「明日から夏休みかぁ」
終業式が終わり、倫也と恵は帰りの電車に並んで座っている。新体制のサークルになってから、恵は副代表として倫也の側にいつもいた。学校内では節度をもって接しているつもりだ。それでも倫也の友達からは『正妻』呼ばわりをされている。恵としては恋人のような振る舞いはしていないのに、そういう風に言われるのは不本意であったが、倫也も恵もそれを否定もせず、肯定もせず、冗談として受け流していた。
『彼女』でなく、『正妻』と表現されるのは、きっと倫也がどこか頼りないのに対して、恵がしっかりしていてフォローしているからなのだと思っている。別にどうでもいいけど。
涼し気な夏の制服に身を包んだ恵は、髪をポニーテールに結わいている。手元にはプリントアウトしたサブヒロインルートのシナリオをもっていて、すでに何度か読んでいる。
「で、倫也くん。夏休みの予定は?」
倫也も手にはシナリオをもっている。恵が質問やおかしいと思ったところを赤ペンで追記したものだ。倫也は意見を取り入れ女性目線も考慮してシナリオを修正する。
「まずは、メインシナリオを仕上げないとな」
「まぁ、そうだよね・・・」
あとはメインシナリオルートのシナリオだけである。8月末の締め切りまで余裕がある。ここまでサブヒロイン4人のシナリオは順調に上げてきた。
「高校生最後の夏だよ」
「なんか甲子園球児みたいな言い方だな」
「野球をしていなくても最後の夏が来るんだよ」
「実感わからないな」
倫也は曖昧に答える。電車が揺れている。
「夏の間、ずぅーーーと、部屋でゲーム作りするの?」
「どうだろ・・・恵は予定あるの?」
「・・・ゲーム作り」と、つまらなそうに答える。「サブルートのシナリオはだいたいできたみたいだし、これをとりあえず組んでみて、あとは修正して・・・それから倫也くんがメインシナリオを上げてくれれば、スケジュールに余裕ができるけど」
「・・・そうだな」
メインシナリオがぜんぜん書けない。
電車が駅に停まる。終業式は午前中で終わったので、日中のこの時間は人が少ない。まばらに乗り降りしている。
「去年は合宿行ったよね」
恵が催促するように言う。今年はいかないの?の一言は付け加えない。これぐらい会話の流れで倫也には気が付いて欲しい。
「行った」
と、倫也は事実だけを伝える。電車が走り出す。その後の言葉を続けない。恵は少しイラッとする。でも、表情には出さない。ただ、気配を倫也は感じ取る。
「えっと、今年も合宿行った方いい?」
倫也が左にいる恵の方をみる。恵も倫也を見る。優しい瞳を瞬きする。それから恵は「ん~」といって、上を見ながら口元を抑える。にやける表情は隠す。
「その言い方はどうかと思うよ?されに・・・サブヒロインルートは完成しているんだよね?あとは・・・メインヒロインだけなんだよね・・・?」
我ながらナイスアシストだと恵は思う。これはもう、2人で旅行に行きたいという意味が流石に通じるだろう。あとは倫也が誘ってくれればOKだ。日帰り旅行で鎌倉あたりの海でも見てくればいい。うん。
「じゃ、合宿は無理だな!」
倫也がばっさりと断る。恵の目からハイライトが消える。うん、知ってた。鈍感とか、ヘタレとか、そういうのとちょっと違う。もう、頑なに2人の距離を縮めようとはしない。その気持ちもわからなくもない。
― 倫也と恵は『ゲーム作り』という口実で2人は同じ場所、同じ時間を過ごしている ―
あんまり考えると、恵はイライラしてしまうので、ここらへんで話題を変える。もうすぐ駅に着く。
「倫也くん。今日のお昼はどうするの?」
「なんも考えてないなー」
