8月30日 月曜日 夏休み40日目。
劇場版では夏休みの最終日からストーリーが展開していく。だから、この物語の倫也と恵は前日の今日が最終日。
倫也の部屋もリビングもエアコンをガンガンにかけて、倫也も恵も朝から大掃除をしている。大掃除というよりも撤収作業の方が近いかもしれない。
掃除機をかけ、雑巾がけをし、冷蔵庫をほとんど空にして綺麗に除菌した。バスルームはカビ取りまでしたし、トイレも磨き上げた。
お昼ごはんはカップラーメンで済ませ、キッチンももう汚さない。レンジ周りも換気扇も掃除したからだ。
恵はもってきた服をキャリーバックに詰めて、箪笥を元のようにもどした。これでだいたい夏休み前の状態に戻る。
午後3時過ぎに掃除が終わり、2人はソファーに座ってやっとくつろいでいる。グラスも使わずにペットボトルの水を飲む。
「終わったね。倫也くん」
「お疲れ、恵」
恵は学校の夏服に着替えていた。
「夏休み。終わるね」
「はやいな・・・なんか、40日も無理だと思ったけど、なんとかなったな」
「うん・・・風鈴作ったり、手持ち花火を一緒にしたり、スイカ割りしたり・・・できなかったイベントもたくさん」
「だな。不思議だ・・・」
「部屋の中で過ごすのが性に合っているからかな」
「毎日何かのイベントをするっていうのも疲れるし、それでいいのかもしれない」
「うん」
恵がペットボトルを手にもったまま、天井を見ている。何かやり残したことはないだろうか?
「倫也くん。とりあえず完成したし、第一話だけ後で変えてくるね」
「ん。その必要ある?」
「最初が肝心なんだと思うけど・・・それに最初の話が実は最終話になっているみたいなオチは好きでしょ?」
「そういうのはいいよな。で、どうするの?」
「どうもしないよ。そんな余裕なかったもん」
「じゃあ、戻る意味は・・・」
「少しぐらいは伏線置けるかもしれないし・・・」
2人は顔を見合わせる。
「無理だな」
「無理だよねぇ」
・・・
※※※
「あとは・・・来年の夏の過し方かな」
「来年?」
「そう。来年。もし、まだ続けていたら来年の夏もまた短編を40話つくってみたいと思っているんだけど」
「またやるの!?」
「いや?」
「大変だけど・・・暑いよ?」
「そこで、やっぱり旅行だよ。倫也くん」
恵が鞄から欧州の旅行ガイドを出した。
「ヨーロッパいくの?」
「うん。フリーパスのチケットで欧州の電車が乗り放題になるし・・・」
「バックパッカーか」
バックパッカーとは、大きなリュックをもって安い旅をしている人達である。野宿もたびたびあるが、基本はユースホステルやYMCAなどの格安宿泊施設を利用する。
欧州のバカンスは長いので、こういう旅をする人が多い。
「だめかな?」
「だめじゃないけど、来年の俺って浪人生じゃないの?」
「あー。そこはまた高校生で」
「高校生2人で欧州旅行するの!?」
「変かな」
「うん」
「じゃあ、大学時代?」
「もう、それ冴えカノじゃなさすぎるから・・・」
「うーん」
まるで、今の2人が冴えカノのような言い草だな。
「計画だけね」
「うん・・・で、今日はどうする?恵」
「どうもしないよ。各話に伏線がちりばめられていて、最後にどんと回収するようなことはないわけだし」
「・・・だよな」
「なんでもない日をまた過ごして、一日が終わるんだよね」
「夏休み終わって欲しくねぇな」
「学生はきっと今頃本気でそう思っているよ」
「ははっ。宿題の日記とか最終日にまとめてやったな」
「それは、倫也くんだからじゃないの?」
「そういう宿題って真面目にやってた?」
「うん。ちゃんと夏休みの始めの頃に終わらせたよ」
「日記だよ?」
「うん。朝顔の観察日記とか、家のお手伝い日記とかでしょ?」
「そう」
「先生は本当のことなんてわからないから、それらしいもの書いて終わらせていたけど」
「それ、もうどっちもどっちだな」
※※※
「そうだ。これだけはやっておこうと思ったことがあるんだ」
恵が立ち上がってキッチンに行き冷蔵庫を開ける。ほとんど空になっているが、1つだけプラスチックカップにプリンが作ってあった。スプーンと一緒にもってくる。
「プリン」
「一個だけじゃん・・・俺のは?」
「ないよ」恵がさらりと言う。
「倫也くん・・・死なないでね」
「なんで?」
恵が何も答えずに、プリンをスプーンですくった。
