8月25日 水曜日 夏休み35日目。
朝の7時。
「倫也くん。起きて」
「むにゃ・・・」
「朝だよ」
「・・・ん・・・何時?」
「7時」
「・・・早くね?」
「そろそろ日常のリズムに戻さないと学校が始まった時にしんどいよ」
「うーん・・・あと10分」
「もう・・・」
倫也が再び微睡みの中に落ちた。
恵はすでに朝の準備を終えていた。黒のルームウェアは恵をよりスレンダーに見せた。
倫也がまだ起きそうにないので、恵は朝食の支度を始める。
※※※
「倫也くん・・・起きて」
「ん・・・」
「起きないと恥ずかしい描写いれるよ?」
「なんだそれ・・・」
倫也の下半身は高校生らしく元気で、腰のあたりにかけたブランケットの上からでもはっきりとわかる。
「やめてね!?」
「ほら、はやく」
「男の方を描写してもしょうがないからね?」
「はいはい」
「・・・ぜんぜん、動揺してねぇな・・・」
恵は倫也が起きたことを確認して、また下に戻っていった。
※※※
「いただきます」倫也が言う。
「どうぞ」と恵が答えた後、「いただきます」と続ける。
「和食なんだな」
「たまにはね」
ご飯と味噌汁と納豆、昨晩少し多めに煮ておいたカボチャの小鉢。
倫也が味噌汁を一口飲む。大根とワカメの味噌汁。だしの素を使っているいつもの味だ。
朝に飲むと、ちょっとほっとした気分になる。
「で、倫也くん・・・今日の予定は?」
「うーん。ネタは相変わらずないんだけどな」
「うん」
「アニメでメインシナリオの話を少ししていただろ」
「どんなのだっけ」
「サッカー観戦につれていくやつ」
「あー、勝手すぎる主人公の話ね」
「それそれ。『もう、しょうがないなーって別れるから』と、恵が言っていた話な」
「うん」
「あれをさ、やってみようと思うんだけど」
「サッカー見に行くの?」
「いや、コパアメリカを見ようと思って」
「コパ・・・なにそれ?」
「南米選手権だな。南米の10ヵ国で競う大会なんだけど」
「へぇー」
「それが9時から放送されるんだよ」
「それを見るの?」
「と思っているのだけど、どう?」
恵がかき混ぜた納豆をご飯にのせる。箸をくるくるして糸を切った。
「解説付きで?」
「そそ」
「うーん。それって、倫也くんがわたしと別れたいってこと?」
「なんでそうなるの?」
「だって、そういうオチだったよね?」
「そうだっけ・・・」
「アニメはアニメだし、いいんじゃないかな。やってみたら」
「なら、決まりな」
「うん」
倫也は納豆をご飯とぐちゃぐちゃにまぜて食べる。
恵はご飯と納豆を適度にとりながら食べる。
※※※
倫也がノートPCでサイト検索しながらLIVE映像を探している。
「何しているの?」
「海外の試合だと、ネット配信しているサイトがあるんだよ。それのいいのを探している」
「それって違法なんじゃ・・・」
「どうだろ?普通にネット配信しているのを見るのは、国内じゃないという理由で違法になるの?」
「さぁ」
「日本のサイトの映像を転載している人は違法だけどな」
「それって、日本語じゃなくなるってこと?」
「だな。できれば英語がいいけど、現地の言葉もいいぞ」
「何語?」
「スペイン語だな。ラテン語系」
「わかるの?」
「わからないけど、なんとなくわかるよ。下手な日本人の解説よりもいいと思う」
「へぇ・・・」
恵はテーブルの上にお菓子とお茶を並べる。食べたばかりでお菓子の袋は開けないが、一応雰囲気がでる。
「何かの映画でも見た方がいいんじゃないの?」
「まぁまぁ、もう決まったことだし。・・・よし、ここにしよう」
倫也が映像をリビングのTVに移す。画質もなかなか良い。
「英語かな」
「だな」
まだ選手が練習している映像が流れている。
「スタメン誰だろ」
「どことどこの試合?」
「アルゼンチンとブラジル」
「サッカーはブラジルが強いのだっけ?」
「そうだな。前回大会で優勝している」
「アルゼンチンも強い?」
「強いよ。世界中の人が優勝を望んでいると思う」
「アルゼンチンの方が人気あるの?」
「メッシっていう有名な選手がいるんだけどな。知ってる?」
「うん。名前ぐらいなら・・・」
倫也と恵がソファーに並んでいる。あんまりくっついて見るようなものでなく、ちょっと距離が空いている。
「メッシっていうのはさ、世界最高のフットボーラーなんだけど。バルセロナっていうクラブチームでは35回優勝している」
