黒々と白   作:げに味わい深きレモン

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 影踏みという遊びがある。


10__走ル影

 三月某日、中山。そろそろ暖かい日も増えてくる中で、クロクロとトレーナーは泊まりがけの観光にここまで来ていた。メインイベントはアルブムニヴイスの弥生賞であるが、どうせならクロクロと親睦を深めよう、と思ったトレーナーの提案だ。

 早いもので、クロクロと出会ってからもうすぐ一年が経とうとしているのだ。少しぐらい距離を詰めてもいいかもしれない。

 もちろん、トレーナーとウマ娘という線引きはきちんとする。そこを測り間違えるのはクロクロにとっても自分にとってもよろしくない。前者は精神的な意味で、後者は社会的な意味で、である。

 

 内心ヒヤヒヤしているトレーナーをよそに、クロクロはいい香りのする売店の方に吸い寄せられかけている。トレーナーははぐれないよう慌てて後についていく。

 トレーナーも最近気づいたが、クロクロは少食だが食べるのが嫌いなわけではない。むしろ食事を楽しんでいるように感じる。

 

 

「クロクロ、何か食べたいものはあった?」

 

 

「そウデすネ……あレハ?」

 

 

 クロクロが指差した先をトレーナーも見た。出張してきたらしい露店。太い筆字で書かれているのは『ぽっぽ焼き』の字。

 ……それは新潟のお菓子では?

 トレーナーは心の中でツッコミを入れたがクロクロは特に気にしていない。早速ポケットから財布を取り出すと、露店に駆け寄っていった。すぐに茶色の袋を抱えて駆け戻ってくる。

 クロクロは袋の口に手を突っ込んだ。ガサガサと鳴る紙袋から出てきたのは、茶色い棒状のパンのようなもの。黒砂糖の色そのままのそれにかぶりつくと、まさしく『外はサクッと、中はふんわり』な歯触りが感じられる。焼き目のついた外側は香ばしく、しっとりとした内側と合わさり二種類の甘さを同時に伝えてくる。

 普段表情の変わらないクロクロの目が、少しだけ見開かれた。一本目をあっという間に食べ切り、もう一本、もう一本と小さな胃に詰め込んでいく。

 

 

「おいしい?」

 

 

 トレーナーの問いにクロクロは首を激しく縦に振った。余程気に入ったのだろうか。さらにもう一本食べきった。まだ食べ足りずに袋の中をまさぐっている。トレーナーがその様子を見つめていると、クロクロは取り出したぽっぽ焼きをトレーナーに差し出した。

 

 

「食べマすカ?」

 

 

「いいの?」

 

 

 クロクロはまたうなづいた。トレーナーはぽっぽ焼きを受け取り一口食べてみる。

 

 

「おいしいね、これ」

 

 

 トレーナーが一本食べ切ったタイミングを見計らって、クロクロは袋の口をトレーナーに向けてきた。もう一本くれる、ということなのだろう。トレーナーは袋からぽっぽ焼きを取り出すべく手を出した。その瞬間、クロクロは袋の口を自分の方へ向けると素早くぽっぽ焼きを二本取り出して咥え、もう一度トレーナーの方に袋を突き出した。

 

 ……クロクロにしては随分と食い意地が張っている。そんなに気に入ったのか。トレーナーは苦笑しながらぽっぽ焼きを袋から取り出した。まあ、クロクロに好物が増えたのならよかった。

 

 

 

 駅に程近いホテルの一室。日中に持ち運ぶ必要のない荷物を置いていった部屋に二人で戻ってきた。

 トレーナーはクロクロに配慮して二部屋取ろうとしていたが、外泊費がトレーナー持ちであることをクロクロが知り一部屋でいいと圧したのだ。クロクロは自分の分の宿泊費を自分で出すとも言ったが、トレーナーはそれだけは認めなかった。担当ウマ娘を育成して稼いでいるお金なのだ、担当ウマ娘のために使わずしてどうするのか、と。

 

 

「来た時は結構広く感じたんだけど、こうしてみるとわりと狭いねぇ」

 

 

