7月28日 水曜日 夏休み7日目。
曇り空。日差しが柔らかい分、少し過ごしやすい陽気だった。
けれど、部屋の中でゲーム作りをしている倫也と恵には関係のない話だ。
夏休みが始まって早いもので1週間が経過した。今日の恵は初日と同じ、白を基調にピンクのサマーカーディガンを羽織って、メインヒロイン調の衣装にしている。ときどきそうする。
恵は朝の10時頃に来た時、倫也は珍しく起きていた。
それから家の掃除をし、一段落ついた時には11時を回っている。
倫也はデスクに座り、メインヒロインルートのシナリオが進められずにいた。ゲーム制作では先輩ルートと後輩ルートのシナリオの修正も終えた。従姉妹ルートを現在は恵と修正中だが、おおむねスケジュール通り順調に進んでいた。
「ねぇ、倫也くん。ちょっといいかな?」
「どうした恵?」
倫也がデスクから降りてきて、恵の隣に座る。
「メインヒロインってどうして主人公を好きになるの?」
「それは・・・一緒の時間を過ごしてなんとなく・・・」
「それ、以前いってたギャルゲーによくあるやつなんだっけ?」
「そう・・・だけど」
「そんなんで、本当に好きになってもらえると思ってるのかなぁ?」
倫也から渡されるメインヒロインルートの序盤は、何気ない日常のことばかりだ。
ちっとも物語が発展していなかった。
「何かアイデアある?」
「そんなことわたしに聞かれても知―らない」
語尾をあげる。ちょっと嬉しそうな声。顔はフラットを保つ。
「それでな、ちょっと試してみようと思うんだけど」
「何を?」
「贈り物」
「贈り物?」
「うん。ちょっと待っててな」
倫也が部屋を出ていく。恵は部屋で正座したまま倫也が降りていく足音を聞いていた。
(贈り物?あの倫也くんが?なんだろ・・・まぁ、どうせ何かオタクグッズなんだろうけど)
少したって、倫也が戻ってくる。手には少し洒落た黒地に金文字の袋を持っていた。
恵は倫也の手元をじっと見る。オタクグッズショップの袋とは違うようだ・・・文字を読む・・・えっ?
「これなんだけど、どうかな」
「どうかなって言われても」
倫也は袋から包装された小さな箱を出して恵に渡した。
「開けてみて」
「ちょっとまってよぉ。こういうのはぜんぜん倫也くんぽくないというか・・・」
「何を今さら」
倫也は笑ってしまう。
恵が箱のリボンをほどく。やはり金文字が書いてある高級な箱だ。すでに芳醇な香りが広がっている。
「これ、ピョエルマッコリーのチョコだよね」
「うん」
「なんで急に」
「ほら、恵にはいつもお世話になっているし、たまにはと思って」
「ふーん」
「通販なんだけどね。今朝届いた。」
恵はちょっと目が潤んでいる。いけない。フラットフラットと心に言い聞かせる。
倫也が恵の隣に座って、箱を開ける。宝石箱みたいになっていて上下には分かれていない。中には4つほどトリュフが入っていた。フランボワーズのトリュフが紅くコーティングされて輝いている。ちょっとした宝石のようにも見える。
「と・・・と・・・ともやくん・・・」
「どう?喜んでもらえるかな」
「あの・・・子供は・・・何人欲しい?わたしはね、男の子と女の子を1人ずつがいいなぁって思ってるんだけど、ともやくんはどう?もっと欲しい?ああ、わたし何いってんだろ、えっとまずは新婚生活だよね。確かにそうだよね、最初は2年ぐらい一緒に暮らしてみて、それから子供だよね。もう・・・」
「落ち着け恵」
「ああ、うんうん。そうだよね落ち着かないと。えっと、そっかまずは結婚式あげないと、だからえっと、ちょっとまっててね」
恵が立ち上がる。
「どうした?」
「あっ、うん。ゼクシィー買ってこようかなって」
ゼクシィー。結婚案内の雑誌だ。結婚までの段取りや、式場の宣伝がある。あとは結婚指輪や婚約指輪を扱っている店を紹介している。
長年付き合っている彼女がそれとなくゼクシィーを部屋に置いていたら、決断がせまられる。覚えておこう。学校では習わない。
倫也が恵の手を握って、部屋から出ていくのを止める。
「まぁ落ち着け」
「もう・・・いいところなのにぃ」
恵は振り返らない。耳は真っ赤だ。ニヤニヤが止められないでいた。
「とりあえず座って、チョコ食べてみてくれよ」
「ああ・・・うん。そうだよねぇ・・・ちょっと倫也くん、下むいて目を閉じてくれる」
恵が倫也の隣にちょこんと座る。まずは表情を戻さないといけない。
「えへへ」
頭を左右に揺らして笑っていた。フラットに戻すまで今しばらく時間がかかる。
※※※
倫也の部屋の外のドアのところに、美智留と出海がいる。
「ちょっと・・・美智留先輩。これは想像以上の破壊力でしたよ・・・」
「どうしたもんだか・・・」
2人の役割は『転』だ。ここで2人は部屋にはいって、なんだかんだチョコを食べる。恵がむくれる。倫也がなだめる。そういう展開。
「正直、わたしとしてはごめんこうむりたいですね」
「そう?高級チョコらしいじゃん」
「食い意地の為に命がけですか?」
「役割っていうのがあるんだけどなー」
「無理ですって、世界が溶けちゃいますよ」
「チョコだけに?」
出海がため息をつく。邪魔ができない。
「そういうわけで、わたしは降ります。また!」
「ずるいなぁ・・・」
「美智留先輩も帰ったほうがいいですよ?あんなの無理ですって」
