今日という日を英梨々が楽しく過ごしてくれたなら
それだけでいいのに。
明日からはまた普通の恵の物語に戻りますのでご心配なく。
その日はとても暖かくて過ごしやすかった。桜はすっかり散って、新緑が芽吹き始めている。
外で遊ぶ時間になると、め組のみんなは急いで外履きに履き替えて、外へと駆けていった。人気の場所はジャングルジム。続いて砂場、滑り台。行儀のいい子は辛抱強くブランコが空くのを待って並ぶ。
倫也は喧噪をさけて、ゆっくりと玄関に向かってから外履きに履き替えた。なんならこのまま部屋で絵本を読んでいたいぐらいだった。外では水色のスモックを着た子が走り回っている。ボールで遊ぶ子、フラフープをしている子、いろんな子がいる。
倫也は1人で園庭の隅っこに行って、植栽の脇に座って地面を見ている。最近のお気に入りは蟻を見ることだ。大きな巣があって忙しそうに蟻が出入りしている。1cmはあろうかと思うほどの大きな蟻で、倫也でも簡単に捕まえることができたし、足の関節や触覚の細部を詳しく観察することができる。その間、蟻はじたばたと無駄な抵抗をしている。地面に戻すと蟻は巣の中に戻っていった。
「うわっ、地味!」
倫也の隣に女の子がしゃがんだ。金色の髪を両耳の上で結っている。陽光に輝くとキラキラと光る。目が大きく可愛くて、笑うと八重歯が見える。この子は背中に羽を隠しているんじゃないかと倫也は思っている。天使みたいな子だ。父母の間でも有名で、もちろん園児の中でも特に人気が高い。
「ほっとけ」
「そういう根暗だから、モテないのよ。孤独死確定ね」
「蟻を見ているだけでそこまで決めつけないでくれる!?」
もう少し幼稚園児らしい会話をして欲しい・・・
【TAKE2】
「ともくん。なに見てんのー?」
「ありんこ」
「・・・それ楽しいの?」
「別に楽しくないけど」
「じゃあ、なんで見てるのー?」
「こうして隅っこにいるとさ、エリちゃんが話かけてきてくれるから」
「ぽっ」
天性のスケコマシだったか。もう少し真面目にやって。
【TAKE3】
「ともくーん。なんでみんなと遊ばないの?」
「だって、ボールはキャッチできないし、フラフープはすぐ落ちるし、鬼ごっこはずっと鬼だし」
「運動音痴っ!」
「ジャングルジムは上から蹴られるし、砂場の城はすぐに壊されるし、ブランコは割込みされるし」
「そして、いじめられっ子気質!」
「ほっとけ」
「おとなしくしているからいじめられるのよ。もっとちゃんと反抗しないと」
「・・・けんかなんて子供がすることだろ」
「幼稚園児のどこが子供じゃないのか議論の余地があるのかしら」
その時、いじめっ子の男の子が倫也と英梨々を発見する。体格もでかく、意地も悪い。英梨々を好きだが相手にしてもらえない。だいたい英梨々は倫也といつもいる。
「がいじん、がいじーん」
いじめっ子が英梨々を囃し立てる。いつものことだ。
「ほっとこ」
「おまえ、人気あるな」
「変なのにからまれるのは美少女主人公の宿命なのよ」
「だから、自分で言うなよ・・・」
いじめっ子は無視されて腹立たしい。近寄って、英梨々のスモックを後ろから引っ張った。
英梨々が尻もちをつく。
「やーい。金髪。ガイジーン。キモッ」
「そ?」
英梨々は立ち上がってその子を睨みつける。いじめっ子がたじろいで走り去っていく。
「・・・勝っちゃだめだろ?」
「ともくんが勝ってくれるのかしら?」
「無茶言わないでくれる!?」
「・・・ださっ」
「ここは先生に走ってチクりに行くのが幼稚園児のあるべき姿だと思うんだ」
「さっきから、どこに、ともくんの魅力があるのかわからないわね」
「子供にはオレの魅力がわからないのさ・・・」
「た・・・たーいむ!」
幼稚園児の英梨々がちょっと咳をはらう。
「んんっ。あの、倫也?もう少し普通に園児ができないのかしら?」
「突然、こんなイベントぶちこまれてもなぁ・・・」
「あっそ・・・いいわよ・・・もう」
「まぁ、待て。この詩羽台本通りにするんだ」
「・・・わかった」
【TAKE4】
英梨々が尻もちをついて、涙ぐんでいる。
いじめっ子はやばいと思って走って逃げていった。
「大丈夫?エリちゃん」
倫也が心配そうに声をかける。英梨々は静かにうなずくが目は涙であふれそうだ。
「ねぇともくん。あたしの髪って変?キモいの?」
「そんなことないと思うけど。俺はエリちゃんの髪は太陽みたいでキレイで好きだよ」
「・・・ともくん」
英梨々が立ち上がって、スモックに着いた砂を払う。
