7月23日 金曜日。夏休み2日目。
恵が倫也の部屋のテーブルに座ってスケジュール表を眺めている。倫也はデスクに座り相変わらず進まないメインヒロインルートのシナリオを考えていた。紙のノートに何やら書き込んでは消しゴムで消している。ずいぶんと苦慮しているようで、消しゴムが小さく丸くなっていた。
「ねぇ、倫也くん」
「どうした?恵」
「この冴えカノ原作によると、わたしと倫也くんがデートしている可能性があるのって、冬コミ終了後から卒業までの間だよね?」
「卒業後もデートはしていると思うけど・・・」
「卒業後はR指定が外れるから、2人が結ばれることが示唆されているよね?」
「結ばれるってなんだ?」
「えっと・・・わたしを怒らせたい?」
倫也は笑ってごまかす。
恵がむくれて、スケジュール表に目を落とす。
なりたての恋人がぎこちないデートをするのは冬だけってことになる。
大学生偏はあまりにも原作から離れる。難しい。
「英梨々ルートの時は好き勝手やっていたのに、恵ルートは原作順守なのはなんで?」
「恵ルートは完成されているから。俺らにできるのはその隙間を埋めるぐらいだろ」
「夏休みなら自由だからいいと思ったけれど・・・いざ始めてみると制限多いなって」
「そこがいいんだよ」
恵は倫也をじぃーと見る。
「『転』がなくても、恋人になるのは勇気がいるって話だよね?」
「そういうことだ」
「わかるんだけどね・・・」
なんか思っていたのと違う・・・と恵は思った。もう少しこう・・・恋人らしい話にしたかった。倫也が英梨々と過ごしたような時間を自分も過ごしたい。それは嫉妬だと自覚はしている。
「帰る・・・」
恵が機嫌を損ねて立ち上がった。バックをもって部屋から出ていく。
※※※
「恵ぃ・・・」
倫也が階段を降りて追いかけるが、恵はそのまま玄関まで行き靴を履いている。
倫也が恵の手を握った。
「待って。恵」
恵は倫也に握られた手を振り払わずにそのまま強く握った。顔は玄関の扉の方をみていて、倫也から表情はわからない。
「わたしはね・・・」
「うん」
「ただ、倫也くんと楽しく過ごせたらいいなって思ってた。ううん。同じ空間に2人でいるだけでもいい。倫也くんがシナリオを打ち込んでいて、わたしが隣で夏休みの課題をしているとか・・・そんなのでもいいの」
「あのさ・・・、俺の課題はどうするの?」
「知-らない」
恵が倫也の方に向き直った。顔は笑っている。恵は機嫌を損ねたフリをしただけだ。
倫也は恵の手を離した。恵も少し名残惜しそうに手をほどく。
こうやって少しだけ『転』をいれておく。そうしないと余計な『転』が物語をややこしくする。
※※※
2人は部屋に戻る。
「で、今回はこれをやるの?」
「そう。恵ならきっとできる!」
「そうかなぁ・・・」
恵は倫也の作ったメインルートのイベントに目を通す。
倫也が「ただいま」といい、恵が「おかえり」という。それだけ。
まずは本当に些細な日常の再現を試みる。
「でも、挨拶するだけだよ?」
「そこがいいんだよ。そのなんでもないことを恵のあざとい演技でさ」
「えっ?」
恵の目からハイライトが消える。
「ねぇ、倫也くん。今、なんて言った?ごめん。聞こえなかった」
倫也が固まる。冷や汗がでる。ちょっと口がすべった。ちょっとじゃないかもしれないけど。
「俺は『可愛い恵の力で』っていったんだよ」
「そう?」
恵がにっこりと作り笑いをした。倫也がほっとする。
「さぁ、倫也くん。そろそろはじめようか?わたしのあざとい演技」
「あの・・・恵・・・」
「どうしたの倫也くん?あざとい演技をして明るく楽しく終わらせよ?」
まるで最後に♪がつくかのように軽い口調の澄んだ高い声。
でも、目は漆黒だ。
「そうだな・・・」
恵が無言で見下ろしているままだ。倫也はそっと、あぐらで座っていたのを正座にした。
「倫也くん・・・ちょっと、そこ座って」
恵が指で床を示す。
「・・・もう座ってます」
恵が目の前に正座して座る。
「あのさぁ、倫也くん。わたしだってね、好きであざとい演技をしているわけじゃないんだよ?」
倫也は真剣な顔をしていたが、おもわず吹き出して笑ってしまった。
「ちょっと、何笑ってるのかなぁ?」
「いや、ごめん。だって、ひさびさに怒られたから。ほんとごめん。続けて」
「・・・もう。怒るのだって大変なんだよ?わかる?」
「うん。なぁ恵。ポニーテール、とても似合って可愛い。今度、大きなリボンつけてみたら?」
「・・・あのさぁ、そういう風に誤魔化さないんで欲しんだけどなぁ」
「でも、今回のイベントはわざと『あざとく』するんだろ?」
「そうなんだけどね」
「じゃあ、俺いってくるよ」
「うん」
倫也は立ち上がった。そして、デスクの鍵のかかった引き出しから財布を取り出し、ポケットにいれて家を出た。
恵はもってきた袋からエプロンを取り出す、今日の小道具で白いエプロンが入っている。フリルがついていて、メイドが身に着けているようなコスプレタイプのものだ。
エプロンを身にまとうとキッチンへと降りていった。冷蔵庫を開けてどうするか考える。それからレタスを取り出して、調理を始めた。
※※※
倫也が買い物を済ませて、家へと戻ってくる。玄関で靴を脱ぎながら「ただいまー」と言った。
家に入るとキッチンに恵がいる。恵は体を後ろにそらせて倫也の顔を見る、ポニーテールが揺れる。
「おかえり、倫也くん」
と静かな声でいった。
そう、本日のテーマである。恵が倫也に「おかえり」という。それだけでなんだか新婚気分になる。恵は必死にニヤニヤする笑顔をフラットにする。
「買ってきてくれた?」
「えっ、何を?」
倫也は別に何も注文されていなかったよな?と思う。
「ほら、サラダに乗せる具材だよ」
恵はレタスサラダを二つのガラスの器に盛り付けていた。あとは上に何かを乗せれば完成だ。ゆで卵とか、カニカマとか、アボガドとか。なんだっていい。
「え・・・俺が買ってきたの『消しゴム』なんだけど」
「はい?」
恵は目を細めて倫也の手元を見る。どうして消しゴム。
「だって、消しゴム無くなりそうだったから・・・何か食材が欲しかったら言ってくれれば買ってきたのに」
「そこは阿吽の呼吸を期待したいかな」
「エスパーじゃないからね!?」
「そうかなぁ・・・」
恵が気落ちする。これぐらいわかってくれると思ったけど・・・
リテイクを繰り返したら買ってきてくれるかな?
