7月30日 金曜日 夏休み9日目。
恵はいつものように昼頃に来て、倫也と昼食を一緒に食べた。これからエアコンのかかった倫也の部屋で静かにゲーム作りをする予定だ。
倫也はメインヒロインルートをなかなか書けずにいた。
恵は恵でノートPCを立ち上げてみたものの、作業に移ることができなかった。サブヒロインの4つのルートのうち、3つのシナリオは修正も終わり完成した。今は美智留や出海の方にもテキストファイルが配布され、それぞれの作業を進めてもらっている。あとはこの・・・『幼馴染ヒロインルート』だけだ。倫也がこれを完成させたのはもう一周間以上も前である。あとは恵がチェックして意見を交換し、修正する・・・
恵はテキストファイルにカーソルを合わせては、ため息をついて、『フリーセル』を立ち上げて時間を潰し、またテキストファイルのアイコンを眺めている。
読まなくてもだいたいはわかる。英梨々とのエピソードがベースになっているからだ。先輩ルートは小説家と編集、従姉妹ルートはバンドとマネージャー。英梨々をモチーフにした幼馴染ヒロインでは、きっとイラストレーターとアシスタントの関係だろう。年末の別荘へ行ってからの倫也と英梨々は仲がいい。その後の倫也の願望が描かれているのは間違いがない。
「恵。幼馴染ルートの件なんだけど・・・」
「何?」
恵の声がちょっと怖い。倫也は恵が読んでないことを知っている。
「修正しなくても大丈夫だと思うぞ?」
「何それ?」
「そのシナリオさ、英梨々と話ながら作ったからさ・・・」
「はい!?」
「だから、無理に修正を・・・」
恵がノートPCを乱暴に閉じて立ち会がった。
「帰る」
「ちょっとまって」
恵が部屋から出ていこうとする。
倫也が恵の手首をつかむ。
「離して」
「恵。怒ってるの?」
「怒ってなんかない」
「でも、読みたくないんだろ?」
「そんなんじゃない・・・」
恵が顔を伏せる、部屋の角をぼんやりと見つめている。
「もし、読みたくないなら、無理することないから・・・」
「だから、そんなんじゃないって」
「美智留と出海ちゃんに送れば作業すすめてくれるし、俺がスクリプト組んでもいいし」
「だったら・・・だったら!わたしなんていらないんじゃないかなっ!」
恵が腕をふって、倫也をふりほどく。
「そんなこといってないよねぇ!?」
「だって、英梨々と作ったんだよねぇ?わたしが修正する必要なんてないよね?プログラムも絵も音楽もシナリオもわたしなんていらないじゃん・・・」
恵が扉を開ける。
「恵が必要だよ」
恵が振り返る。倫也が立って恵を見つめている。
「でも、わたしがいなくてもゲーム作れる」
「俺、視聴覚室でお前にいったよな。テイのいい口実だって。また、お前とゲーム作りたいだけなんだって」
「・・・けど」
「もし、恵が幼馴染ルートを嫌ならやめよう?なくてもいい、恵が楽しくないことしてもしかたないでしょう!?」
「それで・・・いいの?」
「うん。俺は恵がシナリオをにやにやしながら読んだり、真剣にプログラム打ち込んだりしている姿を見るのが好きなんだよ」
「もう、それ・・・告白だよね・・・」
「ただのサークルメンバーとしてだから!」
「・・・もう。それでいいの?英梨々と作ったんだよね?」
「うん。英梨々と楽しく作れたから、それでいいんだよ」
「えっ?」
「あれ?」
いい感じだったのに、地雷を踏んだ倫也。
「なぁ・・・恵。『転』はないんじゃなかったっけ・・・」
恵の瞳が漆黒になる。
「そういうことなら安芸くん。今夜の晩御飯何が食べたい?」
「え?えっと・・・ハンバーグとか・・・」
「そう・・・じゃ、ハンバーグ以外の何かを作るよ」
「あっ、うん。作るんだ?」
「何?帰った方いい?」
「いや、えっと・・・」
「『転』がないままハッピーエンドにするんだよね?だったら安芸くん・・・がんばって」
「安芸くんに戻ってる・・・」
「何?」
「・・・いえ」
恵が息を大きく吐き出す。どうも意地が悪い気が自分でもする。公私混同で迷惑をかけているのは自分だとわかっている。
「あとでちゃんと読むから。とりあえず・・・スーパーに買い物いこ?」
「わかった」