倫也も背中をトントンと叩いて払ってあげている。
「背中にも砂がついたかしら?」
「ううん」
「どうしたの?」
「羽根。ついてないかなって」
「羽根?」
「うん。天使の羽根」
「なによ?」
「エリちゃんはさ。髪の毛が金色だし、可愛いし、ママがよく天使みたいって言ってるからさ。確認しただけ」
「ふーん・・・でも、天使って頭に輪っかがあるでしょ」
「あるよ?」
英梨々が頭の上を確認する。もぞもぞと頭の上を触ったり、空間を確認している。
「時々、輪っかみたいに髪が光ってるよ?」
「そうなの?」
自分ではわからないが、金色の髪は光の加減によっては白く光って見える。それは天使の輪と呼ばれている。
「エリちゃん、ブランコ乗ろう?」
「うん!」
2人でブランコに並ぶ。1人で並ぶのは嫌だけど2人で並んでいる分には楽しく待てる。
倫也は隣にいる英梨々を見る。ご機嫌でニコニコと笑っていた。陽だまりのようなほっとする香りがする。
倫也はブランコだけは得意だった。立こぎができる。まだまだ立こぎができない子の方が多い。
英梨々と一緒に近所の公園で遊んでいるから覚えることができたのだ。
倫也と英梨々はたくさんの時間を過ごし、思い出を作った。
・・・でも、いつしか忘れ去られて、時々、夢の中で浮かび上がっては消えていく。
※※※
天井。
倫也は夢から醒めた。懐かしい香りがする。陽だまりの中で無邪気に遊んでいた頃を思い出す。
「なんだ・・・この夢」
妙にリアルだった。鼻をくすぐるような甘い香りは現実のような気さえする。
・・・いや、現実だ。
倫也は耳を澄ませる。寝息がする。右に顔を傾けると隣に英梨々が寝ていた。
カーテンの隙間から漏れる街灯の光で、英梨々の髪だけがチラチラと少し輝いている。ブランケットからは華奢な英梨々の細い腕がでていて、肩には衣類がなく、ブラ紐だけがみえる。
英梨々は目を閉じている。まつ毛が長い。寝息はすーすーと静かだった。
倫也にはこれが狸寝入りだとわかる。こんな御淑やかな眠り方を英梨々はしない。だいたい寝相からして悪い。
「って、英梨々!さりげなく枕をとるなよ!」
英梨々が目をうっすらと開ける。目つきの悪い猫みたいになっている。
「はぁ?あんた最初につっこむところがそこなの?」
「どこからつっこめばいいかわかんねぇよ!」
「これだから童貞は・・・」
「童貞関係ないよねぇ!?」
「どこにつっこんでいいかわからないなんて・・・」
びちーん!
倫也が思いっきりデコピンを決めた。
英梨々が両手でおでこを抑えて涙目で痛がっている。
「あんた!ちょっとは加減しなさいよ」
「お前・・・元気だなぁ・・・今、何時だよ?」
「えっと・・・」
枕元に置いておいたスマホで英梨々が確認する。
「深夜1時を少し過ぎたくらいね・・・」
「寝ろ」
「でも、このぐらいの時間が、一番頭が回転する頃でしょ?」
「だよな」
思わず同意してしまう。最近は恵の影響あり早寝早起きを意識しているとはいえ、深夜1時とか序の口だった。
「でも、起きないからな」
「・・・そうね・・・お・や・す・み♪」
「あのな・・・英梨々」
「何よ?」
「可愛く言ってもダメだからな、枕は返せよな」
「ケチくさい男よね」
英梨々が頭を上げて、枕を引き抜くと倫也へ渡した。
倫也は枕を整えて、頭を置いた。
英梨々が倫也の右手を持って引き寄せると、強引に頭を乗せて腕枕にする。
「おい・・・」
「仕方ないでしょ?あたし、枕変わると眠れないのよ」
「いつから、俺の腕はお前の枕になってた!?」
英梨々は意地悪な笑みを浮かべて「おやすみ」と言った。
2人は目を閉じる。そして眠ったことにした。
※※※
8月12 木曜日 夏休み22目。
朝8時を回った頃に英梨々は目が覚めた。寝ている倫也の横のカーテンを開けると、外はとても晴れて良い天気だった。
英梨々がベッドから降りる。
白い下着姿のまま昨晩は眠った。
ずいぶんと子供っぽいことをしていると自分でも思う。こんなことで恵に対抗してもしょうがないのに。
そもそも倫也は鉄壁でこんなことでは落ちない。
これで落ちるような主人公なら美智留がまっさきに落としている。倫理君と命名されるだけのことはある。
もちろん英梨々も期待していなかった。
万が一でも襲われたなら・・・ひっぱたくか、冗談にして止める。それでもダメなら泣くまでだ。
別に倫也に抱かれることはいいが(むしろ望むところだが)、シチュエーションにはこだわりたいと思っている。