 トレーナーは自分の荷物を広げながらつぶやいた。クロクロとしては、正直寝られればそれでいいのだが。

 備え付けのベッドが二つと、窓の傍に3人は座れそうなソファとローテーブル。小さな冷蔵庫が置いてあり、その上には電気ケトルが備え付けられている。

 

 夕食は外で済ませてきたので、あとはシャワーを浴びて寝るだけだ。

 

 

「クロクロ、先にシャワー浴びていいよ」

 

 

 シャワーはもちろん一人ずつ。バスルームが狭いのもあるし、そんな距離感でないのもある。背中の流しあい(サービスシーン)なんかは一切ナシである。そもそも二人して見るものもない。

 

 クロクロは濡れた髪と尻尾をの水気を十分に拭き取り乾かして、パジャマ代わりにしているのパーカーとショートパンツを身に着けた。ジャージでもいいか、とクロクロは一時期思っていたことがあったが、あれは運動には適しているが睡眠には向いていない。

 

 

「トレーナーさン、お風呂開キマした」

 

 

「はいはーい」

 

 

 トレーナーは持っていたスマホをベッドに放り投げ、持ち込んだボディーソープやらシャンプーやらコンディショナーやらを抱えて洗面所へ入って行った。

 

 クロクロは窓辺に立ち、外を覗き見た。遠く佇むビルの明かり、足元に広がる家の明かり、明滅し動き回る車のライト、雲の上で見え隠れする飛行機のランプ。発光源を互いに照らし合うような光の群体。遥か上空の雲まで照らし出すヒトの灯り。

 雨の街の方が好きだが、夜の街もこうして眺める分にはいいものなのかもしれない。暗い中でも自らを主張する光たちは、見ていて飽きはしなかった。10分か、20分か、はたまたもっと長い時間か。クロクロはその間、ずっと窓の外を眺めていた。

 

 

 トレーナーが髪を拭きながら戻ってきたのも気付かず、あるいは気に留めずクロクロは窓の外を熱心に見つめている。

 

 

「クロクロ、何を見てるの?」

 

 

 トレーナーが声をかけると、クロクロは振り返った。

 

 

「外ノ様子……でス」

 

 

 トレーナーは窓の傍まで歩いてくると、外を覗き込んだ。

 

 

「おお、たしかにキレイな夜景だねえ」

 

 

 トレーナーは備え付けのソファに深く腰掛け、窓の外を眺めはじめた。クロクロはそのの傍に突っ立ったまま、何をするでもなくその横顔を見つめている。

 疲れからか少しだけ眠たそうなその表情は、普段見たことがないほど大人びているように感じた。体格や普段の態度はどこか子供っぽさがあるのに、今だけは、このヒトは自分よりも歳上なんだな、と感じてしまう。

 

 

「……どしたの?」

 

 

 いつの間にかトレーナーはきょとんとした顔でクロクロの方を向いていた。どきっとして、クロクロは窓の外へ視線を逸らす。クロクロは何も言わないし、トレーナーも何も聞かない。しばらく微妙な時間が続く。

 

 

「あ、そうだ」

 

 

 トレーナーは何かを思い出し、ソファから立ち上がると自分の荷物を漁り始めた。取り出したのはブラシ。ウマ娘の尻尾を梳いたりする時に使うものだ。

 またソファに座ると、トレーナーは自分のすぐ隣の座面をぽんぽんと叩いた。

 

 

「おいで、ブラッシングしてあげる」

 

 

 

 自分に背を向けるように座ったクロクロの尻尾を、丁寧に梳いていく。最低限洗うぐらいであまり手入れはしていないのか、少し引っかかりが多い。

 

 

「痛かったりしない?」

 

 

 クロクロは首を横に振った。多少痒いぐらいにはなりそうだが、我慢してもらうしかない。

 

 

「ホントは香油なんかもあるといいんだけどねぇ〜」

 

 

 持ってきていないものは仕方ない。ブラシ一つでゆっくりとやろう。

 

 クロクロの尻尾の毛は髪と同じ墨のような黒。毛質に癖もなくて、サラサラしている。毎日きちんと手入れすればきっと艶やかに輝くだろう。当の本人にその気があれば、だが。

 

 ちらりとクロクロの様子を伺う。ブラッシングしている手元を気にする様子もなく、さっきまでのように窓の外を眺めている。横に垂れた髪の毛のせいで、表情は窺い知れない。

 思えば、クロクロは寮外生。同室の子にブラッシングしてもらったり、ということもないはずだ。仲のいい友達はいないし、人にブラッシングしてもらうことなど親族以外では初めてなのではなかろうか?

