01__勝ツ為ニハ
クロクロに専属トレーナーがついてから数日。正式な手続きも終わり、半年後のデビューを目指し本格的にトレーニングが始まろうとしている。その前に、クロクロの得意なことについて調べることになった。
トレセン学園のコースを様々な距離で走らせ、タイムを測ってみる。
「それじゃ、いくよー」
トレーナーが呼びかけると、クロクロはスタンディングスタートの体勢をとる。
ゲートは使わず、ヨーイドンでのスタート。走るのは選抜レースと同じ芝2000mからだ。並走はなし、一人での適正テスト。
クロクロがターフを駆けていく。最初は少し抑え、中盤に笑い声とともに加速、終盤にまで加速を続け、ゴールラインを踏んだ。いつもの仮面のような笑みに、どこか物足りなさそうな色が混じる。
「加速シ切れませンでしタ。もう一本いきまス」
そう言ってもう一度スタートラインに立ったクロクロに、トレーナーが呼びかけた。
「長距離で走ってみない?試しに3000mも走ってみよう」
その後も何本か距離やコースを変え、タイムを測ってみた結果わかったのは、クロクロの適正の狭さだ。
最も良いタイムが出るのは長距離、次いで中距離であるが、それより短い距離ではペースや仕掛けるタイミングが絶望的なまでに合わなかった。
また作戦も、逃げや先行はからっきし。差しもできなくはない程度で、追い込みで後ろから抜かす、というのが1番得意なようだ。
ダートのコツも、掴めていない。パワーをつけるためのトレーニングには使えそうだが、レースの速度で走らせると危険だろう。
はっきり言って、無才。純粋な走力では、怪物揃いのトゥインクルシリーズを勝ち抜くのは非常に厳しいだろう。
メイクデビューは、短距離、マイル、中距離。長距離は無い。クロクロは中距離で走ることになる。同様に、トゥインクル路線に入り活躍するのであれば、最も得意な長距離ばかりを走る、というのは不可能である。
「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ……」
足の回転を高めるための、ルームランナーでのトレーニング。ベルトのスピードについていくことで最高速度を上げることができる。トレセン学園に置いてあるそれは無論ウマ娘用であり、最高速度は時速80キロまで設定できる。ついていけなければ後ろに打ち出され、床についた無数の擦過痕をより濃くする結果になるのだが……。
いくら丈夫なウマ娘たちでも、多少の怪我は免れない。
クロクロの疲労に注意しつつ、ごく短い距離のダッシュを何度も行う。
次に筋力トレーニングだ。脚力を鍛え、加速力をつける。1番後ろから全員追い越そうというのだ。強引に追い抜くための力はむしろ必須である。
ダートを長時間、無理のない速度で走り続ける。変に道具を使うよりもよっぽど効果的な筋トレだ。しかし、クロクロの細い脚には負担が大きそうなので、頻度は低めにする。
流石に堪えるのか、クロクロの息は荒い。トレーナーに手渡されたスポーツドリンクを、ぐびぐびと飲み干した。
「大丈夫?あまりにも辛いなら、メニューの見直しをするけれど」
不安そうな新人トレーナーの声。口もとをジャージの袖で拭うと、いつもの笑みを浮かべた。
「このぐらイやらねバ勝てなイのハ、ワタシが一番
「……わかった。メニューはしばらくこのままでいくね。とりあえず、今日の分はこれでおしまいだから、ゆっくりストレッチして終わりにしようか」
ーーーーー
トレーニングを始めてから2ヶ月後。トレーナーは、ある程度肉体的に鍛えられたクロクロにレース中の
選抜レースの時、クロクロが最下位になった原因のうち最も大きいのは、自ら作り出した垂れウマに自分で引っかかってしまったことだ。
現役でレースに出走しているウマ娘でも抜け出すのが難しい展開になってしまっていたこともある。しかし、毎度の如く前を塞がれていてはずっと勝つことはできないだろう。
身につけるべきは、『垂れウマ回避』。終盤に減速し前を塞ぐ垂れウマを、最適なタイミングで回避し、囲まれにくくする技術だ。
