8月6日 金曜日 夏休み16日目。
朝から天気がとても良かった。青空。恥ずかしいぐらいはっきりとした白い雲。ギラギラと照りつける太陽。
恵は起きてから、顔を洗い、歯を磨き、髪を整え、洗濯機を回す。ルームウェアの上にエプロンをして軽い朝食を作った。
2階に上がって倫也を起こし、一緒に朝食をとる。寝ぼけている倫也は何を言っても生返事なので会話はなく、黙々と食べる。トースト、サラダ、ハムエッグ。
溜まっていた洗濯が終わると、それを外で干す。部屋中に掃除機をかける。倫也の布団も干す。ベッドのシーツも洗濯して、ついでにブランケットも放り込んで洗う。やることがたくさんあって忙しい。
美智留の服を箪笥から全部取り出して、一枚ずつたたんでしまう。一段分のスペースができたので、そこに自分の服と下着をしまった。だいぶスペースが空いているので、今度は外出着も用意しようかと考える。洗濯が終わり、シーツとブランケットも外に干した。
倫也はデスクに向かって、メールやらツイッターやらのチェックを終えると、メインシナリオルートの原稿に取り組む。あいかわず書けずにいた。倫也が白紙のwordを眺めている間、恵はバタバタと駆け回って掃除をしている。さすがに無言でコーヒーがでてくるような気づかいはない。
11時を回った頃に倫也はリビングに降りて、コーヒーメーカーでコーヒーを豆からいれた。それをグラスに氷をたっぷりいれてアイスコーヒーにする。
リビングのテーブルで何も考えずに飲んでいると、恵も前のイスに座ってアイスコーヒーを飲んだ。
「お疲れ様」
と、倫也が労った。恵はうなずく。
「ねぇ、倫也くん。このメインヒロインはどうして主人公に好意をもっているんだっけ?」
「なんとなく・・・じゃなくて、チョコあげたら・・・プロポーズされたけど」
「それは・・・そういうシナリオってだけでしょ?」
「そうなの?」
「・・・そうだよ。さすがにチョコだけで落ちるようなチョロインは・・・(わたしぐらいじゃないかなー)」
「だよなぁ・・・」
「でね、惚れ直すようなエピソードがあってもいいと思うんだけど」
「惚れ直す?」
「うん」
「それってさ、すでに主人公に惚れてない?」
「だから、それは鈍感主人公だからメインヒロインがいつ主人公を好きになっているか気が付いてないだけなんじゃないかな」
「何か惚れられるようなエピソードあった?」
恵はちょっと考える。
「例えば、学校の先生と交渉して図書館にラノベ置いちゃうとか、学園祭でアニメ上映会を成功させちゃうとか・・・」
「それって、高校1年の?」
「そうだけど?」
倫也が固まる。まて。恵がおかしなことを言い始めた。
「それって、恵・・・。主人公が坂の上でメインヒロインに一目惚れする前にすでにメインヒロインが主人公を好きってことにならないか?」
「ダメなの?」
「いや・・・ダメではないけれど・・・」
「だからこそ、あの後の主人公の強引なメインヒロインになってくれという、わけのわからないことを受け入れたり、家に連れていかれて朝までゲームしたりするんじゃないかな?」
「それって、そのメインヒロインの子に主体性がないからじゃないの?」
「誰が?」
「恵が」
「えっと・・・、倫也くん、作っているゲームと現実がごっちゃになってない?」
「そっか。『叶 巡璃』の話だよな」
叶巡璃(かのうめぐり)は倫也が作っているゲームのメインヒロインの名前。
「もちろんそうだよ?もしかして倫也くん、高校1年の時のイタイオタク行動をわたしが見て、倫也くんに好意をもつとでも思ったの?」
「だって、それ、さっき恵が言った話だよね?」
「わたしが言ったのは、巡璃の気持ちになって解釈しただけだよぉ」
「そっか・・・そうだよな」
「勘違いしないでよねっ!」
恵がちょっと顔を赤くしながら横を向いた。
「ツンデレ!?」
倫也が驚く。意表をつかれてしまった。まさかこんなタイミングで恵がツンデレをしてくるとは思いもしなかった。
「・・・ど・・・どうかな?」
「ん?」
「今のツンデレ」
「・・・いいんじゃね?」
倫也が照れて顔が赤くなる。
※※※
倫也の部屋に2人は移動する。テーブルにノートPCを並べて作業している。倫也はシナリオがなかなか進まないので気分転換にスクリプトを組んでいる。