「すごいね?」
「あらゆる大会で得点王、アシスト王、MVPもとっている。おそらく歴代最高の選手なんだけどさ」
「うん」
「アルゼンチン代表では優勝したことないんだよ」
「それは、アルゼンチンが弱いってこと?」
「弱くはないよ。なんとメッシの時に5回も準優勝しているんだ」
「惜しいね」
「なので、メッシは代表でシルバーコレクターって揶揄されることもある」
「すごいことなのにね」
「だな。アルゼンチンとしても、メッシに優勝させてあげたいっていう気持ちも強いんだよ」
「国が?」
「そうだな。国、国民、サッカー協会。世界最高のフットボーラーだからね、それにふさわしいタイトルを・・・と思っているんだ」
「なんとなくわかる」
「昔は、メッシが優勝をもたらしてくれるって期待していた。がっかりされたり、批判されたりもした。でもすごく現役の長い選手だからね、今では愛されている。メッシ不要論も消えたし・・・」
「いろいろ大変なんだね」
「そうだな。2005年にアルゼンチン代表でデビューして以来、今はキャリアが終わろうとしつつある。どうしても最後にメッシにタイトルを取らせてあげたいってところまで変わったんだ」
「それがこの大会なんだ」
「そうだな。決勝まできたし。ちなみにアルゼンチンは93年以来優勝から遠ざかっている」
「あっ、選手出てきたよ」
選手が入場してきて、横に並び、その後は国家斉唱をした。
「あーどきどきしてきた」
倫也が画面に集中する。恵は話をするべききか迷う。
集中してゲームを見るのも1つの過し方だ。
「このメッシってさ、それだけのキャリアだから年収で100億ぐらいあるんだよ」
「100億!?」
「フォロワーだって1億3千万人ぐらいいるし」
「日本人と同じ数だね」
「それにタイトルを総なめにしているし、いろんな記録をもっているし、こんなすごい人だから華やかなのかなって思うだろ?」
「そだね。別世界の人だよね」
ゲームがスタートする。
「サッカーだけじゃなくて、彼のプロになるまでのキャリアも有名でさ。4歳の時にサッカーを始めて・・・」
「あれだっけ、治療受けるためにスペインに引っ越してバルセロナに入団したとかいう人?」
「そそ。13歳だっけ?14かな。それから17歳でトップデビューするまでにユースのいろんな記録を塗りかえて・・・」
「うわぁ・・・ディフェンス不安だねぇ・・・クリアしちゃえばいいのにね」
「ん・・・そう・・・だな」
アルゼンチンのディフェンスラインがボールを回しているが、ブラジルの前線のプレスがきつくて危うくみえる。恵の方が試合をちゃんと見ていた。
「21歳の時から付き合っている人と結婚したんだけどさ」
「うん」
「その相手がさ、なんと同郷の人なんだよ」
「同郷?アルゼンチンの人ってこと?」
「そそ。女優とかモデルと結婚する人もいるなか、幼馴染と結婚したことで好感度がさらに上がるという」
「ちょっとまって、なんで21歳が幼馴染なの?」
「6歳の時に知り合っていたらしい」
「・・・6歳?」
「9歳という説もあるらしいけど」
「で、倫也くん、なんで幼馴染と結婚すると好感度あがるの?かな?かな?」
「あれ・・・」
アルゼンチンがブラジルの攻撃陣をたくみ防いでいる。
倫也は地雷を踏んでしまったか。
「幼馴染と結婚したことに、倫也くんは親近感をもっているわけ?」
「そ・・・そうつなげるんだ・・・」
「だって、このままサッカーの実況をするわけにもいかないでしょ?」
「そうかな」
「フォーメーションの解説とか始めたら、さすがにひかれると思うけど」
「・・・そっか」
その後2人はサッカーを黙々と見ている。
※※※
前半のなかばに、デパウルからのロングボールをディマリアが抜け出てビッグチャンスになる。
「ディマリアさん!決めてぇええええええ!」
「マリア様~」
前に飛び出たGKをよく見て、綺麗なループシュートでゴールを決めた。
「きたあああああぁあぁあ」
「倫也くん、声でかすぎ」
実況が叫んでいる。解説も叫んでいた。涙声になっているのが聞こえる。
アルゼンチン先制した。逃げ切れば優勝であるが、相手はあのブラジルだ。
「ううぅ・・・」
「倫也くんまで泣かないでよ。まだ終わってないよ」
「すまん・・・」
なんども繰り返してゴールシーンが流される。左足のトラップが絶妙だった。
