8月13日 金曜日 夏休み23日目。
今日は曇り空で夕方から少し雨が降る予報だった。
倫也と恵は約束通り、浴衣を買いに行くために電車に乗っている。
恵は白いワンピースにピンクのサマーカーディガンを着て、メインヒロイン衣装を意識している。
倫也も一応サマージャケットを着て自分なりにおしゃれをしていた。
「なかったことにするから」
恵が抑揚のない澄んだ声でいった。
顔はフラットなままのいつもの恵だったが目にはハイライトがない。
怒っているというか感情が消えかかっている。
「・・・そうだな」
倫也うなずくしかない。流されたとはいえ、昨日はどっぷり英梨々ルートに浸かってしまった。
恵に一度たりとも連絡をせず、大事な約束の報連相を破っている。
今日の倫也はメールもLINEもすべて恵に黙殺された。
直接、家に謝罪にいくことになる。
「まるで、浮気した旦那が実家に帰った妻を迎えにいくような感じだね」
という、恵のより一層笑えないツッコミもあったが、めげずに試行錯誤をした。
花束を贈ったり、ケーキを買ってご機嫌をとったり、玄関前でひたすら土下座したりと、いろいろ試してみたが、恵は怒ることもせず、拗ねたり嫉妬したりもせず・・・
「英梨々ルート進めば?」
という、冷たいお言葉を口にしただけである。
何しろ恵は怒ると2カ月以上も怒る。
ほとぼりが冷めるまで待っていたら夏休みが終わってしまう。
押してダメなら引いてみろ。
そんな格言らしき無責任な言葉にしたがい、倫也は恵に対して、
「じゃあ、物語を『また』投げるの?」と、聞いた。
恵が少し戸惑う。
そんなこんながあり、上手くご機嫌を取ることはできなかったが、家から引っ張り出すことだけは成功し、冒頭の「なかったことにする」という恵の結論にいたる。
※※※
なかったことにする。というのは何も不問にするということではない。
恵が忘れてくれるわけでもない。文字通り物語をなかったものにする。
「やっぱり夢オチしかないかな?」
恵が上を見ながら言った。昨日の英梨々との物語はすべて倫也の夢。
「はははっ」
倫也が笑ってしまう。「何を笑ってるのかなぁ・・・」恵が倫也を睨む。
「だって恵・・・昨日の物語は・・・元々は夢オチだったんだよ」
「そうなの?」
「うん。ただそれは・・・けっこう本気で英梨々ルート用のものだったのと・・・英梨々がちょっと情緒不安定だったこともあって、ああなったんだ」
「情緒不安定?」
「ちょうど下書きのタイミングが『13万の靴を自慢して炎上』の時期だったから」
英梨々の中の人が炎上したらしい。
「・・・ああ。自業自得じゃないの・・・」
「だから、慰めないわけにはいかなかったんだよ・・・あんなに泣いてしまったし」
「なんか、公私混同な気がするんだけど(ウソ泣きじゃん)」
「多少なりとも現実の影響を受けながら作っているのがいいところだからさ」
「テイのいい言い訳だよね」
「・・・騙されてくれるとうれしいのだけど」
「それもずるい謝り方だなぁ・・・」
「なぁ・・・恵ぃ・・・」
「だったらさ、わたしはやけ酒でも飲んだら良かったかな?」
「・・・それ、なんどもボツになっているやつ」
恵が口元を抑えて少し笑った。目元が和らぎ、瞳にも輝きが戻る。
加藤恵の中の人は、日本酒が好きで有名なおっとりとした人だ。
この小説を読んでいる層で知らない人もいないだろうから、先に進める。
「じゃあ、しょうがないかな」
恵が隣に座っている倫也のほっぺたを強くつねった。
「痛いからっ!」
「つねってもらえるだけ、ありがたいと思ってよ」
「・・・それ以前も聞いた気がする・・・」
「もうボツ原稿も多いし、全部把握できなくなってきているよね」
「・・・そうだな」
とりあえず、恵の機嫌が直ってきたようだ。
「で、今日はどこまで買い物に行くの?」
「浅草~浅草橋あたりを見て回ろうと思うのだけど、なんか欲しい浴衣とかネットでみた?」
「えっと、新しいタイプよりも大正ロマンとかの古風なデザインがいいかなって思ったよ。色はグレーか紺」
「少し地味じゃない?」
「ほら、わたしキャラ死んでいるらしいし」
「・・・また、ずいぶんと古いことをひっぱってきたな」
「まぁ、華やかなイメージではないでしょ?」
「そう?白とピンクがイメージカラーかと思ったけど」
「それは・・・メインヒロインのイメージなんじゃないかな」