というか、恵との全面戦争を思うと気後れしてしまう。
昨日着てきたクリーム色のワンピースを頭からかぶり背中のファスナーを留める。ジャージでは流石に暑い。
それから洗面所で身支度を整えて、倫也に贈ってもらったネイビーブルーのリボンでツインテールを作った。
ストレートでもいいが、ここはこだわりたかった。
鏡の前で左右に体をひねって確認する。大丈夫、今日も自分は可愛いと言い聞かせる。自信が大事だ。
キッチンにいって冷蔵庫を開ける。レタスとプチトマトを取り出す。それからパンをトースターで焼く。レタスは2枚むいて水で洗い、適当な大きさにちぎって皿に盛る。プチトマトを置いて完成だ。包丁は使いたくない。イラスト職人が指の怪我をするわけにはいかないからだ。
トースターを止めて、倫也を起こしに2階へと上がっていく。
幼馴染ヒロインが主人公君を朝起こしに行く。このイベントの切実さが英梨々にはある。
「倫也!起きなさいよ!」
「・・・おおぅ・・・何時だ?」
「8時を過ぎた頃ね」
「早いな」
「忙しいのよ。朝食作ったから食べなさいよ」
「朝からカップ麺・・・?」
「・・・ちゃんと作ったわよ」
「誰が?」
「あたしが」
「・・・あれ、まだ夢みている?」
「いい加減にしないと怒るわよ?」
英梨々が倫也の枕を引き抜いて、足元に放り投げる。それから下へと降りていった。
倫也も寝ぼけながらも起きる。
※※※
テーブルに座って、2人がパンをかじっている。
「なぁ・・・英梨々」
「何よ?」
「4000文字超えてる・・・」
「まだ、始まったばかりじゃないの?」
ノルマは3000文字。なのにまだ物語がはじまっていない。
「今日の予定は?」
「サマフェスに出す原稿の仕上げね」
「ちょっと待て、お前マルズで仕事しているんだろ?」
「そうよ」
「なんでサマフェス申し込んでいるんだよ?」
「だって、会場を抑えているのは親だから。親の趣味まで干渉できないでしょ?」
「・・・いやいや、新作出せないでしょ?」
「色塗りした過去作をコツコツ作っていたのよ。あとはページ数少ないけど、一応新作も出すわよ?下書きも終わっているし」
「期限は?」
「今日の夜ね」
「・・・そっか。一日あれば間に合う・・・のか?」
「間に合うかどうかは関係ないわよ?間に合わせるのがクリエイターの仕事だから」
「・・・そうだな」
「それとね」
「他にもあるのかよ!」
倫也が寝ぼけながらも何も味のついていない食パンを黙々と口にいれて、アイスコーヒーで流し込む。出されたものは文句を言わずに食べる。これは円満の鉄則である。
「フィールズの神官キャラなのだけど、いまいちパッとしないのよね」
「ほう?」
「ほら、神官キャラって青系の服、十字、銀装飾みたいなお決まりがあるでしょ?」
「そうだな」
「だから、似たような雰囲気になってしまって・・・」
「ほう・・・」
「それも紅坂朱音に提出しないといけないのよ」
「イラスト一枚?」
「そうね。でも完成しなくてもいいのよ。だいたい色塗りが終わっていれば」
「ほう・・・期限は?」
「今日の夜ね」
「間に合(ry)」
「間に合うかどう(ry)」
英梨々がプチトマトをつまんで口に放り込んでいる。レタスも手でつかんで食べている。おまえはインド人か?なぜフォークを出さない。
倫也もフォークがでていないので手をつかって食べる。
「そういうわけだから、よろしく」
「・・・おう」
倫也も英梨々も野菜とパンを口に押し込んでコーヒーで流し込む。
英梨々は2階へと先に上がっていく。
倫也は2枚の皿をさっと洗い、グラスにもう一度コーヒーをいれ、今度はミルクと砂糖も加えてからかき混ぜて、2階へと持っていく。
英梨々は倫也のデスクに原稿を広げ、すでに描き始めている。
テーブル上にはペン入れの終わった原稿と、ラバーマットの上にカッターとトーンが複数枚置いてある。
指示通りにトーンを貼るのが倫也の役割だ。
原稿はエロ同人誌だけあって、女と男の裸があるが、トーンの指示に従って間違えないように貼ることだけに集中していると絵の内容は気にならなくなる。
その辺の集中力は倫也もさすがに持っている。すぐにエロ絵に慣れてしまう。そんなもんだ。
「午前中に終わるかしらね」
「無理だろ・・・」
「急ぎましょ」
英梨々はデスクに置いてくれたカフェオレを眺める。ちまちまとは飲まない。飲むときは一気に飲む。そうしないとこぼす事故にあいやすくなる。あと氷は入っていない。氷をいれると結露して水が下に溜まる。油断していると原稿が汚れる。