「この人も有名なの?マリア様」
「そうだな。このメッシとアグエロってFWとディマリアが同世代だな。ユースで世界一になっている。いわば代表での盟友だな」
「へぇ・・・」
「彼もすごい名選手なんだけど、とてもいいコメントを残している」
「どんなの?」
『僕は小さな物語の主人公になるよりも、伝説の脇役でありたい』
「うわぁ・・・人柄がでているね」
「それだけ、メッシが別格なんだな」
点がはいったことでゲームがさらに盛り上がっていく。
守備の要のパレデスがイエローカードをもらった。
「ボランチがイエローカードをもらっちゃったよ・・・倫也くん」
「逃げ切りを考えるには早いし、難しいな。前半を無失点でおえれば修正できそうだけど・・・というか、恵、サッカー詳しいな?」
「・・・気のせいだよ」
その後、攻撃をしのぎ前半を1-0で折り返した。あと45分で優勝だ。
※※※
15分の間にトイレをすませる。
緊張して体が固まるので軽く体操もする。
後半がはじまった。カードをもらったパレデスをより守備的なギドに交代する。
「もう一点決められればな」
「1点差の試合が面白いと思うけど」
「内容よりも、優勝してくれればいいよ・・・」
「もう、どんだけアルゼンチンが好きなの」
「俺が生れる10年以上前からだな」
「・・・」
ブラジルの猛攻をしのぐアルゼンチンはカウンターでゴールを狙う。下がりすぎてもダメ、あくまでもメッシが隙あればゴールするぞと圧力かけているから成り立っている。
そんなメッシもいつも以上に走って守備をしていた。
「メッシがこんなに守備するなんてな」
「気持ちが伝わるね」
「でも、だんだんとカードが増えてきたな・・・ケンカもしているし」
「熱いねぇ・・・」
「あれ、交代3枠つかったよな」
「なんか、コロナで交代枠増えているらしいよ」
「恵、詳しいな?」
「常識だよ」
「ええっ・・・」
常識のレベルがあがったようだ。交代枠が増えたおかげでカードをもらった選手をさげてフレッシュな選手を投入できる。一回はイエローカード覚悟でとめることができるのが大きい。
・・・アルゼンチンのゴールが揺らされた。悲痛な声が画面から流れる。
しかし、これはオフサイドで無効になった。セーフである。
同じような形の決定機をブラジルが向かえるが、今度はGKが止めた。このマルティネスが大ブレイクした。準決勝ではコロンビア相手にPKを3本も止めた。守護神である。
DFの要のオタメンディーもイエローをもらい、攻守に走り回ってネイマールとマッチアップを繰り広げているデパウルもイエローをもらった。このあたりは交代できない。
残り10分になる。
倫也も恵も画面にくぎ付けになる。夫婦漫才はどうした。
ネイマールが鬼気迫るプレーで局面を打開する。1人、2人と抜いていく。
なんとか後ろのDFがクリアするが、すぐにセカンドボールを拾われる。
そんな中、アルゼンチンもカウンターでビッグチャンスを迎えたが、メッシが決定機を決めきれなかった。嫌な予感がする。
祈ることしかできない。
※※※
アディショナルタイムが5分と表示された。
「長いよ!」
「ええっ・・・5分は・・・ねぇ・・・」
もうほんと長い。優勝が目の前だけど、この5分ほど点がはいる時間帯もない。最後まで油断ならない。ワンミスで振り出しである。
総力戦。
残り1分になる。アルゼンチンはスローインのリスタートをゆっくり行う。それからボールを回そうとするが、すぐにカットされてしまった。ブラジルの最後の攻撃が始まろうとするところを、再び取りかえしたところで審判が時計をみた。
ホイッスルがなった。
アルゼンチンが優勝した。
みんながメッシに駆け寄っていく。
信じていたけれど、信じられない。最後の最後で戴冠してくれた。
世界中のフットボールファンが望んでいたというコメントがライバルのネイマールから贈られたのも感慨深いが、本当にそうだった。
メッシに足らなかった代表でのタイトルがついに埋まった。
※※※
小休止
※※※
「倫也くん。落ち着いた?」
「ああ、大丈夫だ」
倫也は顔を洗ってきた。
「そろそろ締めないと」
「そうだな」
「どうするの?」
「なにいってんだ?恵が用意してくれていただろ?」
「えっと、なんだっけ」
「ほら、朝・・・和食にしてくれただろ?」
「うん」
「メッシ(飯)のおかげ」
おあとがよろしいようで
(了)