倫也が財布をポケットにいれる。恵はエアコンを止めた。
※※※
2人がスーパーで買い物をする。
「そこのズッキーニとってくれる?」
「何作るの?」
倫也はズッキーニが2本はいった袋を籠にいれる。恵はナスを3本ほど選んでビニール袋にいれてから籠にいれた。
「夏野菜カレーにでもしようかなって・・・」
「いいね」
「あっ、ピーマンとってくれる?」
「えっ・・・」
作品上の都合で、この倫也はピーマンが苦手である。
倫也がしぶしぶピーマン1袋を籠にいれる。
「ああ、もう1袋いれてくれる?」
「なんで?」
「なんでも」
倫也がもう1袋ピーマンを籠にいれる。
恵は楽しそうにしている。
それから、合挽肉2パックを籠にいれ、ついでにアイスコーヒーとコーラを買った。
会計を済ませて2人は並んで帰る。
※※※
帰り道、外はまだ暑かった。恵は手で顔に当たる日差しを防ぎ、できるだけ日陰を歩く。紺色の生地に小さな白い水玉のワンピースを着ている。
「ねぇ、倫也くん」
「ん?」
「サブヒロインルートに進んでいる時のメインヒロインって何しているの?」
「何もしてない」
「何もしてないって?」
「基本的に登場しないから」
「うん。それはシナリオ読んでいるからわかるけれど、でも、メインヒロインだって主人公の事を好きなわけだよね?」
「そうかもしれないけど、そういうのはあまり描写されない」
「どうして?」
「だって、それだとドロドロした展開になるよね?」
「そうだけど」
「それに、メインヒロインルートの時にサブヒロインにも同じこと言えるでしょ?」
「わたしが聞きたいのはそういうことじゃないないんだけどなぁ」
恵が少し考え込む。
「プレイヤーは主人公になりきってゲームをしているわけだから、サブヒロインを攻略しているときはサブヒロインを見ているんだよ」
「浮気症だよね」
「そういうジャンルだからね!?それにIFルートって浮気じゃないよ。時間軸が違うだけで」
「そうだね」
恵が感情のこもらない声で相槌をうつ。
倫也がため息をついて「暑いなぁ・・・」と呟く。しきりに蝉が鳴いている。
「じゃあ、サブヒロインルートを進んでいる時のメインヒロインはどうでもいいんだね?」
「そうなんだけど、そうでもないんだよ」
「どうして?」
「昔は救済ルートが用意されていたんだよね。他にも男性キャラがいて・・・」
「ああ、わたしの医大生の従兄弟みたいな?」
「・・・恵ぃ・・・」
恵はくすくすと笑う。
「要するに、サブヒロインルートに進んでいるときはサブヒロインがメインヒロインになっているから、元メインヒロインはいない方がいいわけだ?」
「とげのある言い方だけど・・・そういうことだな。でも、恵。いろんなゲームがあって、やっぱり納得できないメインヒロインがでてきてヤンデレ化したり、修羅場になったり、主人公が全員にふられるバッドエンドとかあるよ」
「あと、全員を囲う、ハーレムエンドもでしょ?」
「うん」
「倫也くんにその甲斐性があればねぇ・・・」
恵が笑っている。陽光に照らされるとキメの細かい白い肌が光を弾いているように見える。
「ハーレムエンドはもちろん一つの形だけど、やっぱり一番大事なのはメインヒロインルートなんだよ。それらのサブシナリオを超えるものでないといけない」
「だから、書けないの?」
「・・・それもある・・・のかな」
「はいはい。ゆっくり待ってるから」
家に着いた。
恵は買ってきたものを冷蔵庫にしまう。倫也は部屋へ上がってエアコンをつける。リビングで過ごすか迷う。まだ夕方で夕食を作り始めるには早い時間だった。
※※※
恵は倫也のベッドの上で横になりながら、プリントアウトした幼馴染ヒロインルートを読んでいる。足をパタパタさせるのは機嫌がいい証拠だ。
右手に赤ペンを持ち、気になったところや分かりにくい所はチェックをいれる。ちょっとした先生気分になれて恵はそれが楽しい。
倫也は思っていたよりもずっと恵がご機嫌そうでほっとした。内容的にも問題がないはずだ。
「なるほど・・・」
恵が読み終わって、一言呟く。それからまた最初に戻って読み始めた。恵は倫也のシナリオを読むのが好きだった。なんだかとても長いラブレターをもらっている気分になる。物語そのものよりも主人公の心情や感じ方に、自分の心も揺り動かされる。