「で、話を戻すけどさ、惚れ直すてことは、やっぱり下がっている状態からはじまるよな?」
「どうして?」
「マイナスになりかけているところをプラスにすることだろ?」
「プラスにプラスでもいいと思うけれど・・・」
「それはベタ惚れじゃないの?」
「・・・そうかなぁ」
惚れ直すイベントのイメージがどうやら2人で違うようだ。
「で、倫也くんならどんなイベントを考えるの?」
「ん~。まずは『転』が必要だと思うけれど、それでメインヒロインが凹むところを主人公が助けたら、主人公を惚れ直すかもしれない」
「それって、主人公に対するマイナスの印象って意味じゃなくて、メインヒロインの気持ちがマイナスってこと?」
「うん。だから、イベント的には相合傘なんかもそうだけど、ヒロインが弱っているところを助けるのがいいんだよ」
「ワンパターンな気がするけど」
「テンプレは大事だ」
「うーん。そうかもねー」
恵はとりあえず倫也の惚れ直すイメージを理解した。別に間違ったことは言っていないと思う。確かに気持ちが落ち込んでいる時にプラスにしてくれれば惚れ直すかもしれない。
「で、恵の理想とする『惚れ直す』ってどういうの?」
「やっぱり、勇敢なエピソードかな」
「例えば?」
「例えば・・・主人公とお化け屋敷にいったら、主人公だけヒロインを置いて走って逃げていくの」
「ダメじゃん」
「うん。そこで幻滅しかけているんだけど、不良に絡まれるときに体を張って助けた・・・みたいな」
「うわぁベタ!ベタすぎだよ!恵」
「・・・だって、テンプレは大事なんでしょ・・・」
「そうだけど、その話は問題が2つあるぞ?」
「そうかなー」
「だって、その不良に絡まれるっていうのは『転』になってるよな」
「あっ」
「それから、暴力描写はどうしても知的なイメージとはかけ離れてしまう。結局腕力で解決かよ・・・みたいな」
「うーん。そっか。ああ・・・だからか」
「何が?」
恵は躊躇する。
倫也のいい所は、詩羽や英梨々のピンチに駆けつけ、マルズと交渉して延長を勝ち取ったところだ(この時間軸より未来に起こることだけど)。こういう情熱が恵は好きだった、それは高校1年のエピソードとも共通している。まっすぐな倫也が好き。
「ううん・・・なんでもない」
恵は勝手に惚れて、勝手に嫉妬する。
自分でもどうしようもない。
※※※
少し遅いランチを食べたあと、恵は洗濯ものを取り込んだ。そこでやっと自分のワンピースを着ることができた。部屋着は洗濯カゴにいれておく。
それから2人はゲーム作りをする。倫也はデスクに座って頭を抱えながらもメインヒロインルートのエピソードを書いていた。恵はサブヒロインルートをスクリプトに組み込んでいく。
夕方5時過ぎ。まだ外は青空で明るいが3時間ほど作業に没頭していた。
「う~ん」
恵が座ったまま手を上にあげて体を伸ばす。
「あっ」
その時、ノートPCの画面が真っ暗になったあと、一面水色になり、白い英文が浮かび上がる。
「ねぇ、倫也くん・・・これ・・・なんだろ?」
「どうした?」
倫也がデスクから降りる、一度背伸びをして体をほぐす。
恵の隣に座ってノートPCを覗き込むと、再セットアップの画面になっている。
「何かいじった?」
「いや・・・何もしてないと思うけど」
「なんだろ・・・一度戻して・・・」
倫也がキャンセルを押してWindowsを立ち上げる。通常の再起動ができずにエラーがでる。
「一応きいておくけど・・・最後にクラウドにセーブしたのいつだ?」
「今日はしてないよ。その日の作業の最後にはクラウド保存しているけど・・・でも、こまめなセーブはしたよ?」
「ふむ。残念だったな」
「えっ・・・」
「これ、もう駄目だ」
「どういうこと?」
「寿命だな。ハードの一部が読み込めなくなっているんだと思う」
「で・・・?」
「まぁ・・・今日の恵の入力はなかったってことで・・・」
「ちょっとまってよ!」
「いやいや、怒られても」
「だからさー、『転』はいらないってばっ!」
「いやいや、壊れただけだからね!?」
「・・・」
恵がじぃーと目を細めて倫也を見る。
「とりあえず、確認しよう」
倫也が自分のノートPCを持ってくる。それからクラウド上のファイルを開く。
「どう?どれくらい前?」
「えっと・・・」
恵がプリントアウトしたシナリオを10ページ以上も遡っていく。