下書きの終わった原稿のペン入れには頭をあまり使わない。良い線を拾って、強弱をつけるのはセンスと経験が大事だ。ストーリーや構図さえ終われば、職人技が大事な分野になる。
一度、集中するとだいたい一時間ぐらい経過している。
そして、一度イスから立ち上がって背伸びをする。
倫也を見ると、黙々と作業をしている。こちらに気が付かない。何か話かけようと思ったが再びイスに座って原稿と向かい合う。
また作業を進める。
倫也が一段落する。立ち上がって軽く体操をする。けっこう体が固まる。
カフェオレを流し込んでから英梨々を見ると、黙々と原稿にペンを入れている。すごい集中力と速さで鬼気迫るものがある。何が英梨々をここまでのクリエイターにしたのか。グラスが空になっているので、そっと横から手を出して回収する。
「悪いわね」
「麦茶?コーラ?」
「麦茶」
「OK」
倫也がキッチンでグラスを軽くすすいでから、冷蔵庫の麦茶をいれる。トイレをすましてから部屋へと戻る。原稿枚数も少ないし順調に終わりそうだ。
※※※
英梨々はペン入れが終わったので、カッターをもう一本出してトーン貼りを始める。
午後2時過ぎ、原稿が仕上がった。英梨々が確認してから茶封筒に入れた。
倫也が後ろに倒れ込んで燃え尽きている。英梨々は少し笑っている。
「ご飯、おごってあげてもいいわよ?」
「何時?」
「2時過ぎ」
「うわぁ・・・時間が経つのが早いなぁ・・・」
「で、いくのかしら?」
「そうだな」
倫也が立ちあがってデスクから財布を取り出した。
「おごるわよ」
「たのむ」
2人で家を出る。外は快晴で暑い。びっくりするほど蝉が鳴いている。
「こんなに、どこにいるのかしらね。蝉」
「さぁ・・・」
倫也は日光の明るさに溶けてしまいそうだった。暑すぎて遠くの景色が揺らめいている。
「とりあえず、あたしの家へ原稿を届けて来るわ」
「あいよ」
「暑すぎて、手をつなぐ気にもなれないわね」
「そうだな・・・」
2人とも歩きなれた道だが、2人で歩くようになったのは去年サークルを立ち上げてからだ。ぎこちない時間が過ぎ、今では普通に並んで歩くことができるようになった。
当たり前の事が英梨々には嬉しい。
英梨々の家に着く。立派な門があり、玄関も広い。家というよりは屋敷だ。
「すぐ戻ってくるから待っててくれる?それとも家でお茶でも飲むかしら?」
「待ってる」
「そう」
英梨々が靴を脱ぎ棄てて、走っていく。原稿さえ預ければあとは販売まで親がやる。英梨々の役割は終わった。
部屋へ戻って急いで着替える。黄色いシャツと黒いサロペットに取り換えた。これだといつもの自分のようになる。それから玄関へと急いで戻る。倫也が律儀に玄関に突っ立っていた。
「待たせたかしら」
「別に。相変わらず広い家だよな・・・」
「家は大きくなったり小さくなったりしないものでしょう?」
「そうだな」
「変なの」
英梨々がミュールを履いた。
玄関を開けと外はむあっとした空気で暑い。ちょっとげんなりするような温度だった。
「こう暑いと・・・プールにでも行きたくなるわね」
チラッと倫也を見る。
「俺、泳げない」
「あっそ。あまり関係ないんじゃないかしら?」
「何?もしかして、プールで水をかけあって、キャハハ、ウフフとかしたいわけ?」
英梨々が図星だったので顔を赤くする。
「べ・・・別にいいじゃない・・・」
「そこ、否定しないとツンじゃないな」
「・・・めんどいのよ・・・」
「いいけどな」
倫也も暑すぎてテンションがいまいちわからない。
「べ・・・別にあんたとしたいわけじゃないんだからねっ!」
「おっ?」
「さっ・・・タクシー拾いましょ」
「照れるなよ」
英梨々が顔を下に向けて耳を真っ赤にしている。相変わらずツンデレがあまり上手ではない。
英梨々が手を上げてタクシーを止める。行先に近くのファミレスを指定した。
※※※
ファミレス。午後3時近くになり、店内は空いている。
「で。これなんだけど」
英梨々がイラストを見せる。オーソドックスな神官のイラストだ。
「いいじゃん!」
「でも、なんていうか特徴がないでしょ?」
「・・・うーん。そうだな」
金髪の女の神官。青い服に白い十字。銀の装備。確かにステレオタイプだ。盾の装飾などは凝っているが。
倫也が何枚かのイラストに目を通す。表情の替えたものや、髪型の違うものもある。どれもラフ画で描かれている。
「けど、やっぱり情報が漠然としすぎていてわかんねーな。こういうのって設定があってイメージイラストができるんだろ?」