一応、どういうものなのか説明はしたものの、クロクロにはいまいちピンと来ないようだ。どこでどう抜け出す、と言葉で説明してみても、実際やってみないことにはわからない。
レース中の動きを身につけるならやはり並走トレーニングだが、ここで一つ、問題が発生した。
クロクロには、友人と呼べるようなウマ娘が、いない。
普段から不気味なクロクロに寄ってくる者は少ないし、いたとしても並走しようにも走れる距離が合わず、合ったとしてもあの笑い声を嫌がりみんな離れていってしまった。
まあ、言ってしまえば『ボッチ』である。
「ドうしマしョうカ」
心なしかいつにも増して口調の固くなったクロクロに、しかしトレーナーは厳しい宣告をしなければならなかった。
「友達……作ろうか」
ーーーーー
カフェテリア。ヒトより大食いなウマ娘を養う、トレセン学園の中でも特に賑わう場所。ここはいつでも混んでいるし、いつでも騒がしい。しかし今日は、少しだけ囁き声が多い。
理由はまあ、明白だ。
『友達募集中。』
そう書かれた看板を首からぶら下げたクロクロが、黙々とひとりで朝食を摂っている。いつもなら、朝食時の混雑したカフェテリアで空いた席ができることはないのに、クロクロの周りだけ見事にスペースが空いている。
一晩考え抜き、彼女なりに友達を増やす方法を実施しているつもりなのだが、誰も声をかけないどころか普段より避けられている。
クロクロは、仮面のような笑顔の中で泣きそうになりながら、いつもより孤独な朝食を済ませ、傍目に見てもわかるほど落ち込んだまま食堂を後にした。
「いや、うん……。まさかそんな方法をとるとは思わなかったんだ……」
トレーナー室前、開け放たれた扉の前で、看板を首にかけたままのクロクロが無言で訴えかけてくる。
そういえばそうだ。クロクロは人間関係に関して、非常に不器用なのだ。トレーナーを見かけても自分から声をかけられず、気づかれるまで後ろをついてくるほどだ。見ず知らずの誰かに話しかけて、その上友達になろうというのはハードルが高すぎる。
「クロクロってたしか寮じゃなくて一人暮らしだったよね?同室の子もいないから頼むこともできないし……」
自由な校風が売りのトレセン学園では、寮生活か自宅から通学するかを選択できる。クロクロも前までは寮に入っていたらしいのだが、同室の娘が学園を辞めてしまった時に、自ら申し込み学園近くのアパートに住みだしたそうだ。
とはいっても、ほとんど寝床でしかないようで、食事は学園の食堂やカフェテリアで摂っている。家具も、ベッドと本棚と冷蔵庫ぐらいしかない、と、本人が言っていた。
「とりあえず、私が代わりに並走してくれる娘を集めるから……えっと……中、入らない?」
表情はいつも通りの仮面の笑顔なのに、あからさまに不機嫌だ。クロクロのことを理解できるようになってきているということでもあるのだが、現在クロクロが持っているのは負の感情である。圧がすごい。
問題を解決できずに、数日が経った。どうやら食堂の一件で、悪い意味で名と評判が結びつき知れ渡ってしまったらしい。クロクロの名前を出すと、どのトレーナーからも並走トレーニングを断られてしまった。まあ、自分の担当ウマ娘に嫌な思いをさせたくない、というのは正しい心情だろう。
トレーナーは、解決策に頭を悩ませながら、退勤の満員電車に揺られていた。
学園にはトレーナー寮があり、クロクロのトレーナーも一応部屋を割り当てられてはいるものの、あまり寝泊まりはしていない。私物の持ち込み制限や他のトレーナーの面倒事に巻き込まれるのを嫌ってのことだ。
アナウンスが車内に流れ、ドアが開いた。目的の駅だ。すし詰めの乗客をすり抜けてホームに降りる。こういうときばかりは自分の身体の小ささが利点になるのだ。他のことには非常に不便だけれど。
一方向に歩く人の群れは暑苦しく、不快だ。早く抜け出したいがために、動きの遅い人々の隙間を縫い足速に改札を目指す。右、左、少し止まってから大きく右へ。
人群をすり抜け、1番前に出た時、ふと、閃いた。これは、クロクロとのトレーニングに生かせるかもしれない!
