黒々と白   作:げに味わい深きレモン

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 残り200m、先頭は依然××××××××!後方3馬身差で××××××も伸びてくる!
 しかし××××さらに突き放す!突き放す!驚異的な末脚だ!2番手××××××差を詰められない!××××だ!××××だ!××××××××余裕で今、ゴールイン!

 やはりこの馬か××××××××、人気に応え見事、クラシック最初の冠を勝ち取って見せました!第××回皐月賞、優勝は××××××××です!!


12__皐月賞ノ後ニ

 皐月賞はアルブムニヴイスの圧勝だった。堂々と1番人気に推され、逃げてからの差し脚を炸裂させた彼女が、世間に与えた衝撃は大きい。

 スポーツ誌にワイドショーにネットニュース、SNSや掲示板、他諸々。皐月賞から一週間経ったのに、未だ話題の中心にアルブムニヴイスの名前がある。

 取材も頻繁に行われているらしい。記者が普段より多く学園に出入りしているのがわかる。

 

 トレーニングコース、特にニヴイスのいる所には記者と思しき集団が陣取ってしまっている。彼らはアルブムニヴイス本人やそのトレーナー、さらには周りでトレーニングしている他のウマ娘たちにまで、手当たり次第にしつこく付き纏い、ネタを手に入れるのに躍起になっている。とても、まともにトレーニングができる状況ではない。

 

 ニヴイスと交友関係にあり、勝利経験まであるクロクロがここに入るのは不味い。クロクロがああいう人間とそれが作り出す喧騒が苦手なタイプなのは、普段の様子からも明らかだ。しばらくの間は日本ダービーへ向け調整中のニヴイスに近づくのは避けた方がいいだろう。

 

 トレーナーはスケジュール帳を閉じた。大まかには予定を変更する必要は無い。

 ちらりと時計を見やる。デジタル表示の液晶が20:36だと教えてくれた。そこそこ遅い時間であるが、まだやることがあるのだ。

 

 先週の皐月賞の映像が入ったメモリを、デスクの上のノートパソコンに挿す。暗い部屋とトレーナーの顔を、モニターの明かりが僅かに照らした。

 

 

『……回皐月賞、中山レース場は見事な快晴に恵まれました』

 

 

 実況の声に合わせて音量を上げた。まずは改めて条件を書き出していく。中山レース場外周り2000m右回り、天候は雲一つ無い快晴、良バ場。バ場の荒れは小さめ。アルブムニヴイスは五枠10番。真ん中からのスタートだ。

 

 血色も良く体調は万全、気合いも十分といった面持ちでゲートに入る。ニヤリと笑って鼻の頭をこするのは彼女の独特なルーティンの一つだ。全員がゲートにそろい、スタートの体勢をとる。

 

 ゲートが開いた。

 

 当然のようにアルブムニヴイスが先頭を取り、17人がそれに続いていく展開。先週クロクロと一緒に会場で見た、毎日のようにテレビで見た、そして今日の午後一度流し見たレース。

 

 すうっと滑らかに、ニヴイスは最短を最速で行く。

 普段の態度に対して、その走りは緻密で丁寧だ。一寸のズレも許さない、精密な走行。手の振り、踏み込み、芝の状態や風、一歩ごとに擦り減る蹄鉄の厚みまで全て計算し尽くしたかのような走りは、アルブムニヴイスのスタミナの減りを極限まで低減させている。

 

 クロクロと戦った未勝利戦は言わずもがな、朝日杯の頃と比較してもその完成度は遥かに高いものになっている。ジュニア級早期の走りではないどころか、シニア級の第一線で走っているウマ娘だってこうまでできる娘はほんの一握りだろう。

 

 残り400mまで、つまり1600mの間ずっと、それを保ち続ける安定性。集中力。

 

 そして残り400m。温存されたスタミナが、スピードへと変換される。

 

 明らかに自分の後ろにいるウマ娘たちを引き離し、加速していくニヴイス。

 唯一抜きん出た白い彼女は、並ぶどころか影すら踏ませず。全部置き去りにしてゴール板を駆け抜ける。

 

