朝日FS、阪神JF、ホープフルS。チャンピオンズカップに東京大賞典。そして、有馬記念。年末の重賞ラッシュも全て終わった、トレセン学園。クリスマスまでも終わった年末年始ともなれば帰省するウマ娘も多く、カフェテリアはお昼時にも関わらず空席の方が多くなるほど空いている。日々のトレーニングで慣れてきたとはいえまだ喧騒が少し苦手なクロクロには久しぶりの、一人での静かな昼食だった。
トレーナーはというと、実家へ帰省している。年に一度は顔を出さないと、家族や親戚がうるさいのだそうだ。さすがについていくわけにもいかず、クロクロは学園で年を越すことにした。
温かいマカロニグラタンをスプーンですくい、口へ運ぶ。濃厚なチーズとミルク、そしてそこに溶け込んだうまみが、しかしなぜか物足りなく感じた。
そうか。今日はトレーナーがいない。本格的にトレーニングを始めてから、トレーナーにスカウトされてから、カフェテリアで昼食を食べるときにトレーナーが一緒にいないのはいつぶりだろうか。前は一人でも平気だったのに……。
仕方ないか、と諦めて、独りでもそもそと栄養を胃に送り続けた。
「隣、空いてるか?」
かけられた言葉が、まさか自分に向けられたものだとは思わず、クロクロは食事を続ける。空いている席は多いのだから、わざわざ他人の隣に座らなくてもいいのに、などと思いながら。
「無視か?なら、勝手に座らせてもらうぞ」
隣の椅子がやかましく引かれてからやっと、クロクロは顔を上げた。巨大なハンバーグの皿を載せたトレーが、テーブルに置かれる。
「アルブムニヴイス」
椅子に腰を下ろし、いざハンバーグに箸を突き立てようとしていたニヴイスは、片眉を上げた。
「……毎度名前を呼ばなきゃ気が済まないのか?」
そんなにいつも呼んでいただろうか。思い返してみれば、確かに彼女の言う通り、話す前に名前を呼んでいたような気がする。ある種のクセなんだろう。
別にいいが、と言いながら、ニヴイスは大胆に切り取ったハンバーグを大口を開けて頬張った。運ぶだけで筋トレになりそうなほど大きなハンバーグが、みるみるうちに消えていく。別に張り合うわけではないが、クロクロの食事の手も少しだけ速くなった。
「お前ンとこのトレーナーはどうした?いっつも一緒に飯食ってるのに」
「実家ニ帰ッた。一日ぐらイ顔ヲ出サないト、親戚がうるサイかラッて」
ふーん、と、ニヴイスはつまらなそうに相槌を打った。大事な担当ウマ娘を置いてけぼりにして帰省とは。
「アルブムニヴイスのトレーナーさンは?」
「アイツは家族旅行に行ったよ。奥さんと娘さんにたっぷり家族サービスしてやってるだろうさ」
なんだ、自分と同じようにほったらかしにされたのか、とでも言いたげなクロクロに対してニヴイスは無慈悲に告げた。
「オレはお前ほど寂しがり屋じゃねーよ。なんだよあの見るからにしょげ返ってる姿はよ」
そんなにわかりやすかっただろうか?抗議するように耳をしぼる。ニヴイスは深くため息をついた。
「耳垂らして肩落として尻尾までしょげてよォ……。トレーナー居ねえから何事かと思えば置いてかれて寂しがってただけかよ!どんなメンタルだ!」
「寂しイものハ、寂しイ……」
「赤ン坊か!」
ニヴイスは心配して損したとばかりにうめくと、ハンバーグをガツガツとかき込み始めた。クロクロは不服そうに食後のお茶に口をつける。今日はなんだか渋く感じる。
「そうだ、クロクロ。この後予定とかあるか?」
