまうだろう、と思ってしまうほどに。
俗な言葉を言うのであれば、きっと”運命”。
途切れゆく意識の中で、目に焼き付けるように少年は心の一番大事な場所へとしまい込む。
月のない夜、地上に咲いた星の花を、きっと自分は忘れることはないだろう、と。
そんな、夢の世界から浮上する。
立香の中にはすでに夢の中の高熱は残っていない。すでに過去のものであった。
当時彼が患った原因不明の高熱はただの風邪と判断されたもの。
熱があるから連動して前世の記憶が蘇ったのか、それとも前世の知識を思い出す弊害として発熱したのか。その答えはわからないし、彼も別に知らなくていいと思っている。
鮮烈に、心に焼き付いた光景。それを夢として見ることはよくあることだが、今日はいつもとは少し違うことに気がついたのはその直後のこと。
「痛ぇ……」
どこが、と言われると体の節々だとしか答えようのないほどに散らばった痛み。
その原因はなんだろうかと眠りから目覚めたばかりのおぼろげな思考で立香は考えるも、答えは考えるまでもないことだった。
眠っていた場所は、リビング。椅子に座り、テーブルの上に頭を預けている状態。
広げてある本を見るに、おそらくは読書中に眠ってしまった、というところだろう。
けれど、その本を覗き込んでみれば、そこに記載されているのは普通の文章ではない。書いてあるのは生贄に適した動物、幾何学的な文様の数々。どちらかといえばオカルト専門の教科書とでも呼ぶべき代物。
小難しい本を読んでいて、退屈になってそのまま眠り、変な体勢で眠ってしまったことで体の節々が凝っている状態に陥っていた。
「アルトリアが帰ってくる前にもうちょっとくらい読み進めておかない、と……」
そして、体を起こそうとしてようやく気がつく。
彼の体には、毛布の代わりかマントがかけられている。
そのマントの持ち主が誰なのか、言われるまでもなく彼は知っている。
「もう遅いですよ、立香」
呆れたような、けれどどこか楽しそうな声が横合いからかけられる。
振り向けば、そこには夢で見たのと同じ姿。空に輝く星を溶かしたような黄金の長い髪を二つに結った、素朴ながらもどこか舞台の中心に据えられるような村娘じみた少女。
その姿は、初めて出会ってから十年。一度たりとも変化をしたことはない。
「アルトリア……」
「はい、あなたのサーヴァントのアルトリアです」
サーヴァント。
誰にでも伝わるように簡単にいうのであれば使い魔。
けれど、かつて人類史に名を刻んだ英雄の残影を呼び出し使役する、という一点を鑑みれば幽霊という説明も間違いではない、そんな魔術世界における使役対象の最高峰。
きっと、使い魔と聞いて蟲や動物をイメージする一般人の固定観念を吹き飛ばすほどの輝かしい笑みを浮かべたアルトリアは、その華やかさには似合わないものを持っていた。
「ただいま戻りました」
「あ、うんおかえり」
「それで、どこまで読み進めたんですか?」
「えっと……」
立香の目線が魔術書の上を泳ぐ。
どこまで読んでいたのか、ということが記憶の中から取り出せない。
ここは見た、ここは見てない、ここは見たような気がする。そんなぼんやりとした感覚で自分がギブアップした場所を探そうとする。
「もう、言い出したのは立香なのに」
「うぐっ……すみません」
もう似たようなことがないように、魔術を教えて欲しい。
そう言ったのは、アルトリアを召喚した二日後。当時、彼の体調は最悪と言っていいほどだった。
一度も使ったことのない魔術回路を、いきなり英霊召喚という形で限界以上に駆動。
消費された魔力を補填するために魔術回路が彼の生命力を魔力に変換するという事態に陥ったのだ。
だからこそ、魔術回路の扱い方など、基本的なことは知っておかなければならないと思った彼の心中に、前世には存在しなかった魔術というものへの憧れがあったことは否定できないが。
