黒々と白   作:げに味わい深きレモン

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 応援はきっと、力になる。


06__ゲートル

 今日も今日とて普段通りのトレーニング、そう思ってクロクロはコースへ来ていた。しかし、なにやらトレーナーの様子がいつもと違う。ごちゃごちゃと何かが詰め込まれた段ボール箱を運んできた。

 

 

「何デスか、ソレ?」

 

 

 興味しんしんといった様子で箱を覗き込むクロクロに、トレーナーが中身を見せながら答えた。

 

 

「ゲートルだよ、脚の鬱血を防ぐやつ。」

 

 

「ゲートル?」

 

 

 クロクロはトレーナーの言葉を鸚鵡返しした。

 

 

「クロクロが倒れたのは脚の鬱血と貧血でしょ?なら、これで解決できないかなって思って」

 

 

 走りにくかった理由、倒れた理由はトレーナーから聞いていた。ちょっと走るのが怖くなる程、あの時の苦しさは覚えている。あのひどい鬱血、貧血が本当にそれだけでなんとかなるものなのだろうか?

 

 

「うん、なんとかなるはずだよ」

 

 

 トレーニング中やレース時にゲートルを巻き走るというのはよくあることだ。ウマ娘が走る速度は、優に時速50kmを超える。そんな速度で急に倒れれば大怪我をするのは想像に難くない。それを未然に防止するのが脚絆(ゲートル)だ。脚に血液が大量に留まるのを防ぎ、疲労を軽減するための器具。現代までにいくつかのタイプが誕生しているそれを、トレーナーは何種類も集めてきた。

 

 

「じゃ、いろいろ試してみようか」

 

 

 まずは他のウマ娘もよく使っている、一般的なサポータータイプ。有名企業のロゴが入っている。

 

 

「付ケやすクテ、動キやすイ。デも、小サいでスね」

 

 

 脚が細く長いクロクロに、ピッタリとフィットする形のものは無かった。

 

 次に、革でできていて横から紐で留める、所謂レギンスタイプ。

 

 

「フィットはしなくモなイですガ、動キづらイしズレまスね」

 

 

 しばらく付けたまま運動していると、擦れて脛が赤くなった。

 

 もう一つ、布製で先程と似た形の、ボタンで留めるタイプ。

 

 

「締め付け具合ノ微調整ガできまセンね」

 

 

 ボタンとボタンの間に至るまでの細かな調整ができなかった。

 

 では最後、巻きゲートル。近年ではあまり見ない、旧式化し消えていったタイプ。トレーナーが巻き方の説明書きを何度も見ながら、サラシの細布をクロクロの脚に巻いていく。両脚とも巻き終えたのは20分もかかった後だった。

 

 

「よし、できた。いいよ、動いてみて」

 

 

 額に若干汗を浮かべたトレーナーが促す。言われた通りクロクロはベンチから立ち上がり、2、3度膝を曲げ伸ばしてみる。若干きついゲートルの隙間に指を入れ少しだけ緩め、さらにもう一度、ほんの少しだけ締め直した。微調整がしやすく、好みの巻き加減にできる。

 その場で何度か軽くジャンプ。足踏み。屈伸、伸脚、アキレス腱伸ばし。足首をぐるぐると回す。

 

 

「どう?」

 

 

「……少しだケ、走ッテ来てモいいデスか?」

 

 

 トレーナーは迷わず許可した。

 

 

「うん、いいよ。しっかり確認してきて」

 

 

 クロクロは2000m芝のスタートラインに立つと、ゆっくりと走り出した。最初はヒトでも追いつけそうな速さに抑え、だんだんと速度を上げてターフを駆ける。最後は本番のレースのスパートと同じまで加速。ゴールを駆け抜けた。

 ゆっくりと減速し立ち止まったクロクロは、詰めていた息を吐き出すと、その場で笑い出した。

 

 

「どうだった?」

 

 

 トレーナーが聞く。しかし、答えを聞くまでもないだろう。

 

 

「コレ、イいでス!コレが一番、いい!」

 

 

 黒い尻尾が楽しげに揺れている。よほど体に合っていたのだろう、もっと走りたくてウズウズしているのが手に取るようにわかる。だがしかし、トレーナーの表情は少しだけ渋い。

 

 

「ドウかしマしタか?」

 

 

「いや、うん……」

 

 

 ごにょごにょと口籠るトレーナーの様子を見て、クロクロは首を傾げた。何か問題でもあったのだろうか?トレーナーの顔をじっと覗き込んでいると、ついに白状した。

 

 

「これをトレーニング前とかレース前に毎回巻くのか、って……」

 

 

「あァ……」

 

