第6話 仕事を終えて主婦業をしたくない時の恵
7月26日 月曜日。夏休み5日目。
夜7時。そろそろ外が暗くなり始める頃。
恵は午後に倫也の家に来て、簡単なランチを作り、倫也を起こし、食事を一緒に食べ、その後はずっとサブヒロインルートのスクリプトコードを打ち込んでいた。
一方、 倫也はデスクに座って一文字も進まないまま途方に暮れていた。
スマホで美智留や出海や伊織とやりとりはしている。仕事はしているが、肝心の自分のことができない。それでも、恵はそんな倫也の後ろ姿を見るのが好きだ。そして、時々、シナリオの解釈や表情差分の確認を倫也にする。倫也はデスクから降りてきて恵の側に座りノートPCをいじる。そんな時は目をあわさない。
恵は黒いシュシュで髪を無造作に束ねていた。膝と腿のあたりに穴の開いた緩めのジーンズにカーキー色のシャツを着ている。大人びたお姉さん風に見える。
「ねぇ、倫也くん。ちょっといいかな?」
「ん?どうした恵?」
倫也はあくびを一つして席を立つと、恵とはす向かいに座った。
「6話目にしてネタが尽きるってどういうこと?」
「なんのこと?」
「・・・まぁいいや」
「コーヒーでも飲む?」
「今何時だっけ?」
恵が時計を見る。午後7時。そろそろ食事の支度をするか、帰るか、決める頃だ。今日はずいぶんと作業が進んで疲れている。食事を作る気がしなかった。
「倫也くん、晩御飯どうする?」
倫也はそう聞かれても困る。恵がいる時は恵が何かしら作る。両親?見たことないな。
「恵は・・・どうする?」
「うーん。そういうのもなんだかなぁーだよ」
恵も困る。作る気がしない。
「何か出前しようか?」
「うーん」
どうもピンとこない。もう少し人数がいるとピザでも取ると楽しい。出前も結局、玄関まで器をとりにいって、洗い物をして、何かと面倒なことがある。
「少し外歩こうか」
「それって、帰れってことじゃない?」
「そういうつもりはないけど・・・」
時刻的にはそうなる。散歩をするような時間でもない。
「駅の方まで歩いて、どこかの店でも入ろうか?」
「そうしよっかな」
恵はノートPCを閉じる。資料をまとめる。持ち帰るものをバックにしまう。
そして、おもむろに立ち上がった。リモコンでエアコンのスイッチを消す。
倫也はデスクからサイフを取り出し、ポケットにしまい。部屋のドアを開ける。
こんな風に恵の機嫌がよくわからないときは、くだらないことをする。
「どうぞ」
倫也は頭を下げて、手の指をまっすぐにして出口を示す。ちょっと大げさな紳士的なふるまいをする。
「どうも」
恵も軽く会釈して扉を出る。
恵が振り返ると倫也が部屋の電気を落とす。部屋が暗くなると窓の外の景色が見える。倫也と目があう。倫也がそっと微笑む。恵はフラットな表情のまま、また前を向く。
恵が階段を降りていく、倫也はその後ろ姿を眺める。後ろに束ねた髪が揺れる。ちょっと手を伸ばしてそれに触れる。髪を触ることに恵は怒らない。もっとも、他のどこも触ったりはしないのだけど。
恵がそれに気が付いて振り返る。じっと倫也を見つめる。表情を変えるようなことはない。ただ、少しだけ耳が赤く染まる。
倫也の顔が赤くなったのを見て、満足そうにまた階段を降りていく。
恵は玄関に座り、スニーカーを履く。紐をゆっくりと結び直す。それから、立ちあがって玄関の扉を開けた。
倫也は靴紐を緩くしてあるので、そのまま履ける。恵がドアをもっている。
「どうぞ」と恵がいった。
「どうも」と倫也が答える。
外はもわっとした空気で、暖かい。エアコンは弱めに付けているがそれでもずいぶんと体が冷えてしまう。ときどきは窓をあけて空気を入れ替えているが、やはり外との温度差は大きい。
恵が腰に手をあて、考えている。まるでポーズをとっているようにみえる。
「どうしたの?」
倫也が歩きださない恵に問いかける。恵は何も言わない。
「そういえば、今日の恵は・・・なんていうか、いつもと印象の違う服装だよね」
倫也が頭をかきながら言う。少し照れる。
「そんな風に言われても困るし、どう反応すればいいかわからないし、嬉しくないし」
恵がたんたんと答える。
「えっと、シックだね」
「シック?」
「うーん。決まってるね」
「なにそれ?」
「うーん」
今日の恵の服装は恵らしくない。シャツの色もジーンズもイメージと違う。モデルガンでも持たせたらサマになりそうである。
「いつもよりも、ずっと大人びて見える」
「そう?」
恵が歩きだす。倫也が特に気に入ってないのが伝わる。別にそれはそれでいい。今日は作業を進めたかった。そんな時には少し話しかけられにくい服装と雰囲気を出す。
「今日は機嫌が悪い?」
「ううん。そんなことないよ」
そう、別に機嫌は悪くない。良くもない。
今日の恵の作業は先輩ルートの表情差分のスクリプト作成である。シナリオは何度も読んだ。倫也と詩羽の出会いのパクリである。では、この先輩ルートの結末はいったいなんだろう?作家と編集という関係で向かえるサブヒロインルート。倫也くんの願望だろうか?問いただしたところでしょがない。そういうゲームなのだ。こんなので文句を言ったらゲーム制作ができなくなる。だから、ただじっと作業に没頭する。