そういうわけで、今回に関しては彼が全面的に悪い。
一切の口答えが許される立場ではない所業をしてしまったのだ。
「……ところでアルトリア」
けれど同時に、それとは別の部分で決して見逃してはいけないことがあった。
たとえ、美少女であるアルトリアの顔が間近にあろうとも、十年の付き合いがありながらも未だに慣れる気のしない美しさを前に胸が高鳴ることになっても。
「なんで、そんなに買ってんの?」
彼女が持つレジ袋の中身を無視することだけは、決して出来なかった。
「えーっと、魔術に使いますからね?」
「うん、まあ食材用と魔術用で分けてるのは知ってるけど」
「今度はちゃんと腐るよりも早く使っちゃいますから」
「それはそれで毎回その勢いで色々と買われると家計が厳しくなるんだけど」
視線を逸らすアルトリアに、今度は優勢に立った立香が詰問する。
袋の中には、どうやらまだ生きていると思しき魚。魔術を用いて生存させていたらしい。
儀式用の生き血を取り出す素材。食用とはまた別に、スーパーでそう言ったものを購入するのもアルトリアにはよくあることなのだが。
「言ったよね。魔術儀式用のあれこれを保管する用の冷蔵庫買ったからそれ届くまで待ってって」
「言われましたね」
「じゃあなんで」
「ほら、思いついたものはすぐに試したくなるじゃないですか」
魔術師。
根源と呼ばれる世界の外側にある全ての始まりへと届くことを目的として魔術を研究する人種。
サーヴァントの枠組の一つ、キャスターというのは魔術で名を残した英雄が資格を与えられるクラスである。
だからと言うべきか、アルトリアにも魔術の研究に対する情熱というべきものがあった。
生き血を使う魔術のために新鮮な魚を買いすぎて、冷蔵庫に入りきらず、最終的には余分だったものがあわや腐ってしまうところだった、なんて事態も発生したのだ。
「それに、ちゃんと全部私が食べますからね」
「胃袋ブラックホールめ……」
まあ、その事態は消費期限が迫る魚を健啖家であるアルトリアが食べつくすと言う方法でどうにかなったのだが。
「それで、この話は置いておくとして。どこまで読んだのかは思い出せましたか?」
「ああ、うん。ここまでは読んだ覚えがあるよ」
「どれどれ……ああ、ここですか」
立香が指差したのは開いたページの終盤。
アルトリア本人も、多分ここは詰まるだろうな、と思った部分。
ああでもない、こうでもないと苦心している光景を想像して、小さく笑みをこぼす。
そして、至近距離でそれを見た少年としては納得がいかない。
「……なんで笑ってんのさ」
蘇ったのは前世の記憶ではなく知識。正確には記録とでも言うべきもの。
だから立香は年不相応な精神があるわけでもなく、見た目同じ年齢くらいの少女に笑われる、と言う事実になんともいえない気分になる。
「いえ、やっぱりここで詰まるんだなって。私も同じところでどうするか悩みましたから」
「そうなんだ」
「それじゃあ、まずは実施ですね。体で覚えてしまいましょう!」
にっこりと笑みを浮かべた少女が立ち上がり、背後に回ってそっと手を少年の背中に伸ばす。
立香もそれを跳ね除けることなく、手が触れた背中から違和感が身体の内側へと迸る。
今の魔術業界の専門用語で言うのならば、魔術回路の接続。
干渉する側は、干渉された側に命を差し出しているような、そんな行為。
けれど、マスターが要石となることで現世に留まっているサーヴァントからすれば、もとよりその命は主人と同一。
故にこれも、二人の間では慣れ親しんだ行為だった。
「ごめんね、アルトリア」
「何がですか?」
魔術回路への干渉。流動する魔力と、それに伴うイメージが暖かなものへと変化していく様が、外から二人を見たならばはっきりとわかっただろう。
尋常ならざる魔力による干渉が、魔術回路から魔法陣への経路の整地を半ば強引に成し遂げ、整えられた道へと立香の魔力が流れ込んでいく。