「冷蔵庫に冷やし中華あったよね?」
「そうだっけ」
「トマトもレタスもハムもあるし・・・それでいいかなぁ」
「来る?」
「1人分作るのも2人分作るのも同じだしー」
ここら辺の会話は通じる。
恵が立ち上がる。電車が恵の最寄り駅に到着した。倫也もゆっくりと立ち、2人は駅のホームに降りる。
「じゃ」
恵が一言いって、改札にゆっくりとした足取りで向かう。倫也の見えている時はゆっくりと行動する。
倫也は駅のベンチに座り、シナリオをチェックの続きをする。蝉がしきりに鳴いている。それから日差しが熱いので、恵が改札を通り抜けた頃を見計らって、改札の方へ行き、自販機でお茶を買う。それから座って恵を待った。
※※※
恵は改札をでて少しゆっくり歩いてから、速度を上げて早足になり家へと急ぐ。玄関でローファーを脱ぎ捨て、リビングのテーブルに通知表とプリントを置く。部屋へ駆け上がって、鞄をベッドに放り投げ、制服を脱いで丸める。これはあとでクリーニングに出す。朝の内から用意していた白いワンピースを上からかぶる。ベッドに座って靴下を脱ぎ、制汗ウェットティッシュできれいにそろった足の指を拭き、新しいものに替えた。電車の中や倫也の部屋に人が多い時に冷房が強くなりがちなので、薄いピンクのサマーカーディンガンを羽織る。そして白い帽子をかぶる。鏡の前に立ってチェックをする。
メインヒロインの恰好になると少し違った自分になれる。積極的でどこか他人事のように自分を演じることができる。
鞄の中からシナリオを取り出し、白いバッグに移し替える。そして、暑いままの部屋を出る。階段を駆け下りると母親が声をかける。二言も三言、あたり前の会話をする。学校のことなどはゆっくり話をしない。今はそんなことはもどかしい。晩御飯がいらなくなるかもしれないことだけを伝えれば十分だった。
親ももう特には何も言わない。小言の言った時期はとうに過ぎた。もともと感情に乏しく見えるが、芯が強く決めたことはやり切るような子だ。それに、どんなに子供に対して鈍感な親だって様子をみていればわかる。眩しいくらいきらきらとしている。
そう、娘が恋をしている。
※※※
恵は駅の改札に近づくにつれてゆっくりとした歩調にして、呼吸を整える。
駅のホームのベンチに倫也が座っている。太陽が一番高い位置にありひどく暑い。蝉が騒がしい。恵はふぅーと息を深く吐き出してから、シナリオを読みながら器用に右手でペンを回している倫也に話しかける。
「おまたせ。安芸くん」
ちょっとだけトーンが高い澄んだ声。緊張している時の声。
「安芸くん?」と倫也が聞き返す。ずいぶんと久しぶりに呼ばれた気がする。
「ああ、うん。倫也くん」
倫也が立ち上がる。電車が遠くから来ているのが見える。
「なぁ、恵。この赤ペンのところなんだけど・・・」
倫也は話を切り出す。恵が「どこ?」と顔を近づけて倫也のもっているシナリオを覗き込む。顔が近くなる。倫也はくすぐったいような恵の香りに顔が赤くなる。
「ああ、これはね・・・」
電車がホームに到着する。ゆっくりと速度をおとし、プシューという音と共にとまる。2人は電車に乗り、並んで座る。倫也が右で恵が左。
「ここは、後輩ヒロインが落ち込んでいる場面だよね?それでも明るく振る舞いたい。だからセリフは『先輩!』なんだけど、それだけだと気持ちが伝わらない。だから一度、『先輩・・・』と呟いてから、『先輩!』と覚悟して声をかけたほうがいいと思ったのだけど」
「ああ、なるほど」
電車が揺れて走りだす。2人は相談しながらシナリオを修正していく。そうしている時間が2人はとても好きだった。