「もちろんそうなのだけど、イラストができて設定が変わることもあるのよね」
「・・・朱音さんらしいな。とはいえ、ある程度の共通認識や役割がないとな」
英梨々がバックをごそごそして、設定資料集を渡す。表紙には『極秘資料、流出は死刑』と書かれている。
「これね。霞ヶ丘詩羽が書いた設定と簡易エピソード」
「おおぅ・・・ダメだろ、見ちゃ」
「見ないでどうやってアドバイスするのよ?」
「だって、死刑って書いてあるでしょ!?」
「最悪の場合は詩羽が全部作り直せばいいじゃない」
「あのなぁ・・・」
英梨々はおかしそうに笑っている。
「大丈夫よそれくらい。読みなさいよ」
「・・・ゴクリ」
倫也が迷ったがシナリオに目を通し始める。最初のページを読んでしまえば、もう止めることはできなかった。
オーダーしていた冷やし中華が提供されても、黙々と読んでいる。英梨々はパスタのアラビアータをフォークでくるくると巻いている。
「あんた、ほんと、そういうの好きよね」
「だって、あのフィールズだよ!?」
「そうね・・・」
それだけの理由じゃない。ゲームが好き、詩羽のシナリオが好き、創作が好き・・・。目を輝かせている。真剣で全身から熱中していることが伝わる。倫也がもっとも魅力的にみえる時だと思う。英梨々はそんな倫也の事が好きで、どうにも気持ちがコントロールできない。この魅力に気が付いた人が他にもいて、恵は見事に倫也の隣に収まっている。
いや、英梨々にだってチャンスはあった。その機会を逃したのは自分か。
「麺。伸びるわよ」
「あっ、うん」
倫也が気のない返事をする。それから割りばしを割って、冷やし中華をぐるぐるとかき混ぜて口へと淹れていく。とても味わっているとは思えない。
「タレ、かけてないわね」
「あぁ」
気のない返事をする。シナリオを読むことに集中しているから、倫也はあまり英梨々の話を聞いていない。味がしなくてもかまわないようだ。
「味わってもたいしておいしくもないのよね」
ゆっくり過ごせるからファミレスを選んだだけで料理に期待なんかしていない。
英梨々は席を立って、フリードリンクを入れに行く。ついでに倫也のコーラにもメロンソーダを足しておいた。何をいれても似たようなもんだ。
「ふむ」
「どう?」
「ふぉりあふぇず・・・」
「いや、食べるかしゃべるかどっちかにしなさいよ」
「ゴクン・・・とりあえず、わかった」
「何が?」
「このキャラが死んじゃうってことが・・・って、ネタバレひどいよ!?俺だって楽しみにしているユーザーの1人なんだからねっ!」
「ふぉんなふぉとあたふぃに」
「お前も、食べてからしゃべれ」
「そんなことあたしに関係ないもの」
「なんと!?」
倫也が半分ほど冷やし中華を食べて、妙に不味いと思ったらタレをかけていなかったことに気が付いた。
「英梨々・・・タレかけてなかったことぐらい教えてくれよ」
「教えたわよ?」
「あ・・・そう・・・ごめん」
「で、どうかしら?」
「そうだな・・・」
その後に倫也が意見を言う。あざやタトゥーや紋章をいれて設定の一部を回収する。立ち絵のポーズについても検討する。また装飾品の統一性や年代も考証する。
英梨々は倫也の話を頷いてきく。すぐにスケッチにラフ画を起こしたり、設定をメモで補足したりした。
時間がどんどん過ぎていく。
「つまるところ、英梨々の最初の絵は何もかも綺麗すぎたんだな」
「なるほどね」
「だからさ、装備品の一部を古い錆びた表現にして・・・引き継がれたことを暗示させたらどうだろう?」
「そうね」
「英梨々の絵がこんどはシナリオにフィードバックされるんだろ?だったら、もっと自由でいいわけだし・・・」
英梨々は倫也の意見にうなずきながら、倫也を見惚れてしまう。身振り手振りで熱弁する倫也が目の前にいる。
去年は一緒にゲームを作った。今はもっとすごいところで仕事をしている。
投げ出したり逃げ出したりしたくなる時もある。
紅坂朱音は妥協をしない。
英梨々をかろうじて支えているのはプライドと、倫也の期待に応えたいという気持ちだけだ。
※※※
2人は倫也の部屋に戻ってきている。夜の10時を過ぎたところで、イラストができあがった。
「できたぁー!」
「おめでと」
倫也が立ち上がって英梨々のイラストを見る。見事な出来栄えで興味をそそられる。絵がかっこいいし美しい。よくよく見ると不思議に思うところもあり、イラストの中に物語がある。
「倫也、ルーターどこ?」