「やり直し。もう一回買ってきてくれる?」
「それはいいけど、何を買ってくればいいの?」
「それは任せるよ。大事なのは『おかえりなさい』をいうことなんだよね?」
「・・・わかった」
倫也がまた買い物に行った。
恵はサラダをラップに包む。消しゴムを乗せればトウフかモッツァレラチーズのように見えるかもしれないと考える・・・。考えただけだからね。
サラダを冷蔵庫にしまい、ついでに他の食材を見る。晩御飯は何にしようかと考える。パスタかな。後でもう一度倫也くんと買い物にいってもいいかなと思う。
恵は時計を見た。時刻は午後3時を回っていた。外はとても明るくて暑く、蝉が騒がしく鳴いている。
※※※
倫也が買い物から戻ってくる。玄関を開けると、ちょうど恵が階段を降りてくるところだった。
「あっ、おかえり。倫也くん」
とてもキレイな声。優しくて思いやりがあり、一日の嫌なことが吹き飛ぶような言葉。家に帰ると加藤恵が出迎えてくれる。なんかすごい。
「どこいくんだ?」
倫也が聞く。
「ああ、うん・・・えっと、お風呂に入ろうと思って」
「まだ、外明るいぞ」
「そうなんだよねぇ・・・」
階段から降りてくる時にばったり会う。それがやりたかっただけで理由なんてない。
「ほらよ」
倫也が持っていた袋から、小さな袋を取り出し、恵に投げる。
恵はそれをキャッチして、袋を見る。アニメキャラのおまけつき入浴剤だった。
「正解だろ?」
倫也は考えて買ってきた。玄関でばったり会うのは劇場版の最後のところだ。英梨々と恵があう。きっと一度は再現するだろうと思っていた。ビンゴである。
「うん・・・合格だよ・・・って言ってあげたいけど・・・」
どうもこの溶けるとアニメキャラのおまけが出てくるというところが腑に落ちない。そういえばお風呂の棚になにやら小さい人形が置いてあったと思ったけど、これか・・・
「集めているの?」
「ときどきな。本当に集めるならBOXで買うよ」
「あーそうだよねぇ」
倫也が笑っている。恵は階段を降りて、少し考えてからお風呂に入ることに決めた。
「でも、まだお風呂いれてないんだけど・・・沸かしていいかな?」
「いいけど、夏だしシャワーでもいいんじゃないの?」
「入浴剤は・・・」
「任せるよ」
「うん」
「俺、もう一回だけ買い物いってくるから、ゆっくりどうぞ」
倫也はそういってまた家を出ていった。
恵は風呂場に向かい、Tシャツを脱ごうと手をかける。そこで描写が止まる。NGのようだ。
※※※
倫也が戻ってくる。手にはケーキの二つ入った箱持っている。
玄関で靴を脱いでいると、浴室の方から恵がでてきた。
「ちょっと!倫也くん、早い・・・」
恵は浴室にひっこみ、顔だけを出している。体にはバスタオルを巻いている。
「ただいま。恵」
倫也は動揺を隠して、努めて冷静に言った。
「えっと・・・おかえり。倫也くん」
そして、一呼吸を置く。恵は次の言葉を続けるか迷う。恥ずかしい。
「えっと。こういう時は・・・『おかえり、あなた。ごはんにする?それともお風呂?・・・それとも・・・』っていうんだっけ?」
恵は顔が真っ赤だ。フラットさがない。声も震えて動揺している。完璧なあざとい演技はどこへいった。
「恵。最後までいわないと、オチないぞ?」
恵はため息をつく。ほんとにバカな話だ。底抜けで明るい幸せな話?
「それとも、わ・た・し・・・?」
「ぐはっ」倫也がしゃがみこみ、鼻血を手で抑える。
恵はそんな倫也を見て、ため息を一つついて笑った。
(了)