 

 どこかで鳥が鳴いた。

ーーーーー

 

 12月20日、阪神レース場。雲一つない青空に白い太陽が昇っているが、放射冷却により一段と寒い日になっている。バ場が稍重と発表されたのは、早朝に降りた霜が解けたから。そんな寒さを、しかし吹き散らすように会場は熱気に包まれている。

 朝日フューチュリステークス。ジュニア級ウマ娘が初めてその晴れ姿を大々的に魅せることのできる、年末の大舞台。

 

 

「いやーすごい人だかりだね、さすがGI」

 

 

 なんとか人混みの薄いところまで抜け出して来たクロクロとトレーナー。今日は出走ではなく、観戦のために阪神を訪れていた。

 

 

「ハイ。こんナに人ガ多いナんて……」

 

 

 早速人の流れに揉まれたクロクロは既に少しぐったりとしている。ほんの少しだけ、来たことを後悔した。しかし、今日ここに来ることに決めたのは、彼女自身だった。

 

……数日前のこと。

 

 

『朝日FSを観に行きたい?』

 

 

 トレーニング後のトレーナー室。一週間の詳細なスケジュールを組み立てている時に、クロクロが珍しく自分のやりたいことをトレーナーに伝えてきた。

 

 

『……アルブムニヴイスが、出走すルのデ』

 

 

 かなり聞き覚えのある名前。調べるまでもなく、すぐにそのウマ娘のことを思い出した。

 

 

『あ、メイクデビューの時の娘?そういえば、あの後マイルのレースに何度も出走して連勝してるんだっけ』

 

 

 クロクロは頷いた。

 

 

『彼女ノ走りヲ、見たインでス。ダメ……でショうか?』

 

 

 トレーナーは手元の手帳をぱらぱらとめくってみる。特に重要なイベントは無い。泊まりがけになるが、いい気分転換になるし、何よりクロクロのお願いだ。断る理由はない。

 

 

『うん、いいよ。一緒に観にいこっか。しかし、クロクロにも気になる相手ができるとはね』

 

 

 クロクロの耳と尻尾がピク、と反応した。不機嫌そうに耳が後ろ向きに倒れる。ちょっと意地悪だったか。

 

……

 

 クロクロはパドックを食い入るように見つめている。視線の先にはもちろん、あの芦毛のウマ娘。白を基調

とした勝負服を身に纏った、アルブムニヴイス。名前通りの白、よく似合っている。

 

 

『一番人気は間違いなくこの娘、アルブムニヴイス!今日は7枠14番からのスタートです』

 

 

『いい仕上がりですね、今回初めて外枠からのスタートですが、彼女の脚であれば好走を期待できるでしょう』

 

 

 わっと観客が沸き立った。半年の間に集まった、ニヴイスのファン達だ。歓声、拍手、口笛、激励。その大きさが、彼女の人気を物語っている。彼女の成績を見れば、当然のことだろう。

 

 不戦敗だったメイクデビューを除けば、6戦5勝、5連勝。期待の注目株となるのは、当然のことだろう。クロクロとの未勝利戦での敗北など無かったかのように。あれは調子が悪かったからだ、本来なら勝っていた、などと言われるほどに。ヒトはウマ娘達の想いなど知らないでいる。

 

 それは、クロクロも、もしかしたらアルブムニヴイスも同じなのかもしれないが。

 

 

『各ウマ娘、ゲートに収まりました……今スタート!』

 

 

 ゲートが開くと同時に、18人のウマ娘達が駆け出していく。その群れを一番最初に飛び出して先頭に躍り出たのは、アルブムニヴイス。あっという間に後続との差をつける、ハイペースな走り。あの時より速いのは、マイルだからか、彼女の成長のあらわれか。

 

 

『14番アルブムニヴイス、一気に突き放しすでに8バ身差!』

 

 

『彼女の脚質には合っています、後ろの娘達はこの差を覆せるでしょうか』

 

 

 ニヴイスが牽引するような形のバ群は直線からコーナーへ。大きな差に焦った後続が、速度を落としたニヴイスを追いかけ、少しずつ距離を詰めていく。しかし、ニヴイスに焦っている様子はない。むしろ、僅かに速度を落とし距離を詰めさせているようにも見える。

 

 

『アルブムニヴイス、リードがだんだんと失われ始めている!絶体絶命か?!』

 

 

『スタミナが尽き始めてしまっているのでしょうか、次の展開に目が離せません』

 

 

 最終コーナー手前。ついにニヴイスと2番手の距離が2バ身弱にまで狭まってきた。縮まってきたバ群の中から、追い込み、差しがスパートを始め、コーナーで横に大きく広がり始める。どんどんと先頭との距離が詰まる。