「うーん」
「見てみないとわからないけど」
恵がフラットな表情で倫也の顔を覗き込むように見つめる。
瞬きを二度する。それから何を言うでもなく正面を向いて、何もしゃべらず電車に揺られていた。
※※※
浅草の駅で降りた。
2人はそこから雷門へと歩いていく。振り返れば隅田川流れている。
「何もなかったことにできるわけがないんだよね」
「ん?」
「夢オチにしようが、倫也くんが英梨々といちゃいちゃ過ごしていようが、やっぱり同じことだと思う」
「・・・許せない?」
「許すとか許せないというのとはちょっと違うかな・・・」
空はどんよりと曇っている。今にも雨が降りそうだった。
「恵。何もかも理路整然と説明できるわけではないけれど・・・この物語全体にプロットがあるわけでないし、やっぱり俺らのイデアで模索しながら物語を紡いでいるわけで・・・」
「わたしが楽しくしようとしないと、また脱線しておかしな物語になってしまう?」
「・・・そうだな」
「だよね・・・少し川沿いを歩いていい?遊歩道になっているよね」
「うん。ただ・・・天気が」
「折り畳み傘・・・もってきているから平気だよ」
恵が向きをかえて歩き出す。隅田川沿いの遊歩道は花火大会の時には大変混む。前日の場所取りが禁止で警察が取り締まっている。
少し歩くだけで街から離れて人通りは少なくなってくる。
「この辺でいいかな」
「どうした?」
「叫びたいなっと思って」
「叫ぶの?」
「そう」
恵が川沿いの柵に両手をかけて、大きく息を吸い込んだ。
それから上を見た。空が落ちてきそうなぐらい雲が重たい。
「英梨々ルートなんてぇーーーーー!!いらなぁーーーーーい!!」
それから再度大きく息を吸い込む。
「とーもーやーくーんはーーーーー!!わたしのものだからあぁぁーーーー!!」
恵が柵から離れた。息をふぅーと吐く。少しすっきりした表情で生気が戻ってきている。
「キャラ、壊しすぎかな?」
「どうだろ・・・もう、なんていうか・・・お前らしいという気がする」
「まっ、こんなこと無駄なんだけどね」
倫也は肩をすくめる。それから恵の手を取って、優しく握った。
「行こう?雨が降りそう」
「・・・うん」
2人は手をつなぎながら商店街の方を向かう。
「英梨々ルートはさ・・・恵とつくるべき物語なんだろうけど・・・」
「うん」
「手法というか、手順が難しいな」
「うん」
「それにさ、この夏休みの物語にはやっぱり関係ないだろ?」
「・・・うん。そうだね」
恵が前を向きながら小さくうなずく。それから右手につながれている手を強く握った。
今は倫也が隣にいる。それでいい。未来の物語なんて関係ない。
※※※
以下、論調が関係者のようになっているがあまり気にしない。
浴衣もずいぶんとピンキリで、数千円のファストファッションのような安いペラペラのポリエステルから、綿でしっかりとした生地のものもある。
柄はプリントが主流だが、職人が一枚ずつ染色したものもある。
縫製も既製品では中国製のものが多いが、しっかりと身体を測ってから日本で縫製することもできる。
和装の店で、最初に浴衣の予算を5万程度告げると、けっこうしっかりと対応してくれる。
店の外に3点セットで1万以下の物を眺めていると、それなりの客としてみられてしまう。
(余談だが、こないだ390円で売っていた。牛丼より安い。まじコロナで倒産するのがわかる。)
むやみに褒めてくるような若い店員よりも、昔話をしながらいろいろと説明してくれるおばちゃんスタッフの方が信頼をおける。
倫也と恵は接客の気に入ったお店で、あれやこれやと試着をする。
試着をしてスマホで記念撮影をいろいろとさせてくれる店はそれだけでも価値がある。嫌がる店も多い。
倫也が最初に十分な予算を提示したことと、明日には着たいので既製品を買っていくことをスタッフに話したのでずいぶんと親切だった。
恵が予定どおり紺色の少し大人びた浴衣を選んだ。
白い花模様が入っていて落ち着いた雰囲気だ。たしかに大正ロマンを感じる。
次に帯を合わせていく。紺の生地には黄色が主流か。暗いものには明るい色を合わせる。紺に紺や黒はおかしい。ピンクは華やかすぎてせっかくの紺が台無しになる。
水色ぐらいだとだいぶ収まりがよい。
臙脂色(えんじいろ)も捨てがたい。
これは濃い紅色で紺と合う鉄板の相性であるがやや堅く若い人には合わせるのが難しいかもしれない。