「ルーター?」
倫也がルーターの位置を示す。
英梨々がイラストをスキャナーして、ノートPCで軽く修正する。原稿は原稿で送るのでそこまで精密には修正しない。
それを添付して送信する。
そして、立ちあがってルーターのアダプタを抜いた。
それから自分のスマホの電源も落とす。
「倫也、スマホ貸して」
「ん?」
倫也がスマホを渡すと、英梨々が電源を切った。
「何してんの?」
「紅坂朱音は送信するとすぐに返信がくるのよ。一度でたら論争になって、こっちにやってくるわよ?こうやって居場所不明でとりあえず時間を空けるのがいいのよ」
「はははっ。でも、俺のスマホは関係ないよね?」
「勘も超一流なのよ。今頃、舌打ちしているんじゃないかしら?」
そのとおりで、朱音は舌打ちをしている。英梨々が捕まらない。しょうがないので詩羽を捕まえて、添付ファイルを転送し、議論する。
「さてっと・・・ちょっとシャワー浴びてくるけど、着替え借りられるかしら?」
「となりの部屋の箪笥に美智留の着替えがはいっているから適当にどうぞ」
「そう」
英梨々が部屋からでていって、すぐに戻ってきた。
「そうだそうだ。これもみていていいわよ」
英梨々がまた設定資料を倫也に渡した。もちろん極秘資料となっている。
それから、隣の部屋で着替えを選び、シャワーへと向かった。
リボンを外して頭をふると、髪がばさぁーと広がり、照明の光でもキラキラ瞬いていた。
シャツとサロペットを脱いで洗濯機に放り込む。
後ろのホックを外し、右手からブラを脱いでいく。下着は膝まで下ろしてから、足で脱いで、つま先でつまんで拾い上げる。ちょっと下品。
英梨々の胸は迫力に・・・
ここでNG
※※※
倫也は資料を前に悩んでいる。見たい気持ちと見てはいけないという理性がせめぎ合っている。さっきの話は英梨々の頼みもあったのでついつい見てしまったが・・・
「相変わらず優柔不断ね」
英梨々がバスタオルで頭を拭きながら部屋へ入ってきた。
「仕方ないでしょ・・・って、英梨々!」
「何よ?」
「その服・・・!!」
「ん?変かしら?」
・・・英梨々がまだ恵の着ていないピンクのネグリジェを着ている。これはパット付きのものでノーブラに対応している。
「・・・いや、とても似合ってるよ・・・けどな」
「何かしら?奥歯につまったような言い方して」
「なんで、それなんだ?」
「えっ?だって、下着も洗っちゃったし・・・これパット付きだからちょうどいいなぁと思って」
「下は!?」
「はいてないわよ?見る?」
「ぐはっ!」
倫也が倒れ込む。
「大げさねぇ・・・覗き込まない限りみえないじゃない」
「そういう問題じゃないだろ・・・」
「シャワー浴びてきたら?」
「そうする」
倫也がげんなりして部屋からでていく。恵の新品を着るとは思わなかった。伏線のつもりはなかった・・・ちと困る。どうしたものか。
英梨々は舌を軽く出して、べぇーをする。
このフェミニンなネグリジェが美智留の趣味でないことぐらいすぐわかる。
箪笥の使い方からして違うので、恵のものだとわかった。
おまけに匂いを嗅いだら新品なのもほぼ間違いないだろう。こんなものを彼氏でもない人の家に置いておく方が悪い。
というか、サークルの共同備品になるのだろうか?それとも恵の自腹かな。ああ、サークルメンバーじゃないから共同備品でも使っていい理由にはならないか・・・
・・・とはいえ、ノーパンはやりすぎだろうか。
替えの下着もないし、どうしたらいいのかよくわからない。
洗濯機を回しているので、外に乾せば明日には乾くだろう。
英梨々は下に降りて洗面所のドライヤーで髪を乾かす。音がしているので流石に倫也はバスルームからでてこない。ニアミスイベントまではおこせないようだ。
キッチンに行きグラスで水を飲み、それから麦茶をいれて上へ戻った。
持ってきた鞄からゲームソフトを出す。これで残りの時間を過ごす。
やっと自分のためだけの時間を過ごすことができる。
倫也の部屋で倫也とゲームをして過ごす。これ以上の至福の時間を英梨々は知らない。
※※※
倫也がタオルに頭をのせて戻ってくる。手には麦茶の入ったグラスをもっている。あくびをひとつする。
「あら、もう眠たいのかしら?」
「今日はいろいろあったから」
「あと、1ついいかしら?」
「まだ仕事あるの!?」
「違うわよ。これなんだけど」
英梨々がゲームを渡す。
「これ、リトラブの・・・海外版か?」
倫也がパッケージの裏を見る。スペイン語?