プリンを倫也に食べさせたのが、おかしな物語になった始まりだった。
英梨々ルートなんて絶対に認めない。
強い嫉妬が英梨々の物語を壊した。その後の物語の迷走も原因は自分にある。
メインヒロインでなくなるという結末は、『転』を回避できるという約束でもある。
この『恵といちゃいちゃ過ごす夏休み』はまさに、その通りになった。
ただの明るいバカげた物語だ。
「あーんして」
「あーん」
倫也がプリンを食べる。結末がどうなるかは関係ない。
今、この刹那を生きている。恵の作ったプリンを食べる。その至福の瞬間を味わう。それだけのことだ。
恵がプリンを倫也の口にいれた。
倫也はもぐもぐと食べて、「おいしい」と一言そえて、笑った。
「うん」
恵も満足そうに微笑む。大丈夫、おかしな音楽もならないし、変な自分の分身もでてこない。目の前で突然倫也が死んで、物語が迷走したりしなかった。
「かえろ」
「そうだな」
倫也もほっとした。死ぬかと思った。それはそれでいいのだけど・・・
ここまで楽しく作ってきたのだ。最後まで楽しく過ごさせてやりたい。
※※※
『やれやれ・・・君も相変わらずだな』
伊織が加藤恵@メインヒロイン型を抑えつけている。
「ううぅ・・・」うなり声を上げていた。
「波島伊織。恵にサブヒロインなんて無理なのよ」
英梨々がそばに立って2人を見下ろしている。
指をバチンッと鳴らした。
メインヒロイン型がまた1つ消えた。
「裏方は苦労するわよね。ほんと」
『なんだかんだ、君は裏方もサブヒロインも上手くこなすものだね』
「それが役割なら従うまででしょ?」
『君がそれを望むなら』
伊織がそっと英梨々にハンカチを渡した。
英梨々がそれを黙って受け取る。
『転』が起こらないよう裏方でみんなが支えている。
※※※
帰り道。
あたりはもう蝉は鳴いていない。
まだ日差しが強いので人通りは少ない。
倫也と恵は並んで歩く。制服姿の時は手をつながない。一応のけじめだ。
「あっ、倫也くん。今日はいちゃいちゃしてないよね?」
「そうだな・・・プリン食べたぐらいだな」
「ベッドシーンから始まった方がいいかな?」
「せめて、オセロシーンと言い換えましょうか。恵さん」
「ああ、うん・・・。ほんと、オセロばかり上手くなっちゃう」
「コツがなかなかつかめないよな」
「倫也くんは、序盤を焦りすぎなんじゃないかな。我慢が足らないというか・・・」
「そうか?」
「うん。自分がいて、相手がいるんだからね?相手の顔色や仕草をよくみて、それから手を考えないと」
「ふむ・・・」
「・・・」
「・・・」
恵は思い出したのか顔が赤くなる。フラットな表情にするのも忘れがちだ。
※※※
「プロローグ見てきたんだけど」
「どうだった?」
「初々しかった・・・」
「はははっ」倫也が大笑いしている。そりゃそうだ。
「もう・・・笑い事じゃないよー。あとね、旅行もちゃんと行きたがってた」
「そっか。じゃあ、手直しは必要なさそう?」
「うん。合宿名目で鎌倉日帰りだって」
「今からじゃ遅くなって日帰りは無理だな」
「でも、今日しかチャンスがないよ・・・?」
「どうする・・・?」
「泊まる・・・?」
「けど、明日から劇場版だろ?」
「朝に急いで帰ってくれば平気じゃない?」
「衣装は?」
「そっか・・・制服かぁ・・・じゃホテルは無理だよね」
「・・・だな」
「もう少し、最後ぐらい計画的に過ごせないかな?」
倫也は顔をかいて誤魔化した。最後までどたばたする。
「うん。じゃあ、どうやって終わろうか?キスして終わろうかと・・・思っていたのに」
「それはしておこうなっ!」
倫也が恵の前に立った。
「あー、制服だからダメだよ」
「恵」
「もう、しょうがないなぁー」
恵が目を閉じる。もう片目を開けるようなことはしない。静かに待つ。
倫也はそっと唇に触れる。心地よい余韻だけが残る。
たぶん、これが最後のキス。
倫也と恵は少し離れて、少し見つめ合う。
倫也がうなずくと、恵もうなずいた。
終わる時は寂しい。
恵が坂を駆け上がっていく。青い空と真っ白い入道雲が見える。
坂の上で振り返って、少し気持ちを落ち着かせる。
「夏休みの間中ずっと一緒に過ごしてくれて・・・毎日読んでくれてありがとう。あなたに笑顔を・・・少しは届けられたかな?」
恵がにっこりと作り笑顔をする。
夏休みが終る。
(了)
カナダの首都