 アルブムニヴイスの9回目のゴールをした。それと同時にトレーナーはストップウォッチのボタンを押す。

 残り400mのそのタイムは、同距離同区間でのクロクロの自己ベストタイムよりも速かった。

 

 クロクロから聞いた、アルブムニヴイスの走法についての話を思い出す。彼女は、コーナーでは遠心力を味方につけて走っている。なんでも、遠心力による加速と体重移動だけで速度を維持することにより、体力を温存しより長く息を入れているらしい。

 

 理屈は理解できた。物理的には可能だろう。しかし、実際にやってできるものではない。クロクロのように、少しの間だけその状態を維持するならまだしも、コーナーの全区間でこれを行なうなどできるわけがない。

 

 スタミナの減らない直線と、スタミナを回復させるコーナー。

 

 そして、最終コーナーではそのスタミナと遠心力を脚力とを掛け合わせるのだ。

 

 アルブムニヴイスが23回目のラストスパートを開始した。中山レース場の最終直線はたったの310m。逃げのリードを保ったまま、平均的な追い込みウマ娘以上の差し足を発揮して、トップスピードのままゴールする。中山レース場は、彼女の非常に得意なコースと言えるだろう。

 

 徹夜のお供として買い込んできた缶コーヒーをまた飲み干して、もう一度画面に目を戻す。ではなぜクロクロは、あの時、中山レース場でアルブムニヴイスに勝てたのか。

 

 あの日は雨で、不良バ場だった。クロクロはその中で全力を発揮して、アルブムニヴイスの背に追いついた。

 ニヴイスはやはりコーナーの最内を走っていて、もう1人逃げウマ娘が外に食らいついていた。

 偶然ニヴイスが足を滑らせ、外の娘を押し出しつつわずかに外へ膨らんだ。

 クロクロはそこに滑り込み、整った体勢のスパートを始めた。同時に、ニヴイスも崩れた体勢から無理矢理にスパートした。

 

 アルブムニヴイスはあのとき、不運とミスが重なった状態だったのだ。

 

 雨の冷たさと煩わしさが集中力を削いだ。

 クロクロのプレッシャーに気圧された。

 溜めていた足と遠心力が、ぬかるみからの脱出に持っていかれた。

 追い抜かれたことが焦りを生んだ。

 

 そして見えてきたのは、アルブムニヴイスの弱点だ。

 

 トレーナーは58回目の再生を開始しようとする画面を止めて、京都競馬場(・・・・・)の図面を取り出した。

 

ーーーーー

 

 疲労具合やトレーニング場の混雑具合から、本日のトレーニングは休みとのことで、クロクロは久しぶりに1人で外出していた。

 運良く今日は雨が降っていて、しかも春らしく少し暖かい。制服にポンチョをかぶせたいつもの格好で向かうのは、最近たまに行くようになった喫茶店だ。

 

 ポンチョを店の前で脱ぎ、ついた水滴を入念にはらってから、ガラス張りの扉を開けた。小さなドアベルと店員さんがクロクロを迎え入れる。お好きな席へ、と言われて選んだのは、窓際のいちばん奥の席。雨を最も楽しめる席だ。今日の雨は予報通りで、雨宿りをしているような客はみえない。

 

 回らない舌では発音できない複雑な名前の商品を、メニュー表を指差して注文する。しばらくして出てくるのは、大層な名前の割に何の変哲もないカフェ何某。口をつけるにはまだ熱いそれにガムシロップを注ぎ、かき混ぜながら冷めるのを待つ。

 あいにくコーヒーには疎くて、それが正確に何なのかは知らない。違うものを頼めばより好みのものが出てくるのかもしれないが、総当たりはちょっと面倒くさい。

 いやしかし、たまには面白いかもしれないか……。

 

 他愛もないことをクロクロは考えながら、白と黒のマーブル模様を眺めている。

 カフェ部分らしき黒とミルクらしき白が、渦を巻いて混ざっていく。一瞬前には透明なガムシロップもその中にあったし、さらにその前は一面真っ白だったはずだ。

 ほんの少しの攪拌で、いくつかの色が失われる。

 