このシナリオは修正後の完成原稿で、そこに恵が手書きの赤文字で背景、表情差分、演出効果などを書き込んだものだ。これに従ってプログラムを入力している。
「よし。惚れ直させてやる」
「あの・・・」
倫也がプログラムを立ち上げ、スクリプトコードを入力していく、それも本気のタイピングでかなり早い。恵の指示書は明快で見やすい。タイピングする音がリズミカルで心地よかった。恵は手元と画面を交互にみて驚く。元々早いのは知っていたが、ここまで画面にコードが書き込まれていくのを見ていると、何か映画のワンシーンをみている気分になる。
・・・10分程度で入力作業が追いついた。
「とりあえず、恵の指示書通りに入力しただけから、あとでチェックしてくれ」
「あの・・・倫也くん。これってわたしが3時間かけて入力したことを、10分で終わらせたってこと?」
「ああ。そうだけど?」
「・・・すごいね」
「どうだ」
「うん・・・」
正直すごいと思う。でも、ひどい劣等感ももってしまう。わたしの3時間はいったいなんだったのだ。
「だったら、わたしみたいな人いらないんじゃないの?」
「どうした?」
「だって、こんなに早いんじゃ・・・」
「うーん。前もいったような気がするけどさ・・・これって、恵の指示書の段階でほとんど完成しているんだよ。作曲家と演奏家の関係みたいなものだから」
「そうかもしれないけど」
「プログラムはさ、時間がかかろうが、かかるまいが、外注しようが、誰が入力しようが同じだろ?」
「うん」
「でも、恵の指示書は恵にしか書けない」
「うーん」
「クリエイターの仕事は前者であって、後者ではないよ。もちろん優秀なプログラマーはいるけどさ」
「それって、慰めているつもり?」
恵が倫也を見る。恵はちょっとむくれている。
「そういうつもりはなかったけど・・・あれ・・・惚れ直さない?」
「えっとね、惚れ直すも何も、別に倫也くんのことを惚れているわけではないし」
「・・・ふむ」
「それに、やっぱり壊れて作業が無駄になったのは事実なんじゃないかなぁ?」
「演奏だと思ったら?」
「演奏?」
「うん。誰もが最初から早く正確に入力できるわけじゃないだろ?恵は3時間スクリプトコードの入力の練習をした。だから次はもっと早くなる」
「なんかはぐらかされている気がするんだけどなぁ」
恵はため息をつく。
「で、倫也くん。ノートPCどうしよう?」
「買うしかないだろうなぁ・・・もう英梨々のところも旧型ないだろうし」
「そっか」
「恵、明日、一緒に買いに行く?」
「明日?」
「あれ、何か予定ある?」
「倫也くん・・・覚えてないの・・・?」
「えっ?」
明日の土曜日は恵がお泊りに来る日で、一回は拒否した『いちゃいちゃするに決まってるだろtake2』シナリオ作成予定だった。
「ねぇ、パソコン買いにいくとしたらどこに行くの?」
「そりゃあ、アキバでしょ?」
「ついでに、オタクショップとか見る?」
「アキバまで行って、オタクショップみないわけないでしょ!?」
「だよねぇ・・・・(いちゃいちゃは?)」
恵は体をもぞもぞと動かしている。
「えっ、恵は行きたくないの?」
「えっと・・・パソコンショップもオタクショップも別にどーでもいいというか・・・(大事なのは、いちゃいちゃするかしないかだよね?)」
「困ったなぁ・・・」
「何が困るの?(いちゃいちゃできないこと?)」
「恵用に使いやすいのを選びたいし、キーボードのいいものを使うとだいぶ違うしな」
「へぇー。ほんと、パソコンには詳しいよね。(いちゃいちゃを忘れるぐらい大事なんだね)」
「あれ、なんかまた怒ってる?」
恵の目からハイライトが消えて、黒い瞳で倫也を見つめている。
「鈍感というか、いい加減というか、口からでまかせというか、人の心がわかってないというか・・・」
「あれ、恵。それってもしかして明日予定のシナリオプロットのこと言ってる?」
「・・・」
恵が下を向いて顔が真っ赤になる。コクリと頷く。いちゃいちゃしたいなんて言えない。
「それなら、アキバにいってもいかなくても変わらないぞ?」
「えっと、なんで?」
「導入が変わるだけで、家でいちゃいちゃする物語だからなっ!」
「だよねー・・・・」
恵があきれた顔をしたつもりで、すげぇニヤニヤしている。
(了)