「スペイン語なんだけど、声優がちゃんとついているらしいのよね」
「へぇー」
「やっていいかしら?」
「動くの?」
「え?」
「同じ機種でも、日本と海外で仕様違うぞ?」
「そうなの?」
英梨々が倫也のゲーム機をひっぱりだして電源をいれる。ゲームソフトを入れて起動させるが、確かに読みとってくれなかった。
「・・・これは、ショック」
英梨々が涙ぐんでいる。画竜点睛を欠く。
「これがやりたかったの?」
「そうよ・・・やっと時間が少しできたのに」
「うーん」
倫也がノートPCを開く。
「エミュレーター使うか」
「えみゅれーたー?」
「わかりやすく言うと、ノートPCの中にその機種の性能を取り込んで、そのソフトを遊べるようにするアプリだな」
「へぇ・・・違法?」
「エミュレーター自体は、違法性はなかったような・・・ソフトDLすると違法だろうけど」
「ふーん」
倫也が海外のエミュレーターを探す。
しばらくして、見つけてからインストールする。
だからといって起動するかどうかは別問題。
「どうだ」
「読み込む?」
リトラブの画面が表示された。
「成功かしら?」
「よし。ならキーボード設定で動かせるかな。アクションは辛いけど」
「あたしは・・・みているだけでいいかしら?」
「オート再生あるし、大丈夫だろ。選択肢だけ選べば」
「うん」
ノートPCなので音質が悪いが、もう贅沢は言えない。
「おい・・・これ文字も全部スペイン語じゃねーか」
「大丈夫よ それ上を選択して」
「おう」
英梨々は選択肢も内容も覚えていたので問題がない。だいたいそうでなければスペイン語版なんて買わない。
「セルビスルートならわかるから大丈夫よ」
話を進めていく。
「なぁ英梨々・・・これ、同人?」
「・・・たぶん。そうよね」
吹替え声優が下手くそなのがスペイン語なのにわかる。
「うわぁ・・・迷うなぁ・・・」
「どうした?」
「セルビスの声・・・スペイン語だったらかっこいいと思ったのだけど」
「イメージ崩れそうだな」
「どうしよ・・・」
「でも、やめるわけにもいかないだろ・・・」
「そうね」
2人はオート再生で話を聞いている。倫也はあらすじをなんとなく覚えているが、セリフまでは覚えていない。英梨々も思った以上に忘れていた。さすがに文字もスペイン語なので、今がどの辺なのか背景と立ち絵だけではわかりにくい。
「次、セルビスでてくるわよ・・・」
「ほう」
「・・・」
「おっ?」
「いい感じね?意外とイケボじゃない」
「これ、セルビスファンが作ってるんじゃないの?」
「そうなのよ。エキサイト翻訳なんで怪しいけれど・・・たぶんそう。セルビスのファンサイト経由だから」
「コアだなぁ・・・」
「ふふっ、映画みたいでいいじゃない?」
「俺はぜんぜんわからん」
英梨々が嬉しそうに笑っている。倫也が右側にいる英梨々の方を見た。ネグリジェと胸の隙間がひどく開いていて・・・
倫也の目線だと見えてしまった。
英梨々の・・・胸がはっきりと。遠慮がちな胸のふくらみとその先にある小さなものを・・・
倫也は顔が真っ赤になる。とりあえず立ち上がって部屋の電気を消した。
「あら、どうしたの?」
「この方がいいだろ?」
「そうね」
2人はベッドを背に並んで座っている。倫也が英梨々の左側。
英梨々は倫也に寄りかかった。とてもいい感じだと我ながら思う。セルビスの声もすごくいい。イメージ通りで少しおかしいぐらいだ。
「それ、真ん中の選択肢選んで」
「うん」
「しばらく、自動再生ね」
倫也がキーボードから手を離す。どうやら英梨々の覚えているセルビスルートに進む手順は正しいらしい。どんだけやったんだか。
目線を英梨々に落とす。今度は部屋が暗いので・・・見えるわ。ダメだ。どうしよ。
都会の夜はそんなに暗くならない。
「何?」
英梨々が倫也の様子に気が付く。PC画面の明かりに照らされて倫也の顔が赤いのがわかる。
「なんでもねぇーよ・・・」
指摘はできない。これは知らないふりで乗り切るしかない。
「そう?」
英梨々も気が付かない。気が付いていたら流石に慌てるだろう。
黙々とゲームを進める。倫也はいっそ寝てしまいたかったが、隣の英梨々が気になって眠ることができない。
妙に興奮している自分がいる。
そういえば、ノーパンとかいっていたな。誘っている?