この幼馴染ヒロインルートの話は恵が思っているのと違っていた。恋愛までは発展していない。あくまでも、子供の頃に喧嘩したところを丁寧に修復している。英梨々が倫也にわかって欲しいという気持ちがよく伝わるし、倫也もどう思っていたかがわかる。ノスタルジックで、お互いにいたわり合うような優しさがある。読んでいてほっこりする。確かにお互いのことが好きだけど、胸がドキドキするようなラブストーリーではなかった。
「さすがだなぁ・・・」
恵がベッドから起き上がり、足をおろして腰かける。
「どうだった?」
倫也がデスクから振り向いて、恵きいた。見た様子だと満足そうにしているので大丈夫そうだ。
「うん。よかった。英梨々と書いているから、わたしには修正のしようもないよ」
「そっか。よし!」
倫也がガッツポーズをして、また自分の作業にもどった。
「晩御飯。作ってくるね」
「よろしく。恵」
「うん」
「何か手伝うことあったら言ってくれ。俺、この作業終わらせてから下にいくから」
「何しているの?」
「ん・・・」
恵が倫也のパソコンを覗き込む。オセロの画面が広がっている。
「あの・・・倫也くん・・・?」
「いや、これは大事な作業なんだよ」
「遊んでるだけだよね?」
「なにいってるの!?相手、出海ちゃんだからね」
「相手が誰でもオセロで遊んでいるだけだよね?」
「恵。これは大事な後輩とのコミュニケーションで、こういうところから後輩ルートのアイデアが・・・」
「後輩ルートは終わってるよね?」
「・・・そうだったな」
「まっ、いいけど」
恵が下に降りていった。
※※※
テーブルの上には恵が作った料理が並んでいる。あれから倫也はぜんぜん降りてこなかった。出海とオセロがどうやら盛り上がっているらしいと恵は推測するが、それを『転』ととらえて嫉妬する気にもなれなかった。
本当なら倫也にピーマンを切らせたかった。
恵は階段の下から倫也に声をかける。
「倫也くーん、ご飯だよー」
特に返事がない。
恵は「もう・・・」と片方の頬を膨らませてから、階段を上がっていく。
部屋のドアを開けると倫也がデスクにうつ伏せになっている。
「倫也くん、ご飯」
「ああ、うん。今いく・・・」
「どうしたの?」
倫也が立ち上がる。
「一度も勝てなかった・・・」
「あっそ」
恵が下に降りていく。温かいものは暖かいうちに食べてもらいたい。料理を作る人の共通の想いである。
倫也があくびを一つしてテーブルに座る。お茶を一口飲む。
恵も向かいに座る。
「いただきます」と倫也が言う。
「どうぞ」と恵が答えて、その後に「いただきます」と言う。
「でだ・・・恵」
「どうしたの?」
「俺、何か怒らせるようなことしたっけ?」
「ううん。心当たりがないなら、ないんじゃないの?」
「なんで、こんなにピーマンなのぉ!?」
「だって、ピーマンの肉詰めだもん」
「夏野菜カレーっていってなかったっけ?」
「そうだった?」
恵が箸でピーマンの肉詰めを一つつまむ。ちょっと大きい。
それをそのまま倫也の前に持っていく。
「はい。あーん」
「・・・あーん」
倫也が大きく口を開ける。恵がピーマンの肉詰めを押し込む。
「ほら、ハンバーグのリクエストとの妥協案だよ」
「もご!?」
倫也がもぐもぐと食べている。
「英梨々と楽しくシナリオ作れてよかったねぇー」
「もご!?」
「わたしとは一緒にメインヒロインルート作らないのにねぇー」
「もごみ!?」
「飲み込んでからしゃべってよ」
「ごくんっ」
倫也が飲み込む。
「今、こうして作っているから!」
「そうなんだけどねー。でも、メインヒロインなのにサブヒロインがよく紛れ込むし?」
「それがいいんだよ。だからメインヒロインが輝ける。わかるか?恵」
「ふーん。で、どう?おいしい?」
「ああ、思ったよりうまいけど・・・」
「けど?」
「ピーマンがない方がいいな・・・」
「ピーマンがあるから、中の肉詰めが輝くんだよ?」
「ふむ・・・」
食卓の上にはまだたくさんのピーマンの肉詰めがある。
倫也は恵を見ると、恵は味噌汁を飲んで、満足そうに微笑んでいた。
(了)