 

 

「クロクロはお家にいるときは誰にブラッシングしてもらってたの?お母さん?」

 

 

 そうトレーナーが聞いた瞬間、クロクロの身体がびくりと震えた。どこか変なところに引っ掛けてしまったか。トレーナーが謝ろうとすると、それより先にクロクロは小声で言った。

 

 

「母ハ……物心ついテ、スぐに亡くナりましタ」

 

 

「ご、ごめん!」

 

 

 トレーナーは慌てて謝った。クロクロはあっさりと許して、少しだけ考えた。トレーナーと出会って、もう一年。自分から話したことのないコトだが、この人なら……。

 

 クロクロは静かに息を吸った。

 

 

「母は……強いウマ娘でしタ。沢山勝ッて、負ケても入着すル……そンナウマ娘。芝の中距離か長距離しか走れナいワタシと違ッて、マイルも走れタシ、ダートでも勝っタ……本当ニ強いウマ娘」

 

 

 嘘みたいなウマ娘……。クロクロは小さく呟いた。トレーナーは記憶の裡からその名を探すが、何故か思い出すことができない。

 

 

「デも、シニア級12月末……“最初の三年間”が終ワる間際、有馬記念の直前になって、トレーニング中ニ転倒、左足を骨折シ引退しましタ」

 

 

「それは……」

 

 

 無念だったろう。年末の、そして“最初の三年間”最後の栄光の舞台。そのコースを走ることも、ターフに立つことすらできなくなってしまったのだから。

 

 

「引退しテかラシばらくハ、同世代や後輩のサポートをしテイたそうでス。たっタ三ヶ月の間ニ資格も色々ト取って、サポーター兼アドバイザーとしテ学園ニ残レるまでニなっテ、でも結局辞メてしまッタ」

 

 

 そういう話には、聞き覚えがあった。ウマ娘、特に自らがレースに出走した経験のあるウマ娘は、トレーナーになれない。本能的に競争の好きな彼女らは、自分が育て上げたウマ娘たちの活躍している姿を見ていると、いつか自分が走れないことに耐えられなくなる。

 自分はそこに立たなかったのに。自分はそんな才能を持っていなかったのに。そういう思いに囚われてしまう。

 

 クロクロの母親も、きっとそうだったのだろう。

 

 

「その後、お父さんと?」

 

 

「ハい、父と母ハ幼馴染だッタそウナので」

 

 

「お父さんは今は?」

 

 

「母が亡クナった後、叔父にワタシを預けテ海外で働いテいまス。あチこち飛ビ回ってイるそうなのデ、今どこニイるのカはわかリマセんが……」

 

 

 忙しく、海外にいる父親に、もうこの世にいない母親……。

 

 

「寂しく……ないの?」

 

 

 クロクロは窓の外を見つめたまま、トレーナーの方を向かない。

 

 

「正直……現実感ガナいんでス」

 

 

 クロクロの手が動いた。頭を抱えるような、顔を覆うような、そんな格好になり、言葉を絞り出す。

 

 

「記録の中ノ母の姿は、きちントわかルんでス。でも、ワタシの記憶ノ中の母のこトヲ、その姿を、顔ヲ、思い出スコトガでキナイ。思イ出ソウトスルホド、靄ガカカッタよウニ消エテしマう」

 

 

 まるで、誰かに隠されているかのように。

 

 

「ハっきリト覚エテイるノハ、コノ耳飾りヲクレタとキのアノ白い手ダケ。軽クて細イ、アノ手だケ」

 

 

 クロクロはそっと左耳の細い鎖に触れた。ちりり、と小さな金属音が鳴る。

 

 

「…………」

 

 