おばちゃんスタッフがあーでもない、こうでもないと、自分の娘を着付けているかのように盛り上がってくると、周りのスタッフも小物を用意しはじめたりする。
他の客が来たら、他のスタッフが対応して、1人は付きっきりになる。
木目を生かした黒地に鼻緒が薄紅色の草履を選ぶ。これは実に恵らしい色合いだ。
そして最後に髪飾りを選ぶ。
恵が美容院に明日行くことを告げると、スタッフは安心したような表情をとる。けっこう髪型で台無しになることもある。
一応、髪のまとめ方やかんざしの使い方も教えてくれる。
恵を完全に着付けた後にイスに座らせて、鏡の前で説明しながら髪を軽く結ってくれた。
後ろ髪を上げてうなじの当たり見えるようになるとだいぶ艶がでて色っぽい。
そこまでしてもらってから、恵は立ちあがって、「どうかな?」と少し顔を赤らめながら倫也に聞く。
もはや男性側は余計な意見をいって機嫌を損ねるようなことはいってはいけない。
ここで「ちょっとババくさくね?」などと言ったら、その後が地獄である。
語彙があるなら気の利いた言葉の一つでもかけてあげたいが、なければ「可愛いと思う」と素直に答えたい。
この時点で女は上機嫌だ。男は余計なところでけちったりしない。例えば千円でも安い草履を選ばせようとしてはいけない。
スタッフも心得たものでだいたい予算内に収めてくれる。あるいは少しオーバーしていても、ここまで仲良くなったらなら値引きをしてくれる。
あとはスマートに会計をしよう。
※※※
店をでて2人は手をつないで歩く。荷物は分担して持っている。
倫也はさりげなく街の中心から離れていく。
この時の会話のポイントは今買ったものの反省の仕方だ。
つい、「あの黄色い帯もよかったよな・・・」とか、「白い草履の方が雰囲気でたかな?」とか、他の選択肢を模索してしまいがちだ。
でも、これは何一つ良い効果をもたらさない。迷いは選択の否定になっている。決断した以上はそれを最善と思い込んでいくことが大事。
「恵にぴったりの浴衣があってよかったよな」
「うん」
「明日、楽しみだな」
「うん」
・・・と、まぁこんな感じで上機嫌を維持しながら歩こう。
こういう繁華街のはずれには必ずラブホがある。
「疲れたな、ちょっと寄っていかないか?」
みたいに誘ってはいけない。これだと、高いものを買ったのだから一発させろと受け取られかねない。気持ちも冷める。
ここは自販機を活用する。
「喉乾いたな。何か飲む?」
「わたしは平気」
そして、自販機の前に立って、少し悩んだふりをしながら、女に小銭をせびろう。ここで千円札やパスモで購入してはいけない。
「恵、小銭ある?」
「うん」
女も小銭ぐらいは出してくれる。これが重要。憐みと施しである。高い物を買ってもらったのに、たった百数十円払っただけで感情的に対等になる。
「ありがと」
ちゃんとお礼をいって、いろはすを買う。水が無難。ドクペとか買って独走しない。
そしてキャップを開けて、まずは女にペットボトルを渡す。女が一口飲む。
それから自分も飲もう。
はじめての間接キスかもしれないが、そこは気が付かないふりをして、とにかくちょっと買い物に付き合って疲れたよ・・・というテイで、ため息の一つもつく。
「ふぅ・・・」
もちろん、目線の先にはラブホがある。日中なら安い。
まったく脈がないか、よほどの鈍感な女でもない限り、こちらの意図に気が付いてくれる。
「・・・いいよ」と、小さな声でいってもらえれば成功だ。
倫也がチラッと恵の方をみる。
「うん。まぁ・・・えっと。わたしと倫也くんの関係性を仮に夫婦だとして・・・夫婦だとこんなところでなかなか無駄金は使わないだろうから・・・えっと、それなりの関係の恋人同士だとして・・・倫也くんの期待に答えたい気持ちはあるんだよ?」
「よし。なら・・・」
「・・・五日目だから」
「ん?・・・いつかめ?」
恵がすたすたと駅に向かって歩き出す。
「えっと・・・恵?どういうこと・・・」
恵はくるりと振り返って、
「そんなんだから、英梨々ルートに迷いこむんだと思うんだけど!」
「えっ?どういうこと・・・」
倫也は戸惑う。
恵は空を見る。少し晴れてきていた。
傘は必要ないらしい。
相合傘イベントまで導入しなくても、どうやら関係性は修復できたようだ。倫也に見えないように恵は楽しそうにクスクスと笑っていた。
(了)