彼個人では行使できない、
「ほら、サーヴァントが人間に呼ばれるのって、聖杯に願いを叶えてもらうためなんでしょ」
「一般的にはそうらしいですね」
「なのにほら、俺の召喚では別に聖杯がどこそこにあるとかわからないわけだし」
十年。
立香がアルトリアと出会ってからそれだけの時間が経ったが、聖杯戦争と思しき事件は一つもなかった。
本来、聖杯にて願いを叶える権利を条件に召喚に応じるサーヴァントに対してあまりにも不誠実な状況。
「なんだ、そのことですか」
だというのに、少女はなんだそんなことかと口にする。
背後にいるアルトリアの顔は立香からは見えない。
だから、彼女が今何を思っているのか、声から判断するしかない。
彼にわかるのは優しい声音だということだけ。
きっと、どう言えば相手を納得させられるのか悩んでいるような顔をしているのだろう、なんて程度のことがわかるだけだった。
「大丈夫ですよ」
作ったような優しい声。
わずかに微睡みへと誘う色の乗った音に、意識がぼんやりと沈み始める。
一番似ている感覚は、暗示をかけられた時のもの。
「それはもちろん、願いがなんでも叶うというのなら身長がもう少し欲しいところですけれど」
意識を誘導されるような違和感を眠気が押し流し、少女の声が脳へと直接浸透する。
まるで心の奥深くに刻み込まれるような感覚に、少年の意識は散らばっていく。
「まあ、ないならないでしょうがないものです。そもそも、願いがなんでも叶うなんて眉唾ですしね」
「そうなのかぁ……」
「ええ、そうです。だから立香もそんなに気に病む必要はありませんよ」
「うん……わかった……」
「はい、それではこれで終わりです。今から魔術の実験ですよー」
「え……? 痛たたたっ!」
落ちかけていた意識を強引に戻す痛み。
魔術回路への干渉により魔力の流れが加速し、強引に全身に走る
軽く飛び跳ねるような激痛に、背後でにっこりと笑っているアルトリアへと立香は恨みがましい視線を向ける。
「いきなり何するのさ……」
「ちゃんと前置きはしましたよ?」
「前置きから覚悟までの時間が全く足りてない」
「魔術師には一分一秒が惜しいのです」
「俺は魔術を使ってるだけだから……魔術師じゃないから……」
「私は魔術師なので」
「それはそうだけどさぁ……」
真下から自分を見上げる立香の肩に手を置いて、アルトリアは年頃の少女らしい笑みを絶やさない。
その笑顔に、美人はずるいなぁという感想を立香が抱いていることなど知らないアルトリアは、ぺらぺらと魔術書のページを捲り始める。
「ここと、ここと、このページですね。さっきの魔術はこの辺りの基礎をいくつか混ぜたものなので……って、ちゃんと聞いてますか立香?」
「聞いてる聞いてる」
「ならいいですけど……ちゃんとあとで実践してもらいますからね」
「はーい」
動き出したのはどちらからともなく。
この十年である程度の考えはわかるようになっている。
一度、休憩を入れてしまおうという思考で動き出した二人は、その考えが功を奏したことをその直後に知ることになった。
ぴんぽーん。
玄関の方から客の襲来を示す音が鳴る。
「アルトリア」
「わかってますよ」
魔術書をさらりと隠し、そのままサーヴァントという魔力で肉体を編まれた存在が持つ特徴の一つ、霊体化をアルトリアは行使した。
姿が薄れゆく様を見届けるまでもなく、立香はインターホンをとって、そこにいる人物が誰なのかを確認する。
『やっほー、立香。お姉ちゃんが遊びに来たよー』
そこにいたのは赤茶色の髪をシュシュで結んだ人物。
今年、人類が滅ぶので強制的に人類最後のマスターとなり、再来年に人類が復活するので強制的に『人類最後の』という形容は一時的に消えてなくなる予定の、立香の姉。
藤丸立花がそこにはいた。