 少し気になり、カップを持ち上げフチに口をつけた。混ざり切っていないガムシロップのせいで、歯が痛くなるように甘い。そしてまだ熱い。クロクロは眉をひそめて、コーヒーマドラーを回す手を速めた。飲むには早すぎたか。

 わずかに減った分のかさを増すように、ミルクを注いだ。表面に白さが戻っていく。

 

 スマホを見るような趣味は無いし、雨だからと本も置いてきた。暇な時間を楽しませるのは、雨音と店内に流れるシックな音楽だ。コーヒーと同じくジャンルのわからないピアノの旋律は、妙に雨音とマッチして聴こえる。

 黒猫を思わせる雰囲気の店員さんの趣味だろうか。少しくらい、こういうことについても知っていた方がいいような気が起きてくる。知らずに来ているのがなんだか申し訳なく感じた。

 もう一度カップに口をつける。ちゃんと混ざっているし、さっきよりは飲みやすい温度になっている。

 

 不意にドアベルが鳴った。

 

 やってきたのは、男性二人組。一方は髪を金に染めていて、もう一方は雨だというのにサングラスをしている。大声で話しながら店に入った彼らは、身体に着いた雨水を払い落としながら席に着いた。

 

 クロクロと違い噛むことなくすらすらとメニューを発音してみせた二人は、また店の外でしていたらしい話題で盛り上がり始めた。苛立たしげにクロクロは耳を塞ぎ、窓の外を凝視する。どうせすぐに出ていくだろう。そろそろ雨足が弱まるころだ。

 

 

「……からやっぱ今年はアルブムニヴイスの年だって!」

 

 

 その名前に、伏せていたクロクロの耳が僅かに動く。彼らの話題は、今年のクラシックレースについてのようだ。金髪の男の発言に、サングラスの男が返す。

 

 

「いやぁでもなぁ……超早熟型ってのも考えられるわけだろ?」

 

 

 ウマ娘の走力にはピークが存在する。本格化を迎えたクラシック期が最も走力の高まる時期になるのだが、もちろんその細かな時期、長さには個人差がある。

 

 ジュニア期後半からクラシック期前半にかけて無双の強さを見せ、その後はもう名前を見ることの無くなってしまう娘もいれば、クラシックも終わりシニア期に入って、それからさらに何年も第一線で走り続ける娘もいる。

 

 今のアルブムニヴイスは特に前者の特徴に当てはまっている。デビュー後無敗のデタラメな強さと、すでに完成された走りは、燃え尽きるまで時間の問題とも思われるだろう。

 

 

「それでもさ、今のところ連戦連勝なわけだろ?皐月も圧勝して今が全盛、ダービーも菊花もニヴイスが取るよ」

 

 

 どうやら、金髪の方はアルブムニヴイスのファンらしい。少しだけ、誇らしく感じる。ライバルが世間に認められているというのは、嬉しいものだ。

 

 

「なんか、不自然に思えるぐらい強いよな、今のアルブムニヴイス。なんで未勝利戦で負けたんだ?」

 

 

 サングラスの言葉。クロクロは動きを止めた。アルブムニヴイスの、未勝利戦。クロクロが彼女に勝った、あの未勝利戦のことだ。

 スパート直前に足を滑らせたというのに、あの時のニヴイスの末脚は凄まじかった。最終的に負けたとはいえ、追い込みウマ娘の脚についてくるのだ。

 

 

「さあ、なんで負けたんだろうな?そもそも、ニヴイスに勝ったのって誰だっけ?」

 

 

 金髪がスマホの上で指を滑らせる。検索結果はすぐに出たようだ。

 

 

「クロクロ……へぇ、クロクロねえ」

 

 

「なんか、変な名前だな。暗そう」

 

 

「見た目も暗そうな感じするな」

 

 

 彼らはクロクロ本人が奥にいることに気づかない。何事もなく会話は進む。

 

 

「このクロクロって娘、他は京成杯勝ってるけどあとはダメダメみたいだな。5戦2勝ってさ」

 

 

「プレオープンで負けてるな、重賞勝ててるのに」

 

 