一気に昼食をお腹に収めたニヴイスが聞く。クロクロは首を横に振った。今日は自主練で軽く走るだけのつもりだ。どこかへ行く予定なんかも無いし、トレーナーからも好きに過ごしていていいと言われている。
「よし、なら並走トレーニングしようぜ」
ーーーーー
約1時間半後。一足先にコースへ来たクロクロは、脚にゲートルを巻いていた。一通りできるように練習はしているが、まだまだ時間がかかる。5分ほどしてやっと片脚だけ巻き終わったのとちょうど同じタイミングでニヴイスもやってきた。
「何だ?それ」
ゲートルの巻かれたクロクロの脚を興味深げに見つめている。手短に説明すると、ニヴイスは感心したようにうなづいた。
「サポーターみたいなモンか、なるほどな。ソイツがあれば、また倒れることはない、と」
うん、と肯定してから、クロクロは首をひねった。
「何デ倒れタのを知ってル?」
まさか中継を観ていたわけではあるまい。
「ああ、ネットニュースで見た。たまたま流れてきてな」
最近のニュースはネットでも見れるのか、と的外れな感想。それから、彼女の思いをやっと察した。クロクロはゲートルを巻く手を止め、上目遣いにニヴイスを見上げた。
「……心配しタ?」
ニヴイスの身体が一瞬硬直し、目が泳いでクロクロから外れた。あからさまにたじろぐその頬はなんだか赤く見える。
「うううるせえ!いいからとっとと走るぞ!」
クロクロに背を向け、さっさとコースに入ろうとするニヴイスを待って待ってと引き留めて、クロクロはやっとゲートルを巻き終わった両脚で立ち上がった。
適当なラインに2人で並ぶ。出すのも片付けるのも面倒なゲートは使わない。2人で軽く並走するだけだ、これでも十分だろう。クロクロを内側に右回り、芝の状態は稍重ぐらいか。距離は少し長めにとった。
「よーい……ドン!」
ニヴイスの合図で同時にスタート。しかし、2人の差はあっという間に広がった。それもそのはず、逃げ脚質のニヴイスは強く地面を踏み締めぐんぐんと加速していくが、追い込み脚質のクロクロはわざとゆっくり走り出していた。作戦からして対照的すぎる。これでは2人の距離が近づく可能性のあるタイミングは最終コーナーに入った後ぐらいなもので、それまでは先頭と最後尾にそれぞれ位置取ったまま。ニヴイスがクロクロに追いつかれるまで速度を緩めて待ってくれていなければ、一人で走っているのと大して変わらなかっただろう。
ニヴイスの配慮で1バ身差まで距離を詰めたクロクロは、すぐ前にあるその背中をじっと観察することができた。ピンと一直線に伸びた背筋と、大きく真っ直ぐな腕の振り。激しく動く足の動きに対して全く動かない上半身。綺麗なフォームだ、とクロクロは思った。理想的とまで言えるだろう。脚力がほぼ完全に前に進む力に変換され、後ろ足で土を跳ね飛ばすこともない。すでにここまで完成されたフォームは、才能故か、努力故か。
やがて2人は最初のコーナーへ差し掛かる。クロクロは左足の蹴る力を強め、進行方向をコースに合わせて右へと曲げていく。重心を内側に入れ、遠心力を打ち消させる。
やはり、直線よりも体力の消耗が大きい。すぐにでも息を切らす、なんてことはないが、無視できるほど小さなロスではない。
ニヴイスはどう走っているのだろう。じっと観察していると、あることに気がついた。
重心が足の動きに合わせて左右に揺れ動いている。外側、左足で地面を蹴っている時は外に、内側の右足の時には右に。不思議な動きだ。どんな意味があるのだろうか?
