前夜
空は青く、夕焼けは赤く、そして夜空を見上げれば星が瞬いていたあの頃。
ある晩、雲ひとつない星空に2つの星が流れた。
血のような真紅に輝く流星は、しばしの間、世間の話題を独占した。
その鮮血のような紅色があまりに禍々しく、見る者すべてを不安にさせたからだ。
だが時が経つにつれ、人々はその不吉な流れ星のことを忘れていった。
そうやって退屈だが平和な日常がこれからも続いていくと、誰もが信じていた。
そんなある日の午後、
「そーら、流れ星だ」
「ひゃんっ」
夕闇に追い出されかけた太陽のあがきのような、けだるげな光に照らされた寝室を、甘いあえぎ声が満たす。
チェック模様の椅子の背もたれには、シャツと下着が引っかかっている。
栗鼠のキャラクターがプリントされた可愛らしい代物だ。
真神園香はベッドの端に腰かけたまま、丸みを帯びた白い肩をふるわせる。
ふんわりボブカットの髪がゆれる。
普段はハーフアップにしている髪も、今はおろされている。
やわらかなカーブを描く肩からのびる細い腕は恥ずかしげにすぼめられ、年齢不相応に大人びたふくよかな部分を覆い隠す。
ボディーソープの匂いだろうか、園香からは甘いミルクの香りがした。
「もうっ、マイちゃんったら……」
園香は細い声でささやき、うつむく。
そこでは、もうひとりの少女が眠たげな瞳で見上げていた。
カーテンのすき間から吹きこんだ夜風が、園香の足元にひざまずいた小柄な少女のツインテールをゆらす。
少女が羽織ったピンク色のジャケットがゆれる。
志門舞奈は園香の瞳を見上げたまま、自身の唇をペロリとなめて微笑む。
園香の頬に赤みがさす。
そして園香は、目じりの垂れた優しげな瞳を気遣わしげに細め、
「これから明日香ちゃんと会うんだよね? こんなことしてていいの?」
「平気さ。あいつとは、ただのバイト仲間なんだ」
舞奈は童顔の口元に軽薄な笑みを浮かべたまま、答える。
「仕事前にナニしてたかなんて、とやかく言われる筋合いはないよ」
「ならいいんだけど……」
安堵の笑みを浮かべる園香が、不意に「ひゃっ」とあえぐ。
「マイちゃんったらっ」
おどろく園香に、再び顔を上げた舞奈が微笑みかける。
頬を赤らめた園香はうるんだ瞳で、舞奈は眠たげなほど穏やかな瞳で見つめ合う。
園香はそっと目を閉じる。その時、
「ワシの娘から離れろ!」
ドアが乱暴に蹴り開けられ、恰幅の良い紳士が部屋に飛びこんできた。
「パパ!?」
園香はあわててシーツをたぐりよせる。
舞奈は「やっべ」とひとりごち、ベッドから飛びのく。
何もしていませんとでも言いたげに両手を広げ、白々しく笑みを向ける。だが、
「この泥棒猫め! 今度という今度は、ただではおかんぞ!!」
園香の父親は金属バットを振り上げて怒り狂う。
相手は愛娘の寝室に夜な夜な忍びこんで不貞を働く曲者だ。
しかも、あろうことか同年代の少女である。キレるのも無理はない。
2人の間を裂くように振り下ろされた斬撃を、だが舞奈は床を蹴って華麗に避ける。
狙いを外した父はたたらを踏む。
対する舞奈の口元には余裕の笑みすら浮かぶ。
父の渾身の一撃も、優れた感覚と反射神経を誇る舞奈にとってはスローなお遊びだ。
だから舞奈はそのまま流れるような動作でサイドテーブルに手をのばし、子供っぽいデザインのスニーカーをつかむ。
「それじゃ行ってくるよ。あんまり待たせると怒るしな、あいつ」
父親が再びバットを振り上げる隙に、素早くベッドの脇に跳びこむ。
シーツを羽織った園香のデコに音をたててキスをする。
「きっ……さまぁぁぁ!!」
父の怒髪が天をつく。
もはや許さぬ、骨まで砕けよとばかりに振るわれる渾身の一撃。
だがバットはヒラリと避けた舞奈のツインテールをかすめるのみ。
舞奈は性懲りもなく投げキスなどしつつ、開け放たれた2階の窓から身を翻す。
猫のようにしなやかに、その手の達人のように油断なく。
羽織ったピンク色のジャケットがはためく。
赤いキュロットからのびるしなやかな脚がアスファルトの路地を踏みしめる。
その程度、舞奈にとっては造作ない。
「お騒がせ失礼」
塀の上から見下ろす野良のシャム猫に余裕のウィンク。
直後、脳天めがけて日曜大工のトンカチが飛来する。
舞奈は小首をかしげてヒョイと避ける。まるで見えていたかのように。
「多趣味な親父さんでなによりだ」
窓を見上げてニヤリと笑い、
「またな、愛しのお姫様!」
「2度と来るな!!」
父親の怒声をジャケットの背中に浴びながら、夕闇に沈む街へと走り去った。
予告
愛しい彼女に別れを告げて、
訪れたのは人間社会の裏側で人を害する怪異が蠢くゴーストタウン。
立ち向かうは剣と異能で武装した少年少女。
そして舞奈は相棒と共に数多の戦場を渡り歩いた最強無敵の
次回『廃墟』
それは綻びかけた灰色の街の、変哲のないアルバイトから始まる御伽話。