「でもさー、あたし達が邪魔をすることでチョコがなくなり、加藤ちゃんの機嫌が損なわれるんでしょ?」
「そうみたいですね」
「で、倫也が追いかけて、恵の機嫌をとるために、そのチョコ屋までいくんだよね?」
「ええ」
「デートする口実になるし、いいじゃん」
「じゃ、お任せします」
出海は階段を降りて帰っていった。
「お任せされても・・・」
しょうがない、と覚悟を決めた。
※※※
美智留が扉をガチャと開けた。
中を見る。
あぐらをしている倫也に、恵がしなだれて倫也の胸に頭をぴたりと付けていた。倫也の腰を周りに抱き着いている。
倫也の表情は固まったまま、体を微動だせず、時間がたつのを待っていた。
恵の想像以上のデレモードが破壊力ありすぎた。
何が困ったって、表情をフラットに戻すどころから、ニヤニヤを超えて、にぱっにぱっと笑っている。よだれをすすっている。
「・・・ちょっとトモ・・・」
「美智留か・・・」
倫也が美智留を見上げる。
2人はうなずく。
美智留がそぉーと、近づいてテーブルの上のチョコの箱に手を伸ばした、その時。
ガシッ
美智留の右手首を恵の左手が強くつかんだ
「うわぁあああ!?」
美智留が驚いて叫ぶ。
恵の顔は倫也に預けたままである。美智留の方をみていない。
「いたいいたい。わかったって、加藤ちゃん。怖いよぉ!」
恵が手を離す。
「『転』はいらないんだってばぁ・・・」
「わかったってば」
美智留が手を振る。つかまれたところが赤くなっている。
「じゃ、あたしも帰るけど・・・トモ、あたし達だってチョコ欲しいよ?」
「わかった」
美智留が立ち上がって、部屋からでていった。
玄関から外にでると、妙に蒸し暑い。今日は曇りでデートするにはちょどいいと思っていたけれど。
「美智留先輩」
出海が玄関の外で待っていた。となりには伊織がいて、手を軽くあげて挨拶をする。
「ああ、待っててくれたんだ出海ちゃん。あと波島兄ちゃんも」
「これ」
伊織が小さな箱をぽんっと投げて美智留に渡す。
「おっ?サンキュー」
美智留がお礼をいう。
「同じものだから」
伊織がいった。出海の手元にも同じ箱をもっている。
「さすがだなぁ・・・波島兄ちゃんは」
「はははっ」
「それにしても・・・これもやっぱり『冴えカノ』ぽいとは思えないよー」
「うん。そうだね。僕らにはあの子が何をしたいかなんてわからないさ」
「いちゃいちゃしたいだけなんじゃないですかね?」
3人が家を見上げる。倫也の部屋はカーテンが閉まっていた。さっきまでは開いていたのにだ。
「帰ろう」
伊織がうながした。
今回の物語では恵が中心なので、拗ねるサブヒロインのケアを一手に引き受けていた。
※※※
恵はカーテンを閉めてから、ベッドに腰かけて座っている。チョコはまだ一粒もたべていない。目線を少し落として表情はさっきまでと違って少し暗い。
「わかる気がする。わかってきたっていうべきかな?」
「どうした?」
「前作の英梨々」
「・・・」
不穏な流れ?倫也が心配する。
やっぱりチョコを食べなくても、美智留が入ってきたこと自体が『転』になっているのかもしれない。
「ほら、2人の世界を覗かれたくないって言っていたでしょ」
「・・・そうだっけ」
「別に怒っているわけじゃないんだけどなっ」
倫也が困惑している様子をみて、恵がため息をつく。心が重い。
「やっぱり英梨々のことは避けて通れないよ」
「ちょっとまって恵。落ち着いて。よく聞いて」
「何?」
「大丈夫、あれは別の物語だよ。つながっていない。英梨々は詩羽先輩と一緒に仕事をすることを選んだ」
「そうだけど・・・」
「この物語は恵が楽しく夏を過ごす物語だよ」
「違う。わたしと倫也くんが2人で楽しく過ごす物語だよね?」
「・・・うん」
倫也がプラリネを一粒とって、恵に近寄る。
「口を開けて恵」
恵は口を開ける。唇がふっくらとしている。白い歯が綺麗に並んでいた。
倫也がそこにプラリネを放り込む。恵が口を閉じる。
豊かな香りが口いっぱいに広がり、品のいい甘さが心地よい。
「・・・おいしい・・・」
恵は驚く。こうも同じチョコレートで違うものかとびっくりした。
「さぁ、行こうか恵」
「えっと、どこに?」
「チョコレートを買いに」
「ん?」
「他のチョコもあるみたいだし、店の雰囲気も知りたいから取材したいし、別に恵がいかないなら留守番しててくれても・・・」
「いく!絶対いく!」
恵が立ち上がる。
「デートじゃないよね?」
「口実の問題?でもさ、その衣装なら、デートでいいと思うけど」
今日の恵はメインヒロインを意識した白とピンクだ。
「うん、メインヒロインシナリオのためだもんね」
「・・・いや」
「ちがうの?」
まさか、もう倫也から告白してしまうのかと、恵がドキドキする。
「俺も、チョコ食べたいから」
「ああ・・・そう」
恵がテーブルの箱に目線を落とす。まだ3粒残っている。
「いこう」
「うん」
恵も立ち上がって、バックを持つ。エアコンを止める。チョコの箱を閉じて手に持った。冷蔵庫に入れておかないと溶けてしまう。それから部屋の電気を消した。
2人が階段を降りていく。
「恵。忘れ物」
「なに?」
「お前の笑顔」
「ああ・・・」
恵が倫也の方を振り返り、にっこりと笑顔を作った。
だいぶ、笑顔が上手になってきた。
この後、2人はでかけた。
(了)