・・・あれ、英梨々が誘っているのか!?
※※※
2時間が経過している。時刻は0時を回った。セルビスルートは最終章へ突入しているから、あと20分ぐらいで終わるはずだ。
肩にもたれかかっている英梨々の頭の重さを感じている。できるだけみないようにしていたが、ついついチラ見したい誘惑にかられる。美しい小さな膨らみに形の良いものが乗っているのだから、どうしようもない。
ペチャパイにこんな悩殺シチュエーションがあっただなんて・・・
「すー、すー、すー」
「ん?」
英梨々が眠っていた。
倫也が思わず笑ってしまった。
これだけわけのわからないものを見ていたら、そりゃあ眠ってしまうだろう。自分だって、隣の英梨々の胸のことがなければ眠ったに違いない。
とはいえ、倫也は動かずにじっとしている。
これが英梨々のやりたかったことなのだから、それを叶えるのが主人公の責務である。
セルビスが最後の告白になる。大事なシーンだ。
これでキスシーンの1枚絵がでたら、ちょっと会話があって、エンドロールになる。
倫也は英梨々を起こそうかどうか迷った。それから考えてわかった。この寝息は・・・
「狸寝入りか!?」
「しぃー」
英梨々が目をつぶったまま口元に指を立てて、倫也に静かにするようにうながした。
セルビスの愛の告白が続いてく。意味はわからなくても、それが情熱的であることが伝わる。声優も迫真の演技だ。
そして、セルビスのセリフに合わせて、英梨々がうなずいている。そして最後に
「Te amo con toda mi alma」
と、同時に言った。
「ん?」
「これ、日本語版もこの部分だけスペイン語だったのよ」
「へぇ・・・」
「意味は?」
「なんだっけ・・・」
「そこは曖昧なのかよ」
「えっと、『魂すべてで君を愛している』みたいな?」
「ほう・・・」
エンドロールが流れている。
英梨々はうっとりとしていた。こんな風に倫也と過ごしたいと思っていた。
・・・この話は、『負け犬』シリーズのボツの一つだ。
自分が主役の物語でも恵に譲ってしまった。それはそれでいい。
でも・・・想いは募っていく。降りやまない雪のようにしんしんとただ積もっていく。
そこまでは考えなかった。
※※※
「ともやぁ・・・」
甘えた声で言う。
「どうした?終わったぞ」
倫也がエミュレーターを切り、ノートPCをシャットダウンして閉じた。
「最後にひとつだけいい?」
「ついでだから、言ってみろよ」
「目を瞑って欲しいのだけど・・・」
「・・・」
倫也がうなずく。
英梨々の大きな瞳はサファイヤのように蒼いのがわかる。
外からの光だけなのに英梨々の髪も瞳も輝く。
もともと美少女だが、華奢なせいか儚くて幻想的ですらある。
倫也は目を瞑った。
「Te amo con toda mi alma・・・!」
英梨々が呟いて、倫也の唇に自分の唇を押し当てた。
英梨々はここまでするつもりはなかった。もっと明るく終わるはずだった。
この物語が恵のためのもので、いつも明るい話を作ろうとしていることを知っている。
自分はサブヒロインで・・・脇役で・・・ちょっと悪戯をするだけの予定だった。
今日1日・・・倫也に恵と連絡を取らせない。
それだけだ。恵をやきもきさせれば目的達成。
こんなことをするつもりなんてなかった。
英梨々はその柔らかい唇を倫也から離した。
「ごめん・・・倫也」
「英梨々っ!」
「ごめん・・・ごめんなさい・・・だってだって・・・」
英梨々が泣き出した。体がわなわなと震えている。
大粒の涙が次か次へとぼろぼろとこぼれて、真新しいピンクのネグリジェに落ちていく。
倫也はそんな英梨々をそっと抱き寄せ、背中をとんとんと優しく叩く。
「ごめん・・・倫也」
「無理させてごめんな」
「ううん・・・無理なんかじゃない。あたしはしたいことを・・・しただけ」
詩羽には警告を受けていた。もうサブヒロインはできないと。
倫也が英梨々の背中を優しく何度もさすって落ち着かせるようとする。
「優しい英梨々が好きだよ」
「・・・うん」
泣いている君になんて声をかければいいんだろう?
倫也は考える。言葉がうまく浮かばない。
「お前はさ・・・きっとどこかに・・・羽根を忘れてきたんだな」
英梨々は小さく震えたまま、倫也の胸の中でずっと泣いていた。
笑顔で終わる予定だったのに。
(了)