 紫菊賞のことは思い出したくない。晴れの良バ場なんてもうごめんだ。

 

 

「ニヴイスがこんな戦績の娘に負けたなんてちょっと信じられないな……」

 

 

「調子でも悪かったんじゃねえかな、雨だったみたいだし」

 

 

 あの時のターフはとても面白かった。重く沈んで、ぬかるんで。

 

 

「それでこの戦績ねえ……なんか、怪しい感じするな」

 

 

 サングラスが顎に手を当てる。

 

 

「ニヴイスが負けた未勝利戦は9月上旬、勝ったのは9月下旬って書いてある。デビューしたてで負けてすぐに立ち直ることができる娘は少ないし、そもそもこんな短期間に二度も出走するのはちょっと無茶だ」

 

 

 サングラスはコーヒーカップを傾けた。唇を湿らせ、一呼吸置いてまた論じはじめる。

 

 

「そして、今でこそニヴイスは中距離レースに出走しているが、この最初の未勝利戦から弥生賞までの間に出走した他のレースは全てマイルだ。どうも、この期間中距離を避けていたように感じる」

 

 

「確かに、なんか不自然だよな、その辺。なんでマイルレースに出てたんだ?」

 

 

 クロクロはその理由を本人から聞いている。クロクロが怖かったから、だ。実際の出走レースからもその通りだろうが、それを知っている人物はどれだけいるのだろうか。

 クロクロは自分のトレーナー含め誰にも話していない。ニヴイスは彼女のトレーナーには伝えているだろうが、他の誰かに話しているのだろうか。

 

 

「中距離で負けたからなんだろうが……それならすぐにレースに出られるもんか?」

 

 

 思えば、アルブムニヴイスの交友関係なんて全く知らない。明るくて誰とでも話せそうな雰囲気のする彼女のことだ、さぞ沢山の友達がいることだろう。クロクロより仲の良い友達だっているはずだ。

 

 

「精神的に強い、ってのがあって、負けてすぐに出走するならわかる。でもなんでマイルに行ったんだろうな。すぐに一勝して本戦に行くのが目的だったのかもしれないが、それなら中距離レースにすぐに戻っても良いはずだ。この時のアルブムニヴイスは明らかに中距離を避けている」

 

 

 コーヒーカップを傾けた。もやもやとし始めた頭の中を、当初と色も味も大きく変えられたカフェ何々が苦味と甘味と酸味と風味でもって洗い流す。

 

 

「おいしイ」

 

 

 スッキリと思考がリセットされた。いらない音をシャットアウトして、外の雨音に耳を澄ます。

 

「このクロクロって娘に何かあるんだ、多分」

 

 

 雨脚も弱まってきて、外は少し明るくなっている。屋根伝いに落ちる水滴がきらりと光った。

 

 

「何かって、何だ」

 

 

 耳飾りの、ガラスのユリと鎖がたてる音すら聞こえそうなほどに店内は静まり返っている。随分と飲みやすくなったコーヒーにまた口をつけた。

 

 

「そりゃ……レース中に何かしてるんじゃないか?不正とか」

 

 

 カップの中身はみるみるうちに少なくなって、ついにからっぽになってしまった。クロクロは名残惜しそうにカップの底を見つめている。

 

 

「追い込みで1番後ろにいるのに先頭のニヴイスに何かできるもんかな……それともレース前に何かしてるのか」

 

 

 すぐに雨は上がってしまう。クロクロはカップから目を離した。荷物をまとめて席を立つ。

 

 

「まさか八百長か?そんなのバレたら永久追放じゃないか」

 

 

 いつのまにか誰も居なくなっていた店内を横切って、レジでお勘定をする。まだ残っているレースの賞金と叔父の仕送りで懐は少しばかり暖かい。

 

 

「バレなければ、追放もされない。まだ疑いでしかないがこれは……」

 

 

 クロクロはドアを開けた。来た時と同じ音をドアベルが奏でる。雨はもうすぐ止んでしまう。クロクロはポンチョを被り、駆け出した。

 

 

「あれ、さっきまで奥に座ってたウマ娘の子は?」

 

 

「え?いつの間に……」




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