ーーーー!
翌日。トレーナーは、あえて1番混む時間に、一緒にお昼にしようとクロクロを誘った。もちろんクロクロは困惑する。彼女は人混みが苦手なので、少しでも空いている時間を選んで食事をしている。あまりうるさいのは苦手なのだ。トレーナーもそのことをわかってくれていたはずなのだが……。
先日のこともありあまり気は進まなかったが、トレーナーが熱心に誘ってくるので行ってみることにした。
トレーナーはどういうつもりなのだろうか?1人でダメなら2人一緒になって並走してくれるウマ娘を募るのか?
トレーナーの真意を計りかねていると、大きな人混みにのまれてしまった。完全に動かない訳ではないが、進みは遅い。お昼を食べ損ねるのでは、と思っていると、トレーナーが突然言い出した。
「人混みを抜けていく動きってさ、速度のないバ群を抜けるのと似た動きだと思ったんだよね」
クロクロは、思わず首を傾げた。なにを言っているんだろうか。まさかこの新人トレーナーは、こんなところで……。
「つまりこれは、トレーニングだよ!」
クロクロは自分の耳を疑った。本気で言っているのだろうか、このヒトは。
「まずは、私についてきて。毎日これだから慣れてるんだ」
トレーナーはそう言うと、人混みの小さな隙間を縫い歩き始めた。どうにかしてついて行こうとするが、背の高いクロクロでは通れない隙間であったり、トレーナーが通った後すぐに隙間が塞がってしまったり、と、うまく追随できない。小さな背中があっという間に離れていく。
「マ、待っテ!」
まわりのウマ娘たちにぶつかり、よろめきながら、どうにか食堂にたどり着いた。先に席を確保し待っていたトレーナーがクロクロに手招きする。
「クロクロ、こっちだよ」
置いて行かれたからか、あるいは人混みに揉まれたせいか、クロクロの耳は不機嫌そうに後ろに倒れている。
「速すギでスよ、トレーナーさン」
「あはは、ごめんね、置いて行っちゃって」
笑いながらそう言うトレーナーを軽く睨みつけて、クロクロはトレーナーの向かいの席に座った。ため息をひとつついてから、問いかける。
「どウシたら、そンナにスルスルとアの中を動けるンデすカ?」
トレーナーは顎に手を当て、少しだけ唸った。
「正直、慣れかな」
アテにならないような答えに、クロクロは肩を落とした。何か、これさえわかればすぐできる、というコツでもあるのかと思ったのに。
「私さ、帰りの電車がいつも混んでてね。押しのけるのも無理だから、もみくちゃにされないようにさっさと抜けて前に出るようにしてるんだよ」
目印を置いて、ご飯を取るために席を立つ。ビュッフェ形式のため好きなものを好きな量取れる。さらに無料で食べれるというのだから、羽振りの良いものである。
トレーナーが、トングで普通のバターロールを掴み上げながら言った。
「最初のうちは全然わかんなかったんだけど、慣れてきたらどこに通れる隙間があるのかわかるようになってきたんだ。どれがいい?」
クロクロはにんじんパン、と即答してから、少し考えた。練習すれば、あんな風に動けるのだろうか。
「クロクロは背が高い分前まで見通せるから、すぐにどこを抜ければいいのかわかるようになると思うよ」
さらに追加でにんじんスープとサラダ、オムライスと牛乳パックをとって、席に戻った。いただきます、と言って箸を取る。
「しばらくは毎日これの繰り返しだね。がんばろう!」
おー!とトレーナーが拳を振り上げたのを見てから、クロクロも控えめに拳を挙げた。
これは、根性がつきそうだ。クロクロはどこか他人事のようにそう思うと、牛乳パックにストローを刺し、口をつけた。
残りは、4ヶ月。ものにするのだ。
だからそれを実践する。