ニヴイスの走りを見よう見まねで、クロクロも左足を踏み込みながら重心を外側へ傾けてみる。遠心力と重心が合わさり、思ったより大きく外側へ体が持っていかれそうになった。慌てて地面についた右足はやや左側に行きすぎていて、支えを失った重心が内側へ。クロクロはバランスを崩して倒れそうになった。
どうにか立て直してから、もう一度ニヴイスの走りをよく観察する。右足を踏み込めばわずかに右へ傾き、左足を踏み込めばわずかに左へ傾いている。
クロクロは気がついた。ニヴイスは、右足と重心移動だけで曲がっていた。クロクロは左足で蹴り出した力を右足を軸にすることで右へ曲がる力に変えているのと違い、ニヴイスは右足を軸にしつつ重心を右へ移動させることで右へ曲がる力を生み出しているのだ。左足はあくまで“直進”している。イメージとしては、弧を描いて曲がるのではなく、無数の鈍角で曲がっていくような。
なるほど、それならば片足だけが疲れることはない。外足に大きめにかかるはずの負荷を曲がらないことで減らし、内足に負担させることで両足の負荷を同じにする。これによりスタミナを温存していたのだ。
この目立たない、地味な技術が、彼女の『逃げた後に加速』するド派手な走りを支えているのだろう。
是非ともその技術を身につけたい。クロクロはもう一度真似してみようとするが、生憎もう向こう正面の直線だ。ニヴイスの後ろにピタリとついたまま走る。今度はさっきの直線と同じ、真っ直ぐでブレない。何度見ても綺麗だ。やはり体幹だろうか?ひたすらにロスを減らし、スタミナを温存しつつスピードを維持するその走り。ジュニア級にはあるまじき、その完成度。とても真似できるものではない。
カーブの時の走り方だけでも、盗んでやる。
3番目のコーナー。もう一度、挑戦。
左足を力みすぎないように意識しつつ蹴り出し、地面についた右足を軸に重心移動。内側に倒れそうな身体を遠心力と前に戻っていく左足が支え、右へ曲がる力と背を押す力だけを残して消えた。
できた。ほんのわずかな時間だが、継続してできている。クロクロは息を入れた。かなりの余裕がある。軽いながら、スピードの保てる走り。そのコツを、わずかながらクロクロも掴めた。走りながらスタミナを温存どころか、わずかに回復させられるほどに楽だ。軽い足でさらに増速したくなる欲を抑える。
しかしこれは、非常に繊細で集中力を必要とする走法だ。続けられたのは本当にわずか、十数歩ほどの間だけ。すぐにその均衡は崩れてしまい、普段の走り方に戻ることを強要された。これを、展開のあるレースで使うのか。できたとしても一レース一回だけだろう。
最終コーナーへ入った。クロクロの横にニヴイスが並びかける。クロクロは加速していない。どうやら、ニヴイスに最後までやる気はないようだ。速度を緩めて、横並びに流す。
「もう一周するか?ソレ、まだコツ掴みきれてねーだろ」
マネしたのがバレてしまったようだ。それとも、彼女自身は無意識のうちに、自然にできていることだったのだろうか?少しだけ妬けてしまう。そんな才能、羨ましすぎる。
「ウン、もウ一周。少しゆッくり走ラせてほシイ」
「おう、いいぜ。オレも長距離を全力はキツいしな」
この後さらに周回を重ねた2人。気づけば空は橙色に色づいている。日没が早いとはいえ、随分と長いこと走っていたようだ。もうヘトヘトだ。
「だぁーーー!疲れた!」
ジャージが汚れるのも構わずにニヴイスは芝生に寝転がった。疲労困憊、しかしその顔は笑っている。翌日には2人とも筋肉痛になるだろうが、それ以上に、今日が楽しかった。
「今日ハありガとウ、アルブムニヴイス」
次の言葉は出てこない。今日は大丈夫だったが、次は笑ってしまうかもしれない。レースの愉しさは、走る楽しさと近いところにあってしまう。並走でまでわらってしまえば、ニヴイスもワタシから離れてしまうかもしれない。
だから、ニヴイスの言葉に安心した。
「おう、またよろしくな」
だがそれはきっと一時だ。
本文に登場する走法は作者のでっちあげです。おそらく現実にこれを真似しても速度は出ず、むしろ怪我をするリスクのみ負うかと思われます。この理屈が通用するのは本作内のみであることをご理解ください。