 トレーナーは黙り込んでしまった。空気が重い。なんとなく居心地が悪い。クロクロはソファに座り直すと、叔父の話をし始めた。

 

 

「叔父はスポーツメーカーの社長でス。規模そのもノハそこまデ大キい企業でハなく、シェアも決して高クありまセンガ、質ハとても良イことデ評判ナノだそうでス」

 

 

 クロクロが使っているシューズや蹄鉄もそのメーカーのものだ。軽く丈夫ながら広い爪先の可動と強い蹄鉄の嵌り具合を両立したシューズと、少し重めの練習用蹄鉄にはいつもお世話になっている。

 トレーナーは目を丸くした。

 

 

「え、あっ、あの会社の?!」

 

 

 トレーナーはシューズや蹄鉄について解説していたのが急に恥ずかしくなった。クロクロは全部知っていて付き合ってくれていたんじゃないのか、と。

 

 

「釈迦に説法でも説いてるようなものだったかな……」

 

 

「イエ、トレーナーさンから見タらどんナ風なイメージなのカ、別の会社ノ製品の特徴にツイて、といウのは知らなかッタので面白カったでスヨ」

 

 

 ならいいんだけど、と小さな声で言い、トレーナーは止まっていたブラッシングの手を再度動かし始めた。

 

 

「次は、トレーナーさンについテモ聞かせテくださイ」

 

 

 クロクロの顔はトレーナーの方を向いていた。たしかに、トレーナーからも身の上話はしたことがなかった。クロクロに話させたのだから、トレーナーも話さねば不公平というものだろう。

 

 

「私はねぇ……」

 

 

 それから、たくさん話をした。お互いについて知っていること、知らなかったこと。普段あまり口数の多くないクロクロも、いろんなことを話してくれた。寮外の部屋での生活や、ちょっとした趣味。レース中に考えていることなど。たくさん、たくさん。

 

 時計の針はいつの間にか10時を指していた。さすがにもう就寝して、明日に備えよう。トレーナーはクロクロに促した。カーテンを閉じて電気を消す。橙の常夜灯だけがぼんやりと部屋を照らす。

 

 

「おやすミなさイ、トレーナーさン」

 

 

「おやすみ、クロクロ」

 

 

 ものの10分ほどで、クロクロの寝息が聞こえ始めた。寝付きが良いのは羨ましい。寝具が変わると寝られない(たち)のトレーナーはまだしばらく眠れそうにない。

 

 仰向けの姿勢から、寝返りをうつ。隣のベッドで眠るクロクロの、白い顔が暗闇に慣れた目にうつる。クロクロは胎児のように手足を丸めて、静かに眠っている。普段のあの、仮面のように貼り付いた不自然な笑顔はない。あどけなさを残した、年相応の少女の寝顔だった。

 

 母親がいない、というのは、精神的に辛いだろうに。母代わりがいても、本物の母親にはなりきれないものだ。親の存在は、子供の精神的発育に大きな影響を与える。特に、思春期にはかなり重要であるというのに。

 

 そしてクロクロは、その親がいないさみしさに慣れてしまっている。必要なモノが欠けたままでクロクロは生きているのだ。

 

 そこまで考えてから、トレーナーは苦笑いした。まさか自分が、その穴を埋めようとでもいうのだろうか。おこがましい。自分はあくまでトレーナー。専属トレーナーと担当ウマ娘という関係の線を越えてはならない。同じ部屋の隣同士のベッドで寝るのはまあ……セーフということにしておく。

 とにかく、他人である自分がクロクロの家庭事情に深入りすべきではないのだ。

 トレーナーはまた仰向けの姿勢に戻った。薄い染みのある天井を、焦点も合わせずぼんやりと見つめる。窓とカーテンをすり抜けた、くぐもった街の音が聞こえる。まぶたが重い。視界が暗転していく。

 

 

「オ……カア……サ…………」

 

 

 意識が落ちる寸前、わずかな布ずれの音と共に聞こえた声を、しかしトレーナーは朝には忘れていることだろう。

 

 

 きっとそれは夢うつつだから。




 ただ影を追う、存外面白いものだ。






 ぽっぽ焼きは新潟名物です
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