2人は駅の方へ向かって歩く。
倫也が右側で、恵が左側。
なんでもない時に2人が手をつなげるのはずっと先。少なくとも夏休みが終わって、倫也がメインシナリオルートを書き始めてからだ。それまではただのサークル仲間に過ぎないし、手をつなぐなんてこともありえない。どんなに2人が手をつなぎたいなって思っていても。
「あのさ、恵」
「なに?」
倫也が横にいる恵を見る。少し緊張する。隣にいるといい香りがする。カーキー色のシャツは木綿で生地が厚めだ。恵の胸のふくらみは強調されることはない。
恵が倫也を見る。優しい目元。電灯の光が髪を照らす。
倫也は人差し指で自分の顔をかく。それから考えていた一言をいう。
「今日の恵はいつもとイメージが違うけど、俺はそういう恵も・・・(好きだよ)」
「こういう恵も?」
「えっと・・・」
倫也の顔が赤くなる。夏休みにはいってから、恵はいつもそばにいる。でも、ぜんぜん慣れない。鼓動が早くなるばかりだ。
「いいよ。無理に褒めなくても」
恵は納得したように言った。顔を見ればわかる。けれど、倫也くんはわたしの顔をみてもわからない。たぶん。
「大人びて見える・・・お姉さん風に見える恵もいいと思う」
「ふむ」
恵が指を唇に当てうなずく。口元がほころびるのをさりげなく隠した。
「アクションスターみたいだし」
「それは誉め言葉としてどうなんだろう?」
倫也が前を向く。上手い言葉なんてないものだなと思う。そうじゃない、自分の想いを隠すような言葉しか言えないだけか。
「それに、そういう女性のアクションスターって、タンクトップみたいの着てない?」
「ああ、着てるよね。ハリウッド映画なんかお決まりのパターンで、なんか突然切れるんだよな」
「あるある。何ごとも大げさというか」
少し映画の話で盛り上がる。倫也は3次元に興味がないとはいえ、有名な映画ぐらいは人並みには知っている。それ以上にアニメ映画に詳しいだけだ。
※※※
駅に近づくと店がいくつかある。倫也は町中華の前で立ち止まる。ラップされたサンプル、手書きのおすすめメニュー、すこし破けているのれん。
「中華でどうかな?」
「いいよ」
2人は店に入る。中はそんなに広くない。カウンターが6席。テーブル席が3つ。客は2人だけだった。いらっしゃいなんて景気のいい言葉かけてこない。倫也が2名と言うと、「好きなとこに座って」とおじさんに案内される。愛想とかない。
カップルも街中華にいけるぐらいになると安定期だ。きどったイタリアンみたいのから始まり、洋食系や綺麗な店に行っているうちは本性はみえない。
倫也と恵に関していえば、綺麗な店にいくわけにはいかないので、街中華だ。あくまでもサークル仲間が普通に食事をするというスタンス。
2人は真ん中のテーブル席に座る。手前は出入りがうるさいし、奥はトイレが近い。おじさんが水とメニューを置いていく。
恵は黒板のおすすめメニューを見ている。
「ねぇ、『ラム肉の青唐辛子炒め』だってさ」
「へぇ・・・興味ある?」
「うん。酒のつまみかな?」
「どうだろう。頼んでみようか」
「うん」
「あとは?」
「ライスも頼むよね?」
「そうだな」
「じゃあ、わたしは麺で・・・五目やきそば」
「あいよ。すみませーん」
倫也が店員を呼び、オーダーをする。メニューが回収される。
恵はおしぼりの袋を2つとも開けて、1つを倫也に渡す。倫也が受け取る。
「それにしても、渋いな」
「ん?」
「置いてあるマンガ本」
恵も振り返って入り口の本棚を見る。
「『人間交差点』『パイナップルアーミー』『じゃんりンチエ』わかる?」
「聞いたことあるのもあるけど」
こういう話題だと恵はうなずいているだけでいい。倫也が勝手に語りだす。恵はうなずいたり、時々質問したりする。質問すると倫也が恵を少し下に見て、したり顔で解説をする。恵はそんな倫也が好きだ。
熱弁している倫也は夢中になっていて、自分をみているようで見ていない。だから、そんな時の恵はじっと倫也の顔をみつめている。ただ表情をフラットにすることだけは忘れない。そうしないと恵は、にやついてしまうのをわかっている。
そうこうしているうちに料理が届く。
恵は立ち上がって取り皿をもらいにいく。
倫也のライスから少しもらい、五目焼きそばを取り分ける。
ラム肉の唐辛子炒めも五目焼きそばもテーブルの真ん中に置いたままだ。
倫也がまだしゃべっている。
「ねぇ倫也くん。食べよう?」
「あっ・・・うん」
「いただきます」
「いただきます」
2人は手を合わせる。割りばしを割る。
恵がまず、唐辛子炒めを一口分、箸でつまんだ。
「はい。倫也くん。口開けて」
この恵は食事の時はこのイベントをする。しないわけにはいかない。オリジナルは関係ない。この加藤恵はこのイベントをする。
倫也が口を開け、恵の方へ体を乗り出す。恵が箸を倫也の口にいれる。
倫也は口を閉じ、咀嚼する。
「今日も、お疲れさま」
一言そえる。
唐辛子炒めを飲み込んだ倫也は水を一口飲む。
「辛い・・・」
ちょっと目に涙を浮かべ、倫也が答えた。
恵が微笑む。
店には暢気なAMラジオが流れている。
(了)