※※※
倫也の家の最寄り駅で降りる。
並んで歩きながら、倫也は恵の服装を見て一言いう。
「今日はメインヒロインの衣装なんだな」
「ちょっと違うんだけどね。メインヒロインをイメージした服にしてみた。あれは春物だけど、これは夏物」
「うん」
倫也はそれを言うだけで精一杯。顔が赤い。照れて顔を指でかいている。その様子をみているだけで恵は満足だった。気の利いた誉め言葉を言われたらもっと嬉しいかもしれないけど、そんなのは倫也らしくないとも思う。
「まぁ、初回だし・・・一応ね」
「ああ、そういうこと・・・」
恵がくすっと下を向いて笑う。あんまり笑顔は見せない。本心を隠したいい時に作り笑いをする。こうやって思わず笑顔が漏れる時は嬉しい時だ。
それから2人は少し無言で歩く。
倫也はときどき恵の方を見る。可愛い。いろんな服装の恵がいるけれど、メインヒロイン衣装の恵はちょっと違う。ずるいぐらいに透明感があり華もある。風が優しく吹いて髪が揺れる。
恵は倫也が見ていることを知っている。だからまっすぐ前を見る。耳が赤くならないようにできるだけフラットになるように心がける。ときどき倫也を横目で見る。あんまりはじっとみないで欲しい。目が合った時は無言で前に視線を戻す。耳が赤くなる。
そして、2人は手をつなぎたいなと思う。サークルメンバーだから手はつなげない。恵はなんとなく公私混同を意識して気をつけている。倫也のメインヒロインであるけれど、恋人ではない。サークル副代表として支えるけれど、恋人ではない。この物語の夏の間、ずっと一緒にいるけれど、恋人でないし、恋人にはなれない。
『それは・・・劇場版の倫也と恵の役割だから』
だから、この夏の間の2人は『恋人未満』の関係のまま過ごす。
※※※
劇場版のあのキスシーンの交差点に2人はたどり着いた。
恵が立ち止まって、倫也の方を振りむく。蝉が一瞬鳴くのをやめて、時が止まったようになった。
「メインヒロインとの日常は、どんな物語にするの?」
恵が目の前にいる。まっすぐ倫也を見ている。倫也は目をそらさずに真剣に考える。
「そうだな・・・」
それは、恵と過ごす物語になる。恵が料理したり、恵とゲームで遊んだり、ゲーム作ったり、一緒にTVを見たり、家の中ですごすなんでもない時間だ。それをどうやって伝えよう?
「それは、恵しだいだな・・・」
恵がさっきまで輝いていた黒い瞳を少し曇らせて、
「それ、なんかずるい」
といった。倫也が肩をすくめる。事実なのだからしょうがない。
「でもまぁ・・・とりあえず・・・」
「とりあえず?」
「たまご。たまごを買いに行こっか。今日、特売日だし」
「特売日なんだ」
「1パック98円。これはお買い得だよ倫也くん」
「そうだな・・・それ、初回のネタにしていいの・・・」
「ん?だって・・・冷やし中華にやっぱりたまごはあったほうがよくない?」
「そう・・・だな」
恵が少し微笑む。そして、左手をすぅーと前に差し出した。
倫也がそれを見て、左手を出すと・・・
「あのね、倫也くん。それじゃあ握手になっちゃうよ?」
「ああ・・・えっと」
倫也が右手で恵の手を握る。
恵は満足そうに一度うなずいて、その手をほどいてはじいた。
「えっ?」
倫也が驚く。
「練習だよ。練習」
恵がくすくすとおかしそうに笑っている。劇場版では手をはじく。
「たまご。買いにいこ」
恵が踵を返してスーパーマーケットに向かう。倫也がその後を追いかけて横に並ぶ。
こりずに、恵の左手を握ると、恵はちょっと驚いた顔で倫也を見上げた。
「初回だからな」
「もう・・・しょうがないなー」