 追い詰められている。普通はそう見えるのだろう。だが、アルブムニヴイスはそうは思っていなかった。むしろここからが、本番。

 

 横へ横へと広がったバ群が、コーナーの終わり際に迫る。勝負を決めるのは、立ち上がりの早さ。

 

 ニヴイスの足音が強まり始める。内にいるニヴイスのすぐ数センチ傍を、内ラチが掠めていく。強引な曲がり方のニヴイスの身体には、強烈な遠心力がかかっているはずだ。しかし彼女は、その横殴りの力を前に進む力に変換し、一歩、踏み込む。

 

 

「行っくぜええええぇぇぇぇ!!!!」

 

 

 コーナーを一切膨らまずに抜けたアルブムニヴイスは、あり得ないほどの加速を開始した。

 

 

 

 残り400m。コーナーに入った直後には1バ身まで迫っていた後続は、今やニヴイスの遥か後方。追いすがる者は、一人もいない。

 

 実況はその名を連呼した。観客は総立ちになり、その走りに熱狂した。

 

 6バ身。圧倒。誰も彼女に追いつけない。

 

 

「圧倒的……っ!圧倒的な勝利!!アルブムニヴイス、その凄まじい末脚で逃げ切り、見事朝日フューチャリステークスを制して見せました!!!一着は、アルブムニヴイス!!!」

 

 

 感極まった実況。その勝利の証拠を残すように輝く電光掲示板。

 

 割れんばかりの歓声を一身に受けたアルブムニヴイスは、立ち止まって、観客席を振り仰いだ。少し考えてから、不器用に一つガッツポーズをすると、足早に引っ込んでいってしまった。黄色い歓声が上がる。

 傍目に見ればクールな立ち振る舞い。それも、人目を惹きつける理由なのだろうか。最後の一人までターフから出るのも待たずに、人々はライブ会場へ移動を始めた。

 

 

「クロクロ、ライブまで観に行くよね?」

 

 

 もちろん、とクロクロは頷いた。アルブムニヴイスの歌声は、まだ聞いたことがない。

 

 楽しみだ。

 

 

ーーーーー

 

「いやー、凄かったね、アルブムニヴイスって娘のレース。あそこまでの強さを持った娘、なかなか見ないよ」

 

 

 ふんふん、とクロクロは何度も頷く。夕日の沈みかけている大阪の街は、色々な露店からの様々な食べ物の匂いで満ち、二人の食欲を誘った。ぐる、とお腹を鳴らしたクロクロのことを笑おうとしたトレーナーのお腹も、きゅる、と鳴った。みるみるうちに顔を赤くしたトレーナーを、クロクロは少しだけ笑ってしまう。

 

 

「クっ……フフ……」

 

 

「もう……!」

 

 

 仕方なく、近くの露店でたこ焼きを買った。8個一組のそれを二人で分け合いながら、のんびりと橙色に染まった街並みを歩く。さすがに夜の繁華街は怖いので、日没までにはホテルに戻りたいが。

 

 手に持った容器の上のたこ焼きを爪楊枝で突き刺し、持ち上げる。クロクロの方にそれを差し出すと、すぐに気づいてパクリと口に含んだ。まだまだ熱かったのか、はふはふと口の中を冷やそうとしている。

 

 今日は、いい気分転換になったんじゃなかろうか。クロクロにとっても、トレーナーにとっても。トレーナーはクロクロが誰を見据えているのかをはっきりと捉えることができた。クロクロは自らを倒しに来る相手の本気を垣間見た。当然、トレーニングのモチベーションも上がるというものだ。

 

 

「ねぇ、クロクロ」

 

 

 やっとたこ焼きを飲み込んだクロクロが、トレーナーに顔を向けた。何か、というように首を傾げる。

 

 

「今日は、楽しかった?」

 

 

「ハイ。とッてモ」

 

 

 あの走りに魅せられた。あの速さに、力強さに、憧れた。

 

 

「トレーナーさン」

 

 

 クロクロは急に立ち止まった。少しだけ前に進んでから、トレーナーも立ち止まり、クロクロの方に振り返る。沈む間際の夕陽を背に、クロクロは決意をあらわにした。

 

 

「ワタシは、勝チたい。レースに。他ノウマ娘に。アルブムニヴイスに」

 

 

 夕陽が完全に沈み切る。ヒトの光だけが街を照らす。逆光で隠されていたクロクロの顔も。

 

 その瞳は、これまで見てきた誰のどの表情よりも、強い意志を宿していた。

 




 だが、そういう力だけなのだろうか。
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