2人は手をつないで歩く。ふたりとも少し緊張をしている。道行く人がふと2人を振り返って眺め、理想的でいいなと思い、ため息をつく。
※※※
買い物を終えて、2人は倫也の家の玄関の前に立っている。手はつないだままだ。倫也は右手で恵と手をつないでいた。
恵がその手を離す。夏なのでつないでいたところが少し汗ばんで暑かった。手を離したあと手首をパタパタとふって汗を乾かす。その様子に倫也が笑う。
倫也が鍵を開けて中に入ろうとすると、
「ねぇ、ご両親は?」
「ああ・・・えっと・・・」この物語に邪魔な倫也の両親はいない。「夏の間中、ずっと法事が重なっているんだ」
「・・・それ、呪われてるよ?」
「どうしたらいい?」
恵が少し考える。
「豪華客船で世界一周旅行に行った。でいいんじゃない?」
「それでいいなら」
「うん」
倫也が扉を開ける。玄関で靴を脱ぎ捨てリビングに先に向かう。まずはエアコンをつけないと暑くてどうしようもない。
恵はゆっくりと靴を脱いで、倫也の靴も一緒にそろえる。
「ただいま」
と、誰にも聞こえないような小さな声でつぶやいた。
恵がリビングに入ってくる。中は暑かった。まずはもっていたバックをリビングのソファーに置く。それからカーディガンも脱いで、背もたれにかけた。
「わたし、ご飯を作るから、倫也くんは着替えてきて」
「ああ」
倫也は生返事をして階段を上がっていく。
恵は洗面所で手を洗い、棚からエプロンを取り出して身に着ける。それから買い物してきたものを冷蔵庫にしまい、今から作る材料を取り出す。
まずは卵を溶いて、錦糸卵を作る。
※※※
倫也が着替えて部屋から降りてくる。
恵がキッチンで野菜をカットしている。
「何か手伝おうか?」
「えっと、もうすぐ麺が茹で上がるから・・・そしたら水で冷やしてくれる?」
「わかった」
倫也がタイマーをみる。あと1分ある。流し台にはザルとボールがすでに用意されている。錦糸卵もキュウリもハムも細くカットされていた。今はトマトのヘタをくりぬいて半分にしている。半分はラップに包み冷蔵庫にいれる。残りを、櫛型にカットする。倫也は恵のエプロン姿を後ろから眺める。抱きつきたくなる・・・そこでタイマーが鳴った。
※※※
倫也が完成した冷やし中華をテーブルに運ぶ。恵はグラスに氷をいれ、麦茶を注ぎいれた。
倫也と恵は向かい合わせに座る。卵もはいった冷やし中華は彩りが鮮やかだ。
恵はハサミをつかってゴマダレの袋の先を斜めに少し切って、倫也に渡す。倫也はそれをかける。それから恵は自分の袋きって、ハサミを置き、ゴマダレをかけた。
手を合わせ、倫也が「いただきます」という。
恵が少し頷いてから「いただきます」という。
「で、どんな物語がいいんだっけ?」
恵が倫也に質問をする。箸で錦糸卵を少しつまむ。我ながら綺麗にできたとちょっと嬉しい。
「こういう物語」
倫也が答える。恵が静かにうなずく。
それから、箸を倫也の口元に差し出す。倫也がそれを黙って食べる。大事なイベントだ。イベントを超えて、2人にはもはや儀式に近いかもしれない。
エアコンの静かな音、窓の外から少し蝉の声が聴こえる。グラスの氷がカランと音を立てて崩れる。
倫也はもぐもぐと食べている。恵が少し上目使いで倫也を見ている。それから迷う。迷うがやはり確認していおく必要がある。
「わたし、倫也くんが好き」
倫也は口いっぱいに麺と野菜を放り込んでいる。もぐもぐと必死に噛む。そして飲み込む。
「大丈夫」倫也は照れずにうなずいて答えた。死んだりはしない。
「うん」と恵は頬を赤らめて頷き、冷やし中華を口にいれた。
2人の夏休みが明日から始まる。
(了)